悠久の魔導王 第十一話 裏ノルド道
「ごっごっごっごっごっごっごっごっごっごっ……」
ユニの白い喉元が上下して、冷えたビールがすごい勢いで飲み込まれていく。
「………プッハアァー!
兄ちゃん、お代わり!」
ユニは空になったビアマグを高く掲げて注文の声をあげる。
「………プッハアァー! 私もお代わり!」
「僕もお代わり!」
一瞬遅れて、輪唱のようにアッシュとマリウスも声を上げた。
ここは御山温泉に隣接した飲食施設で、ユニとアッシュ、そしてマリウスの三人は、日を遮る風とおしのよい屋内で冷えたビールを堪能していた。
温泉から上がったばかりの女性二人のピンク色の肌が、微かな香油の匂いをふりまき、まだ日が高いうちから飲酒する罪悪感を麻痺させてくれる。
ユニとアッシュはともかくとして、普段ちびちびとしか飲まないマリウスが一息でビアマグを飲み干すなど、よほど外で待つのが過酷だったようだ。
「いやぁ~参りましたよ!
ライガは出口の前からてこでも動かないし、周りには日陰をつくる木の一本もないんですから。
ライガに『熱中症で死んで〝主人を待つオオカミ〟の銅像にでもなるつもりですか』って言っても言葉が通じないし、どうしようかと思いましたよ」
テーブルの真ん中には揚げたジャガイモに塩胡椒を振った籠がどんと置かれ、ユニとマリウスには羊の塊り肉の串焼き、アッシュの前には乾煎りした銀杏の実が並べられている。
それぞれが目の前の料理とビールを凄い勢いで消費しつつ、三人は温泉で得た情報の付け合わせを行っていた。
「とにかく、大隧道の復旧は思ったより早く進んでいること、そのために重力魔法を使える魔導士が帝国中から集められていることは間違いないわね」
ユニの言葉にマリウスが頷く。
「重力魔導士を引っこ抜かれた前線は酷い状況らしいですよ。
それこそ
無理もないですよね、何しろ馬と人の力だけで物資を運んでいた
マリウスは素早くアッシュの表情を窺う。
「三十年前?」
ユニが訊ねると、彼はいつものように如才ない笑顔を張りつけて解説した。
「今から三十年前あたりから、帝国では〝復興期〟と呼ばれる魔法の大発展期を迎えたんですけど、王国にはそういう情報が流れていませんか?」
ユニは飲みかけのビールを吹き出しそうになってむせた。
「ごほっ、あっ、いや、そんなことないわ!
うん、ちゃんと魔導院で習った。
確か、帝国で今までとは桁違いに高度な魔法が開発され始めたって話よね?」
マリウスは少し真面目な顔になった。
「そうです。
それまで単純な魔法しか普及していなかった帝国で、古代の魔導書の解読が急速に進んだんです。
物資の迅速な運搬を可能にした重力魔法、戦場で初の実用攻撃魔法となったファイアボールやマジックアロー、そして〝攻城魔法〟という概念を生み出した広範囲かつ高威力の爆裂魔法……すべてはこの
帝国の短期間での領土拡大や、それを可能にした多重方面作戦は、すべてこうした魔法技術の開発によるものなんですよ」
ユニは透明な脂がしたたる羊肉を、骨から齧り取りながら何気なく訊いた。
「どうして急にそんな進化が可能になったのかしらね……」
マリウスはもうユニの方を見ていなかった。
真っ直ぐアッシュの目を見据え、顔に微笑みを浮かべたまま訊ねた。
「……どうしてなんでしょうね?」
アッシュは黙ったまま答えない。
鈍いユニでもさすがにこの場の不穏な空気を感じ取った。
少し眉根を寄せながらマリウスに確認する。
「それって、帝国に幽閉されているエルフ王が脅されて、魔法技術を帝国に教えているって話なんでしょ。
辻褄は合ってるんじゃない?」
マリウスはアッシュから視線を外さぬままユニに答える。
「ユニさん、彼女の話をよく思い出してください。
エルフたちは王が失踪した後、イゾルデルの帝都にいると知って、最初は王自らの意志で帝国に赴いたと考えた……アッシュはそう言ったはずです。
エルフ王は膨大な魔力と魔法知識を所持していて、彼にとっては帝国の魔導士など赤子同然、決して拉致や誘拐などされるはずがないと……」
「……そうね」
ユニはカシルの宿屋で聞いたアッシュの話を思い返しながら首肯した。
「でも、その後にウエマク様の調査で、エルフ王が脅迫によって魔法技術を引き出されている疑いが強まったんじゃなかった?」
「そのとおりです」
マリウスもユニの言葉を認める。
「でも、それってさっきの話と矛盾しませんか?
