悠久の魔導王 第十二話 帝都ガルムブルグ

 コルドラ大山脈で隔てられた帝国の東西を結ぶもう一つの山道――ユニの言う〝裏ノルド道〟の登り口は、大隧道から十キロほど北方にあった。

 本来の〝ノルド道〟もそうだが、それはとても「道」とは呼べないような獣道で、地図を暗記しているマリウスがいなかったら気づかずに通り過ぎていたことだろう。

 わずかに藪が途切れていて、言われてみれば「ああ、そうか」と思うが、下草も茂り放題で、何を目印にマリウスが「ここが入口です」と断定したのか不思議だった。


 周囲は鬱蒼とした森に囲まれており人目もない。

 道は狭く険しく、一行はオオカミたちの背に乗って山を越すことにした。

 要所要所でマリウスは道を指示していったが、やはりユニには何が目印なのかさっぱりだった。

 しかし、エルフであるアッシュは「なるほど」という顔でマリウスの判断に頷いていたので、自然に精通した者にしか理解できない何かがあるのだろう。


 勾配が徐々にきつくなって高度が上がり、やがて森林限界を超えて低い灌木と岩だらけの道に変わると、今度はオオカミたちがマリウスの指示を待たずに正しい道を選択するようになってきた。

 ユニが訊くと、この道は今でも時々使われていて、かすかに染みついた人間の匂いの痕跡がたどれるのだそうだ。


 一行は山中で一夜を過ごし、丸二日かけて山脈を横断した。

 オオカミたちの体力に助けられての行程である。人間だけであったら、もう一、二日余計にかかったことだろう。


 道の勾配が下りに変わり、再び深い森の中に没してしばらく進んだ後、いきなり森が切れて眺望が開ける岩場に出た。

 眼前には山麓に展開する広大な森があったが、その遥か先には黄色い海のような平地が広がり、緩く弧を描く地平線を形成していた。

 それは稔りの時期を迎えた耕地であった。

 これまでの東部では決して見ることのできなかった光景である。人間の営みが長い年月積み重ねられた、豊かな土地が茫漠と広がっているのが見て取れた。


「話には聞いていたけれど……広いわね」

 ライガ(もちろん元の大きさに戻っている)の背に乗ったユニは、どこまでも広がる耕地の海に圧倒されて呟いた。

「帝国の中央部は、王国の中央平野が三つ入るほどの面積がありますからね」

 マリウスの方は見慣れているのか、さほど感慨を覚えない様子だ。

 アッシュはどう感じているのが、何も感想を洩らさないので分からなかった。


      *       *


 山脈を越え、山裾に広がる森林地帯を抜ける手前で野営しながら、一行は綿密な打ち合わせを行った。

 ユニたちとライガの組は、帝国中央部に網の目のように広がる街道を使って、途中の町を経由しながら帝都を目指す。

 これまでの東部とは開拓の度合いも人口密度も段違いなので、むしろ野営する方が難しく、町で宿屋に宿泊しながらの行程となる。


 一方、これまでは街道を外れた森や草原を自由に移動してきた群れのオオカミたちは行動が不自由となる。

 巨大なオオカミの群れが目撃され、人の噂となっては何かとまずいのだ。

 そのため群れの移動は夜間が中心となり、移動経路も街道からかなり離れざるを得なかった。


 オオカミたちはマリウスが持っている帝国の地図(これは帝国内で普通に手に入る)で、ユニたちの宿泊する町の位置と、そこに至るオオカミたちの予定進路を頭に叩き込んだ。

 彼らはこの世界の〝獣〟であるオオカミではなく、一定の知性を持った幻獣なので十分に地図を読み、理解することができる。

 ユニたちが宿泊予定の町に着いたところで、ライガが群れとの連絡をつけて、翌日の進路や細かな変更を確認するという段取りとなった。


 コルドラ大山脈から帝都ガルムブルグまでは、約八百キロの道のりであった。

 ユニたちの旅は順調で特別なトラブルもなかったが、帝都が近くなるにつれて群れのオオカミたちの移動がはかどらなくなってきた。

 オオカミたちの身を隠せるような森や林が減ってきたためである。

 結局のところ、ユニたちが山越えをしてから帝都に入るまで、約一か月を要することになった。


