悠久の魔導王 第二十一話 ヒマワリ畑

 御狩場の森を脱出したユニたち一行の足取りは、全くはかどらなかった。

 眠ったままのアッシュがいたからである。

 少しでも帝都を離れ、距離を稼ぎたいところであったが、マリウスがアッシュを〝おんぶ〟して歩くことになったため、普通の徒歩よりもやや遅い速度しか出せない。

 そしてエルフを背負うマリウスも、疲労から何キロも続けて歩けなかった。


 アッシュの身体をマリウスの外套マントでくるみ、トキの背中にロープで縛りつけてもみたが、しばらく進むとどうしてもエルフの身体がずり落ちてきて、何度も縛り直さなくてはならなかった。当然、駆け足は論外で、速足でもすぐにずれる。結局並足で、それもかなり慎重に進まなければならなかった。

 試行錯誤の末、基本はマリウスが背負い、彼が疲れたらトキの背中にくくりつけ、その間マリウスはハヤトの背中に乗って体力の回復に努める、ということを繰り返すことになった。


 森を脱したのは朝の八時過ぎであったが、正午を過ぎても二十キロ弱しか進めなかった。

 群れのオオカミたちが斥候として周囲を先行し、人がいないことを確認しながらの歩みであったから、これで精一杯だったのだ。

 帝都を離れると、もうまとまった森はなく、周囲は広大な小麦畑が続いている。

 今は十一月なので、秋蒔き小麦が十五センチ程に生長した苗の段階である。要するに見晴らしが極めてよいのだ。

 いくら郊外とはいえ、人目につかずに日中を移動するのは困難を極めた。


 ユニたちは森とはとても呼べない小さな木立に身を隠して、簡単な昼食を摂っていた。

 午後からの行程をどうするか、ユニとマリウスは話し合ったが、これ以上体力を削って日中の移動を強行するのは愚策、という点で一致をみた。

 とにかくアッシュが目覚めるまでどこかで身を潜める。

 彼女が動けるようになれば、三人ともオオカミの背に乗ることができる。それで夜間に動けば、相当の距離を稼いで帝国の追跡を振り切れるかもしれないのだ。


 問題は、帝国に見つからずに身を隠す場所であった。

 オオカミたちからは、この先数十キロにわたって、まともな森はないことを聞かされている。

 ユニは乾パンにバターを塗って口に押し込んだ。固くぼそぼそとしたパンは口中の唾液を根こそぎ吸い取ってしまう。

 それをむりやり咀嚼して、水筒の水でどうにか喉に送り込んだ。


 オオカミたちは食事を摂らず(彼らは食事なしで数日過ごしても平気だった)、寝そべって体力の回復に努めている。

 トキだけは、座って後ろ足でバリバリと脇腹のあたりをしきりに掻いていた。


「どうしたの、トキ? ノミでも湧いたの?」

 ユニの問いに、隣りにいたヨーコ(トキの妻)が代わりに答えた。

「違うのよ。ほら、アッシュを背中に乗せて運んだ時にロープで縛ったでしょ?

