悠久の魔導王 第二十二話 ダムド

「敵に囲まれた!」

 ライガからの通信を伝えられた瞬間、マリウスとアッシュは物も言わずに周囲に広げていた持ち物をしまい始めた。

 〝ここは真っ先に攻撃される〟だろうから、すぐに離れなくてはならない――二人ともそう判断したのだ。

『まったく、うんの呼吸とはこのことだわ』

 ユニは彼らの素早い動きに苦笑しつつも感心せざるを得ない。


 その間にも、オオカミたちからは次々に情報が飛び込んでくる。

『南北は完全に封鎖されている』

『敵の人数は、それぞれ二十人程度』

『おい、敵の中に知った匂いがあるぞ!

 ……獣人の村で戦った赤毛の魔導士だ!』


 ユニは刻々と入ってくる情報を、その都度マリウスとアッシュに伝えていった。

 中でも最後の情報は〝とびきり素敵な〟お知らせだった。

「あのヒス女がいるってことはヤバくない?

 爆裂魔法を撃たれたら、ほぼ確実に全員昇天よ!」

 ユニも自分の荷物を背嚢に突っ込みながら怒鳴る。


 マリウスもアッシュの尻の下から自分の外套を引っ張りだし、それを羽織りながら怒鳴り返す。

「この距離で爆裂魔法を撃ったら自殺行為です! 向こうもただでは済みませんよ」

 ユニは背嚢を背中に回して立ち上がった。

「どうせ他にも魅力的な魔法を用意しているんでしょ?

 さっ、ここを離れるわよっ!」


 ユニが先頭になって水車小屋の扉を蹴り飛ばす。

 そのまま彼女は走り出し、背の高いヒマワリの中に飛び込んだ。

 マリウスとアッシュもそれに続く。


 彼らが小屋を飛び出して十秒も経たずに、粗末な木造の水車小屋は「ど~ん!」という、腹に響く低い音とともに見事に吹っ飛んだ。

 大量の土砂とともに、ばらばらになった板切れと、粉のように粉砕された屋根のかやが、祭り花火のように空に舞い上がる。

 小屋から十メートルも離れていなかった三人は、土砂交じりの爆風で、それぞれが出鱈目な方向に吹き飛ばされた。

 吹っ飛んだ先ではヒマワリがクッションとなり、叩きつけられた地面は耕された黒土だったのが、せめてもの救いだった。


 仲間とはぐれたユニは、爆風でヒマワリの間を散々に転げまわった挙句、どうにかうつぶせ状態で地面にしがみついた。

「何よ! マリウスの嘘つきっ!

 これって爆裂魔法じゃない!」

 ユニは怒りをぶつける相手もいないのに呪いの言葉を吐いた。


 その声を聞きつけたのか、黒い影がヒマワリの茎を掻き分けて突然に現れた。

『ユニっ! 無事だなっ? 乗れっ!』

 ライガはそう叫ぶとユニの細い胴を巨大な顎で咥え、自らの背中に放り上げた。

 もう十年近く乗り続けてきた相棒の背中である。ユニは反射的に両手をライガの首のあたりに突っ込み、奥の柔らかな毛をしっかりと握りしめた。

 とっさのことで腰が伸びていたが、なんとか両膝を曲げてオオカミの胴をがっちりと挟み込む。


 ライガは主人が背中に取り付いたと判断した途端、合図もせずに走り出した。

 二メートル近い高さのヒマワリがびっしりと並ぶ畑である。いくら巨大なオオカミ、そして背中に召喚士が乗っているとはいえ、その姿は外部から完全に隠されているはずであった。


 密生するヒマワリの間を、風のように走り抜けるユニとライガ。

 危機はとりあえず去ったかと思われた。

 しかし次の瞬間、ライガの至近距離で再び轟音とともに爆発が起こった。

 ユニは爆風であっさりとオオカミの背から引き剥がされ、五メートル近くも吹っ飛ばされた。


 ありがたいことに今度も身体に深刻なダメージはない。

 どうやら爆発のエネルギーは大半が上方に向かうため、周囲を襲う爆風はそう脅威ではないようだ。

 恐ろしいのは上空高く吹き飛ばされた土砂が降ってくる、その後だった。


 ユニは全身の痛みをあえて無視して、無理やり立ち上がった。

 ここにいては危ない――というか死ぬ!