エルフ王を力ずくで幽閉したり、強制的に魔法知識を引き出すことが、帝国の魔導士にできると思いますか?」
アッシュがなおも黙したままでいるのを見て、マリウスはさらに言葉を重ねた。
「僕はカシルでこの話を聞いて以来、道中ずっと考え続けてきました。
結論はただ一つです。
エルフ王は、〝自らの意志で、進んで帝国に協力している〟のだと……」
「へい、お待ち!」
店員の陽気な声がその場の静寂を破った。
彼は冷たいビールが並々と注がれたビアマグを三つ、テーブルに置くと、前のマグをお盆に回収していく。
店員が立ち去ると、アッシュは新しいビアマグを手に取って、ぐいと喉に注ぎ込んだ。
そして半分近くも一気に飲み、「だん!」とテーブルにマグを叩きつけると、絞り出すようなかすれ声を出した。
「……私たちは、それを認めることができないのだ。
認めてしまっては、われらの王はエルフではない……ということになってしまう!」
「どういうこと?」
ユニも新しいビアマグを
アッシュは苦しそうな表情で言葉を吐き出す。
「私たちエルフは〝調整者〟だ……」
ユニは首をひねる。
「ごめん、もうちょっと分かりやすく説明して」
アッシュは肩の力を抜き、「ふうっ!」と大きな息を洩らした。
「この世界の生き物はそれぞれに役割を持って生まれてくる。
土を耕す者、草を食むもの、肉を食らう者……そしてその死骸を土に還す者。
すべてが永遠に続く自然のサイクルの歯車として組み込まれている。
無論、人間もその歯車の一つに過ぎない。最近はその立ち位置からだいぶ逸脱しているがな」
「だが、私たちエルフは自然界の歯車とはおよそ無縁の異質な生物としてこの世界に存在している。
数千年の寿命、自然法則を捻じ曲げる魔法力、創世の秘密を受け継ぐ知識……すべてが私たちを異分子だと語っているし、私たちもそれを自覚している。
では、エルフがこの世界に存在を許されているのは何故だ?」
アッシュは顔を上げてユニとマリウスの顔を交互に見た。
当然だが二人はその答えを持っていなかった。
「私たちは遥か昔、始祖の時代からこの命題を持って悩み続け、その結果一つの答えを得た。
われわれは〝調整者〟だと」
ユニは恐る恐る訊ねた。
「それ、さっきも聞いたけど、どういう意味なの?」
アッシュは肩の力を抜き、夢から覚めたような表情で答える。
「この世界に過度に干渉せず、バランスが乱れた時にはそれを正す……それが私たちエルフの役割だ」
「さっきも言ったが、人間はこの世界で必要以上にバランスを崩している。
その最たるものが、召喚術による異世界との接続だ」
アッシュは召喚士であるユニに視線を送る。
「リスト王国では召喚士の育成をシステム化し、ほとんど日常的に幻獣召還を行っている。
本来、幻獣召還など限られた異能者にのみ許された例外的な行為だったのだ。
その結果どうなった?
サクヤ山麓に出現した〝穴〟は無作為に異世界との通路を開き続け、オークやゴブリン、コボルトといった低級幻獣をこの世界にばら撒き続けている」
アッシュの指摘にユニは言葉もない。
〝穴〟が召喚術で生じた世界の歪を正すために負のエネルギーを消費してオークたちを呼び出しているという事実は、ユニも十分に自覚している。
「王国の召喚士だけでも問題なのに、その上帝国の魔術師たちが、本来人間の知り得ない魔法の深淵を覗き始めている……それはゆゆしき事態なのだ。
この百年、われら西の森族を含むエルフ五種族は、人間たちの暴走に介入すべきかどうか議論を重ねてきた。
なのにわが西の森のエルフ王が、自ら人間に高度な魔法の秘密を教えている?
