悠久の魔導王 第二十七話 陰謀

 話は時間を遡る。ちょうどヒマワリ畑の戦いから一週間が過ぎたころである。


 マグス大佐の大隊は、軍用犬を使ってユニたちに追いつきかけては引き離されるという〝いたちごっこ〟を続けていた。

 その日もすんでのところで相手に逃げられ、やむを得ず野営に入ったところだった。

 ユニたちが夜間に移動し、昼間はどこかに身を潜めていることは明確だった。

 マグス大佐たちは逆に夜の間に人馬や犬たちを休息させ、昼間に敵の匂いを追って距離を詰めていた(夜間も別動隊を出して、ある程度は追跡を続行した)。


「大隊長殿、カメリアです」

 将校用天幕テントの分厚い布地を通して、副隊長の声が聞こえてきた。

「入れ」

「失礼します」

 短く許可を出す大佐の声に応じて副隊長のカメリア少佐が中に入ってくる。


 いごこちの良さそうな天幕の中はランプで明るく照らされ、テーブルの上では小さな調理用ストーブの上でしゅんしゅんとお湯が沸いている。

 金属製のストーブには真っ赤になった炭が入っていて、小さな天幕の中はそれだけで十分に暖かい。

 大佐は簡素なひじ掛けのついた折り畳み椅子に座って、何やら書類をめくっていた。

 彼女は入ってきた副隊長に空いている椅子を勧めようとして、ふと思いとどまった。

「少佐、すまんがコーヒーを淹れてくれないか」


「分かりました」

 カメリア少佐は素直にカップが置かれた携帯用の小さな食器棚に向かった。

 その顔に笑みが浮かんでいるのを認めた大佐は、少しむっとした顔で弁解する。

「私だってコーヒーくらい、自分で淹れられるのだからな!

 ただ、貴様が淹れる方が悔しいが断然美味いのだ」


「はいはい」

 手早くミルで豆を挽いた少佐は、ネルの袋に粉を入れ、テーブルで湯気をたてていた薬缶を取って、じっくりと湯を注ぎはじめた。

 狭い天幕の中には、たちまちかぐわしいコーヒーの香りで満たされる。

 彼女は大佐専用のカップに淹れたてのコーヒーを注ぎ、隊長の前に差し出した。

 そして自分用にも一杯淹れ、「お相伴します」と言ってカップを持ち、大佐とテーブルを挟んだ反対側に座った。


 マグス大佐はカップを取り上げて一口啜り、「ほうっ」と溜め息を洩らした。

「やはり美味いな。

 何かで読んだことがあるが、よいコーヒーとは『悪魔のように黒く、地獄のように熱い』のだそうだ。

 これほど我々に似合いの飲み物もあるまい」

 カメリア少佐も一口飲んでから微笑を洩らした。

「その続き、知っていますか?

 『天使のように純粋で、恋のように甘い』ですよ。

 これほど我々に不似合いな物はないでしょう」


 大佐は自嘲的な笑いを浮かべた。

「しかしコーヒーもそうだが、貴様が料理が得意とは意外だったな」

 彼女が言うように、この追跡作戦中、野営での大佐の食事はすべてカメリア少佐が作っていた。

 まずいことで有名な軍の糧食だが、同じ材料なのに少佐の手にかかると、そこそこ〝美味しい〟ものになってしまうのだ。


うちは母を早くに亡くしましたので、十歳のころから私が母親代わりで料理をしていましたからね。

 慣れですよ、こんなものは」

「貴様も確か志願兵だったな、軍に入ったのは十三歳だろう?

