悠久の魔導王 第二十話 追跡指令

「これも駄目だ。次はないのか?」

 無造作に机の上に置かれた書類箱に、数枚の身上書が放り投げられ、ぱさりという乾いた音を立てて先客の上に重なった。


「次なんてものはない!

 いいかげんにしたまえ、マグス大佐」

 うんざりとした顔で男が吐き捨てた。

 でっぷりと肥えた身体を無理やり軍服に押し込んだような中年の男は、大佐と同じ階級章を襟元につけている。


「なんだ人事部長、まだいたのか?」

 マグス大佐は、たった今気づいたと言わんばかりの顔をする。

 人事部長と呼ばれた男――ターレント大佐は、彼女が放り投げた書類を拾い上げた。


「貴官が戦闘経験がない者はいらんと言うから、わざわざかき集めたのだぞ!

 一体、彼のどこが気に入らんと言うのだ?」

 禿げ上がったターレントの額には、晩秋だというのに汗が滲んでいる。


「戦闘経験?

 その男の経歴をよく読んでから言ってほしいものだ。

 カレーネンの戦いに兵卒として従軍とある。確かに戦闘処女ではないだろう。

 だが、あの戦いはわが軍が十倍もの戦力をもって、孤立した敵軍を包囲殲滅した作戦だ。

 占領地の娘を手籠めにするより楽ないくさを、貴官は戦闘経験と言われるのか?

 私が求めているのは、生きるか死ぬかの地獄をかいくぐったことのある、まともな兵隊だ。

 戦いが始まったとたんに、しゃがみこんでクソを漏らすような新兵に用はない!」


 人事部長のこめかみには静脈が浮かび上がり、ひくひくと痙攣している。

「いいだろう!

 だがな、貴官がどれだけわめこうが、もう融通できる兵員はこのリストが最後だ!

 気に入らないならそれでいい。定員不足のまま部隊を編成するがよいだろう。

 人事部はもはや貴官の要求には応じない。左様心得たまえ!」


 ターレント大佐はそう捨て台詞を残すと、手にした書類を傍らに控えていたカメリア少佐の胸に荒々しく押し付けると、自ら扉を開けて部屋を出ていった。

 もちろん、嫌味ったらしく大きな音を立て扉を叩きつけていくことを忘れない。

 一応、敬礼してそれを見送ったカメリア少佐は、溜め息をついて振り返った。


「大隊長、別に人事部長の肩を持つつもりはありませんが、そろそろ妥協されてはいかがですか?

 彼らがリストを出し直してくれたのは、もうこれで三度目です。

 人事はよくやってくれていると思いますが……」


「分かっている……」

 マグス大佐はそう言うと、椅子に身体を預けて大きな溜め息をついた。

 この部屋で一番大きく上等な将校用の机と椅子。

 その机の上に不作法にも軍靴を乗せ、クッションの効いた椅子に身体を半分沈み込ませた女性が、この部屋の主であるミア・マグス魔導大佐であった。


 ここは黒曜宮に隣接する軍司令部の一室である。

 もともと空き部屋となっていた将校用の個室を占拠して、彼女は部隊編成の人選に取り組んでいた。


「獣人族との戦い、それに続くノルド進駐作戦で、私の子飼いの部下たちの半数を失ったのだ。

 それなのに人事は生き残った部下を、全員私から取り上げたのだぞ?

