悠久の魔導王 第十九話 約束

 それまで丁寧な口調で話していたネクタリウスの、有無を言わさぬ詰問にユニは口ごもった。

「そ、それは……私がこの目で見たから……、いえ、実際に戦ったからです! ――魔人の心臓で生み出された巨人や吸血鬼たちと」


 ネクタリウスは「信じられない」という表情で目を見開いた。

「見た? ……それと戦っただと?

 にわかには信じられんが……頼む、詳しい話を聞かせてくれないか!」

 魔導王の表情は真剣なものだったが、先ほどまでの殺気はいつの間にか消え去っていた。


 ユニはルカ大公国とナサル首長国連邦の戦闘で出現した〝青い魔人〟、そして赤城市を襲った吸血鬼ナイラとその滅びの経緯をかいつまんで説明した。


「それで、魔人の心臓はどうなったのだ?

 吸血鬼の肉体は滅ぼせても、人間があの魔宝具を破壊することは不可能なはずだ!

 あれは! あれは今、どこにあるのだ!?」

 気圧されたユニは、それがウエマクの宝物庫に回収され、かの黒蛇の管理下にあることを正直に話した。


 それを聞いたネクタリウスは、傍目にもはっきりと分かるほど肩を落とし、落胆した。

「そうか……あの蛇め! そこまでやるというのか……」

 絞り出すような言葉には、悔しさが溢れ出ている。


「あのぉ~、ネクタリウス様?」

「……なんだね?」

 脱力したまま物憂げに答えた魔導王に、ユニは恐る恐る訊ねた。

「エルフはウエマク様に何か恨みでもあるのでしょうか?