 家の方は大丈夫だったのか?」

「すぐ下の妹が代わりを務められるように仕込みましたよ。

 何しろ家は貧乏でしたから、いくらかでも仕送りできる志願兵になる方がましでしたもの」


 珍しく優しい雰囲気に満たされた天幕の空気を破ったのはカメリア少佐だった。

 大隊長がこんな昔話をするために自分を呼んだのではないことを、彼女は十分に承知している。

「それは軍司令部から届いた命令書ですね。

 手紙にしては嵩張る荷物でしたが、ほかに何か入っていたのでしょうか?」

 テーブルの上にはマグス大佐が手にしていた書類が広げられていたが、それは見慣れた命令書の用紙だった。

 その横に少し高さがある書類入れの箱が置いてある。


「ふん」

 マグス大佐は鼻で笑って、書類箱の蓋をぽんぽんと叩いた。

「誓約書だそうだ。

 部隊の者全員に署名させて返送するようにとのご命令だ」

 副隊長はげんな顔をした。

「誓約書ですか? ……その、何の誓約なのでしょう?」


 マグス大佐はニヤニヤ笑いながら書類箱の蓋を取り、中から一枚の書類をつまみ上げると、副隊長の目の前に放り投げた。

 少佐は大隊長の目が『読んでみろ』と言っているのを確かめてから、書類に目を走らせた。

 そこには、先日のヒマワリ畑であった戦闘のことは軍機(軍事機密)に当たるため、例え親兄弟であろうと一切他言をしないこと。

 もし、秘密を漏洩したと疑われた場合、家族親族まで同罪と見做して厳罰に処す――と書かれていた。


「何ですか、これ! ヒマワリ畑の件の緘口かんこう令は、あの翌日に出されて既に伝達済みじゃないですか?

 それにこの誓約書の内容! これじゃ家族を人質に取った脅しではありませんか?

