災厄の日々 第四話 戦力評価

 国立高度魔法研究所――通称〝高魔研〟は帝都の北、黒曜宮からそう離れていない広い敷地に位置していた。

 帝都の中心部からは大分離れた郊外にある近衛教導団からは、馬でも小一時間かかる。

 鉄柵と煉瓦塀で二重に護られた施設の正門入口で、マグス大佐は慣れた様子で身分確認を受けていた。


 煉瓦塀の内側に目隠し目的で植えられたケヤキの大木の間を、爽やかな初夏の風が吹き抜け、陽光を浴びた鮮やかな緑の葉を揺らし輝かせていた。

 季節は六月、大佐が近衛教導団に赴任してから早くも四か月が経過していた。


 この週は、マグス大佐が開発した新型爆裂魔法の戦力評価を受けるため、彼女は公欠扱いで高魔研に出張するよう命じられていた。

 今日はその初日で、午前中は特許局で新型魔法の型式登録の手続きを済ませ、高魔研への出頭は午後からとなっていたのである。


 門衛の許可を得た大佐は、案内もなしに煉瓦造りの研究棟の一つに入ると、あらかじめ指定されていた控室に向かった。

 どうせ誰もいないだろうとは思ったが、一応扉を叩いてみると、意外にも「入れ」と応答があった。

「失礼します」

 そう言って中に入ると、待ち受けていたのは見知った顔の研究員だった。


 大男の老人――としか言いようのない人物である。

 身長は百九十センチはある。肩幅が広く胸も分厚い。腕は丸太のように太く、全身を盛り上がった筋肉の鎧で覆っていた。

 きれいに手入れをした口髭を蓄え、まだふさふさとしている頭髪は長く、後ろで一本にまとめて背中に垂らしている。その髪が白髪混じりで灰色なのが、わずかに老人らしい点であった。

 それさえなければ、五十代と言っても十分通用するだろう。それくらい彼の肉体は若々しい熱量を発していた。だが実際は、この男は七十歳を越しているのだ。


『ふん、年齢不詳の化け物め!』

 大佐は心中で悪態をつきながらも、一応は敬礼した。

 彼ら高魔研の研究員は、ほとんどが軍を退役しているから、現役の大佐と階級上の上下関係はない。ただ、この男は退役時に魔導中将であったから、慣習として礼は尽くさねばならない。


「ミア・マグス大佐、新型魔法の戦力評価試験のため出頭いたしました!

 ごぶさたしておりました、アドリアーノ教官。

 お元気そうなのは何よりですが、そのお歳でまだ筋トレをやっているのですか?」

 彼女は申告のついでに呆れたような感想を付け足すのを忘れなかった。


 アドリアーノと呼ばれた研究員は、一本も失われていない白い歯を見せてにかっと笑った。

「おお、ミアか。会った早々に馬鹿野郎な挨拶だな。

 筋トレなくして明るい未来が開けるはずがなかろう!

 『優れた魔力は優れた肉体に宿る』って、散々俺が教えてやったのを忘れたのか。

 お前こそ、そんな細い身体でちゃんと鍛えているのか?

 いや、そんなことより――お前が来るっていうから、昼飯でも一緒に食おうと思って待ってたんだぞ。ずいぶん遅いじゃねえか?」


 マグス大佐はそっぽを向いて鼻を鳴らした。

「お昼はもう済ませました。

 午前中は特許局で新魔法の登録をすると連絡してあるはずですが?」

「あれ、そうだったか?

 ふん、まぁいい。それで登録手続きは終わったんだろう、何て名前にしたんだ?」


 マグス大佐は勝手に空いている椅子を引き寄せて座りながら、澄ました顔で答えた。

「〝ダムド(糞ったれ)〟です」

「は?」

 アドリアーノは「よく聞き取れなかった」という顔をした。

「ですから、〝ダムド(こん畜生)〟ですってば! 寄る年波で耳が遠くなりましたか?」


「ミア、……お前馬鹿か?