 ほとんど確信に近い予感が彼女の肉体を駆り立てたのだ。


 ユニはよろよろと走り出した。

 幸い風向きのおかげで、降り注ぐ土砂は彼女と反対方向に流されていく。

 それでもいくつかの土の塊が、どかどかと音を立てて周囲に降ってきた。

 その一つが運悪くユニの背中を直撃した。

 上空から落下してきたカボチャほどの黒土の塊りは、まるで鉄球のような衝撃を与えて彼女を地面に叩き伏せた。


「げえっ!」

 肺腑から空気が洩れ、胃の中で消化を拒んでいたどろどろの塊り(乾パン)が黒土にぶちまけられる。

 潰されたカエルのような無様な恰好で地面にめり込んだユニは、それでも歯を食いしばって立ち上がり、ふらふらしながらも前に進み出した。


 晩秋とはいえ、晴れ渡った空から容赦なく降り注ぐ陽光が、黒土から湿気を立ち上らせ、息が詰まるほど暑苦しい。

「はぁっ、はぁっ…」

 荒い息を吐くたびに唾液も出なくなった喉に痰がからみ、吐き出すこともままならない。

 口の中にはさっきの反吐の味が残り、酸っぱい臭いが鼻から抜けていく。


「なんだってあたしがこんな目に……!」

 そう自問しても、当たり前だが誰も答えてはくれない。

 闇雲に足を前に出そうとしても、よく耕された柔らかな畑の土に足がずぶずぶと沈み、転びそうになる。

 それでもユニはひたすらに走った。

「……こんなところで……死んでたまるか!」


 ついさっきまで倒れていた場所が、轟音とともに黒土と黄色いヒマワリの花を巻き上げ、派手に爆発した。

 ユニの位置が分かるはずがないというのに、赤毛の魔女は当てずっぽうなのか、至近距離に恐ろしい威力の魔法を撃ち込んでくる。


『ユニっ、生きてるか!』

 黒っぽい大きな影が、再度ユニの傍らに飛び込んできた。

「ライガっ!

 あんたこそ生きてたの?

 てっきりさっきの爆発で吹っ飛んだと思ったわ」


『馬鹿っ、俺がお前を残して死ぬはずがないだろう!

 それよりヨミが呼んでいる。

 マリウスの小僧と一緒らしい。

 乗れっ!』


 ユニは慣れた動作で再びライガの毛並みを掴むと背中によじ登り、姿勢を低くしてしがみついた。

 巨大なオオカミは速度を一気にあげ、矢のようにヒマワリ畑の中を飛んでいく。

 すぐ前方にマグス大佐の魔法攻撃が開けた大穴が見えてきた。


 ライガは躊躇なくその中に飛び込む。

 穴の底にはマリウスとアッシュ、そしてヨミやハヤトなど群れの仲間たちが集まっている。

 身体をぶつけるようにしてマリウスの横に転がり込むと、彼が怒鳴った。


 また近くで魔法が炸裂し、凄まじい轟音が鳴り響いた。怒鳴らないと何も聞こえないのだ。

「お待ちかねでしたっ! たった今、対物障壁を張りましたよ!

 これで魔法の直撃がない限り、でかい岩が降ってきても平気です」


「魔法が直撃したら?」

 ユニが耳を塞ぎながら怒鳴り返す。

「それは――運がなかったと諦めてくださいっ!」


ここでマリウスを責めるのは気の毒というものだ。ユニにもそのくらいの分別はある。従って彼女の怒りはマグス大佐へと向かう。

「何なのよ? あのヒス女!

 爆裂魔法って一日に一度しか撃てないんじゃなかったの?

 それをこうもボカスカと――。

 大体、ここは帝国の領地じゃない。自分とこの畑をめちゃくちゃにして、お百姓さんに呪われるわよ!」


 その声をかき消すように、さっきの爆発で巻き上げられた石や土砂、それにヒマワリの残骸がバラバラと頭上から降ってくる。

 ただ、それらはユニたちの頭上数メートルのところでマリウスが張った対物障壁に阻まれ、彼女たちには危害を及ぼさない。


「これは僕が知っている爆裂魔法じゃありませんね!