 軍は我々を信用していないのですか!」


 顔を赤くして憤るカメリア少佐に、マグス大佐は皮肉な笑いを浮かべたまま答えなかった。

 そして目の前に置かれた命令書を再び取り上げた。

「一緒に送られてきた命令書だ。短いから読んでやろう。

 『貴官の部隊は、現有戦力で引き続き追跡を続けられたし』

 ――うん、これはまぁ、当然だな。面白いのは次だ。

 『ただし、追跡に当たっては決して無理をせず、兵の休養と慰撫に留意するべし』

 少佐、私の軍歴は二十年近くになるが、無茶な要求は飽きるほど見てきた。

 だがな、『無理をするな』という命令を見たのは生まれて初めてだぞ。

 これが笑わずにいられるか?」


「ですが、無理をしなくては相手に追いつけないと、この数日の追跡で見えてきています。

 これでは『追跡を諦めてもよろしい』と言ってるようなものじゃありませんか」

 鼻白む少佐に対し、大佐は床に置いてあった書類挟みを拾い上げながら「上はそのつもりだな」とあっさり言い放った。

「そんな……!」

 言葉を失っている副隊長に対し、大佐は極めて真面目な顔になった。


「あいつらを殺す方法を考えてみよう。

 こちらはまず敵の位置を掴む必要がある。

 奴らが気づいて逃げ出したら元も子もないから、敵に感知されるほど近づいてはいけない。

 そして距離を保ったまま私の爆裂魔法と貴様のバリスタの同時攻撃をかける。

 爆裂魔法は大量の土砂の落下が伴うから、余程広範囲の対魔障壁でもない限り防げないのだが……どういう手品か、ノルド作戦では連中実際にそれをやりおった。

 お前のバリスタは物理攻撃になるから、組み合わせれば向こうがどんな防御魔法を張っていようが確実に殺せるだろう。

 オオカミを擁する敵に気取らせないのも、風下から近づけば問題ないはずだ。実際ヒマワリ畑では包囲に成功している。

 だが現状、敵に感知されずに位置を特定するのは絶望的なのだ。

 これを見てみろ」


 大佐はバインダー書類挟みに綴られた数枚の書類を少佐の前に押しやった。


 彼女は書類を手に取り、その内容を走り読みした。

 それはヒマワリ畑以後、これまで大隊が相手の休憩場所を推定し、その包囲を目指しながら逃げられ続けた状況の分析書だった。


 おおまかな地形と敵味方の進路が、時刻経過とともに図として描かれているが、目を引くのが赤で記された敵のマークと、それを中心とした赤い円である。

 よく見ると、注意書きに「推定警戒線の範囲」と書かれている。

 要するに、敵がこちらの接近を感知して逃げ出した時点での彼我の位置関係から、敵が張った警戒線の範囲を割り出した推定図だ。


「副隊長、貴様は感知魔法が使えるな? 最大でどのくらいの範囲をカバーできるか把握しているか?」

「……そうですね、精密感知なら半径二百メートルほど、かなり粗っぽくなってよいならその倍といったところでしょうか」


 マグス大佐は頷いた。

「ああ、私でも似たようなものだろう。それでも、その辺のボンクラ魔導士に比べればよほどましだ。

 普通の魔導士なら半径百メートルでおんの字だろう。

 だが、その分析書を見てみろ、感知範囲はどうなっている?」

「こんなことは……、ありえません」


 赤毛の大隊長は再び頷いた。

「だろうな。

 その分析書を信じるなら、敵が張っていたと推定される感知魔法結界は、半径五キロを超している。

 だがな、私もそれを何度も読み返した。

 その分析には一点の瑕疵かしもない。軍司令部の分析専門官でもこれほど見事な分析書は書けないだろう。それくらい見事な出来だ」

「一体、誰がこんな分析を……?」


 大佐はにやりと笑った。少しの驚き、少しの自慢、少しの嫉妬、そうした感情が入り混じった複雑な笑みだった。

「……金髪の小僧だ」

「イアコフ少尉ですか?」

「ああ、あいつだ。

 あれは頭が切れるからな。やらせてみたら、とんでもないものを持ってきた。

 〝ただ者ではない〟と言ったのは私自身だが、さすがに驚いたよ」

「あの金髪の坊やが……」


 二人とも他の兵士がいる前では、イアコフ、イムラエルの両少尉を名前で呼んでいたが、二人だけの時はマグス大佐が〝金髪の小僧・赤毛の小僧〟、カメリア少佐は〝金髪の坊や・赤毛の坊や〟と呼んでいた。


「あのヒマワリ畑で待ち伏せ部隊が吹っ飛ばされた時、死者は出なかったがほとんどが地面に落下した際に骨折か脱臼をしていた。

 だが、金髪の小僧の周囲にいた四名、そこには赤毛の小僧も当然入っていたが――軽い打撲だけで済んだ。そうだな?」


 上司の念押しに副隊長は頷いた。

「そのとおりです。

 私が直接事情聴取をしましたが、金髪の坊やがとっさに重力魔法を発動させて、周囲の落下速度を殺したという説明でした」


 大佐は意地の悪い笑みを浮かべた。

「貴様、それを素直に信じたのか? 風に巻き上げられて地上に落下するまで五秒となかったはずだぞ」

「もちろん、にわかには信じがたかったので、かなり詳細に訊ねました。

 金髪の坊やは『とっさのことだったので重力操作魔法の基本術式だけを圧縮多重呪文で唱え、どうにか間に合った』と説明しました。自分を含めて周囲の兵士まで救えたのは幸運だったそうです。

 これは大隊長にもご報告したはずです。坊やが嘘をついているようには見えませんでした」


「くっくっくくく……」

 大佐は腹を抱えて笑いをこらえた。

「ああ、確かに大筋では嘘をついていないな!

 実はな、貴様からその報告を受け取った後、私は個人的に金髪の小僧を呼び出したのだ。

 奴は確かにお前に嘘はつかなかったが、全部を喋ったわけじゃないぞ」


 〝小学生がおばさんになった〟と陰で言われる童顔の大きな目が、すうっと細くなり少佐の顔に軽蔑の色が浮かんだ。

「大隊長、まさかとは思いますが、部下に何をしたのですか……?」


 大佐は笑いを堪えながら首を激しく横に振った。

「いやいやいや、日ごろから副隊長に釘を刺されているからな、安心しろ。まずセクハラはしていないぞ?

 もちろん、魔法によって無理やり口を割らせる――それもまったく考えていなかった。

 それなのに……だ!」


 大佐はテーブルに顔を突っ伏し、そのまま天板を手でばんばんと二、三度叩いた。

 よほど面白いことを思い出したらしい。

「ひぃっ、苦しい……。

 あっ、あの金髪の小僧な、私の天幕に入ってきた時、よりにもよって対魔障壁を張ってやがったぞ!」


 カメリア少佐もさすがにこれには呆れた。軍隊内で部下が上司に呼び出されて対魔障壁を張ったなど前代未聞である。


「それで大隊長はどうされたのですか?」

 そう訊ねながらも、副隊長には結末が予想できていた。

 大隊長は目尻の笑い涙をぬぐいながら、何とか答えた。


「足払いをかけて小僧を床に転がし、アキレス腱固めをかけてやった」

 残念ながら大佐の答えは予想どおりだった。


「『さぁ、全部吐けっ!』と言ったら、小僧はぴーぴー泣きながら『何のことか分かりません!』と抵抗するのでな、『心当たりが浮かんでくるまでこうしてやるっ!』と責めたてたら、とうとう白状したよ。

