災厄の日々 第八話 エルゼ川の戦い②

 マグス中尉の爆裂魔法は、渡河を終えて進軍を開始しようとしていたケルトニア軍のど真ん中で炸裂した。

 現在では一キロ四方を粉砕できる爆裂魔法だが、十二年前のこの当時は、まだその半分程度の範囲を吹き飛ばすのがやっとだった。

 それでも――である。高級指揮官を含めた千二百名のケルトニア兵が即死、その直後に上空から襲ってきた大量の土砂岩石に圧し潰されて、さらに三百名が死傷した。


 ケルトニア軍の慌てぶりは尋常ではなかった。

 広大な範囲で突然大地が爆発し、千五百名余りの将兵が一瞬で葬られたのである。長い帝国との戦争で、ケルトニア側にもある程度の魔法に関する知識が育っていたし、最近はケルトニア魔導士の実戦配備が進んでいた。

 それでもこんな魔法は前代未聞であった。


 最初の衝撃からどうにか立ち直ったケルトニア軍の代理指揮官(爆裂魔法の直上にいた指揮官はミンチになり、遺体の回収すら不可能だった)が、まず第一に恐れたのは、再度の魔法攻撃だった。

 爆裂魔法は一度撃つと魔力を使い果たすので、再度使用可能になるまで丸一日かかることを、彼らは当然知らないのだから無理はない。


 逃げる帝国兵を先行してなぶり殺しにしていた騎兵部隊を急遽呼び戻すと、指揮官は全軍に指示して再び対岸へと避難した。

 そして森の中に入ると、大慌てで部隊の再編成と再配置に取りかかった。

 敵の魔法の正体は分からないが、とにかく密集していてはいけないということだけは確かだった。


 ケルトニア側が受けた被害は甚大だったが、早馬で大まかな戦果を聞いたマグス中尉は歯噛みをして口惜しがった。

 彼女が狙ったのは、ケルトニア弓兵の壊滅だった。しかしそのためには、ロングボウ部隊の正確な位置を知らなくてはならない。

 だが瓦解しつつある味方の状況は一刻の猶予も与えてくれなかった。

 マグス中尉はそれまでの早馬から得た情報から推定し、とにかく敵が最も密集していると思われる地域の中心部へ魔法を撃つしかなかったのである。


 実際のところロングボウ部隊は、最後衛であるエルゼ川の岸沿いに展開しており、中央にいたのは歩兵部隊だった。

 そのため弓兵にも被害は及んだものの、それは十数名の負傷(上空から降ってきた岩に当たった)に過ぎず、死者は皆無だったのだ。

 ただ、それでも帝国軍の崩壊は阻止することができた。

 ケルトニア軍は対岸に撤退して再編成に必死であり、攻撃どころではなかったのだから当然である。


      *       *


 アインシュタット城からは前線に幕僚が派遣され、防衛線の構築が指示された。

 兵たちは塹壕を掘り、出た土で土塁を築き、さらに大量の馬防柵と矢を防ぐ防御板が用意された。


 マグス中尉は爆裂魔法を撃った直後からふらふらの状態だった。

 現在の大佐なら魔法の直後でもファイアボールを数発撃てるくらいの魔力を温存できるのだが、当時の彼女にとってこの爆裂魔法の行使は、命の危険すら伴う博打に近いものだった。

 少しでも集中を欠くと意識を失いかねない彼女は、必死の形相でハボック中将に迫った。


「爆裂魔法は一日に一度が限度の魔法です。

 敵は簡単にそのことに気づくでしょう。そうなったら俄かづくりの防衛線など苦も無く突破され、この城でさえ危うくなります。

 何としても次の攻撃では敵の弓兵を叩かなければなりません!

 そのためには、敵の配置を知ることが絶対となります。

 ハボック中将、この危機を真に救うために、いかなる犠牲を払ってでもそれを成し遂げてください!」


「あ……ああ、分かった。約束しよう」

 気圧された中将が頷くと、その腕にすがっていたマグス中尉の手からすっと力が抜け、彼女はその場に崩れ落ち、昏睡した。

 手足を縮めた胎児のような姿勢で横たわる彼女は、ひどく小さく頼りなく見えた。


 突然マグス中尉が倒れたのが、魔力切れが原因であるとは、その場の誰も知らなかった。

 慌てて軍医が呼ばれる中、ハボック中将は沈鬱な表情で参謀士官に何事か耳打ちをした。

 参謀は黙って頷き、足早に部屋から出て行った。


      *       *


「作業中止!