 いや、原理は同じなんでしょうが、効果範囲が狭すぎます。

 マグス大佐は連撃可能な新しい爆裂魔法を開発したのかもしれません。

 まったく、凄い人ですよ!」


「感心してる場合かっ!

 どうにかしてあのオバさんの尻を蹴飛ばしに行くわよ!」

 ユニのわめき声を、再び爆裂音がかき消し、大量の土砂の雨が降り注いだ。


      *       *


「……なんですかこれは?」

 カメリア少佐は呆れたような声をあげたが、呪文に集中している大佐からの答えはなかった。


 彼女はマグス大佐の爆裂魔法を何度かその目で見たことがある。

 それは馬鹿みたいに広大な範囲で浅い地中に直下型の爆発を起こし、魔法範囲に存在したあらゆるものを表土ごと十数メートルの高さに吹き飛ばす魔法であった。

 もちろん地上にいた者は、上空からの落下を待つまでもなく爆発の圧力で即死する。

 そして恐ろしいのは、巻き上げられた土砂や岩石が、魔法効果の範囲を遥かに上回る規模で上空から降り注ぐことにあった。

 そのため、十分過ぎるほど距離を取らないと味方が巻き込まれてしまうという欠点があった。


 そしてもう一つの制限がある。そのあまりにも凶暴な威力の故に消費される魔力は尋常ではなく、いかに不世出の天才と謳われるマグス大佐でも一日に一度しか放つことができない――はずだった。


 しかし今、カメリア少佐の目の前では爆裂魔法が次々と炸裂している。

 よく見るとあまり間を置かずに三度の爆発が起こり、それから数分してまた三連撃が放たれている。その間、大佐は高速呪文を止むことなく詠唱し続けている。

 そしてこの魔法は、副隊長が知っているそれに比較して、圧倒的に効果範囲が狭い。爆発が起こっているのは、わずか直径五、六メートル内というところだろう。


 最初の爆発は、畑の中に建っていた小さな水車小屋を木端微塵に吹き飛ばした。

 続けて小屋の周囲をしらみ潰しにするように連続した爆発が起き、その後は数分おきに西から東へと絨毯爆撃が展開されていく。

 マグス大佐が畑に潜む敵を東側に追い立てていることは明らかだった。

 もちろん、東の出口近くでは若い魔導士二人と三十人のいしゆみ部隊が待ち構えている。


 マグス大佐はようやく呪文の詠唱を止めて、自らの戦果を確かめた。

 ヒマワリ畑はまるで種蒔き前のようにすっかり鋤き返され、柔らかな黒土に無数のヒマワリの残骸が混じり合い、黄と緑のまだら模様を作っていた。

「ふん、ネズミは出てこないな……どこかで息を潜めているのか」


 大佐は傍らの通信魔導士に命じる。

「北側の部隊と合流して、くさび陣形で西からネズミを狩り立てるぞ!

 犬どもを先頭に立ててけしかけろ!

 魔導士は攻撃呪文の詠唱を終えておけ!