 あの小僧、圧縮した多重呪文を使ったのは事実だが、多重呪文が二重ではなく三重だったらしい」


「まさかっ……!」

 カメリア少佐が絶句したのも無理はない。


 帝国の魔導士は、詠唱に時間がかかる呪文をできるだけ短くするため、二つの技術を併用している。

 一つは圧縮呪文(高速呪文とも言う)で、呪文そのものを常人には聞き取れないほどの早口で唱えるものだ。

 これは努力次第でどうにかなる技法で、大体二割程度は詠唱時間を短縮できる。

 もう一つが多重呪文で、これは異なる二つの呪文を重ねて同時に発音する技術で、非常に複雑で修得が困難なものである。

 ただ、帝国軍で士官クラスの上級魔導士なるためには、ほぼ必須の技術と言われている。

 これを身につけているだけで、呪文詠唱時間は半分になる上、圧縮技法を併用すれば、詠唱速度において圧倒的なアドバンテージを得ることができる。


 ところが、ごく一部の高位魔導士の中には、この二重呪文をさらに進化させ、三つの言葉を一つに重ねた三重呪文を操る者がいる。

 マグス大佐の爆裂魔法、カメリア少佐のバリスタ岩石投擲魔法もそうだ。ついでに言うと、マリウスの対物・対魔防御呪文も三重呪文を使用している。

 この三重呪文を唱えることができれば、呪文詠唱時間は劇的に短縮される。

 一部の〝天才〟と言われる魔導士だけが行使できるこの技法を、たかが少尉に過ぎない若者が使った……カメリア少佐でなくとも絶句したことだろう。


「『基本術式だけを圧縮多重呪文で唱え』ただと? 馬鹿を言うな。

 あの金髪の小僧は、しっかり数値計算まで呪文に組み込んでいたさ。

 偶然なんかで自分ばかりか、周囲の人間まで救えるはずがなかろう」


 少佐は呆然としている。

「しっ、しかしあの坊やは重力魔導士ではありません!」


「そこがあいつの空恐ろしいところだ。

 普通、三重呪文は自分の魔法特性に合った得意呪文にしか使えないはずだ。

 あの小僧は補助魔法全般を扱えるが、基本は防御と回復呪文が専門だ。

 なのにとっさに得意でもない重力魔法で三重呪文を使う……とんでもない奴だ」


 まだ言葉を失っているカメリア少佐を見て、大佐は苦笑いを浮かべながら冷めてしまったコーヒーを飲み干した。


「話が横道に逸れ過ぎたな。

 とにかく、あの金髪小僧は〝異常〟な天才だ。そいつが出してきた分析書は信用していい。

 だが、半径五キロなんていう馬鹿げた魔法結界を張るだけの膨大な魔力を持った人間が、この世に存在するはずがないという、お前の意見も正しいのだ。

 ……もう、ここまで言ったら貴様にも答えが見えてきたのではないか?

 逃げている敵のうち、正体の分からない一人は〝人間じゃない〟――ということがだ」


 少佐は音を立てて固唾を呑んだ。

 マグス大佐は学生に講義をするように言葉を続ける。


「そもそもこの作戦は始めから疑問だらけだった。

 高魔研が保護する重要人物を拉致することが敵の目的だというが、その重要人物とは何者だ?

 敵を追い払ったのはいい。だが、それはなぜ高魔研ではなく御狩場の森なのだ?

 三人目の敵は〝正体不明なれど強大な魔法を操る〟しかも〝帝国の者ではなく他国の高位魔導士だ〟と高魔研が言ってきた。なぜそんなことが分かる?

 魔法先進国の帝国以外にそんな奴が存在すると思うか?」


 大佐は腰を浮かせて身を乗り出した。ぐいと顔を副隊長の前に突き出し、気味の悪い笑みを浮かべる。


「ああ、高魔研の爺いどもは知っていたのだ。

 人間ではありえない膨大な魔力を持った存在。そいつこそが高魔研がかくまう重要人物を拉致しようとした。

 だがそれは失敗した。なぜだ!

