悠久の魔導王 第十四話 オオカミ姉妹

 帝都の北方に広がる森は、市民から〝お狩場〟と呼ばれている。

 一応、名目としては〝自然保護林〟なのだが、実態は皇帝や門閥貴族が狩猟を楽しむための森であり、それを疑問に思ったり批判する者はいなかった。

 この時代、狩猟は馬術や弓術の鍛錬に役立つ有用な趣味と見做されていた。

 特に勢子せこ(獲物を射手の方へと追い出す役目)を意のままに指揮することは、演習に匹敵する軍略の訓練として、支配階級が第一に嗜むべき基本的な素養とされていた。


 そのため、君主が住まう首都の近郊には管理された狩場が存在するのがこの世界での常識であった。

 お狩場も、帝都が建都された数年後には植林が始められたというから、以来二百年近くの年月が経過している。

 多くの獲物を養うために、植林されたのはドングリ類を実らせる広葉樹であるが、きちんと人の手によって間伐、除伐が行われ、下草や茨などの灌木類も定期的に伐採されている。

 要するに樹間を広く取り、馬や勢子が走り回る上で邪魔になるものを取り去った人工の森が、お狩場の正体であった。


 これは大型捕食獣である幻獣界のオオカミたちにとっても、きわめて好都合な環境であった。

 ユニたちが帝都にたどり着いたのと同時に、群れのオオカミたちは自分たちの待機場所を探したが、これ以上適した森は考えられなかった。

 彼らは森の一画に居を定め、ユニの呼び出しがあるまで、ここでの快適な暮らしを満喫することとなった。


      *       *


 ライガがユニたちに「エルフ王発見」の知らせをもたらした日の前日のことである。

 ジェシカとシェンカのオオカミ姉妹は、その日の午後、森の中でウサギ狩りに熱中していた。

 その前の日にハヤトとトキが若いシカを仕留め、食料は十分に余っていたので、ヨミの判断でこの日の狩りは休みとなっていた。


 大人たちはゆっくりと毛繕いをしたり、シカの太い骨にこびりついた肉片をかりかりとこそげ取ったり、あるいは昼間からいびきをかいて眠ったりと、好き勝手に休日を満喫していた。

 しかし、まだ子どもと言ってよい二頭の姉妹は、溢れ出すエネルギーを持て余していた。


 そこで、姉妹は語らってウサギ狩りへ繰り出したのである。

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて機敏に逃げ回るウサギを追うのは、彼女たちにとってたまらない遊びであったのだ。


 食糧を得ることが目的ではないので、二頭は巣穴から追い出した野ウサギを、仕留めることなくどこまでも追跡していった。

 ウサギにしたらいい迷惑で、ある意味それは残酷な拷問だとも言えた。

 もちろん彼女たちにはそんな意識はなく、ただ楽しいから逃げるウサギを追いかける――それだけのことであった。


 一時間近くかけて追い回した大きな野ウサギが、体力の限界を迎えたのか逃げ足に切れがなくなり、ジェシカは仕方なく大きな跳躍をした獲物を空中で捕え、強靭な顎でウサギの頸椎を一気に噛み砕いた。

 即死した獲物を咥えながら、二頭は並足に歩調を変え息を整える。

 彼女たちは、どこか適当な場所に狩ったウサギを置いて、次の獲物を探そうと話し合いながら、てとてとと森の中を歩いていた。


 ふいにシェンカが足を止め、ぴくんと頭を上にあげて耳を立てた。

 すかさずジェシカも同じ行動をとる。

 二頭の身体に緊張が走り、のんびりした遊びを楽しむ表情が、オオカミらしい精悍な面構えに瞬時に変わる。


『なんの音?』

『聴いたことない……でも自然の音じゃないね』

『人間かしら?』

『人間かも……』


 二頭はヨミ(姉妹からすれば祖母に当たる)から、人間の気配を感じたら絶対に見つからないこと、そして位置や人数、何をしているのかをこっそり確認して、すぐに群れに知らせるよう厳しく言い渡されていた。