 それで毛皮が擦れて痒くなったみたい」


「ああ、そうだったわね。

 ごめんね、トキ。重くて疲れたでしょう?」

 トキは身体を掻きながら、気持ちよさそうな顔で首を振った。

「いや、だが眠っている人間を運ぶのがこれほど大変だとはね。

 起きている人間は膝でこっちの胴を挟んでくれるし、背中の毛も掴んでくれるから楽なんだって、よく分かったよ。

 それにアッシュはユニより背丈はあるけど、全然軽くて――」


 すかさず横から「バカっ!」というヨーコの小声が飛んだ‥‥が時すでに遅かった。

「へぇ~、そうですかぁ……。あたしは重くて悪うござんしたね!」

 氷のように冷たい視線で睨まれたトキはあたふたと口ごもった。

「そそそ、それはとにかく、だ。午後もこんな感じで進むのかい?」


 トキへの教育的指導はヨーコさんに任せるか……。ユニは気を取り直した。

「それなのよ。

 マリウスとも話したんだけど、アッシュが目を覚ますまでどっかに隠れなきゃ、どうにもならないわ。

 あんたたちが帝都に向かう時は夜の移動だからよかったんだろうけど、明るい中でこうだだっ広い畑ばかりじゃねぇ……。

 どっかに身を潜めるようないい場所はないかしら」


 ユニの半分独り言のような愚痴を聞いていたヨーコが、ふと思い出したような顔をした。

「ねえ、トキ。そういえばこの先に結構大きなヒマワリ畑がなかったっけ?」

「え? あ、ああ、そういえばそんなのもあったな。もっと北寄りの方だったかな」

「そうよ! ねぇ、ユニ。あのヒマワリ畑だったら私たちが隠れるには十分だわ。かなり広かったし、あの中なら簡単には見つからないと思うの!」


      *       *


「うわぁーーーっ! 何よこれ!」

 ユニは目の前に広がる光景に圧倒され、呆然と立ち尽くした。

 彼女の目の前には、広大な畑が延々と続き、びっしりと生えたヒマワリの黄色い花が海のよう広がっている。

 もうだいぶ実が登熟しているのか、やや萎れてくすんだ色にはなっているが、それでも派手な黄色の大絨毯は壮大この上なかった。


 ユニたちはヨーコの進言に従い、かなり遠回りとなるが北に進路をとった。

 二、三キロも進むと、これまでの緑の小麦畑から一転して、黄色の大海原が現れたのだ。

 ヒマワリは高さが二メートル近くまで伸びて、丸く大きな花の中央には茶色い種が育っていた。

 この高さの畑に入り込めば、確かに身を隠すには十分と思われた。


 ユニが素っ頓狂な叫び声を上げたのを見て、マリウスはげんな顔をした。

「ヒマワリが珍しいですか? 王国にだってあるでしょう」

 彼女はぶんぶんと首を振った。

「そりゃヒマワリくらい知ってるわよ。

 でも今は十一月よ? ヒマワリって夏のもんでしょ!

 なんで今頃まで咲いているのよ?」


 マリウスはますます不思議そうな顔をする。

「何でって……これは晩成おくて種ですからね。今頃実を付けるのが普通ですよ?

 夏に収穫するのは早生わせ種で五月から七月くらいに種を蒔いて、花をつけるまで六、七十日ってところです。

 晩成種は八、九月に種を蒔きますけど、花をつけるまで八十日近くかかるんです。

 当然、晩成種の方が大きくて重い種が収穫できますから、帝国じゃ秋咲きの方が主流ですよ」


「そっ、そうなの?

 でも、なんでこんなに広い畑にいっぱい……。

 ヒマワリの種って油を搾るのよね?

 それとも帝国じゃオウムやハムスターを飼うのが流行なの?」


「何を寝呆けたこと言ってるんですか。

 ヒマワリの種は小さくとも高脂質・高カロリー、おまけに保存が利きますから、軍の行軍食として大量生産されているんですよ。

 そんなことより、あの先の方に小さな小屋があるのが見えますか?

 多分灌漑用の水車小屋だと思いますけど、もう登熟期ですから水を落としているはずです。

 アッシュはあそこに寝かせましょう。オオカミたちはその周囲に身を隠してもらって、追跡者の警戒に当たらせてください」

 そう言うと、マリウスはアッシュをおぶったまま、さっさと背の高いヒマワリ畑の中へと分け入り、姿を消してしまった。

 