 帝国が迎撃のために大部隊を繰り出したとしても、人間を遥かに凌駕する魔力を持った存在に敵うと思うか?

 貴様もあのヒマワリ畑の怪物を見ただろう。あんな化け物を使う奴だぞ?

 だがそれでも敵は拉致に失敗した。なぜだ!

 答えは一つだ。

 拉致しようとした人物が同行を拒否して抵抗した。そしてその人物自身も人間ではない――敵と同等の強大な魔力を持った存在だったとしたらどうだ?」


 今や大佐は完全に立ち上がっていた。

「いいか、この三十年にわたって魔法研究が劇的に発展した事実を、我々は帝国研究機関のたゆまぬ努力の結果得られた勝利だと教え込まれてきた。

 だが、もしそれが、人間より遥かに魔法技術にけた種族の協力があったと仮定したらどうなる?

 恐らくこれは軍首脳と高魔研幹部しか知らない極秘事項なのだろう。

 今回の奴らの慌てぶりはこの仮説ですべて説明がつく――違うか?」


「つまり大隊長は、その重要人物も現在我々が追っている魔導士も、人間ではなくエ――」

 少佐の言葉はそこで途切れた。

 マグス大佐が彼女の唇に人差し指を押し付けて黙らせたのだ。


「いいか、私と二人だけの時であってもその言葉は口に出すな。

 高魔研の爺いどもも妖怪揃いだが、うちの特殊保安部も抜け目がない上に手が長い。

 ちょっとでも油断してみろ、貴様が『お嫁の貰い手が見つかりません』とかふざけた遺書を残した首吊り死体になっていても私は驚かないぞ」

 彼女が黙って頷いたので、大佐は人差し指を離した。指を押し付けた跡が一瞬白く残り、すぐに血色が戻った。


「では、大隊長はどうされるおつもりですか?」

 当然の質問に、大佐もまた当然のように答える。

「情報を探るに決まっているだろう。私が黙って見ているタマだと思うか?」

 少佐はぶんぶんと首を横に振る。


「なぁ少佐。『軍で出世を望む者は長生きしない』という言葉を聞いたことがあるだろう?

 だがな、私は出世も望むし長生きもしたい。そのためには誰よりも早く情報を握らねばならん。上が隠したがる情報ならなおさらだ。

 貴様も出世が嫌いというわけじゃないだろう。長生きに関してはなおさらだ。

 私たちは同じ穴のむじなじゃないか? 顔を見ればわかるぞ」


 ここにきてカメリア少佐はマグス大佐に〝められた〟ことを自覚した。

 この欲望にまみれた女上司は、まんまと自分を後戻りのできない陰謀に引き込んだのだと。


「では、具体的にはどう動くのですか?」

 部下である副隊長としては、是非とも大隊長の意向を知る必要があった。


「まずは金髪の小僧を籠絡ろうらくして仲間に引き込むことだ」

「金髪の坊やをですか?」

 突然陰謀とは無関係な人物を出された少佐は混乱した。


「そうだ。あの男は異様に頭が切れる。切れ過ぎて危険なくらいだ。

 万一の時に切り捨てる手駒として使うには理想的な奴だ。

 それに、気づいていたか? あいつを取り込めば自動的に赤毛の小僧もついてくるぞ。どういうわけだか、奴は金髪の小僧の飼い犬みたいにべったりくっついている」


 副隊長は頷いた。

「ええ、あの二人、同じ村出身の幼馴染で親友だと聞いていますが、実際には完全な主従関係ですね」

「ああ、それにあの赤毛も別の意味で天才だ。攻撃魔法に関するセンスは私に似たものがある。奴は鉄砲玉にするには申し分ない逸材だ。金髪小僧のおまけとしては贅沢すぎるだろう」


 カメリア少佐は少し考えこんだ。

「金髪の坊やを籠絡するとなると……やはりここは女の武器を使うべきでしょうか?