 第三中隊は全員集合せよ!」

 イザーク・ホフマン曹長は、出来かけの塹壕でえんを振るう部下たちに怒鳴った。

 彼自身、軍服は泥まみれになっていた。

 兵たちはぶつぶつ言いながらも、辛い塹壕掘りから解放されたことを内心喜んでいた。


 指示された集合地点に向かう途中で、小隊長のウッズ准尉が合流した。

「小隊長殿、小隊全員揃っておりますが、今ごろ集合とは何事でしょうか?」

「それが自分にも分からんのだ。ただ、ほかの中隊にはそんな命令は出ていなくてな、どうも俺たちの中隊だけのようだ」

「そいつは……嫌な予感がしますね」

「そっ、そうなのか?」


 ウッズ准尉は明らかに不安そうだった。

 彼はまだ二十五歳、三十八歳のイザーク曹長からしたら息子とまではいかないが、甥っ子程度の歳だ。

 准尉は小隊長になってまだ半年である。前任のクラウス少尉が中尉に昇進すると同時に第三中隊長となったため、急遽第一小隊の指揮を任されたのだ。

 まだ士官学校を出て一年半、普通なら荷の重い役目だったが、この中隊には残る二人の小隊長のほかに、彼以外士官がいなかった。そして第一小隊には〝先任下士官〟である中隊最古参のイザーク曹長がいたことで、経験の浅い准尉でもなんとかなると判断されたのだった。


 場数を踏んでいる下士官は尊敬と畏怖の対象であり、士官学校出の青二才など比べ物にならなかった。

 その中でも、経験と人格、判断能力に特に優れた者が〝先任下士官〟である。

 先任下士官は、部隊の全兵・下士官の代表として部隊長との橋渡し役を担っており、中隊長はもちろん大隊長に対しても直接の意見具申が許されていた。


 集合地点に着くと、第二、第三小隊の連中もぞろぞろと集まってきたところだった(第三中隊は三小隊編成)。

 草地に簡単な天幕が張られていたのは、何か秘密保持の意味があったのだろう。

 季節は十月も半ば、夜明けからまだ一時間ほどの早朝で、かなり肌寒かった。


 天幕の奥に、中隊長のクラウス・フォン・エーデルシュタイン中尉が待っていたのは当然だが、驚いたことにその隣にはケインズ大隊長と、見慣れない士官(中佐の徽章をつけていた)も立っていた。

 集まった兵たちが、ただならない雰囲気に気づいて緊張する中、各小隊長が全員集合を報告したのを受け、大隊長が口を開いた。


「諸君も知ってのとおり、われわれはケルトニアから手痛い打撃を受けた。

 あのままアインシュタット城に逃げ込もうとしていたら、全軍の六割を失っていただろう。それは机上演習なら〝全滅〟と判定される事態だ。

 しかし、司令部から派遣された魔導士殿が、新型魔法を放って敵を撤退させたことは、諸君がその目で見たことだから説明不要だろう」


 大隊長は〝説明不要〟と言ったが、実は今、兵たちが最も知りたがっていたのがその魔法についてだった。彼らがさっきまで塹壕を掘りながら、口から唾を飛ばして話し合っていたのも、あの見たこともない大魔法のことだった。

 大隊長もそのことはよく理解していたが、彼自身何も知らされていなかったので、そう言うしかなかったのだ。


「軍機に属するため詳しくは言えないが、明日未明、再びかの新魔法による攻撃が行われる!」

 大隊長の力強い言葉に、兵たちから「おおぅ」という歓声が上がった。

「その魔法攻撃の標的は、言うまでもなくあの忌々しいロングボウの部隊である!」

 兵たちからは口々に「そうだ!」「奴らを殺せ!」という叫びが上がった。ケルトニア兵にとっての帝国魔導士がそうであったように、帝国兵にとってケルトニア弓兵は怨嗟の対象だったのだ。