 少しくらい我が儘を言っても罰は当たるまい。

 これからどこの馬の骨かも分からない部下を一から鍛え直さなくてはならないのだ。私でなくても、まともな指揮官なら部下の選定に慎重になるだろうよ」


 上司の愚痴を聞かされた少佐は、駄々っ子をなだめるような口調で諭した。

「大隊長の部下たちは、部隊指揮の経験がないのに全員中隊長として転出したのですよ。

 普通じゃあり得ない異例の昇進です。

 それだけ〝マグス大佐の部下〟という肩書が物を言ったのですから、上司としては喜ぶべきではないのですか?」


 マグス大佐は机に乗せた足を踏ん張って、椅子の背もたれに身体を圧しつけた。

「ふん、あいつらにはまだ教えることが山ほどあったのだ。

 だが、まぁ……中隊長程度だったら朝飯前にこなすだろう。何せ私が鍛えたのだからな」

 結局、大佐は部下の栄達が嬉しく誇らしいのだ。カメリア少佐は内心可笑おかしくて堪らなかった。


      *       *


 マグス大佐は半年余りにわたって帝都の近衛教導団で指導教官を務めていた。

 ノルド進駐作戦敗退――というより、東西交通の命綱である大隧道崩壊の責任を問われた、一種の懲罰人事である。

 人事部は、彼女が戦場でこそ真価を発揮する根っからの現場主義者であり、安閑とした後方勤務をかつのように嫌っていることを熟知していた。

 見所のある若手魔導士を鍛え上げ、幹部候補生として現場に送り込むことは、立派な仕事であったが、マグス大佐にとっては〝嫌がらせ〟以外の何ものでもないことを知っていて異動させたのである。


 その役職も、やっと解かれることになった。上司のクルスト中将が「半年もすれば、現場が悲鳴を上げる。それまで辛抱しろ」と言ったとおりで、帝国軍で最大の攻撃呪文を操るマグス大佐の派遣要請は、あらゆる戦線の現場指揮官からの嘆願書という形で人事部長の机に山積みとなり、雪崩を起こしそうな勢いとなったのである。


 マグス大佐はとりあえず指導教官の任を解かれ、一か月ほど大隧道の復旧工事に協力したのち帝都に戻り、遊撃を目的とした独立混成大隊(通常の大隊より魔導士の比率が高い)を編成するよう命令された。

 要するに戦線に穴が開き、ここを突破されたら全軍が崩壊する――そんな切迫した現場に投入される〝火消し屋〟、参謀本部にとっては〝便利屋〟を命じられたわけだ。

 編成に当たっては、多くの戦場で苦楽をともにしてきた彼女の子飼いの魔導士たちが全員大佐のもとから引き剥がされ、彼らは将来有望な指揮官として新たなキャリアを踏み出すことになった。


 マグス大佐には、崩落した大隧道で壊滅した約一個軍の生き残りのうち、骨折などで一定期間の療養やリハビリが必要だったため復帰が遅れていた者たちがあてがわれた。その多くは軍歴二、三年の若い兵士であった。

 ただし、全てが経験の浅い兵で編成されるのはさすがに可哀そうだという声があったため、非常時には代理として部隊の指揮を執る副隊長の人事は、大佐の希望を全面的に尊重することになった。

 その結果、大佐が指名したのがカメリア・カーン魔導大尉であった。


 カメリア大尉は重力魔導士で、巨岩を重力魔法で浮かび上がらせ、そこにとんでもない加速を与えて敵城壁を粉砕する、バリスタと呼ばれる攻城魔法を得意としていた。

 軍の魔導士官養成機関ではマグス大佐の後輩だったので、お互い顔は知っていたのだが、初めて一緒に戦ったのがノルド進駐作戦であった。

 大尉は自身の中隊を指揮して最前線に立つばかりか、戦列を組む他の中隊と連携して王国の幻獣と渡り合い、実質的な大隊指揮官を務めていた。その姿を見たマグス大佐は、極めて高く彼女を評価していたのである。

 味方魔導士の防御障壁を剣で切り裂くという非常識なことをして、帝国の最前線を崩壊させつつあった王国の鎧女アスカを倒したのもカメリア大尉であった。

 バリスタで鎧女を攻撃させるため彼女を前線から呼び戻した際、〝爆炎の魔女〟と恐れられていた全軍の指揮官に対し真っ向から食って掛かった度胸も、大佐の大いに気に入ったところであった。


