災厄の日々 第三話 イムラエル・マイヤー

 近衛教導団で学ぶ選抜研修生たちは、全員が寮生活を送っている。基本的に四人部屋で夜十一時には消灯となり、翌日の日没までランプに火を灯すことは許されない。

 ところがその部屋では、朝の四時前だというのに窓から微かな明かりが洩れていた。

 一人の男が机に向かって座っていたのである。

 机の上には小さなロウソクに火が点り、周りに開いた本を立てて明かりが広がらないようにしている。

 男はわずかな明かりを頼りに、一心に書き物をしていた。


 その男はルーニーだった。

 前日にマグス大佐からレポートの提出を命じられた彼は、夕方の締め切りに間に合わせるためまだ暗い早朝から課題に取り掛かっていたのだ。

 熱心にペンを走らせる手が、突然止まった。

 部屋の扉を遠慮がちにノックする小さな音が聞こえたからだ。


 彼は即座にロウソクの炎を吹き消そうとしたが、すんでのところで思いとどまった。

 通常、見回りの教官はこんな早朝には来ないし、何より見回りだったらノックもせずにいきなり扉が開けられたはずである。


「誰だい?」

 ルーニーのささやき声に応えるように、扉がそっと開き男が顔を出した。

 微かな明かりでも、その明るい金髪はよく目立った。


「何だ、イアコフか。脅かすなよ。

 こんな時間に一体何の用だ?」

 金髪の若者は二段ベッドでいびきをかいている他の三人を起こさないよう、物音を立てないようにしてルーニーの側までやってきた。

 もっとも寝ている三人は、昨夜ルーニーやイアコフと一緒に練兵場に開いた大穴を埋め戻す作業をさせられており、クタクタになって爆睡していたから起きる心配はあまりなかったのだが。


 イアコフは別の机から椅子を持ってルーニーの横にそっと置き、そこに座った。

 彼は人懐っこい笑顔を見せて、やっと口を開いた。

「多分、君がレポートをやっている頃だと思ってね。

 清書を手伝おうか?」


 ルーニーは複雑な笑みを浮かべた。

「是非とも頼みたいところだけどね。

 俺の金釘文字と君のきれいな字じゃ違いがあり過ぎる。

 罰なんだから、さすがに自分の筆跡じゃないとまずいだろ」


 イアコフは少し考え、別の提案をした。

「それなら、君のレポートを写させてくれないか?

 まだ下書きの段階なんだろう? 写しながら綴りや文法の間違いをチェックしてあげるよ」

「それは助かるが……。

 何だって俺のレポートなんか写したがるんだ?」


 金髪の若者は真面目な顔で訴えた。

「昨日、君が大佐からお説教を喰らっている間、僕は教官室の外で待機してたんだけど、扉を通していくらか中の話を聞くことができたんだ。

 大佐の話は実に興味深かった。

 こんなに面白い講義は、この半年――いや、軍に入ってから初めて聞いたよ。

 残念なことに廊下は人の行き来が結構あって、全部は聞き取れなかったんだ。

 僕は大佐の話をきちんと読んで自分なりに分析したいんだ!」


 ルーニーは半ば呆れながらも、合点がいったという顔をした。

「ああ、それなら納得だ。

 俺も大佐の話の途中から、怒られているということを忘れて夢中で聞き入っていたからな。

 あれは実戦で経験を積んだ中からしか出てこない、貴重なアドバイスだったよ。

 しかし――それにしてもお前も物好きだな。

 夕食抜きどころか、穴埋めまで付き合わされたんだぞ。馬鹿じゃないのか?

 俺は腹が空き過ぎてろくに眠れなかったよ。そのおかげで早起きできたんだがな」


「なら、話は決まりだ。

 起床がかかるまで二時間もないぞ。さっさとやっつけちまおう。

 ――と、その前にこれだ」

 イアコフはにこにこしながら、軍服の胸ポケットから板のようなものを取り出し、ルーニーの前に差し出した。


「お前、これっ! チョコレートじゃないか!

 一体、どこからこんなものを……?」

 ルーニーが目を丸くしたのも無理はない。

 研修生が菓子類などを持ち込むのは厳禁である上に、軍隊内でチョコレートは佐官以上の上級将校を除けば、部隊単位で少量しか配給されない貴重品だったのだ。


「しっ、声が高いよ!