 ジェシカはウサギを咥え直し(放置して人間に発見されないように)、シェンカとともに姿勢を低くして藪伝いに音のする方に向かった。


 慎重に距離を詰める間に風向きが変わり、謎の音が風に乗ってはっきりと聴こえるようになった。

 同時にオオカミにとって生命線ともいえる〝匂い〟の情報も到達した。


『この匂い……人間じゃないね?』

『うん、人間じゃない!』

『……ってことは、見つかってもばあちゃんヨミに怒られないよね?』

『うん、人間じゃないから叱られないね』


 二頭は藪の中で顔を見合わせ、同時に吹き出した。

『なんだぁ、緊張して損したぜ!』

『まったく脅かしやがって、ふてぇ野郎だ!』


 彼女たちは警戒を解き、かなり大胆に不思議な音のする方へと足を速めた。

 ただ、相手から簡単に見つからないよう、木陰に隠れながら移動するのは本能のようなものだ。

 音に誘われて近づいていくと、森の中に小さな広場のような空き地が現れた。

 繁った下草の中から姉妹がそっと鼻面を出すと、一人の男が大きなミズナラの大枝に腰をかけ、笛を吹いているのが見えた。


 黒くさらさらした長い髪、白い肌に端正な顔立ち、薄絹の白いローブのような服を纏った男は、背が高く痩せてはいるが、引き締まった体つきをしている。

 手にした笛は、その辺に生えている竹を伐り取って、適当に穴を開けただけの素朴な造りに見えた。

 だが、形のよい薄い唇をつけ、白く長い指で笛の穴をリズミカルに抑えながら奏でる曲は、姉妹たちが聴いたことのないエキゾチックな旋律で、とても心地よい響きがあった。


 彼女たちが実の姉のように慕っているユニが、機嫌のよい時に辺境の労働歌や民謡を鼻歌交じりに歌ったり、仲良しのフェイが学校で習ったという唱歌をきれいな声で歌ってくれる(正直フェイの方がユニよりずっと歌が上手だった)ことがあり、群れのオオカミたちよりもこの双子の姉妹は〝音楽〟に慣れ親しんでいた。

 そのせいかもしれないが、男の奏でる笛の音は姉妹の心を捉えて魅了し、彼女たちはうっとりして聴き入っていた。


 次々に変化をつけた主題が繰り返され、感動を誘いながらひときわ高く鳴り響くと、一転して曲は哀調を帯び、静かに低音を響かせながら余韻を残して終わりを告げた。

 オオカミ姉妹は思わず我を忘れ、茂みから飛び出していった。


 地上から二メートルほどで横に這うミズナラの大枝は、おそらく若木のうちに雪の重みでいびつに伸びたのであろう。

 そこに腰かけた男は、笛を手にしたまま驚いた表情で二頭のオオカミを見下ろしていた。

 一方のオオカミ姉妹は、地面に並んで〝お座り〟をして、ぱたぱたと尻尾を振りながらきらきらとした瞳で男を見上げていた。


 奇妙な沈黙を破ったのはジェシカだった。

 彼女は咥えていたウサギをぽとんと前に落とすと、偉そうな声で男に呼びかけた。

『おっちゃん、笛じょーずなの!

 〝おひねり〟あげるー。

 遠慮せずにもらってくれい。釣りはいらねえぜ!』


 呼びかけられた男は、さらに驚いたようだった。

「ええっと、言葉が分かるってことは……君たちは幻獣界から召喚されてきたオオカミなのかな?」


『ぶっぶ~!』

『ひ〇しくん人形ぼっしゅ~と!』

 すかさずシェンカが嬉しそうに唸り、ジェシカが合いの手を入れる。


「えー……、今のは不正解って意味なのかな?」

 面くらった男が恐る恐る聞くと、姉妹は上機嫌で答える。

『おお、おっちゃん理解が早いぜ!』

『ユニ姉に鷹の爪でも飲ませたいぜ!』


「す、すまん。君たちの言っていることが、私には半分も分からないんだ。

 まずは名前を教えてくれないかな?

 私は§ΔΓ$¥Θという者だ」


 二頭は一瞬顔を見合わせてから声を揃えた。

『ジェシカだぜ!』

『シェンカだよ~』

『あたしたち、オオカミシスターズ!』

『正義の味方だぜぃ』


「そっ、そうか。君がジェシカで、そっちの君がシェンカ、それで二人は姉妹なんだね?」

 理解できない部分は無視して会話を進める――男は早くも姉妹との会話方法に慣れてきたようだ。


「さっき君たちは召喚獣じゃないって言ったようだけど、それはどういう意味だろう?

 私には、君たちがこの世界のオオカミに見えないんだが……」

 二頭は少し顔をかしげたが、すぐに「ああ」という納得顔に変わった。


『召喚されたのはねー、じいちゃんライガなのー』

『そんで、じいちゃんが母ちゃんや父ちゃんを呼んだんだって!』

『あたしたちは、こっちの世界で生まれたのー』


「ほう、それは珍しい……そんなこともあるんだね。

 ところで、せっかくなんだけれど、このウサギは受け取れないよ。

 私は肉を食べないんだ。

 だから、これは君たちで持ってお帰り」


 オオカミたちは首をひねった。

『うー、そうかぁ……ユニねえは喜ぶんだけどなー』

『ウサギのシチューつくってくれるのー』


「ああ! その〝ユニ姉〟って人が召喚主なんだね。

 料理が上手なのかな?」


 姉妹は尻尾をバタバタと激しく振って頷いた。

『シチュー、時々わけてくれるのー』

『すげー美味い!』

『なんだこれは! しぇふを呼べぃ! ってれべる・・・なのー!』


「そうかぁ、私はシチューを作れないんだよ。残念だね」

 少し済まなそうに苦笑する男を、彼女たちは元気に励ました。

『まー気にすんな、おっちゃん。エルフじゃしょーがないもん』

『明日があるさ! ってオオカミウルフルズも歌ってるのー』


 男の表情がぴくりと変わった。

「へえ……君たちは私がエルフだって分かるのかい?」


 オオカミたちは悪びれない。

『におい、違うのー』

『人間はごまかしてるけど、やっぱけもの・・・のにおいー』

『エルフは木の実とコケをまぜたようなにおいなのー』


「君たちはこっちの世界で生まれたって言ってたよね?

