悠久の魔導王 第九話 落伍者

 三人は夜明けとともに出発して歩き続け、陽が落ちる前に野営地を定めるという旅を淡々と続けていた。

 辺境暮らしの長いユニ、軍隊で行軍が日常だったマリウスは、体力の消耗を抑えて黙々と歩き続けることに慣れていたが、エルフであるアッシュは二人とはだいぶ様子が違っていた。


 一定の歩幅で無駄のない歩きをする二人に対し、アッシュは軽やかに飛び跳ねるように歩く。

 確かに歩いてはいるのだが、どこか踊っているような印象すらあった。

 そしてしばしば二人を置き去りにして先行し、街道脇の茂みに入って木の実を採ったり、木に登って道の先行きを眺めたりした。


 二人の人間のペースに合わせていると退屈で仕方がないので、そんなことで暇を潰しているといった感じであった。

 それでいて汗一つかいていない。

 まだ秋のはじめで日中はかなり暑い。ユニやマリウスがしばしば汗をぬぐい、水を飲むのとは対照的だった。


 雨が降らなければ、夜は基本的に野宿であった。

 この時期は天候が安定していて雨は少なかったが、雨天の時は街道沿いの集落で、少額の謝礼を払って農具小屋や空いている家畜小屋に泊まらせてもらった。


 野営の際は、ツェルトと呼ばれる簡易テントを張る。一枚の防水布なので畳むと非常にコンパクトになるユニの愛用品だった。

 それをロープで張り、三角形の屋根状にしてその下で寝る。

 地面にも同じ防水布を敷くが、それだけでは夜露に濡れるので、ユニはライガを呼んで身体をくっつけて眠った。


 マリウスは軍用のマント(やはり防水性がある)を寝袋代わりにしてくるまって寝た。

 アッシュだけは地面で寝ることを好まず、樹木に登って大枝の上で休むのが常であった。

 眠っている内に落ちるのではないかとユニたちが心配したが、彼女は「この方が落ち着く」と言って譲らない。


 街道沿いの集落では野菜程度しか手に入らず、穀物類は貴重なのか売ってくれなかった。

 むしろ点在する川港の方が品物が豊富で、ユニたちはパン類をそこで買い込んだが、王国側に比べるとかなり値段が高かった。

 もっともユニたちと並走するオオカミたちがウサギなどの肉を分けてくれるので、食糧事情は悪くない。


 水は集落の井戸で分けてもらうか、オオカミたちが見つけてくれる湧水が供給源だった。

 最悪の場合でもボルゾ川でいつでも水が汲めるが、これはきれいな布で濾したうえで煮沸しなければ飲用にできない。

 川はもっぱら水浴びや洗濯で利用することが多かった。


      *       *


 一行は日に四十キロ程度の比較的早いペースで順調に旅を続けていた。


 その日も街道から少し逸れた場所ではあるが、オオカミたちが湧き水を見つけたので、三人は早々に野営地を定めた。

 ユニとマリウスは山菜とウサギ肉のシチュー、そして乾パンで夕食を摂り、肉を食べないアッシュは、自分で集めた木の実と彼女が〝焼き菓子〟と呼んで持参している薄く焼いた煎餅のようなものを数枚食べるのが常だった。