 親切・・にしてくれるご婦人・・・からの差し入れだよ。

 糖分が不足すると脳がうまく働かないっていうからね。齧りながらやろうぜ」


      *       *


 マグス大佐が教官として勤務をするのは二月十日の月曜日からだったが、私物を含めた荷物を搬入するため彼女は八日の土曜日に再び近衛教導団を訪れた。

 嵩張ったり重い荷物は、土曜が休日だという司令部の若い事務員の男を一ダースほど徴発して運ばせているので、大佐自身は下着や化粧品、すぐに使う手回り品などの入った車輪付きのバッグを一つ牽いてきたくらいだった。


 彼女を案内するのはネフェル少佐だった。

 大佐よりは少し年下で、三十代半ばの落ち着いた婦人である。

 少佐は穏やかな外見とは裏腹に、雷撃魔法の遣い手として戦場で猛威をふるった人物で、マグス大佐とくつわを並べて戦ったこともあった。

 三十歳を少し過ぎた頃に同じ軍人の夫と結婚し、出産・子育てのために退役したが、最近復帰して教官を務めている。


 少佐に案内された教官室へ足を踏み入れたマグス大佐は「ほう、思ったより広いな」と感心した声を上げたが、すぐにベッドが二つあることに気づいた。

「ひょっとして二人部屋か?」

「申し訳ありません。

 教官は基本的に一人部屋なんですが、大佐の場合その……時期外れの突然な異動だったので、部屋の都合がつかなかったのです。

 私の部屋を明け渡すという話もあったのですが、ものすごく狭いものですから、この広い資料室と交換して二人部屋にした方が快適だろうということになりました。

 大佐の名声を考えれば、他の教官の部屋を空けるべきなのでしょうが、大佐は一応は〝新入り〟ですので……」


 済まなそうな顔で言い訳をするネフェル少佐を見る大佐の目は冷ややかだった。

「……名演技だな。君はいつから女優になったんだ?」

「演技だなんて、そんな……」

 少佐は涙ぐんで抗議しようとしたが、大佐はそれを笑い飛ばした。


「正直に言え!

 大方、個室では私が研修生をベッドに連れ込むかもしれないと、上の連中から監視役を仰せつかったのだろう?」

 少佐は横を向いて「ふっ」と笑った。涙はあっという間に引っ込んでいる。

「やはりバレてましたか。

 まぁ、そんなところです。皇帝陛下直属の近衛教導団で不祥事を起こしたら、冗談じゃなく団長閣下の首が飛びます。

 今期の研修生には大佐好みの子が多いですから、上も気が気じゃないんですよ。お願いですから変な気を起こさないでくださいね」


 マグス大佐は溜め息をついた。

「君たちは誤解しているぞ。

 あれは戦場で殺し合いをしている時だからこそ燃える、高尚な・・・趣味だということが分からんのか?

 私は常識人だ。こんな後方勤務でふしだらなことはせんよ」


「高尚な……趣味ですか?」

 ネフェル少佐はあくまで懐疑的であった。

「もちろんだとも!」

 対するマグス大佐は自信たっぷりに断言する。


「新兵をベッドに縛り付け、猿ぐつわを噛ませて裸に剥く。

 昼間の激戦を生き残びて、すっかり油断していた新兵の若くて可愛らしい顔が絶望に染まる。

 涙がこぼれ落ち、声を出せずに哀願するような目で必死で訴えかけるのを見下ろしながら、激しく犯してやるのだ。

 敵兵を魔法で焼き殺すのに勝るとも劣らない、こんな愉悦がどこにあるというのだ!

 少佐も興味があるなら試してみるか?」

「…………い、いえ! 遠慮しておきます」


 マグス大佐は『何だ、今の間は?』と思ったが、慎みある彼女は口に出さない。「ああ、君は既婚者だったっけな」とだけ答えてその話を打ち切った。


      *       *


 マグス大佐が教官として正式に勤務についてから十日ほどが経過していた。

 彼女の担当は座学よりも実技が主で、体技訓練と魔法実技で研修生を徹底的にしごいていた。

 もっとも大佐の他にも教官はいるので、すべての実技を担当しているわけではない。

 その日の魔法実技も他の教官が指導に当たっており、大佐はそれを補佐する立場で立ち会っていた。


 研修生に課せられたのは、マジックアローの曲射実技である。

 マジックアローは実戦でもっとも多用されている基本攻撃魔法の一つである。

 比較的単純な術式であるため、呪文詠唱時間も短く魔力消費も少ない。その割に殺傷能力もそこそこあった。


 魔法で大気の成分をプラズマ化させ、その魔法反応が障害物に当たるまで直進していくという魔法だ。

 一見すると光の矢が直線的に飛んでいくように見えるのでマジックアロー(魔法矢)と呼ばれているが、プラズマ自体が飛んでいくのではなく、プラズマ化を引き起こす魔法反応が連続して伝播するという方が正確である。


