災厄の日々 第二話 魔法実技 

 行軍訓練で最後の女性魔導士が到着後、マグス大佐の予定ではすみやかに魔法実技に入るはずだった。

 しかし、生徒たちがいずれも汗まみれで下着はおろか軍服までも濡らした状態だったので、部隊付軍医からの中断命令が出された。

 研修生には三十分の休憩時間が与えられ、その間に下着を(可能であれば軍服も)着替えることが命じられた。


 魔法実技では行軍装備は不要と通達され、彼らを大いに安堵させたが、なぜか鉄兜だけは全員着用のままという指示だった。

 マグス大佐はこの休憩に不満そうだったが、あえて何も言わなかった。


 三十分後、再び練兵場に集合した生徒たちは、土のグラウンド上に石灰で白線が引かれていることに気づいた。

 およそ百メートル四方の大きな枠に、二十五メートル間隔でさらに区分けがされている。要するに十六の四角い枠が描かれていたのだ。

 全部で五十六人の選抜研修生は、そのうち十四の枠にそれぞれ四人ずつ等間隔で整列させられた。


 演壇にはすでに赤毛のマグス大佐が仁王立ちしていた。

「貴様らがたるんでいることは、よぉく分かった!

 私が考えていた訓練計画は、一から練り直ししなければならないだろう。誠にありがたいことだ」


 大佐の皮肉たっぷりの講評に、生徒たちは声も出せずにいる。

「さて、それでは引き続き貴様らの魔法に関する実力を見せてもらう。

 迅速な呪文詠唱は、高位魔導士を目指す者なら誰もが望むことだ。

 だが、その技術は一朝一夕で身につけられるほど甘いものではなく、ある程度の才能も必要となる。

 一方、正確な魔法を撃ち込むために必要な目測技術、そしてその数値をそれぞれの魔法に適合する計算式に当てはめ算出する演算能力に関しては、修練を積むことで才能に関係なく上達させられる。

 これは基礎訓練であり、貴様らも魔導士である以上、散々やってきたことだろう。

 だが、その努力に上限はない!

 日々の鍛錬を欠かすことなく、さらなる上を目指せ!