……ありえん!
それはありえないのだ!」
「……え~と」
ユニが肩をすくめながら手を挙げた。
「それって、エルフの王さまに会って確かめなくちゃ分からないことでしょ?
ここでいくら推論を並べても意味がないんじゃないかしら……」
「……まぁ、それはそうですね」
「うむ、ユニの言うとおりだ……」
アッシュもマリウスも彼女の言葉に賛同して、冷えたビールを
ユニはその様子を見て、にっこりと笑った。
「なら、明日の山越えについて話し合った方が建設的じゃない?」
* *
「こほこほ」
わざとらしい咳ばらいをしてマリウスが話題を変えた。
「それで明日のことなんですけど、知ってのとおり大隧道は復旧工事中で通れません。
現在、コルドラ大山脈を越えるには地元の少数民族であるノルド人が昔から使っていた山の鞍部をつないだ道、通称〝ノルド道〟が使われています。
獣道に毛の生えた程度の道ですが、大隧道の不通に伴って急速に整備が進み、現在ではそれなりに安全に通れる道になっています」
「私たちもそこを行くってわけね?」
「いいえ、違います」
マリウスはユニの質問を否定した。
「これは大隧道が通じていた時から変わらないのですが、コルドラ大山脈の横断路には東西に関所が設けられています。
僕たちはこれを通らずに迂回路を通ることになります」
「どういうこと?
関所を通るのに何か問題があるってことかしら」
マリウスは頷いた。
「そのとおりです。
カシルを出る時の検問は極めて緩い、いわば形だけの検査です。
コルドラ越えの関所の審査はそれと比べ物にならないほど厳格なんです。
アッシュさんの精神操作の魔法を使えばまた突破できるでしょうけど、そう長くはもたずに不正通過がバレてしまう……そうでしょう?」
マリウスの問いかけにアッシュは頷いた。
「そのとおりだ。
精神操作は万能ではなく、その場限りの方便のようなものだ。
術の対象者は騙せても、記録自体は残る。
傍から見ればその異常さはかえって目立つことになる。
そして論理的に矛盾を突かれると説明しきれなくなって操られていたことが露見する。
結局は大ごとになってしまうだろうな」
「待ってよ。
ここは帝国内部の関所でしょ?
何で国境の検問より厳しいの?」
マリウスは肩をすくめた。
「だって東部地区は千キロ近くの王国との国境線を、ほぼ無監視で抱え込んでいるんですよ?
夜陰に乗じてボルゾ川を舟で渡れば簡単に密入国できるんです。
それに比べれば大隧道――今はノルド道がその代わりですが――は、帝国の枢要に侵入するための唯一の道です。
ここで厳しい検問を行うのは、帝国にしてみれば当然の選択でしょう」
ユニはマリウスの説明に納得しながら、さらに訊ねる。
「それは分かったわ。
だったら、そのノルド道を通らずにどうやって山越えをする気なの?」
「それはですね……」
そう言いながらマリウスはちらりとユニを見た。
何かとても得意げな、飼い犬が投げられたボールを拾ってきて「誉めて!」という目で飼い主を見つめているような表情だ。
ユニはわけもなく、むっとした気分になった。
「僕が王国のノルド地方に侵入して、結局そちらに投降することになった事件を覚えてますか?」
「忘れるわけがないでしょ!