 ユニの目にはとても足りそうに見えないが、エルフにとってはそれで十分らしい。


 日が落ちた頃には片付けも終わり、翌日の予定を簡単に打ち合わせてから、三人は思い思いに定めた寝場所でさっさと眠りについた。

 街道からは見えない場所なので、群れのオオカミたちもかなり近いところに集まってきて寝そべっていた。


 ユニは元の大きさに戻ったライガの腹にしがみつくようにして寝息を立てている。

 とっぷりと夜の闇に包まれ、焚火の小さな炎だけがゆらゆらと周囲を照らし続ける。

 夜半を過ぎたころ、静寂の中で一斉にオオカミたちの耳がぴくんと立った。

 ライガも群れのオオカミたちも眠っていたのだが、彼らの聴覚や嗅覚が完全に眠りに落ちることはない。


 首筋の毛をぶわりと膨らませて、ライガは頭を静かに上げた。

 ユニが抱きついた姿勢で目を閉じたまま眠そうなかすれ声で囁く。

「何か近づいてるの?」


『すまん、起こすつもりはなかった』

 ライガは詫びたが、こればかりはどうしようもない。

 彼が感じ取った警報アラートや緊張は、言葉にしなくてもダイレクトにユニに伝わってしまうのだ。


 ユニは薄目をあけて頭上にあるライガの巨大な顔を見上げる。

 焚き木の残り火で微かに闇に浮かび上がるオオカミの表情は頼もしく、思ったより平静なものだった。

 鼻先に皺がよっていないし、牙も隠れたままだ。


 ユニにはよく見えないが、少し離れた群れのオオカミたちも頭を上げて警戒をしているようだった。

 ただし、誰も立ち上がってはいない。


『同族だな……』

「それ、この世界のオオカミってこと?」

 ユニの問いにライガは小さく頷く。


『こっちの臭いに気づいて近寄ってくるようだが……妙だな』

「何が?」

『この周囲には俺とハヤトやトキがマーキングしてある。

 その臭いを嗅いでいれば、こっちにちょっかいを出すはずがないんだが……』


 オオカミ同士は、尿の臭いで相手の年齢、性別、体格などをかなり正確に嗅ぎ取ることができる。

 ライガたちはこの世界のオオカミに比べ倍近い体格をしており、そんな剣呑な群れに出会えば、まともなオオカミだったら争いにならないように避けて通るのが常識である。


『とにかく相手の出方を見よう。

 特別危険はないと思うが……一応マリウスの小僧を起こしておくか』

 ライガはのっそりと身を起こし、ゆっくりと訪問者たちが近づいてくる方向へと歩き出した。

 リーダーの行動に合わせて、ハヤトとトキも立ち上がってその横につく。


 群れの女衆は逆にこちらに集まってきた。ライガに代わってユニをガードするつもりらしい。

 もっとも彼女たちは『交渉事は男どもに任せておくわ』という態度で、あまり緊張感が感じられない。

 ライガの言いつけで、ジェシカがマリウスの首を甘噛みし、シェンカが顔をべろべろ舐めまわして起こす。

 アッシュはとっくに異変に気づいたようで、ねぐらにしていた大木から滑り降りてきた。


「オオカミのようだな」

 ユニの隣りにするりと身を寄せたアッシュが囁いた。

「ええ、ライガが様子を見に行ってます。

 何かこちらに用事でもあるみたいですね」


 ユニたちが野宿した場所は、湧き水の周りに広がる狭い草地で、周囲は木立に囲まれている。

 マリウスが寝呆け眼をこすりながら状況を確認しに来たころには、ユニもだいぶ闇に眼が慣れて草地が見渡せるようになっていた。

 ライガたちはその草地の端で立ち止まり、相手を待ち構えている。


 しばらくすると、木々の闇の間から一頭のオオカミが姿を現した。

 頭と尻尾を下げ、耳もぴたりと後方に寝かせている。ゆったりと尻尾を振っていることからも、敵対する意思はないとアピールしているようだった。

 オオカミが出てきた闇のそこかしこで、残り火の微かな光を反射した瞳が光っていて、向こうの群れのオオカミたちが固唾をのんで見守っているのだと想像できた。


 姿を現したのは体長が百七十センチほどの雄オオカミで、その群れのリーダーのようだった。

 この世界のオオカミとしてまあまあ大きい部類なのだが、待ち構えているライガたち三頭がいずれも三メートル前後の化け物のような大きさである。

 気の毒なオオカミはおっかなびっくりで近寄ってくるが、無理もない話だ。


 ライガは、これは自分だけで事足りる事態だと判断して二歩前に出る。

 接触した二頭のオオカミは、互いに「ふんふん」と相手の臭いを嗅ぎ合っていたが、先方は終始低姿勢でライガが唸りでもしたら、即座に腹を見せて降参しますといった雰囲気だった。

 数分間、臭いの嗅ぎ合いが続いた後、明らかに安堵した様子で向こうのリーダーが戻っていき、あっと言う間に群れの気配が消え去った。

 相手の方にしてみれば、生きた心地のしない会見だったろう。


      *       *


 ライガはゆっくりとユニの方に戻ってきたが、ハヤトとトキはそれまでとまるで違う緊張感を漂わせて、木立の闇の中に別々に消えていった。

「ハヤトとトキに追わせたの?」

 ライガは首を横に振った。

『ハヤトたちは周囲の警戒に行った』

「?」

 不思議そうな顔をしているユニに、ライガは少し首を傾げてから、先ほどの会談の内容を説明した。


 ユニたちが野営した湧き水は、あのオオカミたちの水飲み場――要するにこの一帯は彼らの群れの縄張りテリトリーであるらしい。

 そこへ突然よそ者の群れが侵入してきたのである。

 彼らとしては、本来縄張りを守るために戦いを挑むべきなのだが、相手が悪い。どう見ても勝ち目がなさそうな化け物揃いな上に、たちの悪いことに人間まで連れていたというわけだ。