 いいことづくめのようだが弱点もある。

 魔法は重力の影響をほとんど受けないので、まっすぐ直線的に飛んでいくのだが、敵側は土塁や鉄製の盾で防いだり、塹壕に隠れることでやり過ごすことができる。

 もともと大きな魔力を必要としないので、貫通力に欠けるのだ。


 そこで考え出されたのが曲射である。

 これは弓を上空に向け放物線を描くように矢を放つのと同じような軌道でマジックアローを飛ばし、頭上から敵に襲いかかるようにする技術だ。

 重力任せの矢と違って、魔法であるから意図的に軌道を指定してやる必要があり、関数を応用した演算が必須で高度な技術を要する。


 研修生たちは訓練の仕上げとして、十人ずつの横列となって発射試験を受けていた。

 教官が指定した高度までマジックアローを飛ばし、練兵場の端に並べられた一メートル四方のまとに当てるのである。

 的には五重の太い円が描かれ、中心に近いほど高得点が得られる。指定高度に過不足があったら減点で、的を外すと無得点となる。


 すでに四つの班が終わっており、今のところトップがルーニーで十点満点の九点、次点がイアコフの八点だったが、的を外した者は皆無だった。

 現在は五班が位置についていたが、その真中あたりに赤毛で背の高い研修生がいた。

 イムラエル・マイヤー魔導曹長で、魔法実技では常にルーニーとトップを争う実力者だった。


 マグス大佐は試験を受ける研修生たちに不正がないか監視するだけなので、はっきり言って閑だった。

 やることもないので、この半年間の生徒の成績を確認していた。

「あの赤毛――イムラエルという男は総合で一位か。実技が圧倒的だな。

 私の目から見ても頭一つ抜けている感じだが、それにしては、たまにルーニーに抜かれる時があるな……ネフェル少佐、これはどういうことだ?」


 隣に立っていた少佐もやはり監視役である。

「ああ……不思議なんですけど、彼は集中力に欠けるというのか、時々信じがたいポカをやるんですよ。

 まぁ、性格的なものでしょうか。ちょっとぼおっとしたところがありますから」


 この説明は大佐を納得させなかった。

「そうか? 私にはそんな風には見えないが……」

 彼女が首をひねっている間に、担当教官の「始めっ!」という合図がかかり、十人の研修生が上空に向け一斉にマジックアローを放った。

 発射までしばらく間があったのは、ちょうど上空に渡りのカモの群れが飛んできており、その通過を待っていたためだった。


 生徒たちが放った青白く輝く光の矢は、美しい軌跡を描いてぐんぐんと上昇していく。それを見つめる大佐の眉がぴくりと上がった。

「ん? 赤毛の小僧は少し出遅れたか……いや、違うな。速度不足だ――何をやってるんだあいつは?」


 確かにイムラエルの魔法は速度が足りないのか、少し遅れて上昇している。

 ところが、半分ほども上がったところで彼が放った光の矢はぐんぐんと速度を増してきた。

 あっという間に揃って上昇する他の研修生を追い越すと同時に、方向がどんどん横に逸れていく。

 イムラエルの魔法は規定の高度にいち早く到達したが、横列の真ん中から放たれた矢は、右端の研修生が放った魔法とほとんど重なる位置まで流されていた。


 降下を始めた彼の矢は、遅れて上昇してきた右端の生徒、クルツ軍曹のマジックアローと交差したかに見えた。

 次の瞬間、上空でひときわ明るい発光があり、二つの光点は消滅した。


「おい、接触したぞ!」

「クルツとイムだ!」

 見物していた終了組の研修生たちが口々に騒ぎ立てた。

 ルーニーがからかうように大声を上げる。

「おーい、イム! そんなヘマをやるようじゃ、二旬のトップは危ういぞ!」

(研修生は一旬、二旬、三旬と月を十日に分けて成績順位を競っていた。)


 イムラエルはルーニーの揶揄やゆを気にする風もなく、クルツのところに行って頭を下げた。

「クルツ、済まない。君の邪魔をしてしまった、許してくれ」

 クルツはたいして気にしていないようで、笑って手を上げた。

「俺はやり直しだろうから別に気にしてないよ。

 それよりお前の方が残念だったな……」


 彼の言葉を裏付けるように、担当教官の大声が飛んだ。

「五班は下がれ!