 高位魔導士ともなれば、あらゆる目測、いかなる演算も呼吸同様に意識せずに行うものだということを心に刻むのだ!」


 大佐はここで言葉を切り、研修生たちをゆっくりと見渡した。

 皆顔を上げ、真剣なまなざしで彼女の話に傾注している。

 大佐の顔から不機嫌さが消え、やや穏やかな表情が浮かんだ。


「そこの女!」

 大佐はやおら指示棒を握った手で、最前列に並ぶ瘠せて背の高い女性研修生を指した。

「はっ!」

 女性魔導士は一瞬で背筋を伸ばし、直立不動の姿勢で叫ぶ。

「貴様、私の得意魔法を知っているか?」

「はっ、爆裂魔法でありますっ!」

 まぁこれは知らないはずがないので、単なる話のきっかけのための質問である。


「見たことはあるか?」

「いえっ、ございませんっ!」

「見てみたいか?」

「はっ! 是非にっ!」


 大佐は満足して頷いた。

「せっかくの機会だ、貴様らにも私の爆裂魔法を見せてやりたい。

 だが知ってのとおり、あれは最大一平方キロにも及ぶ広範囲に作用する攻城魔法だ。この練兵場でも披露するには狭すぎる。

 それにこの魔法の使用に当たっては、味方から十分離れた場所から撃つようにと、軍司令部と高魔研から厳重な制限がかけられている。

 残念ながらこの施設の周辺には貴様らを並ばせるような都合のよい平地がない」


 大佐の口ぶりでは、爆裂魔法の直上に研修生たちを並ばせるのが前提のようであった。

 彼女は芝居がかった仕草で残念そうに首を振った。

 しかし急に顔を上げると、身体に似つかない大声をさらに張り上げた。


「だが、がっかりすることはないぞ。

 実は私は爆裂魔法の改良型を研究していたのだが、最近その実用化に目途が立った。

 これは魔法の作用範囲が極めて限定されるが、その分至近距離でも使用が可能で、さらに連射ができる。

 これを見せてやろう。喜べ、貴様らは実に運がいい! 何せこの魔法を人間相手に試すのは初めてだからな」


 それまでしんと静まり返っていた練兵場が、わずかにざわつき出した。

 生徒たちは、まさか自分たちが本当に実験台にされるとは思っていない。

 むしろ演壇の両横に並ぶ教官たちの方が不安の色を浮かべていた。

あの大佐・・・・ならやりかねない』と。


 そんな不穏な空気を歯牙にもかけず、大佐は上機嫌で話を続けた。

「いいか、よく聞け!

 これから貴様らがいる十四の枠のどれかに新魔法を撃ち込む。

 その効果範囲はだいたい直径十メートルほどの円内だ。二十五メートル四方の枠なら、直撃される場所以外に大した危険はない。

 貴様らには一枠に限っての移動を許可してやる。どこに撃ち込むかは、直前にヒントをやるから安心しろ」


 研修生たちのざわめきはさらに大きくなった。どうもマグス大佐は爆裂魔法を〝見せてくれる〟のではなく、彼らに〝体験させてやる〟つもりらしいことが分かってきたからだ。


「まずは基本術式の詠唱を見物させてやる。

 貴様らが仮に暗記できたとしても詠唱に五時間はかかる代物だが、私は十数分でこれを詠唱する。

 めったに見られぬ高度圧縮技術と三重呪文の複合技だぞ。冥途の土産に聴かせてやろう!」


 物騒なことを言うと、大佐は足をやや開いて踏ん張り、呪文を唱え始めた。

 それはもはや〝言語〟ではなく、甲高いソプラノで歌う何かの曲のように聴こえた。

 固唾を呑んで見守る生徒たちは当然として、高位魔導士である教官連中も、誰一人としてその複雑な高速呪文を聞き取ることができなかった。


 大佐の前には、たちまち赤く光る魔法陣が浮かび上がる。続けて橙色の魔法陣が現れ、次に黄色、緑色、水色、青、紫――最終的には七色の魔法陣が連続して浮かび上がった。

 噂に名高い〝虹の魔法陣〟を、研修生たちはうっとりとして見惚れていた。これほど美しく複雑な多重魔法陣を、彼らは生まれて初めて見たのである。


 大佐の呪文は本当に十数分で終わり、彼女は閉じていた目を開いた。

 七色の魔法陣は空中に浮かんだままである。

「今のが新型爆裂魔法の基本術式だ。元々の爆裂魔法と原理は同じだから、貴様らでは区別がつかんだろう。

 この術式に撃ち込む目標を数値化して組み込めば、いつでも魔法を放つことができる。

 今回組み込む目標の数値は、距離、方角、角度の三条件だ。もちろん、すでに演算は終わっている。

 これからその合算値を発表する。演算式はそのままでは複雑過ぎるので、貴様らでも理解できるようマジックアローのそれに変換してある。

 貴様らはその数値から逆算して、魔法がどの枠に撃ち込まれるかを推測するのだ。

 逆算の結果、自分のいる枠に撃たれると判断したら、隣接する枠に移動することを許可する。同じ枠内で最も早く計算を終えた者が、他の三人に避難を指示するのだ。

 逆算の結果、自分の枠以外に撃たれると判断した場合、当然移動はなしだ。もちろん目標の枠となる連中に教えることも禁ずる。

 優秀な貴様らのことだ、計算時間は二十秒もやれば十分だろう。それで答えが出せなかった間抜けにも、新魔法の最初の犠牲者という栄誉が与えられるから安心しろ。

 最初の合算値は〝九一五三〟である。始めっ!」


 質問も抗議もあったものではない。わずか二十秒で大佐の立つ演壇と自分の枠との距離、方角、角度を目測し、それを特殊な演算式(今回はより単純なマジックアローのものに置き換えられている)で数値化した上で合算し、大佐の言った数値と比較しなければならない。