「しかるに敵兵は森に姿を隠している。

 いかに魔導士殿と言えど、敵の位置が掴めなくては魔法の撃ちようがない」

 兵たちは一斉に頷く、大隊長の言うことはもっともだ。――しかし、このあたりで経験の長い兵や下士官たちの顔が曇った。

 話の雲行きが怪しくなってきたのだ。


「そこで、ハボック中将閣下は魔導士による強行偵察を命じられた。

 そしてこの第三中隊付魔導士、ラパン魔導少尉が勇敢にも自らその役を買って出てくれたのだ!」

 どよめきが起こった。それは驚き、怒り、悲しみが混じり合った、なんとも言いようのないものだった。


「なぜうちの魔道士殿が……」

 呆然として独りごちたウッズ准尉に、隣にいたイザーク曹長が小声でささやいた。

「……因果を含められたのですよ。中隊長殿には手柄が必要です。お分かりでしょう」

 ウッズ准尉は「あっ!」という顔をして、そのまま黙ってしまった。彼も〝察し〟たのだ。


      *       *


 半年前に中隊長に就任したクラウス・フォン・エーデルシュタイン中尉は、名前でも分かるように貴族の出である。

 しかも立憲君主制という建前でありながら、実際は専制君主制である帝国にあって、今なお無視できない勢力を誇る三大家の一つ、エーデルシュタイン侯爵家の嫡子であった。


 クラウスは軍大学を優秀な成績で卒業し、一年半前に少尉としてこの第三中隊に赴任してきた。始めから小隊長代理の身分で第一小隊に配属され、わずか三か月で〝代理〟が取れた。そして小隊長として九か月もの・・・・・経験を積んだ後、中尉に昇進して同時に第三中隊長を任された。

 それから半年、そろそろ大尉昇進が噂されていたし、あと半年もすれば彼は少佐に進んで大隊長となるはずだ。そして一年も指揮をとれば、あとは司令部に入って高級幹部の道を歩むだろうと誰もが考えていた。


 それは〝当たり前〟のことだったので、彼の早すぎる出世に対しては誰も不満を言わなかった。

 むしろクラウスが在籍していることで、第三中隊はさまざまな恩恵を受けていた。

 中隊付の魔道士であるラパン少尉の存在もその一つだった。

 一応、帝国軍の規定では、中隊に一人の魔道士が配属されるのが標準とされていた。しかし、慢性的な魔道士不足に悩む帝国では、大隊付魔道士がいればいい方で、中隊に魔道士がいるという部隊は〝幸運〟以外の何ものでもなかった。

 しかも、それが魔道士官である。大隊付魔道士でも魔道下士官がほとんどだったので、これは優遇・・としか言えなかった。


 もし、エーデルシュタイン家がもっと露骨に人事介入をしていたら(それは容易いことだった)、恐らく指揮官クラスの大物魔道士を配属していただろう。

 その点から言えば、ラパン少尉の配属はある程度世間の目を気にしたものと言えなくもない。

 彼は今年で五十六歳になり、六十歳の定年退役が間近であった。士官とはいえ、この歳でまだ少尉ということからも分かるように、才能ある魔道士ではなかった。

 ただ、確かに攻撃系魔法ではさしたる術を持っていなかったが、防御・回復系は得意で、回復魔法と治癒魔法の他に専門的な医学知識も持っていたので、下手な軍医よりもよほど優秀な医師だった。


 軍医は魔道士よりもさらに少なく、大隊に一人いればましという状態だった。

 兵の治療を実際に受け持っていたのは衛生兵(看護師相当)だったから、ラパン少尉の元には他の中隊ばかりか、全く関係のない大隊の兵士が担ぎ込まれることも珍しくなかった。


 彼は温厚で偉ぶらない人だったので、赴任してまだ一年半だというのに、中隊の全兵士が自分たちの魔道士を尊敬し、大切にしていた。

 クラウス中尉の側に送り込まれたのも、その防御魔法によって彼を護ることと万一負傷した場合にも、いち早く手当できるためであった。


 そのラパン少尉が自ら強行偵察に志願したというのだ。

 魔道士による強行偵察は、文字どおり防御魔法で敵の攻撃を防ぎながら敵陣深く入り込み、部隊配置などの情報を念話で味方魔道士に向け通信するものである。


 対物防障壁魔法は、魔道士官でも使える者が限られる高位魔法である。飛び道具しか防げないマジックシールドと違い、あらゆる物理干渉を排するため、魔法以外の攻撃を全て無効化できる。

 だからと言って、この魔法が無敵ということではない。高位魔法はそれなりに魔力消費が大きい上、何らかの物理攻撃を受けるたびに魔力を追加消費していく。敵に取り囲まれてしまうと、連続攻撃を浴びて早晩魔力切れを起こしてしまうのだ。