 新魔法ってのは帝国の全魔導士に伝わるんだぞ。何だってそんなふざけた名前にしたんだ?」

 マグス大佐は机の上にあったポットの蓋を開け、くんくんと匂いを嗅いでコーヒーだと分かると、空いた安っぽいカップに勝手に注ぎ始めた。


「別にふざけておりません。

 生徒たちが付けてくれた名前です。私は気に入っております」

「生徒って、近衛教導団の研修生か?」

「そうです。彼らには毎週のように実験台になってもらいましたから、命名権はそのご褒美みたいなものです。

 何しろ彼らに魔法をぶち込むたびに『ダムド!』と叫んでくれるものですから、耳に染みついて今さら他の名前など考えられません」


「お前なぁ……」

 アドリアーノは呆れ顔で大佐からコーヒーポッドを奪い返し、自分のカップに注いだ。

 もう冷めてしまったコーヒーをぐいと飲み干すと、彼は溜め息をついた。

「お前もいい歳なんだから、そんな子どもっぽい意地を張るなよ……馬鹿だなぁ」

「別に意地など張っておりません」

「いや、どう見たって教導団に押し込まれた人事への意趣返しだろ、それ?

 本当に頭の中はいつまで経ってもガキだな、お前は」


 血色の悪い大佐の頬にさっと赤みがさし、そばかすが鮮やかに浮かび上がった。

「『頭の中がガキ』と言うなら、教官こそがそうなのではありませんか?」

 アドリアーノはにやにやしている。〝教官〟と呼ばれたことでも分かるが、彼はマグス大佐にとって士官学校時代の恩師であった。


「ほぅら、そうやってすぐに癇癪を起こすからガキなんだよ。

 いつまで女学生気分でいるんだ? お前の歳でねたって、ちっとも可愛くないぞ。

 あーあー、お前も士官学校に入ってきた時は、今よりずっとチビだったし、赤毛をおさげにして初心うぶで可愛かったのになぁ……。

 覚えているか? お前、一年の最初の訓練で俺の雷撃魔法が目の前に落ちて、びびって腰抜かしただろう。

 座り小便洩らして泣きながら保健室に連れていかれたのは、どこの誰だっけ?」


 マグス大佐の赤毛が一瞬でぶわっと膨れ上がり、パチパチと青白い火花が散った。

「ほおぅ……今日日きょうび私にそんな憎まれ口をきく命知らずはいないと思っていましたが……さすがに教官殿は度胸がおありだ。

 そのくだらない昔話をもう思い出せないよう、少し脳細胞を焼いてさしあげましょうか?」

「ミア、お前のおっぱいは一向に育たなかったが、口だけは達者になったようだな! どおれ、久しぶりにぴーぴー泣かしてやろうか……」

 指の関節をぱきぱき鳴らしながら、大男はゆらりと立ち上がった。全身の筋肉が熱を帯びて膨張し、身体が蜃気楼のような揺らめきで覆われ始めた。


「バンバンバンッ!」

 開いたままの扉を杖で激しく叩く音と同時に、しゃがれた怒鳴り声が響く。

「やめんか、馬鹿者!

 アドリアーノ、あんまりミアをからかうな!

 ミアもミアだ。いくら久しぶりに恩師に会えたからといって、はしゃぎ過ぎだぞ!」


 骸骨のように痩せた老人が、杖をついて入口で仁王立ちしている。

 マグス大佐はその顔を認めて、渋々と敬礼をした。

 彼はゼフィルという上級研究員で、高魔研の幹部の一人である。

 退役時には魔導大将で、もう九十歳を越しているはずだが、目つきが鋭く、矍鑠かくしゃくとした人物だった。


 ゼフィルはじろりとマグス大佐を睨むと、孫娘を叱りつけるように苦言を呈した。

「まったく、お前はいつになったら大人になるんじゃ!

 さっき特許局からうちに、お前の新魔法の名称は本当にこれでよいのかと、わざわざ照会があったぞ。

 何じゃ、あのふざけた名前は……?。

 ……まぁいい、とにかく今日の評価試験は高魔研の全研究員立会いのもとでやるからの。じゃれとらんでしゃきっとせい!

 それに今回は刀自売とじめ様もご覧になられるそうじゃ。

 くれぐれも失礼のないようにな!」


 これにはマグス大佐も驚いた。

刀自売とじめ様って……あの刀自・・とじ様ですか?

 まだ生きてやがっ――いや、お元気だったのですか!」

「馬鹿者! お前、今さらっと不敬なことを口走ったな! 刀自売とじめ様と言えばあのお方しかおらんわ!