 しかも大佐から見た方角と角度は生徒側から見るのとは真逆になるので、その修正も考慮しなければならない。

 魔導士として、目測や暗算の訓練を嫌と言うほど重ねてきた彼らでも、二十秒という制限時間はぎりぎりだった。


 それでも、彼らは頭のどこかで『まさか本当に爆裂魔法を撃つはずがない』という意識を持っていた。

 少なくとも命を奪うようなものではなく、当てられたら痛いだろうが、それなりに威力を弱めたものだろうと高をくくっていたのである。


 ただ、ルーニー曹長とその仲間だけは違っていた。

 彼らは校舎の鐘楼塔から火球を放ったのがマグス大佐で、ルーニーが偶然発射に気づかなければ、全員確実に即死していたことを知っていた。


 危機意識の違いはあっても、彼ら選抜研修生たちは脳から煙が出るのではないかと思うほど、必死で頭脳を回転させて数値を叩き出そうと努めた。

 一人の教官が懐中時計を見ながら、残り時間を読み上げたが、それは彼らの焦りを増幅するだけだった。

 教官が「ろーく、ごー」と残り五秒を読み上げた時、右後方の枠にいた一人の生徒が「ここだーっ!」と叫んで隣の枠へと走り出した。

 その研修生と同じ枠の者たちは即座に計算を打ち切り、自分に最も近い隣接枠へと飛び込んだ。


 枠の者全員が避難した二秒後、教官は「れい!」と時間切れを宣言し、同時に壇上のマグス大佐の前に浮かんでいた魔法陣がかき消えた。

 次の瞬間、その場の全員が見守る中で、無人になった枠の中央で大爆発が起こった。

 まるで火山の噴火かと錯覚するような轟音とともに、地面が風船のようにぼこりと隆起し、次の一瞬で上空高く吹っ飛ばされた。

 爆発のエネルギーは大半が上方へ向かったらしく、派手な爆発の割に周囲への爆風はそう強いものではなかった。


 耳をつんざくような爆音が消えた瞬間、それに負けない大声でマグス大佐が叫んだ。

「ここからは全員自由に動いてよし!

 各自、風向きを考えて土砂の落下から身を守れ!」


 その声ではっとしたように、研修生たちは爆発の中心からわらわらと逃げ出した。

 そのうろたえぶりを嘲笑うように、上空から巻き上げられた土砂の塊りが、どかどかと重い音を立てて降ってくる。

 地上と違って上空では風が強いらしく、結構な量が爆心地よりも流されて落下してきて、安心していた他枠の生徒たちにも襲いかかった。


 練兵場のグラウンドは、訓練兵が怪我をしないよう砂混じりの土(石は取り除かれている)が敷き詰められていたが、十数メートルの高さから落下してくる土砂が当たると〝痛い〟では済まされない威力があった。


 なるほど、行軍装備は解いても兜だけは着用するよう命令されたのはこのためか――そう思い知りながら、体中を殴りつける土砂に襲われた生徒たちは、口々に「ダミット!(Damn it!)」、「ダムド!(Damned!)」と罵った。「畜生!」とか「糞ったれ!」といった意味である。


 空中からの落下物がおさまると、一同にやっと爆心地を振り返る余裕ができた。

 そこには直径十メートルほどの円形の穴が穿うがたれていた。しかも深さは一メートル以上ある。

 この量の土砂が落ちてきたら、ただでは済まないのは当然として、もしこの枠に逃げ遅れた人間がいたらどうだったろう。

 間違いなく上空へ吹き上げる爆発の圧力で身体が潰れ、即死していたはずだ。


 青ざめた顔で言葉を無くしている研修生に、大佐の容赦ない言葉が降ってきた。

「何だつまらん、誰も死ななかったではないか!

 仕方がない。さっきも言ったが、この新魔法は連発が利く。もう一発やるからただちに整列し直せ!