 詰まるところ魔道士による強行偵察は、片道切符の特攻作戦であり、生還を期しがたい自殺行為に等しかった

 ラパン少尉はもともとエーデルシュタイン家の意向で送り込まれた魔道士である。恐らく初めからこうした場合、クラウス中尉(の部隊)の手柄となるよう行動せよと命じられていたのだろう。

 もちろん、侯爵家からはそれに見合った報酬が約束されていたに違いない。もう引退が間近いラパン少尉は、自分の家族がこの先何不自由なく暮らせることを確約され、作戦に志願した――イザーク曹長はそう想像したのだが、それは事実だった。


      *       *


 大隊長の訓示が終わると、次にクラウス中隊長が口を開いた。

「今、諸君はこう思っているだろう。われらが魔道士殿を見殺しにする気かと。

 だが、断じて違う! ハボック閣下はそのような非情な指揮官ではない。

 その証拠に司令官閣下は魔道士殿を一人で行かせるなと厳命された。

 必ず生きて連れ帰るよう、警護の兵を付けよとおっしゃったのだ。

 そして、その編成を光栄にもわが第三中隊にお任せくださった!

 これはケルトニアの奇襲に対しても、わが中隊が乱れることなく秩序ある撤退を敢行し、人的被害を最小限に抑えたことを評価していただいた結果である。

 第一から第三小隊までの各小隊長は、ただちに二名ずつの兵を選出せよ!

 決死隊の指揮は、もちろんこの私が執る!」


 またしても兵たちの間から何とも言いようのないどよめきが起きた。

 魔道士殿が志願したのは気の毒だが仕方がない――はずだったのに、貧乏くじが自分たちにも回ってきたのだから無理もない。

 しかも、中隊長自らが魔導士殿の護衛の指揮を執ると言い出したのだ。

 もうこの時点でほとんどの兵たちが次に起こることを予想して、ちらちらとイザーク曹長の方に視線を走らせていた。


 曹長はかくりと頭を垂れて溜め息を洩らした後、大きく息を吸い込んで顔を上げた。

 そして一歩前に進み出ると、気をつけの姿勢で大声を出した。

「先任下士官、ホフマン曹長であります。意見具申をいたします!

 中隊長殿は決死隊の隊長を自ら務めるとおっしゃられましたが、それはお止めいただきたい。

 中隊長殿には中隊指揮官としての責任があります。それを放棄して決死隊の指揮を執られては、残る大多数の兵たちを見捨てるということになりましょう。

 決死隊の指揮は不肖、このホフマンにお任せください!」


 クラウス中隊長は満足げに頷いた。

「ホフマン曹長の諌言、痛み入る。

 君の言い分はもっともである。自分はやはり経験が足りぬ。先任下士官の貴官が志願してくれるのなら、これほど心強いことはない。

 何があってもわれらが魔道士殿を生きて連れ帰ってくれ!」


 今度は兵士たちの誰もざわつかなかった。彼らの顔には「やっぱりな」と書かれていたのだ。


      *       *


 前日の晩のことである。翌日の出撃を控えたアインシュタット城では、いつもより豪華な夕食が出され、さらに夕食後の二時間に限りビールとワインが振る舞われた。

 兵士たちは大喜びで短い酒宴を楽しんだ。

 四万の大部隊だったので、城内の食堂を使えたのはごく一部で、ほとんどは野外のテントでの宴会であったが、それに文句をつける者はいなかった。


 イザークは鬼の先任下士官である。小隊長よりも実質的に偉いので、当然のように城内のテーブルが用意された。

 その卓には自然と各部隊の古参たちが集合し、笑いの絶えない賑やかな酒宴が続いた。

 酒の肴は各部隊の噂話――それも上官の悪口が最も盛り上がる。

 その夜の話題は、もっぱら第三中隊の指揮官である〝侯爵家のぼんぼん〟であった。


「それでどうなんだ、イザーク。お前んとこの中隊長殿は?

 小隊長の時からお守りをさせられたんだって? 気の毒にな。

 ぼんぼんに中隊のまともな指揮ができるのか?」


 旧知のワイズ曹長(彼も別の大隊の先任下士官だった)が、にやにやしながら訊いてきた。

「ああ、軍大を結構な成績で出ただけあって、なかなかのもんだぞ。

 それに出身を鼻にかけることもないし、年長者を立てることも知っているな」

 イザークがそう答えてビールのグラスを空にすると、ワイズは目を丸くした。


「おいおい、そりゃ貴族じゃねえだろう。

 お前の言うことは聞いてくれるのかい?」

「ああ、小隊長の時からそうだったが、俺の意見具申は全部聞いてくれたぞ。

 嫌な顔一つしなかった。あの若さなら、自分の意見を否定されたら多少はむっとするもんだが、一度も表情に出したことはない。

 よほどしっかりした教育を受けてきたんだろうな」


 ワイズ曹長は明らかに気に入らないようだった。

「そいつはますます貴族らしくない。今時そんな出来た奴がいるとは思えんな。

 ひょっとしてそのぼんぼん、橋の下から拾われたんじゃないのか?