 クルツは六班に入ってもう一度だ!

 イムラエルは失格、零点だ馬鹿者!」


 クルツは再試験のためにその場に残り、イムラエルは班の仲間たちとにやにや笑っている終了組の方へ戻っていった。

 歩いていく途中、自分の失敗を悔やんだのか、彼はしばらく上空を見上げていた。

 マグス大佐は、赤毛の若者の口元に微かな笑みが浮かんでいたことに気づいたが、その時は何も言わなかった。


      *       *


 その日の夕方、夕食前の時間にマグス大佐の教官室に出頭を命じられたのはイムラエルだった。

 優等生の彼が呼び出しを喰らったことに、仲間たちは首をひねっていた。

 マジックアローの接触事故は、現場レベルではそう珍しいことではない。

 彼らは選抜研修生だから「たるんでいる」と言われればそうなのだが、呼び出されるほどの失敗だとは思えなかったのだ。

 何より彼は今日の試験で零点だったことで今旬の首席が危うくなったのだ。罰は十分に受けているはずだった。


 その思いはネフェル教官も同じであった。

 彼女はなぜ、マグス大佐がイムラエルを呼び出したのか、その真意を測りかねていた。

 幸いなことに彼女は大佐の同室者である。黙って自分の机に向かっていれば、ことの次第が明らかになるだろう。


 やがて教官室の扉がノックされ、大佐の「入れ」の声に迎えられてイムラエルが入室してきた。

「イムラエル・マイヤー魔導曹長、出頭いたしました!」

 落ち着いた声で申告すると、その男はきれいな敬礼の姿勢をとった。


 マグス大佐と同じ赤毛だが、彼の髪はさらさらとした素直な髪質で、それを短めのクルーカットに刈り込んでいた。

 身長は百八十センチの後半くらいはありそうで、やや細身だが肩幅が広く、がっちりとした体格である。

 鳶色の瞳は優しげで、切れ長のきれいな目をしていた。鼻も高く、口も大きく生真面目に引き締まっていて、いかにも意思が強く誠実な性格であるように見える。


『何度見てもいい男だわ』

 横目で様子を窺っていたネフェル少佐は人妻にあるまじき感想を抱いたが、イムラエルの後からイアコフが入ってきたのには驚いた。


「イアコフ・ホフマン魔導曹長、出頭いたしました」

 金髪の若者も見事な敬礼をしたが、天使のような顔にはありありと不満が浮かんでいた。

「マグス大佐殿、なぜ自分も呼ばれたのでしょうか? 正直自分には心当たりがありません」


 しかしイアコフの抗議を、大佐はあっさりと理不尽・・・な理由で却下した。

「ふん、貴様らは二人で一セットだ。

 いつもひっついているのだから、怒られるときも一緒だ。文句あるか!」


 大佐の言うとおりで、この二人の若者は常に一緒に行動していた。

 ――と言うより、イムラエルがイアコフの従者のように付き従っているといった印象だった。


「何とご無体な……」

 イアコフはぶつぶつ呟いたが、それ以上あれこれ言わなかった。

 イムラエルの方は、そんな彼に申し訳無さそうな視線を送っている。


「今日のマジックアローの試験だが、イムラエル、貴様戦場でも同じことをするのか?」

 大佐はじろりと背の高い赤毛の若者の顔をめ上げた。

「いえ、戦場であれば話は別です」

 彼はあまり動揺を見せずに静かに答えた。


「馬鹿者!

 訓練は〝常在戦場〟の意識でやらなければ何の意味もなさん。

 ツグミ一羽を助ける暇があったら敵兵を一人でも多く殺すのだ!

 敵を多く倒せば、それだけ味方の命を助けることになるのだぞ!」


「大佐殿」

「何だ!」

「あれはツグミではありません。ムクドリでした」


 たちまちマグス大佐の頬が怒りと羞恥で赤く染まり、癖っ毛の赤毛が静電気を帯びてぶわっと広がった。

 イムラエルの後ろでは金髪の小僧が笑いをこらえて「ぐぅっ」と変な声を出している。


 聞き耳を立てていたネフェル少佐は彼らが何を言っているのか、さっぱり分からなかった。

 それでとうとう我慢できずに話に割り込んできた。

「あの、マグス大佐。今のは一体なんの話でしょうか?