あたしはあの何とかいう変態の少佐に自白剤を打たれて廃人にされるとこだったんだから」
「あー、アルハンコ少佐ですね。
まぁ、その件は置いておいて、あの時僕らが王国に侵入した経路がコルドラ大山脈伝いだったんですよ」
「そうね、なんかそんなこと言ってような気がするわ」
ユニの機嫌が急速に悪くなっていくのをどうにかしようと、マリウスの説明が早口になる。
「よっ、要するにですね、ノルド人たちは山脈を横断する経路だけじゃなくて、もっとたくさんの道を知ってたんですよ。
彼らには薬草の生える場所、食料となる山菜やキノコの生る場所、飲み水を得る泉の場所、避難場所となる洞窟とか、いろいろな場所とそこに至る経路が先祖代々伝えられていて、それは彼ら一族だけの秘密だったんです。
今、帝国が使っている〝ノルド道〟は、彼らが知る秘密のルートのほんの一部に過ぎないんですよ。
僕とアルハンコ少佐はその秘密の地図を手に入れて、不可能と思われていた帝国から王国への侵入を成功させたってわけです」
「その秘密の地図って、そんな簡単に手に入るものだったの?」
ユニは不信の目で追及する。
「まぁ、その……少佐がノルド人の族長の娘を捕えて自白剤を使ったから手に入ったんですけどね」
「……その
さすがにマリウスも口ごもった。
ユニはそれだけで憐れな少女の運命を察した。
「死んだのね?」
「……お気の毒なことです」
彼女は深い溜め息をついた。
このマリウスという青年は、少なくともユニに対しては誠実で優しく接してくれている。
しかし、彼は自分が関わってきた出来事、それもかなりむごたらしいそれに対して、あまり良心の呵責を感じていないように感じる。
ユニにはそれが不気味であった。そして心の奥底でどうしても彼を信じ切ることができないでいたのだ。
「まぁ、過ぎたことをここでどうこう言っても仕方ないわね。
それで?
要は〝ノルド道〟以外にも西側に抜ける道、つまり〝裏ノルド道〟があるってことなのかしら?」
「ご明察です」
マリウスは得意げな表情で尻尾を振っているが、とても頭を撫でてやる気にはなれない。
ふとユニは気づいた。
「待って。
山中に王国と帝国をつなぐルートがあるんだったら、最初からそれを使ったらよかったんじゃないの?」
「無理ですね」
マリウスは言下に否定した。
「あれは命令に従うオークがいたから通れた道です。
ほとんど垂直の岩壁を登攀するような箇所がいくつもあるんですよ。
ライガたちオオカミでも不可能な道です」
ユニは小さく溜め息をついた。
「分かったわ。
それじゃ、その山越えの地図を見せて。
一応大体のルートを頭に入れておくわ」
「ありません」
マリウスは澄ました顔で答えた。
「へ?」
「だから地図はありませんってば」
ユニの頭に血が上り、顔が紅潮する。
「ちょっ……、あんたさっきノルド人の娘から地図を奪ったって言ったでしょ!
何でそれがないのよ!」
「いや、そんなことを言われても……。
僕はあの時、王国に投降した身ですよ?
当然持ってたものを全部調べられるでしょう。
ノルド人の地図なんて、帝国すら知らない機密情報なんですから、今頃は参謀本部の大金庫の中に決まってるじゃないですか」
「じゃあ、どうやって山を越えるって言うのよ!」
「原本は取り上げられましたけど、写しがあります」
ユニは拳を握りしめたまま、ぷるぷると身を震わせた。
「……殴るよ?」
(アッシュはさっきから他人事のように二人の会話を聞いていたが、極上の喜劇でも観ているように楽しんでいた。)
マリウスは切れそうになっているユニの前に身を乗り出し、自分の頭を指さした。
「地図の写しはこの中です」
「信じていいのかしら……?」
ユニの目はあくまで懐疑的だ。
「何をおっしゃいます。
初見の図面を数秒で暗記するくらい、一流の魔導士ならできて当然ですよ」
マリウスはそう言って、ユニの肩をぽんぽんと叩いた……が、調子に乗ったその行動がいけなかった。
ユニは物も言わずに立ち上がると、いきなりマリウスに殴りかかった。
彼は咄嗟に手を伸ばし、ユニの肩を押さえてリーチの短い彼女の攻撃を抑えようとしたが、彼女は差し出されたマリウスの腕を肘で巧みに跳ね上げ、内側から抉り込むようにして顎に見事な一撃を入れた。
空席だった隣のテーブルにまで吹っ飛ばされたマリウスは、スローモーションで倒れながら、薄れゆく意識の中でつぶやいていた。
「くっ、くろすかうんたぁ……!」
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