「カメリア大尉を副隊長として迎え入れたい。ついては、大隊指揮を任せる場面が想定されるので、大尉から少佐への昇進を併せて希望する」

 マグス大佐のこの要望を、人事部は拍子抜けするくらいにあっさりと受け入れた。

「人事部はどんな要請であろうと、まず最初に〝しかめっ面〟をする」――それが帝国軍の常識であった。それなのに……である。


 大佐は人事部が即日辞令を発した後、改めてカメリア大尉(現少佐)の経歴を見直してみた。

 彼女の軍歴は申し分なかった。

 数々の激戦を潜り抜けて多大な戦果を挙げており、部下からも篤く慕われていることがはっきりと記録されている。

 だが、それにしては大尉に昇進してから五年近く同じ中隊の指揮官を延々と務めている。

 普通だったらとっくに佐官に昇進し、大隊長になってもおかしくないはずだった。


 ただ、彼女が着任してまだ三日目である。初日は任官の報告だけだったので、実質的に一緒に働くのは今日で二日目だ。

 多少不愛想で、マグス大佐を恐れることなくずけずけと物を言うのはすでに承知していることで、ほかにこれと言ってカメリア少佐に変わったところはない。

 むしろ意外なくらいによく気がつき、他部署の将官とも如才なく付き合っているように見えた。


 マグス大佐は溜め息をついて、身体が沈み込み過ぎるきらいのある椅子に座り直した。

 机の上の書類入れの身上書の束を取り上げると、採用しても部隊に害を及ばさない・・・・・・・兵を見つけ出すべく書類を再点検しはじめた。

 カメリア少佐は上司が諦めの境地に入ったのをあからさまに歓迎した。

 結局のところ、人事と喧嘩しても得になることはない。それがこの世の真実なのだ。


 少佐は人事部長から押し付けられた兵士の身上書を、大佐の机の上に置かれた「没」の書類入れに戻し入れた。

 書類に没頭していたマグス大佐は、何の気なしにその動きに目をやった。

 マグス大佐と言えば、その赤毛と目つきの悪さがトレードマークである。

 大佐は近視であるのに眼鏡を嫌っており、何かをよく見ようとすると目を細める癖があるので、いっそう悪人顔となる。


「副隊長、貴様の制服……もしかして官給品ではないか?」

 カメリア少佐はきょとんとした顔で答える。

「はぁ、もちろんそうですが、それが何か?」


 マグス大佐はできるだけ冷静に、噛んで含めるように言葉を絞り出した。

「貴様は一応佐官になったのだぞ?

 ……官給品の制服のままで恥ずかしくはないのか?」

 副隊長は首を傾げたままである。

「別に軍規には違反しておりませんし……何か問題でも?」


 マグス大佐は頭を抱えた。

 何となく人事がこっちの要望を素直に聞いてくれた裏が読めたような気がする。――要するにこいつも・・・・変人なのだ!


      *       *


 帝国は日常的にどこかの国と戦争をしている。

 そのため官給品である武器や防具の中古品が、当たり前のように市場で流通していた。

 それらの大半は〝戦場で拾ったもの〟である。つまりは戦死者から引っ剥がしたものだ。


 これとは別に、軍服の場合は結構な数の〝新古品〟が出回っている。

 軍が支給する軍服は、目の詰まった分厚い生地が使用されている。

 ひたすら丈夫で、少々の雨でも水が沁み込むことのない、軍服としてはある意味極めて実用的な代物である。

 しかし、それだけに着心地はごわごわで、通気性はないに等しく、非常に重い。


 軍事的な機能面と、兵士の感じる快適性を秤にかけた場合、軍がどちらを優先するかは自明の理である。

 一般兵は、当然それで我慢せざるを得ない。

 しかし将校(少尉以上)になると、慣例的に自腹で制服を仕立てることが認められていた。


 当然軽く、通気性がよく、柔らかくて着心地がよい上等な生地で仕立てるのが一般的である。

 その際、官給品の軍服は下取りに出され、それが市場に出回ることになる。

 もっともタダで支給されたものを、わざわざ自腹で買い直すくらいの出来であるから、いくら安値で市場に流れても圧倒的に不人気なままで、染め直して農作業用の雨合羽代わりにされるのが関の山であった。