 そこで群れのリーダーは、ライガたちに退去を願えないか、平和的な交渉――というより懇願しに来たのであった。


『まあ、あいつらには俺たちが明日にはここを去ると伝えたから、それはいいんだが。

 その礼のつもりかしらんが、最近やつらの縄張りにクマが入り込んできて、この水場にもよく現れるから気をつけろと教えてくれたんだ。

 かなりの大物で凶暴なやつらしい』


 ユニは手早くマリウスにライガの話を伝えた。

「クマですかぁ……一応用心で結界を張っておきますか?」

「う~ん、その必要はないかな……」

 せっかくの申し出だったが、ユニは溜め息交じりに断った。


 きょとんとした顔のマリウスの横からアッシュが口を挟んでくる。

「ユニ、さっきからオオカミたちが興奮してるようだが、どういうことだ?」

「あ、やっぱ分かります? 実はですね……」


 ユニが説明をしようとした時、木立の闇の中からトキがもの凄い勢いで飛び出してきた。

『いたいたいた!

 凄いぞ、王国のクマより二回りはデカい!

 今、ハヤトが追い立ててくる!』


 トキの報告に群れの女衆が色めき立って待ち構える一方、ユニは頭を抱えた。

「バカなの? あんたたち!

 クマ狩りしてるんじゃないのよ、追い立ててきてどうすんの!!!」


 ユニは若いころ、シカリじいさんという老猟師に弟子入りしたことがある。

 約一年の間、彼女は辺境で生き抜くすべを身につけながら、オオカミたちとともに狩りの技術や連携を学んだが、その狩りの獲物がクマであった。

 オークを別にすれば、クマは森で最も手強い相手であり、オオカミたちの狩猟・闘争本能を十分に満足させる獲物であった。

 ついでに言うと、その肉の味も彼らの大のお気に入りだった。


 ユニの叫びが終わらないうちに、木立の中から地響きを立てて巨大な灰色グマが飛び出してきた。

 その後ろから牙をむき出しにしたハヤトが、嬉々として追いかけてくる。

 もうユニが何を言っても無駄だった。


 オオカミたちは一斉に巨大グマに襲いかかった(ライガはさすがにユニの側から離れなかったが)。

 とはいえ、彼らは決して正面から立ち向かうような迂闊な真似はしない。

 体長は別にして、クマの質量はオオカミたちを軽く凌駕する。

 凄まじい腕力と鋭い爪、牙は十分脅威であった。


 オオカミたちは敏捷さとスピードを武器に、徹底して後ろや横からの攻撃に徹する。

 まずは巨大な顎と牙でやみくもに噛みつき、相手の動きに制限を加えておいて、他のオオカミが膝の内側、脚のつけ根など毛皮が薄く、太い血管が表面近くを通る弱い箇所を狙って襲いかかる。

 クマが体力にまかせて振り払うと、彼らは逆らわずに宙を飛び、猫族のように空中で姿勢を制御して着地した。

 オオカミたちはそれを遊びであるかのように楽しんでいる。

 そうした攻撃を執拗に繰り返し、出血を強いて体力を徐々に奪っていくのだ。


 ほとんど明かりのない闇の中で、黒と灰色の巨大な毛玉がごろごろとのたうち回っている。

 荒々しい吐息と唸り声だけは、ユニたちにもはっきりと伝わってくる。

 オオカミたちのクマ狩りを初めて目にするマリウスは、ぽかんとして眺めるばかりだった。

 一方、アッシュの方はオオカミたちの仕事を大いに楽しんでいるようだった。


「いやいや、手馴れたものだね。

 だが……倒すには相当時間がかかりそうだな」

 エルフはそう呟くと、いつの間にか肩にかけていた弓を握ると無造作に引き絞って「ひょう」と矢を放った。

 ろくに狙いもしない一射だったが、矢は風切り音を残して見事に暴れるクマの片目に突き刺さった。


 クマは絶叫とともに後ろ足で立ち上がり、闇雲に腕を振るった。

 「ぱきっ」と乾いた音がして矢が折れたが、三分の一ほどが目から突き立ったままだ。

 不利を覚ったクマは、噛みついているオオカミを引きずったまま逃走を図った。


 オオカミたちは勇躍、取り囲んで追撃に移る。

 獲物が弱るまで一晩中だろうが追跡して仕留めるのは、オオカミたちが最も得意とする戦法だ。

 だが、そこで興奮した彼らに冷水を浴びせるかのように、ユニの怒気を孕んだ叫び声が飛ぶ。


「あんたたち! いい加減にしなさい!!」

 ユニが本気で怒っているのを感じ取ったオオカミたちは、渋々獲物を逃して戻ってきた。

「まったくもう!