 今日の訓練と鳥に何か関係があるのですが?」


 大佐は憮然として、手にしていたペンをまだくすくす笑っているイアコフに向けて投げつけた。

 首をすくめてそれを避けた金髪に向けて命令を下す。

「イアコフ、いつまで笑っている!

 ちょうどいい。貴様、少佐殿に今日イムラエルがやったことを説明して差し上げろ!」


 イアコフはやっと笑いを引っ込め、真面目くさった顔を無理やり作った。

「ネフェル教官殿。イムはクルツが放ったマジックアローが、飛んでいたムクドリに当たると読んでわざと自分の魔法を接触させたのです」


「……はぁ?」

 ネフェル少佐は間の抜けた声を上げた。

「イっ……イムラエル、あなた試験の最中に周りの研修生の魔法弾道まで計算して飛んでる小鳥に当たると思った……てこと?」

 信じられないといった顔で訊ねる少佐に、イムラエルは平然として答えた。

「はい、そのとおりです」


「だだだだ、だって!

 他人の魔法なんだから、撃った後じゃなきゃ計算なんかできないでしょ!」

「そうですね」

「そうですねって、あなた!

 ――あ!

 そんなのありえないわ! つまりはクルツの魔法が鳥に当たるって算出した時には、あなたも魔法を撃ち終わった後ってことじゃない!

 撃った後の魔法軌道を途中で変えるなんて、不可能よ!」


 マジックアローは比較的単純な魔法であり、撃つ前に軌道を指定してやることはできるが、撃った後の変更はできない。

 ファイアボールのような高度な魔法だと、術者が軌道をコントロールする余地があるのだが、それが可能なのは高位魔道士クラスで、彼ら研修生にまだそこまでの実力はないはずだった。


「それがあながち不可能ではないんですよ。――大佐殿、続きはお願いします」

 イアコフは楽しそうだった。

『……こいつ、私を試しているな』

 話を渡されたマグス大佐は腹を立てたが、ここは教官としての威厳を見せるべきだと思い直した。


「この赤毛の小僧は〝追い撃ち〟をやったんだよ。

 私にバレないと思ってたのか、イムラエル?」

「恐れ入ります」


 ネフェル少佐はますます愕然とした。

「だけど、私も見ていました!

 イムラエルの軌道を追いかけるような光点なんかありませんでしたよ!」


 〝追い撃ち〟とは、一度撃ったマジックアローと同じ軌道でもう一度同じ魔法を撃ち込んで重ねることである。

 そうすることによって、最初の魔法を増速させたり威力を増すことができる。さらに言えばある程度だが軌道も変えることができる。

 ただ、最初の魔法に次弾が追いつくためには、相当の魔力量が必要で、しかも即座に撃たなければならない。

 次弾が全く同一の軌道で後を追う場合、プラズマ化現象は発生しないが、ほんのわずかでもずれるとプラズマ発光が起きて〝追い撃ち〟だということがバレてしまう。その微妙な調整は、非常に難しいものだった。


「イアコフ、お前は全部分かっていたようだが、同じ真似ができるか?」

 大佐の問いに、金髪の若者は肩をすくめた。

「無理ですね。

 〝追い撃ち〟で弾道を変えてクルツの魔法を消滅させるための計算まで――ならできたでしょうが、それをプラズマ発光が起きない軌道に乗せるような精密制御は自分にはできません」

「そうか? 私ならできるぞ」

「おみそれしました」

 イアコフは芝居がかったお辞儀をした。


 大佐は溜め息をついてイアコフに向かって手招きをした。

 彼が前に進み出ると、イムラエルにも目で合図をし、二人を目の前に並ばせた。


 マグス大佐はうんざりとした顔で判決を下した。

「いいかイムラエル。今度あのようなふざけた真似をしたらただではすまさんからな! 肝に命じておけ!

 今日はもう帰ってよろしい!

 両名、回れぇーっ右ぃっ!」


 大佐の号令に合わせ、二人は揃った動作でくるりと扉の方を向いた。

 その瞬間、マグス大佐は金髪小僧の尻を思い切り蹴り飛ばして怒鳴った。

「貴様ら、今日の夕食は抜きだ!

 駆けあーし、前へ進めっ!」

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