 ところがこの新古品軍服は二束三文の廉価ではあっても、継続的にしかも大量に購入してくれるお得意さんが存在していた。

 そのお得意様の正体とは……実は軍の装備部である。

 正規の生産品と同じものが、正価の二割ほどで手に入るのである。経費節減に努める装備部が見逃すはずがない。

 よくよく考えれば、とんでもない矛盾を孕んだリサイクルだが、これがまかり通るのもまた、帝国軍の現実であった。


      *       *


 マグス大佐は机に向かい、軍の便箋に走り書きをしてカメリア少佐に突き出した。

「今日の帰りにでもこの店に行け。

 貴様は標準体型だからオーダー注文服でなくてもレディメード既製服で間に合うだろう。

 明日から官給品の着用は禁ずる。私が恥をかくのだ! いいな?」


 紙片を押し付けられた少佐は露骨に「えぇ~(面倒くさい)」という顔をした。

 青い大きな目、そばかすの浮いた低い鼻に小さな唇。くせっ毛の金髪は短めだ。背も低く童顔だと言えるが、実際にはもう三十代の半ばを超している。

 渡されたメモには大佐の行きつけと思われる店の名、そして「この者の請求は私に付け回せ」という一文と、大佐の署名が記されていた。

『これは……やはり大佐に礼を言うべきだろうか』

 少佐が悩んでいると、扉の外からノックをする音が聞こえてきた。


 カメリア少佐はメモを軍服のポケットに押し込むと、「どうぞ」と入室の許可を与えた。

「失礼します!」

 少し裏返り気味の声をあげて扉を開けたのは、まだ顔に幼さを残した若い兵士だった。


 濃い栗色の髪を短く刈った中肉中背の青年――多分ようやく二十歳になったかどうかという年齢だろう。

 顔にあからさまな緊張と恐怖を浮かべているところを見ると、〝爆炎の魔女〟の噂を十分に聞いている程度の軍歴はあるのだろう。


「マグス大佐麾下第五〇一独立混成大隊に対し、敵勢力の追跡・捕縛を命じる緊急指令です!」

 若い兵士は直立不動で敬礼してそう叫ぶと、そのまま微動だにしない。

 もっともカメリア少佐は、彼の膝がしらがぷるぷると震えているのに気づいていた。


 マグス大佐は若者が入室した際だけ、ちらりと視線を走らせたが、あとは自身が手にした身上書の束から目を離さなかった。

「私は今、忙しい……のだがな。

 まぁいい。読め!」


 若者は「はっ!」と短く答え、書類挟みに閉じられた伝令文を開いて読み上げた。

「本日未明、高度魔法研究所が保護する重要人物の拉致を試みた侵入者あり。

 事前に情報を得た警備部は一個大隊をもって敵の意図をくじいたものの、遺憾ながらその捕縛には失敗し、侵入者は現在なお逃走しつつあり。

 貴官とその大隊は、現有戦力をもってこれを追跡し、可能であれば拘束せよ!」


「はぁ?」

 マグス大佐は書類から目を上げ、若い兵士を睨んだ。

「帝都に敵の侵入を許した上、一個大隊を差し向けて取り逃がしただと?」

「はっ、そのようでありますっ!」


 古参兵でも震え上がる、マグス大佐の低いしわがれ声の迫力に、若い兵士はすっかり委縮している。

『気の毒にまぁ……』

 大佐の傍らで成り行きを見守っているカメリア少佐は、若い兵士に同情を禁じ得ない。

 文面の読み上げ方から、彼が正規の伝令兵でないことは明らかだった(まぁ、見た目でもそれと分かったが)。


 きちんと訓練を受けた伝令兵なら、相手に口を挟む隙を与えずに最後まで一気に命令を読み上げるはずである。

 軍の伝令文は簡潔だが必要十分な要素で構成されている。したがって途中で相手が反問した場合、かなりの確率でその答えは続きの伝文中で説明されているのだ。

 しかし、それを聞いた相手は十中八九「なぜそれを早く言わん!」と理不尽に怒鳴るのである。


「それで、その敵は何人だ?