 兵士はいしゆみを構えよ!」


 命令は直ちに北側の部隊に念話で伝えられ、南北の部隊は互いに畑の中央部に向かって進んで連結する。

 V字型の底の部分でつながった両隊は、慎重に畑の中を東に進んでいく。

 その十メールほど先では、捜索大隊からマグス大佐が無理やり〝徴発〟してきた六頭の軍用犬と、それぞれの担当兵がオオカミの匂いを追っている。


 悠然と歩を運ぶマグス大佐の隣りで部隊の動きに目を配りながら、カメリア少佐は今一度上司に訊ねた。

「大隊長、さっきの魔法は一体なんなのですか?」

「そうか、副隊長はあれを見るのは初めてか……。

 近衛教導団ではボンクラ生徒どもを実験台にして、散々撃っていたからな。説明するのをうっかり忘れていたが、爆裂魔法の改良型だよ。

 あれを撃ち込まれた間抜けなガキどもは、〝ダムド〟(糞ったれ)と呼んでいたが、いい名だと思わないか?」


 少佐は『その命名センスは酷いですね』と心の中でつぶやくに留めた。

「効果を極めて狭い範囲に限定することによって魔力の消費を抑え、連撃を可能にしたものと見ましたが……」


 副隊長の推測に対し、大佐は満足したように大きく頷く。命名の件を無視されたことは気にしていないようだ。

「そのとおりだ。最初に術を発動させるのには、これまでどおり十五分ほどかかるが、それ以後は三分程度の呪文詠唱で次が撃てる。

 しかも、一度の呪文で三発撃てるのが強みだ」

 大佐はいかにも得意げであった。


「数えておりましたが、大隊長は先ほど三十六発撃たれました。

 一体、何発まで撃てるのですか?」

「三分おきに三発、それを一時間――要するに六十発だ。

 もっとも実験では、私の魔力に余裕のある状態で止めているからな。

 限界までやったら百発は撃てると思うぞ。

 ……まぁ、そんなことをしたら、ぶっ倒れて丸一日は寝込むはめになるがな」


 少佐は呆れつつも驚いた。

「六十発? そんな実験を近衛教導団でやられたのですか!」

 赤毛の大隊長はからからと笑い声をあげた。

「まさか! そんなことをしたら教導団の練兵場が使い物にならなくなるぞ。

 ほら、私は一か月ほど大隧道の復旧現場に派遣されていただろう?

 あれは実際には、この魔法の実証実験だったのだよ。

 ……さて、そろそろネズミどもがあぶり出される頃合いだが……」


 二人が話しながら歩いている内に、大佐を含む本隊はもう畑の三分の二を進んでいた。

 前方を進む軍用犬たちの吠え声がやかましくなり、彼らがオオカミの匂いに興奮していることが分かる。

 ダムド(小型爆裂魔法)によって畑の土が鋤き返されているため直接の追跡はできないが、風に乗ってくる匂いで、犬たちは獲物が近いことをはっきりと感じ取っていた。


      *       *


 爆発跡の窪みに身を潜めていたユニたちは決断を迫られていた。

 西から軍用犬を先頭にした追跡部隊が迫っていることは、オオカミたちからとっくに報告されていた。

「どうする? って言っても、東側しか開いてないけどね」

 ユニは一応マリウスに確認してみる。

「そしてその先には間違いなく待ち伏せしている部隊がいますね。

 晩のビールを賭けてもいいです」

「残念! 賭けは不成立だわ。

 あたしも同意見よ。

 それじゃ南北どちらかを強行突破するしかないわね」

「いいですけど……マグス大佐が相手じゃ、ボコボコにされますよ?」


 二人の不毛な会話にアッシュも溜め息をついた。

「私が魔法を使えるのはまだまだ先のことだし……困ったことになったな」


 彼女のつぶやきは妙にユニの耳に残り、その言葉が頭の中でぐるぐる回り始める。

「困ったことになった」「困ったこと」「困った……」


「あ゛! 忘れてた!」

 ユニは慌てて胸に手を当てた。

「おっぱいを落としたんですか!」

 笑えない冗談を口走ったマリウスを物も言わずに殴り倒し、ユニは上着の胸ポケットの雨ぶたを開けて中に手を突っ込んだ。


 彼女の上着の生地はアッシュの血をたっぷりと吸い込み、そのまま乾いて固まっていたので、ばりばりと布がはがれる音を立てた。

 そして指先に、上着とは違う何か柔らかい生地の感触が伝わった。

 ユニは指先でそれをつまんで引っ張り出した。


 出てきたのは小さな薄緑色の巾着だった。薄くつるつるとした柔らかい生地は、ヤママユ蛾の繭から採った絹(天蚕)のようだ。血が染み込んでいないのは、エルフのまじないがかかっているせいだろう。

「これ、ネクタリウス様から預かってたのよ!

 アッシュが目を覚ましたら渡してくれって。

 魔導王は『困った時に役立つだろう』って言ってたわ!」


「おじさまが?」

 アッシュはげんな顔でユニからその小さな巾着を受け取った。

 口をしっかりと縛っている紐を解き、手の上で逆さにすると、ころりと何か小さな物が落ちて手のひらを転がった。


「……これはまさか!」

 アッシュとユニは驚きのあまりに息を飲み、互いに顔を見合わた。

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