 アッシュもそうでしたけど、ネクタリウス様からも言葉の端々にもの凄い悪意を感じるのですが……」


 王は「ああ」と今気づいたような顔をした。

「君たちにとって、あの蛇は神獣だったのだな。

 まぁ、ウエマクとは直接会ったことはないからね。個人的な恨みがあるわけではないんだよ。

 ユニはエルフとドワーフが仲が悪いという話を聞いたことがあるかね?」


「はぁ……割と有名な話ですから」

 ユニはげんな顔で答える。

「仲が悪いというのは実際そのとおりなのだが、エルフがドワーフを嫌う理由についてはどうだね?」

「それは……存じません」


 ネクタリウスは自嘲気味な笑顔を見せた。

「知ってのとおりドワーフは地下に穴を掘って住んでいる。

 エルフはその地下を黄泉よみの国――つまり死者と魔物が住まう不浄の地として忌避きひしているのだ。それが理由だね」

「え? それだけですか……」

「ああ、それだけの理由だ」


 エルフの王は溜め息をついた。

「種族間の争いなど、所詮はそんなくだらないことが理由だったりするのだよ。

 私たちも理性では理解しているのだ。ドワーフが地下を好むのは、鉱物を採取して加工するという彼らの生き方に則った本能のようなものだと。

 彼らが何か邪悪なことをしているわけではないし、エルフに危害を加えたこともない。

 だからエルフとドワーフの間には、ある程度の交流があるし、交易も行われている。

 だが、エルフがドワーフに感じる嫌悪感はわれわれ自身どうしようもないのだ。

 そして、それはドワーフにも伝わる。

 彼らは誇り高い民族だ。自分たちを蔑みの目で見るエルフを許せないと感じるのは当然だろう……」


「ウエマクも同じなのだよ。

 あの黒蛇の一族は、何万年もの間ドワーフより遥かに深い地下で暮らしていたのだ。

 ちなみに地脈を操る力は、その間に得たものだと言われているね。

 彼らがこの地上に這い出てきたのは、数千年前というつい最近・・・・のことだ」


「それに……」

 彼の話にはまだ続きがあった。

「黒蛇の一族とは神話上の因縁があるんだ」

「え、今度は神話ですか?」

「そう、エルフに伝わる神話では、われらの祖先は神の御許、天上で暮らしていたそうだ。

 あの蛇も人間も、かつては同様に天上の住人であったということだ。

 だがある日、かの黒蛇は神に禁じられていた知恵の実を食べ、神に等しい知識を手に入れたのだ。

 そしてエルフにもその実を与え、そそのかされてそれを食べた我が祖先もまた、豊かな知識を手に入れた。

 だがあの蛇は、自分では真っ赤に熟れた実を食べたのに、エルフに与えたのはまだ十分に熟さない青い実だった。

 そのためエルフの知識は深いが、完全なものにはならなかったという。

 そして、エルフが実を食べた時、吐き出した種をこっそり拾って齧り、わずかな知恵を手に入れたのが人間だとされている。

 このことはすぐに神に知れ、禁を破ったエルフと人間は地上に追いやられ、蛇は魔物が巣食う黄泉の国へと追放された……」


「こんな神話があって、われわれエルフはあの蛇――エルフ語で人間の言葉に直訳すると〝智慧を呑む蛇〟という意味になる――、かの黒蛇ウエマクの一族を、祖先を騙して堕天させたかたきだと考えている。

 もっとも、これは神話であってどこまで本当か分からないのだ。

 多分ウエマクにしてみたら、とんだ濡れ衣、逆恨みにもほどがあるということになるかもしれないね」


      *       *


「それにしても魔人の心臓が現れ、しかも人間がそれを使用したとは……。

 このことを帝国は知っていたと思うかね?」

 ユニは頷きながら、多分魔導王はその答えを予想しているだろうなと思った。

「はい。大公国と首長国連邦の戦争は周知の事実です。

 ナイラの事件では赤城市が一か月近く都市封鎖を行いましたし、多くの商隊や行商人に被害が出ましたから、魔人の心臓のことはともかくとして、吸血鬼が現れたことは当然知っているはずです」


 ネクタリウスの目には落胆とともに小さな怒りの炎が点っていた。

「帝国の奴らめ……私を騙したのか! こちらは律義に約束を守ったというのに……」

「約束……とはどのような?」

「魔法や幻獣、怪物などに起因する事件の情報は、内外を問わず私に伝えるというものだよ。

 私の方は帝国の魔導士以外の者と接触しないこと、近づこうとする者がいたら帝国に知らせること、それが約定だった。

 だから君たちの潜入を帝国に通報したというのに……」


 ユニは彼の嘆きを聞いて、ふと思い当たることがあった。

「では、ネクタリウス様はこの数年、リスト王国で続発した事件をご存じないのですか?」

 魔導王は不機嫌そうな顔で答える。

「昨年暮れに帝国が王国領のノルド地方に進駐しようとして撃退され、ウエマクが地震で大隧道を潰した話は聞いているぞ」

「すると……クロウラの件はお聞きになっていないのでは?」

「何だね、それは?」

 エルフの眉のあたりがひくひくと震えている。


 ユニは悪魔に精神を汚染された教主アルケミスが、オークを召喚して繁殖を試み辺境を襲った事件、そしてエンシェント・ジャイアント(太古の巨人族)を触媒としてクロウラという怪物を異世界から呼び出し、王国を壊滅させようとした事件のあらましを語った。

 この事件で狂気の老教主は帝国の支援を受けていた。おそらく帝国はこの事件も魔導王に隠しているのではないか――そういう気がしたのだ。


 ユニの見立ては当たっていた。ネクタリウスは魔人の心臓以上の衝撃を受けたようだった。

「なんという愚かなことを……」

 彼はそう呟いたあと、しばらく何も言わずに俯いていた。


 やがてゆっくりと顔を上げると、首を二、三度振った。

「ユニ、それにマリウス君だったかな?

 私はこの娘アッシュを西の森へ無事に帰すつもりだったが、君たちが帝国軍に捕まるのは仕方がないと思っていた。

 だが、止めだ。

 君たちも逃がしてあげよう。

 ちょっとした意趣返しというやつだ」

 そう言うと、魔導王は少し悪い顔でにやりと笑った。


 そして眠っているアッシュの方をちらりと見たが、その瞳にはなんとも言えない悲しそうな色が浮かんでいた。

「さっきも言ったとおり、アッシュはしばらく目覚めないだろう。完全に魔力が枯渇している状態だからね。

 彼女を無事に逃がすためには、いずれにしろ君たちの助けがいるというわけだ」

「それは――ネクタリウス様が禁呪を使わなきゃならないほどアッシュを追い詰めるからです!