 一個大隊を投入したということは、十人……いや二十人規模の集団だったということか。

 それほどの敵の侵入を許したとは……帝都防衛はどうなっているのだ!」

 大佐の怒声に若い兵士は自らの致命的な失敗を覚ったが、もはやどうしようもなかった。

 彼は恐る恐る伝令文の続きを読み上げた。


「侵入・逃走した敵は三名……」

「何だとぉーーーっ!」

 大佐の怒号に、若い男は「ひいっ」という小さな悲鳴を上げて身をすくめた。


『あー……、だからそこで止めちゃ駄目なんだって!

 大佐が怒鳴っても、最後まで言い切らなきゃ。

 大佐だって命令の方が大事だって分かってるんだから、こっちが引かなけりゃ大人しく聞いてくれるのに……』


 カメリア少佐は心の中で溜め息をつき、気の毒な兵士に後でアドバイスをしてあげようと心に誓った。

 上級士官であり、妙齢(三十六歳)の独身女性としては当然の心遣いである。

 若い兵士がなかなかの美形であったことは、……多分関係がないだろう。


「どういうことだっ!

 たった三人で高魔研の実験材料に近づいた?

 それに一個大隊を投入?

 百人前後で囲んで逃げられただと?

 高魔研の爺いどもは、いよいよけたのか!」


「あ……あの、あの!」

 伝令の男はもはや涙目になっている。

「何だ! まだ何かあるのかっ!」

 大佐の罵声に彼は精一杯の勇気を振り絞って付け加えた。


「三人の賊に加えて、八頭の巨大なオオカミの攻撃を受けたことが確認されておりますっ!」

「オオカミ――」

 怒鳴りかけたマグス大佐を遮り、男は悲鳴にも似た声で伝文を読み続けた。


「三人の賊の一人はリスト王国の召喚士、オオカミはその者の幻獣と見られます!

 マグス大佐が何度か報告したユニという二級召喚士ではないかと思われます」

「ユニだと――」

「さらにっ!」

 兵士は必死だった。喉が切れて血が噴き出るのではないかという恐怖も、彼の裏返った叫びを止めることはなかった。


「さらに今一人は、脱走兵、元わが軍魔導中尉のマリウス・ジーンと判明しております!

 最後の一人は正体不明の女なれど、強大な魔法を操るとの情報が得られております! ただし帝国の者ではなく他国の高位魔導士だというのが、高魔研の見解でありますっ!」


 兵士は言うべきことを全て吐き出し、ぜいぜいと肩で息をした。

 広げていた伝令文からやっと目を上げ、マグス大佐の顔を見た男は「ひっ!」と再び悲鳴を上げた。

 睨むことで人を殺せるのなら、恐らく二ダースは死者が出ていただろう――彼女はそんな凄まじい顔をしていた。

 くせっ毛の酷い赤毛は静電気でぶわっと広がり、ぱちぱちと放電する音がはっきりと聞こえる。

 大佐は薄い唇をぎりぎりと噛み、口の端からは血が滲んでいた。


「王国のオオカミ娘だと……?

