悠久の魔導王 第十七話 爆発
『何を
振り返ったライガが牙を剥き出し、マリウスに向かって吠えた。
マリウスにはライガの言葉は分からないが、その言わんとしていることは伝わったらしい。
彼は即座に目を閉じ、意識を集中して高速の圧縮呪文を唱え始めた。
「えっと、じゃ、じゃあ、どうやって矢を防ぐのよ!」
呪文詠唱に入ったマリウスはもう答えるはずがないので、ユニはライガに向かって訴える。
『心配するな、俺が何とかする』
「なんとかするって……そうだ! マリウスには自動発動するマジックシールドがあるのよね?
だったらマリウスが前に立って盾になればいいのよ!」
ライガはちょっと〝うんざり〟した顔を見せた。
基本的に頭の回転が速く勘もいいユニが、なぜかマリウスと一緒だとポンコツになることに彼は気づいていたのだ。
『馬鹿か、お前。対魔防御の結界内じゃ、すべての魔法効果が消滅するんだぞ? そんなシールドが発動するはずないだろう!』
「だったらどうするのよっ! ライガが何とかするって、どうする気なの!?」
『だから俺が盾になるって言ってるんだ! いいからとっとと小僧と一緒にしゃがんでろ!』
ライガは鼻に皺を寄せ、牙を剥き出した表情で低く唸りながら、ユニの前に出て立ちはだかった。
ユニはとりあえず言われたとおりにマリウスの服の裾を引っ張り、ライガの陰にしゃがませる。
「でもでも、そしたらライガに矢が当たっちゃうじゃない!」
ライガは心配したユニの言葉にはもう答えようとせず、十数メートルしか離れていない敵の集団を睨みつけた。
『ハヤト! トキ! 真ん中の魔導士に魔法を撃たせるな!』
敵の周囲をぐるぐる回りながら隙を窺っていたハヤトも怒鳴り返す。
『無茶言うな! 一人ずつ引っぱがすだけでこっちは精一杯だ!』
実際、彼らはやっと三人目の敵兵を円周防御から引っ張り出し、ボロ雑巾のようにずたずたにしたばかりだった。
帝国兵も必死なのだ。
オオカミに足を噛みつかれ、輪から引きずり出された仲間たちは、腕といい足といいオオカミたちに噛み砕かれ、悲鳴と呻き声をあげ、血まみれでのたうち回っている。
少しでも油断したら、自分にどういう運命が待ち受けているか、目の前で見せつけられているのである。
オオカミたちは、まるで打ち合わせをしていたかのように、一人の兵士に向かって数頭が同時に飛びかかってくる。
剣を突き出して刺し殺そうとすると、狙ったオオカミはたいてい囮で、さっと身体を捻って
その隙に腕や足をめがけて一斉にほかのオオカミが突進してくる。
もちろん帝国兵たちもそれを予想していて、狙われた者の両側にいる兵士が剣を突き出してこれを防いだ。
――そんな攻防が延々と続いていたのだ。
円周防御を突破し中の魔導士を攻撃するには、ジャンプして兵士の頭上を跳び越すしかないが、それはどうぞ下から刺し殺してくださいと言っているようなものである。
ハヤトたちは、じりじりしながらも地道な攻撃を繰り返すしかなかったのだ。
そんな中、いきなり帝国兵の中心から白い光が放たれた。
光り輝く矢は、ユニたちの方へと放物線を描いて飛んでいく。
それは帝国の魔導士が放った〝マジックアロー〟と呼ばれる魔法だった。
魔法で空気をプラズマ化させ、矢のように飛ばして離れた敵を攻撃するものである。
発動時間(呪文詠唱)が比較的短く遠距離攻撃が可能で、しかも低位の魔導士でも扱えるので、戦場では最も多用されていた攻撃魔法の代表格と言える。
この距離であれば、敵に向けて直線的に飛ばすのが常道だが、術者の周囲は盾となる兵士が取り囲んでいるので、彼はやむを得ず上空に向け弧を描くようにように三連射を放った。
このマジックアローが曲射だったことが、わずかな時間的余裕を生み、結果的にユニたちの命を救った。
最初の一撃は狙い違わずマリウスめがけて落下してきた。