 自分の姪なんですから、もうちょっと手加減できなかったんですか?」

 ユニとしては、つい話を蒸し返したくなる。


「いや、身体を回復させるだけだったら、禁呪を使う必要はなかったのだよ?」

 王の意外な言葉にユニの勢いはたちまち止められてしまった。

「え? それって、どういう意味ですか?」


この娘アッシュの名前を人間の言葉に直訳すると〝龍の灰〟になると言っただろう?

 確かに直訳ではそうだが、実際には〝すべてを癒す薬〟――万能薬みたいな意味なのだよ。

 これもエルフの伝承なんだが、龍が自分の死期を覚った時、炎のブレスで自らの身体を焼いて灰にすると言われていてね、その灰はどんな傷も病も直す万能の薬だとされているんだ。

 エルフの名前には特別な力が込められている。名前の意味がその者の素質に大きく影響するのだ。

 だからアッシュは、強力な回復魔法を操る才能に恵まれていてね。腕を失い、腹に大穴が開いた状態でも、このなら自力で治すことができたはずだよ。

 もっとも、それだけの重態だと再生に相当の魔力を費やしただろうから、やはり昏睡するか、少なくとも魔法が使えない状態になったと思うけどね」


「だったらなぜ!

 どうしてアッシュはあんな危険な禁呪に頼ったのですか?」

「それは……君たちを助けようと思ったからではないかな」

「え?」


 ネクタリウスは静かに寝息を立てて横たわっている姪の黒髪を、そっと撫でた。

「自分の身体を再生すれば、しばらくは魔法が使えなくなる。

 突然殺されそうになって思わず反撃してしまったが、新たな西の森の王となったこの娘アッシュを、私だったら必ず故郷へと無事帰してくれることを彼女は疑いもしていなかっただろう。