 彼の見立てどおり小さな小屋は無人で、水車も動きを止めていた。

 小屋の床は土間ではなく、一応板張りになっていて、隅には小麦の藁束が積んであった。

 マリウスは藁を床に敷き、その上に自分の外套を敷いて即席の寝床をつくり、アッシュをそっと横たえた。そして外套で身をくるむようにして、寒くならないように気を配った。

 ユニは外でオオカミたちに配置と見張りの指示をしてから戻ってきた。


 まだ外は明るく、日が落ちるまで数時間あったが、二人は黙ったまま乾パンと干肉、そして水だけという早い夕食を摂った。

 食べ終わったユニは、下ろした背嚢からツェルト用の防水布を引っ張り出し、背嚢を枕にすると防水布で身をくるんでごろりと床の上に転がった。

 その前にもう一枚の防水布をマリウスの方に放り投げ、「使っていいわよ」と声をかけた。

「どうも」

 マリウスもそう短く答えて、同じように布にくるまって床に転がった。

 二人が小屋に入って交わした言葉はたったそれだけだった。


 朝の戦闘から休む間もなく、ユニもマリウスも疲労困憊で強行軍に耐えてきたのだ。

 一分もしないうちに静かな小屋に寝息が響き、二人とも泥のように眠りこけていた。


      *       *


 アッシュが目覚めたのは、結局翌日の十時頃だった。

 顔色が悪く、ひどくだるそうだったが、とりあえず動くことはできた。

 ユニたちはとっくに朝食を済ませていたので、彼女はオオカミたちが運んでくれた自分の肩掛けカバンから〝エルフの焼き菓子〟を取り出して一人でぼそぼそと食べ始めた。


 その間に、彼女が吸血鬼化して身体を修復した後、魔導王によって術を解かれて眠らされたこと、そしてユニとネクタリウスの間で交わされた会話の要点などが、ユニの口からかいつまんで説明された。


「待て、ユニ。

 何だその魔導王とかネクタリウスというのは?」

 アッシュの最初の質問に、ユニは遠慮することなく〝うんざり〟した顔を見せた。


「あー、もう! あんたたちエルフは、どうしてそこまで名前に執着するのかしら!

 いい? 〝魔導王ネクタリウス〟これが先のエルフ王が自ら名乗った人間風の名前なの!

 そういうことに決まったんだから、お願いだからあれこれ聞かずに納得してちょうだい!」


 アッシュは大いに不満そうだったが、渋々ユニの言葉を受け入れた。

 名前の件を別にすれば、彼女もユニが語った魔人の心臓やクロウラの話に強い衝撃を受けたようだった。

「おのれ……ウエマクめ、私にはそのようなこと、一言も言わなかったぞ!」


 ユニは魔導王からエルフが種族として黒蛇一族を嫌っている理由を教えてもらったので、その悪態にあまり驚かなかった。

「あー、そうなの。

 ネクタリウスは帝国が教えてくれなかったって怒ってたけどね」


 そして彼がアッシュだけでなくユニたちをも帝国から守り、無事に脱出させてくれたことを聞くと、わずかに微笑んだ。

「そうか……おじさまが私を救ってくれたのだな。

 では、禁呪によって悪鬼と化した私は、結局誰も殺さなかったということか……」


 森を出てからのことは特に話すほどでもなく、現在は帝都からわずか二十数キロしか離れていないこと、アッシュが目覚めるまでヒマワリ畑に隠れていたこと……その程度の話で説明は終わった。

「それで、これからどうするのだ?」


 ユニは水車小屋のしとみ窓の隙間から差し込んでくる日の光を見上げた。

「まだ日は高いから、このまま隠れているわ。

 帝国が追手を差し向けているのは確実だから、夜になったら出発して日が昇るまで可能な限り距離を稼ぐ。

 追手を引き離して、裏ノルド道にどれだけ早くたどり着くかが勝負ね」


 ここで二人の会話を黙って聞いていたマリウスが口を挟んだ。

「ところでアッシュさんの魔力はどれだけ回復したのですか?