着弾の寸前にライガが体当たりでマリウスの身体を吹っ飛ばしたが、マジックアローは彼の左腕をかすめて服を燃やし、上腕にひどい火傷を負わせた。
そして第二射、三射が続けて飛んでくる直前、呪文詠唱を終えたマリウスの対魔障壁が発動し、二本の光の矢は彼の上空三メートルほどで嘘のように消え去った。
敵が信じられないほどの短時間で魔法防御を張ったことに、帝国の魔導士は感嘆したが焦りはしなかった。
相手が防御魔法のスペシャリストで、かつて帝国でも五本の指に入る若手の逸材と言われていたことは、情報として頭に叩き込まれていたのだ。
対魔障壁を張ったのならそれでいい、今度は
魔導士は腰に下げていた弩を取り上げ、傍らの通信魔導士にも矢で攻撃するよう指示を出した。
連弩ではなく単発の弩、しかも射手は二人だけだったが、それはユニたちにとって十分な脅威だった。
今さら対魔障壁を解いて対物防御に切り替えようにも、呪文詠唱の間は魔法攻撃も矢も両方とも防げないのだ。
帝国軍の歩兵が使う弩は小型の携帯用で、装填速度を上げるため張力も弱められている。その分射程が短いが、彼我の十数メートルという距離は十分な有効射程内だ。しかも短弓よりもはるかに威力が大きい。
やや間隔はあっても、次々と羽音を立てて飛んでくる矢を、ライガは逃げようともせず自らの身体で受け止めた。
巨大オオカミの身体は針金のような太い毛で厚く覆われ、皮も分厚い。
入射角の浅い矢は簡単に弾き飛ばしたが、まともな角度で当たった矢はぶすぶすと音を立てて容赦なくライガに突き刺さった。
ユニは悲鳴を上げたが、ライガは振り返りもせずに吠える。
『大丈夫だ! これくらいで死にはせん!
ぎゃあぎゃあ
彼の言うとおり、太く短い矢は三分の一ほどもオオカミの身体に潜り込んだが、内臓を傷つけるほどの致命傷にはならない。
とはいえ、肩に、胸に、脇腹に、三本、五本、七本と、突き刺さる矢はどんどん増えていく。
ライガは矢が刺さっても呻き声ひとつあげず、四肢をぐっと踏ん張り微動だにしなかった。
だが、矢が突き立った傷口からは血が噴き出し、黒灰色の毛並みはみるみる赤黒い血に染まっていった。
* *
その状況は、帝国兵を攻撃する側の群れのオオカミたちも当然把握していた。
彼らは内心酷く焦りながらも、攻撃自体は冷静に、慎重に続けていた。
そしてやっと四人目の兵士を引きずり出すことに成功し、愛する夫を矢で傷つけられ激怒したヨミによって、その兵士は股間を喰い破られ、聞くに堪えない甲高い絶叫とともに口から泡を吹いて失神した。
これで帝国兵の円周防御は六人となり、だいぶ隙間が広がってきた。
慌てて通信魔導士が剣を抜いて防御に加わり、隙間はすぐに埋められたが、そのおかげでライガを襲う矢は半分になった。
オオカミたちは、あと一人か二人を引きずり出せば、円周防御は崩壊して勝てると踏んだ。
一方、帝国兵を指揮する魔導士も、このまま矢を撃ち込み続ければ、盾となっているオオカミを倒し、二人の人間はあっけなく射殺せると確信した。
あとは双方のどちらが早いかという競争だったが、そこで群れのオオカミたちの動きが一斉に止まった。
彼らは防御態勢をとる帝国兵の背後に視線を向け、低い唸り声をあげた。
同時にヨミがライガの方に振り返って吠える。
『あんた、悪い知らせよ! 敵の援軍が来るわ! それもかなりの数!」
ヨミの叫びは当然ユニにも届いている。
彼女は自分の前でしゃがんでいるマリウスに叫んだ。
「帝国の援軍が迫っているわ!」
振り返ったマリウスはそれを予想していたのか、案外冷静だった。
「アッシュが戻って来さえすれば、一気に逆転できるんですけどね。
投降しても、多分ろくな結果にはならないでしょうし……。
となると、ここはイチかバチか、オオカミたちと強行突破するしかないですね!」
「でもっ、アッシュはどうするの!」
食い下がるユニに応えたマリウスの声は冷たかった。
「ウエマク様から言われませんでした?