 あんなデカいの倒したって、食べきれるわけないでしょ!

 まだ暑いんだから、すぐに肉なんて腐っちゃうわよ!」


「いや、そこですか?」

 マリウスがぼそっと突っ込むのをひと睨みで黙らせ、ユニはお説教を続けようとしたが、次の瞬間オオカミたちがクマが逃げ去った方向を一斉に振り返った。

 木立の向こう、街道の方から人の叫び声が聞こえてきたのだ。


「ライガっ!」

 ユニが一言叫んでオオカミの背中に飛び乗ると、ライガは放たれた矢のように飛び出していく。

 それと同時にアッシュも何ごとかエルフ語で叫ぶ。

 その声に反応したハヤトが駆け寄ると、彼女もまたオオカミに飛び乗って後に続く。


 湧き水の周囲の木立を抜けると、街道の辺りでいくつもの灯りが転がっているのが目に入った。

 ユニは咄嗟にライガの背から飛び降りると、二、三度ごろごろと地面を転がってから跳ね起き、灯りを目指して走り出した。

 アッシュがすぐにその後に続く。彼女もハヤトから降りている。

 オオカミたちを人間に見られてはまずいのだ。


 街道上ではいくつもの松明が転がっていて、その炎が周囲で右往左往する男たちを照らしていた。

 そこへユニたちが闇の中から現れたものだから、彼らはぎょっとして慌てて槍を構えた。

 ユニはすばやく手にしていたナガサ(山刀)を腰の鞘に戻し、手を挙げて敵意のないことを示して呼びかけた。


「大丈夫ですか?

 私たちは手負いのクマを追っていたのですが、もしや襲われたのでは?」


 彼らのリーダーらしい軽装鎧を着込んだ中年男は、ユニたち二人が女であることを認め、少し緊張を緩めた。

 しかし構えた槍の穂先をわずかに下げただけで、まだ警戒は解かない。


「一人引っかけられた。

 腕が折れてるが、まぁ命には別状ないだろう。

 クマは俺たちに目もくれずに逃げていったよ。

 ……それより、あんたら何者だ?」


 ユニの傍らには、いつの間にか身体を小さく変えたライガが寄り添っている。

「私たちは旅の者です。

 近くで野営していたのですがクマに襲われ、矢を射かけたところ運よく目に刺さってくれました。

 それでこの犬が追い立ててくれてクマは逃げ出したのですが……。

 まさかその先に人がいるとは思いませんでした」


 ユニの視線の先では、クマに跳ね飛ばされたらしい男が路上に座り込んでいる。

 仲間の者が添え木をして、ボロ布で腕を吊ってやっているところだった。

 そこへぜいぜいと息を切らせながらマリウスが追いついてきた。


 中年男はマリウスを胡散臭そうに見やった。

「あんたら三人で全部か?」

「ええ」

 ユニが頷くと、男はやっと槍を収めた。


「俺はガトー。〝流れ〟の警備団をやっている者だ。

 今はこの先のプサンって村に雇われている」

 ガトーの周りにほかの仲間もぞろぞろ集まってきた。


 男たちは怪我をしたものを含め、全部で六人。

 全員帝国軍の一般装備である革の軽装鎧を着込んでいるが、色や形がばらばらで統一感がない。

 片手には短槍を持ち、腰には弩(クロスボウ)をぶら下げている。


「村に雇われたって、ひょっとしてさっきのクマと関係が?」

 ユニが訊ねると、ガトーが頷いた。

「ああ、先週の話だが村の母子がクマに襲われたそうだ。

 子どもは頭だけが喰い残されていた。

 母親は身重だったが、内臓を喰われていた。胎児ごとな。

 人の味を覚えたクマはまた人を襲う。

 人間はそう美味くはないらしいが、奴らにしてみりゃ間抜けで楽な獲物だからな。

 それで俺たちが雇われて、村の周囲を警戒していたってわけだ。

 なるほどな、さっき突っ込んできたクマの目に矢が生えてたのはそういうわけか……。

 これで懲りてくれればいいんだがな」


 集まった彼らは道に散らばっていた松明を拾い上げていたので、今は互いの顔がよく見える。

 ガトーは値踏みをするようにユニとアッシュを眺めていたが、他の男たちも似たり寄ったりの視線を送ってくる。

 そうした男どもの目には慣れていたが、ユニとしてはあまりいい気持ちはしない。

 アッシュの方は、相変わらずまったく気にしていないようだった。


 ガトーはふと気づいたようにユニに訊ねた。

「あんたら、あの木立の方から来たってことは、湧き水のあたりで野宿してたのかい?」

「ええ、そうよ」

「実は俺たちもそこで水を補給しようとしていたんだ。

 ちょうどいい、水を汲んだら、あんたたち俺らと一緒に村に来ないか?