 もう魔法は使えるのでしょうか……」

 彼女は首を横に振った。

「情けないが、まだ動けるようになったという程度だ。まともな魔法は使えないな。

 十分な魔力が回復するには、最低でもあと三日はかかると思う」


「そうですか……」

 溜め息こそ洩らさなかったが、アッシュの戦力を当てにしたいマリウスが失望しているのは明らかだった。

「帝国がエルフの王から魔法の情報を引き出している――そんなこと彼らは絶対に知られたくないでしょうからね。

 それにこっちが魔導士にエルフ、そして召喚士という構成だということもバレてますから、追手はそれなりの戦力を当ててくるはずです。

 アッシュさんが完全復活するまでは、見つかりたくはありませんね。

 ……ん? ユニさん、どうかしましたか?」


 マリウスの目に、上を向いて身動きせず、何かに耳を澄ませているようなユニの表情が映った。

 外のオオカミたちと通信している――マリウスはすぐに理解した。

 やがてこちらを振り向いたユニの顔は固く強張っていた。


「残念ながらその追手よ! もう南北は敵兵に固められたみたい。

 奴ら、犬を使って追跡してきたみたいだわ!」


      *       *


「配置終わりました!」

 北側の通信魔導士からの念話が入った。

 マグス大佐は頷くと、傍らに立つ副隊長のカメリア少佐に命じる。

「イアコフとイムラエルを呼べ」


「はっ」

 少佐は短く答えると、すぐに後ろに控えていた伝令兵を走らせた。

 一分と経たずに二人の若い兵士がやってきて、大佐の前できびきびとした動作で敬礼をした。

 二人とも官給品ではない・・・・・・・真新しい士官服を着ている。首の徽章は魔導少尉である。

 イアコフは背はそれほど高くないが、金髪の巻き毛をやや長めに伸ばしている。長いまつ毛と涼し気な青い目をしていて、女が放っておかないような美青年だった。

 イムラエルの方は逆に背が高く、色白で整った顔立ちのやはり美しい青年だった。マグス大佐と同じ赤毛だがさらさらの髪質で、クルーカットと呼ばれる短めの髪形をしていた。


「お前たち、人を殺したことはあるか?」

 天気の話をするような気軽な口調でマグス大佐が訊ねる。

 ふたりはちら・・と目を合わせ、イアコフが代表して答えた。

「いえ、魔法では・・・・二人ともまだ経験はありません」


 大佐は目の前に広がる光景を凝視しており、二人には視線を向けないまま会話を続ける。

「そうか、ではよい経験になるな。

 このヒマワリ畑を見ろ。このどこかに逃亡者が潜んでいる。

 これから私が爆裂魔法でネズミを追い立てる。

 南北はがっちり抑えてあるから東西にしか出口はない。

 逆戻りの西は論外だから、奴らは東に逃げるしかない。

 お前たちは一般兵を三十人ばかり連れて東で待ち伏せろ。

 追い立てられた奴らが出てきたら、ファイアボールを叩き込め。

 どうせ爆裂魔法で巻き上げられた土砂を防ぐため対物防御を張っているだろうから、それでこんがり焼けるはずだ。この機会に人間の脂が焼ける臭いをよく覚えておくことだな。

 万が一にも対魔防御を使っていたら、一般兵にいしゆみで攻撃させろ。十人三段の陣を敷いて絶対に逃すな。

 いいな!」


「はっ!」

 二人の若者は声を揃えて敬礼し、すぐさま駆け去っていった。

 その後姿を見送ったカメリア少佐は、マグス大佐の側に寄り小声でささやいた。

「あの二人、大隊長が近衛教導団から引き抜いてきた子たちですね。

 いきなり中隊規模の兵を任せて大丈夫でしょうか?」


 マグス大佐は「ふふん」と鼻で笑い飛ばした。

「この私が青二才どもの中から引き上げたんだぞ。

 心配はいらん、あいつらは逸材だ。私を信じろ!」


 自信満々で言い切った大佐であったが、副隊長が何も言わないのには少々鼻白んだ。

「……いや、奴らの顔がいいのは認めるが、偶然だぞ?

 誓って言うが、私によこしまな気持ちはないからな!」


 大隊長の言い訳に、カメリア少佐は半眼になって冷たい視線を送る。

「あー! 貴様、信じていないな?

 これでも仕事と趣味を混同したことなど一度もないのだぞ!」

「それは……私が人事部から聞いた話とはずいぶん違いますが――」

 マグス大佐は顔を紅潮させて怒鳴った。

「なっ……貴様っ、人事から何を聞いたと言うのだ? 言えっ、今すぐ吐けっ!」


 大隊長の赤毛が興奮でぶわりと広がったのを見て、忠実な副隊長たる少佐は「やり過ぎたかな」と少しばかり反省した。

「あー、はいはい。分かりましたから。

 それより大隊長、いいかげん呪文の詠唱を始めてください!

 向こうもオオカミがいるのですから、包囲に気づかれて逃がしたらシャレになりませんよ」


 数秒後、マグス大佐は満面に不満の表情を浮かべながらも呪文の詠唱に入っていた。

 側近くに控えていた通信魔導士や伝令兵たちは、涼しい顔でそれを見守っている副隊長の姿に戦慄した。

 マグス大佐と言えば〝歩く危険物〟として全軍の間で有名な人物である。

 彼らはその上司と同じ隊に配属されてまだ間もないのだが、すでにして覚っていた。


「本当に恐ろしいのは、副隊長かもしれない……」

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