      *       *


 帝都ガルムブルグは人口三百万人を超す大陸最大の都市である。

 皇帝の居城である黒曜宮は、さすがに城壁で市街と隔てられているが、多くの政府関係機関は城壁外の市街地に点在している。

 帝国の政策を決定する最高議決機関である帝国議会ですら城外にあり、議会がある時は皇帝が黒曜宮から通うことになる。


 ちなみにイゾルデル帝国は、憲法と議会(貴族院と下院の二院制)を有する立憲君主制を敷いているが、皇帝が行政権や統帥権などの大権を有している外見的立憲主義である。


 帝都の中心部は、都市計画に基づく街づくりがなされており、放射状に延びる大通りと、それを環状につなぐ幹線路が何重にも続いている。

 ただ、その外縁部は人口の爆発的な増加とともに無秩序に拡大していて、一部には貧民街も形成されている。

 王国の首都や四古都のような城塞都市ではないので、帝都そのものへの出入りは自由であった。

 この点はユニたちにとって幸運だったと言える。


 帝都の北側には整備された市民公園が広がり、そのまま人工林ではあるが〝自然保護地区〟に指定されたかなりの規模の森林に繋がっている。

 森林の方は皇帝や一部貴族たちの狩猟場として管理され、一般市民の立ち入りが禁止されている。

 群れのオオカミたちはこの森を格好の隠れ家だと判断し、滞在場所に定めた。


 ユニたち三人は長期滞在が可能な宿に二部屋を確保して拠点に定めた。マリウスは一人部屋、ユニとアッシュは相部屋である。

 一か月ごとの料金前払いで、いつ宿を引き払っても自由な代わりに前払いの料金は戻ってこない――という宿に文句を言わせない契約だった。


「それじゃ、今日のところはゆっくり休むとして、明日はさっそく敵情視察といきましょう」

 旅の荷を解き、風呂をつかって汚れを落として落ち着いたところで、三人はマリウスの部屋に集まって今後の作戦会議を開いた。

 マリウスの提案にユニは首をひねった。

「視察って……エルフ王の居場所は分かっているの?」


「王は塔のようなところに幽閉されているんですよね?」

 マリウスはユニの質問には直接答えず、逆にアッシュに訊ねた。

 エルフは頷いた。

「ウエマクからは『そう推測される』と伝えられた。

 確たる証拠があるわけではないらしい。状況からそう判断されるというような口ぶりだった」


「強要されてか自発的かはこの際置いておいて、エルフ王から魔法知識を引き出すために監禁しているのだとすれば、おそらく高魔研でしょうね」

「こうまけん?」

「高度魔法研究所という、帝国の魔法研究機関です。誰が考えても一番都合のいい場所ですし、あそこには塔もありますからね。ちょっと安直な気もしますが……」

 なぜかマリウスの言葉は不安げである。


「どうして魔法の研究所に塔があるわけ?」

「僕の聞いた話では、星の運行とか太陽の黒点を観察しているということでしたよ」

「マリウスはそこに行ったことがあるの?」

「ええ、何度か実験を受けるために派遣されたことがあります。

 塔の説明もその時に受けたはずですが、あまり気にしませんでしたから、よく覚えていないんですよ」


      *       *


 翌日、三人は帝都を観光する〝お上りさん〟といった格好で、高魔研を偵察することにした。

 マリウスは顔見知りの魔導士に遭う恐れがあるため、黒髪のかつらを被った上からターバンを巻き、襟巻のような白いマフラーで顔の下半分を隠していた。

 出発前、どこで買ってきたのか、彼はテーブルの上に化粧道具を広げていた。

褐色のファンデーションで肌を浅黒く塗り、眉を黒く太く描いて、ご丁寧に黒いマスカラまで施した。

同じようにターバンを巻いたアッシュに倣って南方人を装うつもりらしい。


 化粧をしている間、散々ユニにからかわれていたが、変装が完了してみると、マリウスはにやけた軟派男から男性的で精悍な顔立ちに変身を遂げていた。

「う~ん、あまり人――特に女性には近づかない方がいいわね。

 間近でみれば化粧だってバレるわよ……ってか、あんたどこで化粧なんて覚えたの?