 実を言うとな、お前の新魔法の評価試験は、もっと準備が整ってからやるつもりだったんじゃ。それを刀自売とじめ様が『早く見たい』とおっしゃってな。今回の急な呼び出しはそのためなんじゃよ。

 確かミアも御前に出たことがあったはずだな?」


「え? ええ、それはもちろん覚えておりますが……。

 でも、私が最後にお顔を見たのは白寿(九十九歳)のお祝いの時ですよ? あれからもう十年以上経っているはずですが、まだお元気なのですか?」


 大佐が驚いたのも無理のない話だった。

 刀自売とじめ様と呼ばれているのは、サシャ・オブライエンという名の伝説的な大魔導士である。

 帝国の長い歴史の中で、唯一無二の女性元帥に上り詰めた魔導士で、マグス大佐以前に〝帝国の魔女〟といえば、このオブライエン元帥のことだった。


 まだ魔法が十分に発達していなかった時代、当時は誰も扱えなかったファイアボールなどの高等魔法を操り、生涯で敵兵十万人を殺したと言われている。

 彼女は六十八歳で自ら退役を申し出て、リスト王国、サラーム教諸国、東海岸の海洋国家群、南方の黒人国家にまで及ぶ、十二年にわたる大旅行を敢行した。


 この旅行で帝国にもたらされた文物は、後の帝国躍進のいしずえとなったとさえ言われている。特に南方国家で発見して輸入が実現した天然ゴムは、最も大きな成果だったと言われている。また、キナという南方の樹木から熱帯由来の風土病の特効薬を発見したが、それは帝国に医学上の恩恵をもたらしたばかりか、蒸留酒の風味づけに広く用いられて大衆文化にも影響を及ぼした。


 さらに彼女は大旅行の帰国後、皇帝に進言して高魔研を創設し、自らが最高顧問となってその運営に携わった。

 高魔研はその成立直後から現在に至る三十年間で、さまざまな魔導書の解析やそれに伴う高位魔法の開発に成功し、〝大躍進期ルネッサンス〟と呼ばれる魔法の発展を実現させたのである。


 もし彼女が亡くなれば、間違いなく国葬となるから生きていることは疑いなかったが、それにしても百十歳に近いはずだ。

 その刀自売とじめ様(彼女を名前で呼ぶのは不敬だということになり、このような尊称で呼ばれるようになった)が未だに高魔研の顧問として表に出てくる……逆に言えば、それだけ高魔研はマグス大佐に期待していたということになる。


      *       *


 ゼフィルとアドリアーノに連れられて、マグス大佐は実験場となる運動場のような広場に案内された。

 だだっ広い土がむき出しとなったグラウンドで、石灰で十メール刻みで線が引かれていた。

 すでに三十人ほどの研究員(ほとんどが老人だった)が日よけとして建てられたテントの中に集合しており、大佐はその前に連れてこられた。

 ひときわ大きなテントの中には豪華な輿が置かれ、その上に置かれたやはり豪華な椅子には小柄な老婆がちんまりとおさまっていた。

 刀自売とじめ様である。


 マグス大佐は促されてその前で膝をつき、深々と礼を取った。

 刀自売とじめ様は開いているのかどうかよく分からない目で彼女を見下ろし、歯のない口をふがふがと動かした。

「おお、おお。ミアではないか。久しいのぉ」

 その声は思いもよらずにはっきりとして力強いものだった。


「お主はこの三十年余り、高魔研の助けを借りることなく爆裂魔法という高位魔法を開発した、ただ一人の魔導士じゃ。

 遠距離、広範囲、高出力という相反する性質を同時に発現させるため、術式を七つの魔法陣にいったん分解してそれを再統合する――いかなる魔導書にも記されてない画期的な手法を編み出したのは、まっこと称賛に値するわい。

 今日はその新型を見せてくれるとな……もう名は決まっておるのかの?」

 マグス大佐の後ろに控えていたアドリアーノは『しまった!』という顔をしたが、刀自売とじめ様のお言葉に口を挟むことは許されず、どうにもできなかった。

 大佐は平然として答える。

「はい、ダムドと名付けました」


 一瞬で研究員の爺さまたちからざわめきが起こった。

「これ、ミア!