 どこかでエルフに会ったことがあるのかな?」

 男は探るように囁いた。


『んー、わりと最近なのー』

『エルフだけどお姫さまだよー』

『ひっさつわざ出せないけどー』

『残念お姫さまー』


 そう言った後、すぐに二頭は慌てたように付け加えた。

 うっかりアッシュを悪く言ってしまったと後悔をしたらしい。

『でもでも! 姫さま魔法が使えるよー!』

『そうなのそうなの!

 魔法のぷりんせすなのー!

 なんかねー、じゅもんを言うと、ぴゅーって風が吹くのー!』


「ほう……それはすごいね。私も見たかったよ」

 男が大げさに感心したのを見て、二頭は少し安心したらしい。

 すぐに得意げな顔になって、おしゃべりを再開する。


『そっかー、おっちゃんも見たいかー』

『では、あたしたちが見せてやろう!』

『ぴぴるまぴぴるまぷりりんぱ!』

『ぱぱれほぱぱれほどりみんぱ!』(どうやら呪文のつもりらしい)


 そう言うと、オオカミ姉妹はきゃあきゃあ笑いながら、ぐるぐるとその場で回り始めた。

「……ええっと、それは魔法なのかい?」


 彼女たちは回るのを止めると、はあはあ息をしながら〝お座り〟の姿勢に戻った。

 尻尾を激しく振っているところを見ると、褒めてもらいたいらしい。

『たつまきをおどりで表現してみました!』

『そうさくだんすっていうのー! ふぇいに習ったー!』


 男は素直に拍手をして、二頭の演技を称賛してくれた。

「なるほど、風魔法だね!

 偉いな、とても分かりやすかったよ」


『もんだどんだい!』

 姉妹は嬉しそうにいっそう激しく尻尾を振った。

「それで、君たちはこの森で何をしてるのかな?」


 何気なさを装った男の質問に、姉妹は顔を見合わせる。

『なんだっけ……そうだ、〝ひでき〟をやしなってるんだった!』

『違うよジェシカ、〝えいき〟をやしなってるんだよ』

『そっかー、ひできかんげきぃ!』

『おへそがぎゃらんどぅ!』


「なるほど、命令があるまで待機中というわけか……」

 男は何やら考え込んでいるようだった。

 オオカミ姉妹は首をかしげてその様子を見ていたが、そろそろ会話に飽きてきたらしい。


『そんじゃおっちゃん、あたしらは正義の味方の活動があるから、ウサギを探しにいくねー』

 男は夢から覚めたように、オオカミたちに視線を戻し、にっこりと微笑んだ。

「ああ、そうか。気をつけてお帰り。

 気が向いたら遊びにくるといい。また笛を吹いてあげよう。ええっと……」

『ジェシカだぜ!』

『シェンカだよ~』

 二頭の若いオオカミ娘たちは元気よく答え、きゃあきゃあ笑いながら走り去っていった。


 エルフの男は、その後姿を目で追いながら、独りちていた。

「あのに王国の召喚士が同行している?

 かつだったな……そこまで手が伸びていたとは!

 ……ふむ、ならば出迎えの準備をしてあげなければ、失礼というものだな……」


      *       *


 その日の夕方、それぞれ口に仕留めたウサギを咥えて姉妹は群れの仲間のもとに戻ってきた。

 楽しいウサギ狩りに夢中になっていた彼女たちは、半ばエルフのことを忘れかけていた。

 ヨミやミナ(姉妹の母親)から言いつけられていたのは「人間を見つけたら報告すること」であり、エルフと出会ったことは大したことではない。

 そう勝手に判断していたのである。


 次の日、〝じーちゃん〟(ライガ)が群れの様子を見に来た時にも同様であった。

 日が落ちて、ライガがユニのもとに帰ろうとした際、ふとジェシカとシェンカの顔を見て思い出したように、こう言うまでは――。

『いいか、お前たち。どんな小さなことでもいい。少しでも変わったことがあったら、ちゃんとヨミに話すんだぞ』


 ライガとしては、いたずら盛りの孫娘たちに何か教訓めいたことを言わねば、という程度の言葉であった。

 答えを気にしないまま、ライガが街に向けて歩き出した時、彼の背後で姉妹たちの声がした。

『あー……、そう言えば昨日エルフに会ったねー』

『そー言えばそうだったねー』


 ライガの足がぴたりと止まり、彼は表情を凍りつかせたまま、ゆっくりと振り返った。

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