 それにマリウス! あのにやけ男は生きていたのか……!」


 親指の爪をガリガリと噛み、ぶつぶつ呟くマグス大佐の姿は、鬼気迫るものがあった。

 話に出てきたユニとマリウスという二人は、何かで大佐の恨みを買っていたのだろうということが、カメリア少佐にも察せられた。

『自分の思考に没頭している大佐は、ちょうどいいから少しそっとしておこう』

 そう考えた副隊長は、可哀そうに震え上がっている若い兵士を落ち着かせるように質問した。


「私たち第五〇一独立混成大隊は、現在編成のため兵員を選定している段階です。

 配属の辞令が出て、この軍司令部に出頭した者全てを合わせても、定員の五割に満ちません。

 この状態で出動を命じられるのは、さすがに無理があるように思います。

 失礼ながら、発令者はどなたなのでしょう?」


 落ち着いた声で質問するカメリア少佐に対し、若い兵士は明らかにほっとした様子を見せた。

 そして、慌てて書類挟みを取り上げ、もう一度伝令文に目をやった。


「発令者は第一魔導師団師団長、クルスト中将となっております」

 その名前に反応したかのように、マグス大佐が顔をあげた。

 彼女は夢から覚めたように、きりっとした指揮官の表情を取り戻していた。


中将あのかたが発令者ということは、こっちの事情を知った上の話だな。

 つまり私とカメリア少佐、それに何人か役に立つ魔導士がいればそれでいい、一般兵はどうでもよいということか。

 副隊長! 貴様は兵に昼食を早めにとらせ、全隊を行軍装備で中庭に集合させろ。一三〇〇ひとさんまるまるに進発する」

「大隊長はいかがなされるのですか?」

「私か? 私は捜索大隊に借り物をしてくる。

 誰かを使いにやってもいいが、私が直接行った方が早いだろう。

 分かったらとっとと行け!」


 カメリア少佐は即座に敬礼すると、隊長の命を果たすべく部屋を駆け出していった。

 マグス大佐は、退出する機会を掴めないまま、居心地が悪そうに突っ立っている若い男をじろりと睨んだ。

 よく見ると、皺ひとつない軍服を完璧に着こなした、いかにも初々ういういしい新兵だ。

 そこそこ可愛らしい顔をしているし、少し肉が足りないが引き締まった、具合よさげ・・・な身体つきをしている。

 この若者をベッドにくくりつけ、そそり立ったモノを根元で縛って思う存分犯しまくったらどんなにか楽しいだろう……。


 大佐がよからぬ思いに下着を湿らせていると突然部屋の扉が開き、出ていったはずのカメリア少佐が隙間から顔を出した。

「まさかとは思いますが、よその隊の新兵に手を出さないでくださいね!」

 彼女はそれだけ言うと顔を引っ込め、素早く扉を閉めた。

 一瞬遅れて閉まった扉に灰皿がぶち当たり、ごとんという重い音を立てて絨毯の上に落ちた。

 軍司令部の灰皿は投げても割れないように石でできている。うまく兵隊に当たれば頭をかち割ることができて一石二鳥なのだ。


 マグス大佐は「ちっ」と小さく舌打ちをして、気を取り直した。

 無論、副隊長に嫌味を言われるまでもない。ちょっと妄想にふけっただけであって、自分はあくまで常識人なのだ。

 頭を振ると、ぽかんとした間抜け面で立ち尽くしている新兵の存在を思い出した。


「なんだ貴様、まだいたのか。

 まぁいい、一応確認しておく。敵は見つけ次第殺してよいのだな?」


 若い兵士は慌てて書類挟みを目の高さに持ち上げた。

「いっ、いえ!

 命令では『可能であれば拘束せよ』とあります!

 つまり殺さず生け捕りしろということかと愚考いたします」


 マグス大佐はけらけらと笑った。

「いいか小僧、貴様に軍の常識というものをレクチャーしてやろう。

 その手の命令はな、『やむを得なかったと言い訳して皆殺しにしろ』と読み替えるのだ。

 よぉ~く覚えておけ!」


 マグス大佐はねっとりといた口調でそう言い捨てると、にやりと笑った。

 情欲にまみれたその悪魔のような表情を、若い兵士は生涯忘れることができなかった。

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