 刀自売とじめ様の前でなんというふざけたことを……!」

 お付きの幹部研究員が青ざめた顔で叱りつけたが、刀自売とじめ様はけらけらと笑い声をあげた。


「よいよい、魔法の名を決めるのは開発者の特権じゃぞ。

 そうか、ミア。それは面白い名を付けたものだな。

 爆裂魔法の時はつまらん名前にしたと思っておったが、お主も少しはセンスというものを学んだようじゃな。

 わしも若いころ、火球魔法ファイアボールを登録する時にな、本当は〝地獄の業火ヘルファイア〟にしたかったのよ。外連味けれんみがあってカッコええじゃろ?

 ところがそれを聞いた当時の軍司令が激怒しての、登録済みだったのを無理やり再提出させられて、今のつまらん名前になったのじゃよ。

 軍司令殿はとっくに墓の下じゃが、わしゃ今でもあの時のことを恨んでおるぞい」


 昔話を気持ちよさそうに話していた老婆は、ふと我に返った。

「ところでその……ダムドだが、わしがまだ呆けてないのなら、確かお主が開発に取り組んでから五年は経っているはずじゃ。

 なかなか難儀をしておると聞いておったが、ここにきて突如成功に漕ぎつけたというのは、一体どうしたわけじゃの?」


 大佐は少し言葉を選びながら答えた。

「はい……昨年のノルド進駐作戦で、私はリスト王国の神獣ウエマクをこの目で見ました。

 かの黒蛇は地脈を操り、数十キロも離れたコルドラ大山脈で局所的な地震を起こしてございます。

 それは爆裂魔法同様に、遠距離かつ大出力の魔法――あれが本当に魔法だとしたらの話ですが――でありながら、範囲を極端に限定させたものでした。

 そのウエマクが唱えた呪文詠唱はとても短く、しかも歌のように聞こえました。

 その時、私の頭の中で何かが光ったような気がいたしました。啓示と言ったらお分かりでしょうか。

 その後、何度か失敗を繰り返しながら呪文詠唱に工夫を重ね、たどり着いたのが今回のダムドでございます」


 刀自売とじめ様の重く垂れさがったまぶたがわずかに上がり、きらりとした黒い瞳が覗いた。

「ほう……歌うような呪文とな。

 まるでエルフのようじゃのう……。

 お主、ひょっとして四重呪文を会得したかの?」


 周囲の研究員たちは口をあんぐり開けて驚いている。『四重だと? 何だよそれ、聞いてねえよ婆ぁ!』

「さすがは刀自売とじめ様、ご明察です。

 術式の核に相当するほんの一部分だけですが、それを組み込んでございます」

「ふぉっふぉっふぉっ、わしも四重に挑んだことはあるが……結局、できなんだ。

 ミアよ、よくぞやった!」

「恐れ入ります」

「では、その魔法、見せてもらおうかの……」


 マグス大佐は呪文詠唱に入る前に、アドリアーノにささやいた。

「本当にここでやってよいのですか? 地面に大穴が開きますよ。

 教導団は若い連中が掃いて捨てるほどおりますから埋め戻しもできますが、高魔研は爺さまばかりじゃないですか」


 アドリアーノは大佐に片目をつぶってみせた。

「心配するな、高魔研の警備には優秀な重力魔導士がいる(ミハイルのこと)。

 それよりミア、お前本当に四重呪文が唱えられるのか? どこの筋肉を鍛えたらそんな芸当ができるのか、俺に教えてくれないか?」

「すみません、教官殿。もうあなたとの漫才に付き合う余裕はなくなりました!」


 そう言い放つと、マグス大佐は真っ直ぐに両手を前に突き出し、呪文詠唱に入った。

 並みの、いや高位魔導士でも理解のできない高速圧縮多重呪文が節のついた歌のように響き渡り、虚空に七色の魔法陣が次々と浮かび上がる。

 高魔研の研究員は、大佐の呪文詠唱の時間を測定しながら、魔力放出のタイミングを見逃すまいと待ち構えている。


 きっかり十二分で呪文詠唱は終わり、大佐は目を開けた。顔が赤いのは、極度の集中によって興奮状態に陥っているためだ。

「では、撃ちます!