 まぁ、それはそれとして、マリウス。

 ……なかなかいい男に見えるわよ!」


 ユニの賛辞を「当然」と受け流したマリウスは、手鏡を見ながら残念そうに嘆いた。

「やはり間近ではバレますか……それは残念です。

 この顔で帝都娘をお茶に誘うつもりでしたのに……」


「げし!」

 つま先に鉄板を仕込んだユニの厚底ブーツがマリウスのふくらはぎを蹴り飛ばした。


      *       *


 高魔研は黒曜宮と北側の市民公園の間にあり、かなり広い敷地を有していた。

 施設の周囲は二メートルほどの高さがある先が尖った鉄柵で囲まれていて、その五メートル内側には高さ二・五メートルほどの煉瓦塀があって、外敵の侵入を防いでいる。

 出入り口は正門と通用門の二か所だけで、どちらにも警備の兵士が立って入ろうとする者をすいし、身分証や通行許可証を確認することになっている。

 煉瓦塀によって内部の施設は屋根くらいしか見えなかったが、高さ十メートルほどの円柱形の塔だけは外部からもよく見えた。

 最上部には小さな窓が見えたが、それ以外はまったく窓がなく、つるりとした灰色の壁面をさらす装飾性のない塔だった。


 ユニたち三人とライガは、観光客らしくいかにも物珍しそうな視線を送って高魔研の前を通り過ぎた。

 正面入り口を過ぎると、あとは延々と続く二重の柵と塀以外、特に見るべきものがない。

 高魔研を過ぎるとすぐに市民公園に入る。


 公園ではよく手入れされた芝生と噴水、色とりどりの花が咲く花壇の間を、多くの市民が散策している。

 三人はちょうどよさそうな木陰にしつらえてあるベンチに腰をおろした。


「どう思います?」

 よく晴れた青い空を仰ぎながら、マリウスがあまり口を動かさずに小声で訊ねた。

「入口の警備はしっかりしてるけど、鉄柵と壁の間には巡回の警備もいなかったわ。

 あれだけ壁が続いているなら、侵入自体は容易たやすいんじゃないかしら。

 うちのオオカミたちならあの程度の壁、あたしたちを乗せたままで飛べ越せるわよ?」


 マリウスは首をかしげてアッシュの顔を覗き込んだ。

「そうでしょうか?」

「いや……」

 アッシュは首を振った。

「鉄柵の内側には全域で感知魔法の結界が張り巡らされていた。

 飛び越した瞬間に警報が鳴って、侵入位置が特定されるだろうな」


 マリウスは溜め息をついて再び空を仰いだ。

「やはりそうですか……。

 となると、正面突破しかないですね」

「またアッシュの精神操作魔法を使うってこと?」

 ユニの問いに彼は頷いた。


「僕は元々軍の魔導士ですから、高魔研に入る適当な理由を作って信じ込ませる……それなら侵入自体は可能でしょうね」

「でも、マリウスは作戦中の行方不明で戦死扱いになっているのよね?」

「実はその作戦で大怪我をして、黒龍野合戦後に瀕死の状態で発見された。それで戦死は取り消され、半年余りの療養生活の後に最近帝都に戻ってきた……その程度の情報を刷り込むのは、アッシュさんなら苦もなくやってのけるでしょう」


 アッシュは白く細い親指を口に当て、真珠のような歯で「かりり」と噛んだ。

「だが、その場限りだ。バレるのは時間の問題だろうが、侵入して王と会うことさえできれば、脱出はどれだけ派手に暴れても構わないか……」

「そうですね……ただ」

 マリウスは真剣な顔つきになった。

「同じ手は二度と使えません。

 本当にあの塔に王がいるのか、もう少し情報を集める必要がありますね」


 ユニにとってマリウスの言葉は意外なものだった。

「それ、どういうこと?

 王が幽閉されているとすれば、高魔研の塔だ……って言ったのはマリウスじゃない?」

「だからですよ」

「え?」

「あの塔に王が閉じ込められている。誰が考えてもそう思うのって……ちょっと露骨じゃありませんか?」


「私はマリウスに賛成だ」

 アッシュが静かに、だが断固とした口調で言った。

「われわれに失敗は許されない。

 ここは慎重になるべきだろう」

「わかった。二人がそう言うなら異存はないわ」

 ユニとしても反対する理由はなかった。


『別に〝かの人物〟の目的が失敗しても構いません』

 不意にウエマクに言われた言葉がユニの脳裏に甦った。

『なぜウエマク様はあんなことを言ったのだろう?』

 ユニの頭の中で疑問が渦を巻く。

 黒蛇の言葉が不吉な予言のように思えて、彼女の肌はいつの間にか粟立っていた。

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