 今当たった枠の連中は、空いている二枠のどっちかに入れ」


 生徒たちには抗う権利がない。

 というより、本気で魔法を撃ち込んだ大佐に逆らったらどうなるか、今では彼ら全員が理解していた。

 ただ、その一方で幾分かの余裕も生まれていた。

 先ほどの二十秒で、ほとんどの生徒は自分の枠に該当する数値をはじき出していたのだ。

 次の魔法がどの枠になろうとも、算出済みの数値と比較すれば簡単に〝当たり外れ〟が分かるはずだった。


「よぉし、整列したな。

 では次、時間は同じく二十秒だ。

 ただし、今度は条件値に風力、風向、気圧を加算する。

 数値は〝六〇六九一〟だ。始めっ!」


 条件値の追加は全くの不意打ちだった。しかも風力と風向はまだしも、気圧のような微妙な体感値は人によって誤差が大きい。

 そんなものまで術式に組み込むなど、精密狙撃魔法でもない限りあり得ないことだった。

『冗談じゃない、さっきよりも遥かに複雑じゃないか!』

 全員がそう罵りたいところだったが、そんな暇すらない。

 彼らは脂汗を額に滲ませ、再び演算に没頭した。


 残り時間を読み上げる教官が「じゅういちー、じゅうー」と言った時だった。

「この枠だっ! みんな逃げろー!」

 一人の男がそう叫んで隣の枠へと駆け出した。

 まだ開始十秒である。当然ほかの者は計算の途中もいいところだったが、残りの三人は反射的にそれを打ち切って隣接枠へと逃げ出した。


 彼らがそう判断したのは、最初に叫んだ男がルーニーだったからでもある。

 彼が研修生の中でも五本の指に入る優秀な魔導士であることは、この半年間で誰もが知っていたのだ。

 そのためルーニーがいた枠の者だけでなく、他の枠の多くの者までが安堵して計算を中断していた。


 壇上のマグス大佐はその様子を見て、ぴくりと眉を上げた。

 ほんの一瞬、彼女は迷ったようだったが、微かな溜め息を洩らして口を開けようとした。

 ところが、彼女の瞬時の躊躇ためらいを捉えたかのように、別の生徒が大声を上げた。


「ルーニー、ダメだ!

 君が逃げ込んだ枠の方が〝当たり〟だ! 今すぐ引き返せ!

 他のみんなも逃げるんだ! もう時間がないぞ!」

 そう叫んだのは、一番手前の角の枠にいた金髪の男だった。


 ルーニーが逃げ込んだ枠にいた連中は顔を見合わせた。計算のできていない彼らは、どうすればよいか判断がつかなかったのだ。

 ところが、当のルーニーが物も言わずに引き返した。

 そうなっては残された連中も後を追わずにはいられなかったが、逡巡した分避難が遅れ、枠から逃げ切らないうちに背後で大爆発が起きて、彼らは数メートルも吹っ飛ばされた。

 爆心地は金髪の男が〝当たり〟だと叫んだ枠のど真ん中であった。


      *       *


 魔法実技は予定よりも一時間早く打ち切られた。マグス大佐の新型爆裂魔法から逃げ遅れた研修生三人が怪我を負い、うち一名が鎖骨を骨折したためである。

 ルーニー・トラン曹長はマグス大佐の臨時の教官室に出頭を命じられた。

 普段は傲慢とも言える物言いをして、胸をそらしている男が今は焦燥しきって肩を落とし、屠殺場に曳かれていく子牛さながらの様子だった。


 自分の前に立たされたルーニーを、椅子に座った大佐はじろりと見上げた。

「トラン曹長。なぜ演算も終わらないうちに自分の枠が撃たれると判断した?」


 彼はのろのろと――だが素直に答えた。

「自分は仲間とともに行軍訓練中に休憩しておりました。

 それを大佐殿に見つかり、ファイアボールを撃ち込まれました。運よく気づくことができて一命はとりとめましたが、……あれは本気で殺されるところでした。

 当然、罰を受けるものと覚悟しておりましたが、訓練が終了しても大佐殿は何もおっしゃいませんでした。

 ですから、魔法実技で大佐が再び本気で魔法を撃ち込んだのを見て、『ああ、次は自分たちが殺されるのだ』と確信したのです。

 それで恐ろしくなって逃げ出しました……」


 大佐は「ふん」と鼻を鳴らした。

 そして目の前で泣いている若者に気合をかけた後、たっぷり三十分にわたるお説教を喰らわした。

 意外にも罵倒は最初の十秒だけで、残りは遠距離からの魔法攻撃をどうやって感知し退避するか、そしていかにして敵の位置を割り出し効果的な反撃に移るかという、極めて実戦的な技術に関する講義だった。