 三連撃した後に次の呪文に入りますが、あまり間を置かずに再び三連撃を放てるはずです。その間の時間計測をよろしくお願いします。

 このサイクルを可能な限り続けてみますが、連続詠唱を行うのは今回が初となります。私自身はトランス状態に入る恐れがあるので、中断命令があっても従えない可能性があります。その際の対処は、アドリアーノ教官にお任せします」


 言うが早いか、大佐は前を向いて魔力を放出した。

 彼女が立っている地点から、わずか二十メートル先で轟音とともに土砂が上空高く吹っ飛ばされた。

 そして数秒の間を置いて、その横、さらにその横で同じような爆発が起きた。


 上空から落下してくる大量の土砂が風に流され、マグス大佐の頭上にもぱらぱらと降ってきたが、彼女は意に介さず呪文を唱え続けた。

 連続呪文に入ると、彼女の目はとろんとして焦点が合わなくなり、膝ががくがくと震えて砕け始める。

 腰を引いてきつく閉じた太腿をこすり合わるようにして、かろうじて大佐は膝をつくのをこらえていた。耳まで赤く染まった顔、ちろちろと蛇のように出入りする舌、唇の端に滲む涎――その表情は情欲にまみれた娼婦のようだった。


 最初の三連撃から約五分後、次の爆発がまた連続して三度起きた。

 今度は大佐が立つ位置から十メートルほどしか離れていない。至近距離で炸裂する轟音は、観戦の研究員たちから一時的に聴力を奪うほどに凄まじかった。

 上空から落下する土砂が、貴賓席のテントにまでばらばらと大きな音を立てて振り注いできた。


 マグス大佐は完全に理性を失っている。次のダムドがどこで炸裂するのか、分かったものじゃない――ゼフィル上級研究員は、これ以上の実験は危険と判断して即座に中止命令を出した。

 しかしマグス大佐の耳には、もはやそんな命令は届かない。

 アドリアーノ研究員は迷わなかった。マグス大佐の側に駆け寄ると、丸太のような太腿を胸の辺りまで上げてから、軽く頷いて地面に下ろした。

 「ふんっ!」と気合を吐くと、右脚がきれいな弧を描いて跳ね上がる。それはトランス状態で無防備となったマグス大佐の側頭部を手加減なしで吹っ飛ばした。


 七十代だとはいえ、百九十センチで百キロを越す筋肉ダルマが、身長百五十センチそこそこ、体重は五十キロを切るマグス大佐に渾身の蹴りを放ったのである。彼女は二メートル余りも宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられて気を失った。


 ゼフィルが慌てて二人のもとにやって来て叫ぶ。

「アドリアーノ、お主やり過ぎではないか! ミアは生きておるのか?」

 筋肉男は白い歯を輝かせて笑顔を見せた。

「なぁに、ご心配は無用です。こいつがそんなタマに見えますか?

 私の教官時代の最高傑作ですぜ、鍛え方が違います」


アドリアーノは、大佐の心配よりも実験場にぼこぼこと開けられた六つの大穴を気にしていた。

「うぅむ……ミアにはああ言ったが、こりゃあ重力魔導士を使っても埋め戻しに苦労するかもだ。魔導士は土木業者じゃないからな。

 ゼフィル殿、どうもミアの魔法を実用レベルに調整するには、穴ぼこをいくら作ってもいいような、どこか適当な実験場を探してやらんといかんようですな。

 ――まったく、いつまで経っても面倒かけおって!」


 彼はぶつぶつと文句を言いながら、水を湛えたバケツを引っ掴むと、地面で昏倒している大佐のもとへ向かった。

 もちろん、彼女の目を覚ましてやるためだ。

 アドリアーノは容赦なく大佐の顔に水をぶっかけ、尻を蹴飛ばした。そして朦朧としている彼女の頬を平手で二、三発張り飛ばし、どうにか意識を戻してやった。


 正気に戻ったマグス大佐は、首と側頭部から感じる激痛と、ずぶ濡れになった軍服、そしてまだじんじんとする頬の感触から、自分が極めて優しく・・・介抱されたことを悟った。

 アドリアーノに幼児のように抱かれていた彼女は、身を起こすと物も言わずに見事な右ストレートを恩師の顔面に叩き込んだ。

 鼻骨が折れる音が周囲に響き、鼻血を吹き出したアドリアーノ研究員は、大佐を抱っこしたままゆっくりと地面に崩れ落ちた。


 二人の美しい師弟愛は、見守る研究員の老人たちを感動させ、そっと涙をぬぐう者さえいたと伝えられる。

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