 いえ、もちろん私はその程度の覚悟は持っていますから……嫌ではないのですが」


 マグス大佐は目を閉じて盛大な溜め息をついた。

「少佐、貴様が部下たちの間でなんと呼ばれているか知っているか?」

「……いえ、存じませんが」

「〝小学生おばさん〟だ。馬鹿者!

 そういう寝言はもっと乳を膨らませてから言え!」


 マグス大佐も小柄な方だが、カメリア少佐はさらに背が低い。そして小学生の女児かと思うほどに幼い顔立ちをしている。

 とどめに幼児体型といっていいスタイルである。

 これで三十代半ばだというのだから、神様の気まぐれというのは実に趣味が悪い。


「あー、別に貴様が不細工だとは言ってないぞ。特殊な性癖を持った男どもにはもてるだろうしな」

 大佐の暴言にショックを受けたらしい副隊長に、彼女一応は上司らしくフォローを入れたが、どれだけ効果があっただろう。


「とにかくだ、小僧どもについては奴らの故郷の村を調べさせろ。慎重に、ばれないように人を使うんだ。確か金髪の方の父親には軍歴があったはずだ。そっちの方も探りを入れろ。

 赤毛の小僧が金髪の忠犬になったのには、絶対に何か理由があるはずだ。まずはそこから探れ。奴をこちらに引き込むにも、とにかく情報を握らなくては何も始まらん。いいな!」


「はっ」

 カメリア少佐は敬礼しながら思った。『自分はこの毒蛇に魅入られたカエルなのだ。こうなったら覚悟を決めて地獄の綱渡りについていくしかない』。

 彼女はそのまま〝回れ右〟をして天幕を出ようとしたが、マグス大佐に呼び止められた。


「何かまだご用でしょうか?」

「ああ、物のついでだ。これを貴様に見せておこう」

 そう言って大佐は手を差し出した。


『大隊長も人のことは言えないな』――少佐がそう思うほど、大佐の手も小さい。

 その手が上を向いて開くと、手の平には大豆ほどの大きさの丸い石が乗っていた。

 わずかにピンク色がかっているがほぼ透明である。


「水晶でしょうか? 私はあまり宝石には詳しくありませんが……」

 いぶかしむ少佐に、大隊長はにやりと笑った。

「まぁ、いいからこれを取って握ってみろ」


 カメリア少佐は噛みつきはしないかと恐れるように、その透明な球体を指でつまみ上げ、そっと自らの手で握ってみた。

 その途端、握った右手の中から〝どくんどくん〟というような鼓動が伝わってきた。同時に熱を感じ、それがどんどんと熱くなっていくような気がした。


 一瞬の混乱の後、高位魔導士の冷静な頭脳は、その鼓動と熱が実際のもの――物理現象ではないと分析していた。

 もっと魂の根源で感じる響き――それは自分がよく知っているものだった。

『そうだ、これは魔力の波動だ。

 それも人間のものではない!』


 彼女は慌てて手を開き、大佐の手に石を戻した。

「ななな、なんですか、これ! 魔力の塊り? それもまるで生きているみたいな……。

 気味が悪いです!」


 マグス大佐は笑みを浮かべたまま、戻された石を握りしめた。

「どうだ? 貴様のようなまともな魔導士には感じるものがあっただろう。

 面白いことに、凡人にとってはただのガラス玉なんだがな。

 これはあのヒマワリの化け物が崩壊した残骸の中から見つけたものだ。

 恐らくこいつが怪物の核となって、魔力を供給していたのだろうな」


「ぐっ、軍には……いえ、高魔研には報告し――」

 カメリア少佐は途中で「はっ」と気づき、言葉を呑み込んだ。

 彼女は恐る恐る訊ねた。

「この石がここにあるということは、……していないのですね?」


「報告? するわけがなかろう。

 これは畑で拾ったガラス玉だ。そうだな少佐?

 だがこのガラス玉、高魔研の爺いの誰か・・にこっそり見せたらどうなるだろうな……。

 ひょっとして何か特別なこと・・・・・を教えてくれるかもしれないぞ」


 マグス大佐は楽しそうにくっくっと笑うと、舌を伸ばして口の端に滲んでいたよだれをぺろりと舐めた。

 そのぬめぬめとした赤い舌の動きは、カメリア少佐には蛇のそれに思えてならなかった。

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