アッシュの目的は達成されなくても構わない、それよりも無事に帰還することを優先しろって。
作戦は失敗です。
さあ、オオカミたちに脱出の準備を伝えてください!」
「もおっ! アッシュったら何をしているの!
十分なんてとっくに過ぎてるのに……!」
涙目になって叫ぶユニであったが、マリウスの言葉の正しさは十分に理解していた。
ユニは群れのオオカミたちに撤退の指示を出すべく、体中に矢を突き刺したまま立ちはだかるライガの巨体の陰から身を乗り出した。
しかし彼女が叫ぶよりも早く、その瞳には樹間の茂みから続々と飛び出してくる帝国の援軍の姿がはっきりと映っていた。
十人どころではない、二十人、三十人、いやもっと多いかもしれない。
胃の腑を氷の手で締め上げられたような恐怖と絶望を感じながら、ユニが改めて撤退の指示を叫ぼうとした――その瞬間だった。
突然の閃光で視界が真っ白になった。
一瞬遅れて「どおーん!」という、腹の底がずんと震え鼓膜を破るような爆音が耳をつんざく。
そして次の瞬間、ユニの身体は爆風で数メートルも吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられていた。
* *
鼻の奥がつんとキナ臭い匂いで満たされている。
唇のあたりが濡れて、生暖かい液体がぱたぱたと顎を伝って落ちていくのが分かる。多分、鼻血なのだろう。
耳の奥からガンガンと割れ鐘のような音が聴こえ続けている。
酷い頭痛がするばかりか、全身のあらゆる箇所から「痛い」という信号が脳に送られてくる。
ユニはやっと意識を取り戻した。
閃光で潰された視力は徐々に回復してきたが、周囲には白い煙と埃が充満し、まったく視界が利かない。
爆発からどれくらい経ったのだろう。
木の破片や皮が横からも上からも、ばらばらと身体に当たっているのを感じる。
多分、気を失っていたのは一、二秒のことだったのだろう。
ユニはゆっくりと身体を動かしてみた。
全身に痛みはあるが手足は動く。骨は折れていないようだ。
飛んでくる破片や埃が酷いので、彼女は左腕を顔の前にあげて目をかばった。
彼女は右手を地面につき、上半身をのろのろと起こす。
その瞬間、いきなり顔面に何かがぶつかり、その衝撃で再びユニは地面に叩きつけられた。
何か太い棒のようなもの、だが表面は柔らかくて水っぽく、中に硬い芯のようなものを感じる、そんな不思議な物体で思い切り顔面を殴られたような感じだった。
倒れたまま反射的に身体を丸め、防御姿勢を取ったユニだったが、攻撃が続くことはなかった。
恐る恐る顔を上げても、彼女の周囲に人の気配は感じられない。
左腕で顔をガードする形になっていたのも幸いしたのかもしれない、このダメージからは意外に早く立ち直ることができた。
再び起き上がろうとして、地面に手を突いた瞬間、右手にぐにゃりとした感触があった。
何か柔らかい棒状のものだ。多分これが飛ばされてきて、顔にまともにぶつかったのだろう。
彼女はそのよく分からない物体を拾い上げた。
視力はかなり戻っていたので、自分が手にしているものが何なのか、すぐにユニは理解した。
それは人間の腕だった。
肩の辺りから千切られたような片腕――白く、細く、長い女の腕だ。
腕の先にはだらりと下がった手が続き、やはり白くて細く、長い指が緩く握られたように閉じている。
ユニは自分の間違いに気づいた。
これは〝人間の〟腕などではないと……。
それはエルフの、いやアッシュの腕に違いなかった。
呆然として座り込んでいるユニの視界が不意に翳った。
『何かが上空から落ちてくる!』
そんな予感にユニは握っていた腕を捨て、本能的に両手で頭を抱え、身を縮めた。
「どさっ!」
鈍く重い音とともに、ユニの数メートル先の地面に何かの塊りが落ちてきた。
ユニが半ば予想していたように、それはアッシュの〝身体〟であった。
「アーーーーーーーッシュ!!!!」
まだ木の破片が雨のようにばらばらと降り続き、たちこめる濛々とした埃で白く煙った空間に、血を吐くようなユニの絶叫が響き渡っていた。
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