 話し終えた大佐は「ふう」と息を継いで立ち上がった。


「今の私の話をレポートにして、明日の一八〇〇ひとはちまるまるまでにネフェル教官のもとへ提出しろ。

 それと、貴様とさぼり組は今日の夕食は抜きだ。

 その代わりに練兵場に行って私があけた穴を埋めてこい。

 施設の備品を使うことは許さん。自分たちのえん(携帯スコップ)だけでやるのだ。

 今回はそれで勘弁してやる、分かったな!」


「ありがとうございますっ!」

 説教の間に少し立ち直ってきたのか、ルーニーはしっかりと敬礼して退出していった。

 それと入れ替わりに、「失礼します」と言って金髪の若い男が入ってきた。

 男は敬礼をして「イアコフ・ホフマン魔導曹長、出頭いたしました!」と申告した。


 マグス大佐はイアコフを一瞥すると、後は無言で彼の経歴や、これまでの成績・評価を記録した書類に目を通していた。

 その間、イアコフは直立不動で待機している。

 金髪の巻き毛を軍の規範からすれば少し長めに伸ばしている。

 背はチビではないが、そう高くもない。

 色白で涼し気な青い目を持ち、女のように美しい整った容貌の青年だった。


 やがて大佐は書類に目を落としたまま口を開いた。

「貴様、私が『自分の枠以外に撃たれると判断した場合、目標枠の連中に教えることを禁ずる』と言ったのを聞いてなかったのか?」


 イアコフはうっとりするような柔らかなテノールで答える。

「いえ、聞いておりました。

 しかし、トラン曹長がミスリードしたことで多くの者が演算を中止していましたので、あのままでは大惨事になると判断いたしました。

 もちろん罰を受ける覚悟はできております」


 マグス大佐はまたも「ふん」と鼻を鳴らし、やっとイアコフに顔を向けた。

「貴様、私が本当にあのまま魔法を撃ち込むと思ったのか?」

「自分には分かりません。

 あるいは大佐殿が中止されるかもしれないとは思いましたが、撃つ可能性も捨てきれませんでした。

 仲間の命を五分五分の丁半博打に賭ける度胸を、自分は持ち合わせておりません」


 すらすらと澱みなく答えるイアコフを、大佐は「どうだか」という疑念の目で軽く睨んだ。

「トランの馬鹿者が自分の枠を逃げ出したのは、開始からまだ十秒ほどのことだ。

 お前は即座に忠告を発したな。

 ――ということは、貴様はわずか十秒で目標枠がどこか、計算を終えていたということになるが、違うか?」


「ええと……そういうことになりますか?」

 とぼけた顔で答えるイアコフに、大佐の雷が落ちた。


「馬鹿もん! 貴様も今日の夕食は抜きだ!

 さっさとえんを担いでトランの手伝いに行ってこい!

 駆けあーし、前へ進めっ!」


 マグス大佐の怒鳴り声が官舎に響き渡り、何事かと自室の扉を開けて廊下に顔を出した教官たちの前を、真面目くさった顔をした金髪の若者が駆足行進で通り過ぎていった。


      *       *


 このマグス大佐が臨時教官として現れた日――二月四日は、近衛教導団の選抜研修生たちに〝災厄の日〟として代々語り継がれ、一種の伝説となった。

 しかしその災厄の日から半年にわたって実際に大佐の薫陶を受けた研修生たちにこのことを訊ねると、彼らは笑ってそれを否定した。

 そして忘れがたい思い出にひたりながら、こう訂正するのが常だった。


「あの日は始まりに過ぎなかったんだ。

 だから正確には、あの半年を〝災厄の日々・・〟と呼ぶべきだな」

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