 まぁ、どうせお前のことだから、意見具申の時に反論のしようがない理屈を山ほど付けてやったんだろう。

 気をつけろよ。そういうやり方の方が恨みを買いやすいんだぜ」


 イザークは苦笑した。

「ああ、中隊長殿も表情に出さないだけで、やっぱり面白くはないようだな。

 長年この仕事をやっているからか、なんとなく分かるよ。それを出さないよう自分を律していられるのが偉いんだよ。

 お前の言い草じゃないが、うちの中隊長殿だったら、例え貴族の出じゃなくても出世するぞ。賭けてもいい。

 すぐに肩章が金糸で縁どられる(将官になること)だろうよ」


      *       *


 ラパン少尉に同行する〝決死隊〟はイザークを含めて七名となった。

 イザーク以外は全員独身者で、いずれも貧しい農家の四男と五男ばかりの一等兵だった。

 彼らの顔ぶれを見たイザークは苦笑いを浮かべた。

「さすがに各小隊長殿はよく分かっているな(第一小隊の人選はイザークが行った)。

 お前ら、もし帰ってこれなくても下士官だ(二階級特進して伍長になれるという意味)、遺族年金が上がるから両親は大喜びだろう。だから安心して魔道士殿をお守りするんだ。

 だが、できることなら全員生きて帰ろう。

 そのためにも俺の指示に従え。敵と遭遇しても無闇に斬りかかるな。相手はこっちを味方だと思うかもしれないからな。

 その判断は俺がする。いいな!」


 兵たちは全員頷いた。彼らだって死にたくはない。専任下士官がいてくれるなら、その希望があるのだ。

 ラパン魔道士だけが申し訳なさそうな顔をしている。

「みんな、私のためにこんなことになって済まない。

 実を言うと、私は……」


 イザークは魔道士の背中をバンバンと叩いてその先を言わせなかった。

「水くさいことを言わんでください、ラパン少尉。

 魔道士殿を命に代えてお守りするのは帝国兵の矜持きょうじであります。

 泣き言よりも、生きて帰ることに知恵をしぼりましょう。

 さあ、ぐずぐずしていると夜が明けてしまいます。急ぎましょう!」


      *       *


 強行偵察隊はその後の陣地構築作業を免除され、食事と睡眠の時間が与えられた。

 彼らの出発は、戦況に動きがない限り〇三三〇まるさんさんまる(午前三時半)と決められていた。


 未知の爆裂魔法に強い警戒を抱いたケルトニア側は、日中に渡河を敢行するのは自殺行為だと覚ったのか、明るいうちはまったく動きを見せなかった。

 夜になって、ケルトニア騎兵の小部隊が渡河してきて、何度か防衛線の突破を試みたが、攻撃は限定的であり簡単に追い返すことができた。

 敵も帝国側の意図を探るために威力偵察に出てきたものと思われた。


 ケルトニア側は、帝国がひとまずは部隊を立て直し、相手が渡河してきたら広い河川敷でまたあの不可解な魔法を使うつもりだろうと判断した。

 しかし、いずれ帝国は反攻せざるを得ないと彼らは分析していた。


 もともと大兵力をもって侵攻を企図したのは帝国側である。ケルトニアは寡兵で防衛する立場であり、帝国が攻勢を諦めるなら一向に構わない。

 何しろ帝国に一万三千人近い大量出血を強い、自軍は思わぬ魔法攻撃で千五百の兵を失ったとはいえ、戦果としてはケルトニアが圧倒していたのだ。

 帝国がこのまま引けば、相手に殴りかかって大惨敗を喫した上、逃げ帰ったということになる。


 帝国の指揮官がそのような屈辱に耐えられるとは思えない。したがって帝国は必ず渡河を敢行してくるはずだ。

 それならば、帝国が攻めてくるのを待ってやろう。ロングボウの射程に入った瞬間に、再び地獄を見せてやればよいのだ――それがケルトニア軍指揮官が下した判断だった。

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