 だが、自分はよいとしてユニとマリウスはどうなる? 当然帝国に捕まってしまうはずだ。

 尋問(拷問と言った方が正確か)は当然として、最終的には死刑になるのが目に見えている。

 だから、彼女は自らを吸血鬼化して、身体の再生と帝国軍の撃破という二つの目的を達しようとしたのだと思うよ。

 このはそうまでして君たちの命を守りたかったんだろうね」


『私の名誉にかけて君たちに恩を返そう。だから頼む!』

 帝国兵が待ち伏せる罠に足を踏み出そうとした時に、アッシュがユニとマリウスに訴えた言葉が、頭の中で不意に甦ってきた。


「アッシュが禁呪で使った紅い宝玉は、魔人の心臓のいわばイミテーションだ。

 われわれエルフが何世代にもわたって改良を続け、その毒性を弱めたものなのだ。

 だからいったん吸血鬼化しても、術を解くことで元の人間に戻ることが可能でね。

 ――ただ、それには時間的な制限がある。

 あまり長い間吸血鬼化を続けていると、元へ戻れなくなるんだ。

 そんな危険を冒してでも、君たちを救う覚悟だったということだろう」


「その覚悟は天晴あっぱれと言いたいが、可愛い姪っ子に大量殺人はさせたくなかったのでね。

 私が強制的に術を解いて眠らせた……そういうわけなのだよ」


 ネクタリウスは「やれやれ」といった感じで、白いローブの汚れを手でほろいながら立ち上がった。

「帝国兵たちにかけた魔法は、まだ二時間くらい効力があるだろう。

 その隙にアッシュを連れてこの森を脱出しなさい。

 そして、ユニ、マリウス、そしてオオカミたちよ。

 どうか西の森の若き女王が、無事に故郷に帰れるよう手を貸してくれたまえ」


 魔導王ネクタリウスはそう言うと、立ち上がったばかりの片膝を地面につけた。

 そして右手を胸にあて、深々とエルフ流のお辞儀をした。

「どうか、どうか……! 私の愛する姪を……よろしく頼む! このとおりだ!」


 秋の朝の爽やかで冷たい風がふわりと吹き渡ると、止まっていた時間が動き出した。

 ネクタリウスは再び立ち上がり、懐から何かの小さな包みを取り出し、ユニの手に握らせた。

「これをアッシュが目覚めたら渡してほしい。困った時に役立つだろう。

 それと……ユニ、君には感謝する。

 私は危うく何も知らない〝間抜け〟になるところだった。

 魔人の心臓やクロウラのことは、帝国の連中と交渉する上でのよいカードとなるだろう。

 エルフの誇りにかけてこの恩は返したいところだが……再び会うのは難しいだろうな。何か……」


「でしたら!」

 ユニは思い切って叫んだ。

「でしたら、一つだけ教えてください!

 魔導王はなぜ、帝国に協力して恐ろしい魔法を教えるのですか?

 あなたの目的とは、一体なんなのですか!?」


 西の森の先王にしてエルフの大魔導士、魔導王ネクタリウスは苦笑した。

「さすがにその質問には答えられない。

 だが、恩返しに一つヒントをあげよう。

 先ほど君は、アルケミスの村では人間の女にオークを生ませて繁殖していたと言ったね?」

 ユニは黙って頷いた。あれは今思い返しても虫唾が走る出来事だった。


「なぜ、人間が種族の違うオークの子を孕むことができるのか、その理由を考えてみたまえ。

 そして、その先にある真実を探るのだ。

 そうすれば、自ずと答えは見えてくるだろう……」


「と、謎めいた言葉を残し、私は忽然と姿をかき消すのであった――。

 ……いや、その前にまだやることがあったな。

 君たち、ちょっとこっちへ来て順番に並びなさい」

 ネクタリウスはオオカミたちに手招きをした。


 彼らは尻尾を振りながら、言われたとおりに魔導王の前で列を作る。

 先頭はライガである。


「あー、だいぶやられたな。

 まず治療の前に矢を抜かなくてはね」

 ネクタリウスはぶつぶつと呪文を唱えて、ライガの身体に刺さった十本以上の矢をひょいひょいと引き抜いていった。


 帝国が使用する矢のやじりには〝返し〟がついていて簡単には抜けないし、無理に引き抜こうとすると傷口が拡大して出血が酷くなる。

 彼は何かの魔法を使ったのだだろう、ほとんど抵抗を感じさせずに矢を抜いてしまった。

 それと同時に治癒魔法も発動させたらしく、ライガの傷口からは一滴の血も流れ出てこなかった。


 ライガ以外のオオカミたちも、大なり小なり身体に傷を負っていた。

 特に突入役を務めたハヤト、トキ、ヨミの三頭は、剣による切り傷で深刻なダメージを受けていた。

 しかし、ネクタリウスが手をかざすと、じゅくじゅくと染み出す血が止まり、ピンク色の肉が盛り上がって傷口をみるみる塞いでいった。

 さすがに毛までは生えないのか傷自体は目立ったままだったが、痛みも完全に消え去って行動には何の支障もなくなっていた。


 オオカミたちの最後にはマリウスも並んでいた。

 ネクタリウスは水脹れができている彼の左腕に手の平を当て、すっと拭うように動かした。

 その手をどかすと、ほんの少し赤みを帯びているものの、火傷は跡形もなく治癒していた。


「まあ、こんなものか……」

 魔導王は頷くと、マリウスの腕をぽんぽんと叩いた。

この娘アッシュを頼んだよ」

 小さな笑みを浮かべ小声でそうつぶやくと、エルフの王は一瞬でその場から姿を消した。

 何かの魔法だろうとは想像できたが、魔導士であるマリウスにも発動を覚らせない見事な術であった。


 彼の立っていた草地には、静かに眠るアッシュ――西の森の新たな女王だけが残されていた。

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