 クマのことを説明してもらえると助かるし、奴を追い払ったと知れば歓迎されるだろう。

 少なくとも屋根のついたとこで眠れるぜ」


 ユニは二人の方を振り返った。

「今さらあそこで眠る気にもなれないし、私は構わないぞ」

「右に同じです」

 アッシュの言葉にマリウスも頷いた。


「そいつはありがたい。

 じゃあ、とりあえず湧き水まで行こうか」

 ガトーは笑顔を浮かべ、仲間の男たちに目で合図を送る。

 部下たちは「やれやれ」と言った顔だが、休憩できそうだと安堵して後をついてくる。


「あんた、旅人だと言ってたが、訛りが外国風だな。

 そっちの兄ちゃんは帝国人だろうが、姉さんたちはどこから来たんだい?」

 ガトーはユニたちと並んで歩きながら、機嫌よく話しかけいてくる。


「私はルカ大公国から留学に来たの。

 彼はあなたの言うとおり帝国人よ。私を迎えに来てくれたの。

 このはもっと遠い国の出らしいけど、カシルで知り合った人だから詳しくは知らないわ」

 たわいもない世間話をしながら、一行は木立の中へ入って行った。


 やけに愛想はいいがあまり中身のないガトーの話に適当に答えていると、傍らのライガのうんざりした意識が割り込んでくる。

『おいユニ、こいつらとぼけた顔でついてくるが、全員〇〇〇をおっててるぞ』

 ユニは「やっぱりか」という溜め息とともに顔をしかめた。

 ライガの声が聞こえるアッシュは肩をすくめている。


 ユニは前を歩いているマリウスの踵をわざと踏んづけた。

「どうかしましたか?」

 マリウスは振り返らずに小声で訊いてくる。

『よしよし、ちゃんと分かっているわね……』

 ユニは心の中で満足そうに頷いたが、念のため周囲に聞こえるような声で付け加えた。

「そう言えばクマが出てきた時、あんたが言ったことね。

 向こうに着いたらやっぱりお願いするわ。いいかしら?」


 マリウスは振り返らぬままで答えた。

「はいはい、分かってますよ。お嬢さんの仰せのままに……」


      *       *


 野営地に戻ると、警備団の男たちはそれぞれ水筒に水を汲むと、草むらに座り込み喉を潤して談笑を始めた。

 その間にユニたちは寝床を撤収し、荷物をひとまとめにして出発の準備にとりかかった。

 ものの十分もかからずに支度は終わったが、警備団の方もそれを見て立ち上がると、ユニたちの周りに集まってきた。


「それじゃ村まで案内してもらいましょうか」

 そう言ってユニは背嚢を背負い出発しようとしたが、男たちはこちらを向いてニヤニヤと笑い、動こうとしない。

 ユニは首を傾げた。

「どうしたの?

 もうここには用がないと思うけど……」


「いやいやいや、用は大ありだぜ、お嬢ちゃん。

 これからここで楽しいことが始まるんだ」

 ガトーが笑いながら宣言すると、男たちが手を叩いてやんやの喝采を贈る。


「楽しいことって、……何の話かしら?」

 ユニがやや呆れながら訊ねると、ガトーはますます笑顔になる。

「そりゃあ、ここであんたら三人の運命が決まるんだよ。どうだい、楽しいだろう?」


「ユニ、この男たちはさっきから一体何を言っているのだ?」

 アッシュが大真面目な顔でユニに訊ねると、男たちは一斉に爆笑した。


 ユニは大げさに溜め息をついた。

「そうねー。まずあたしとアッシュは、これから輪姦まわされる運命ね。

 多分この人たちが飽きるまで、二、三日は続くのかな?

 その後はカシルに連れていって、女郎屋に売り飛ばすってとこかしら……」


「なんと、それは!」

 アッシュがわざとらしく驚きの声をあげる。

「私たちにそんな過酷な運命が待っていたとはな!

 だが待て、それでは彼はどうなるのだ?」


 ユニは悲しそうに首を振った。

「マリウスはこの場で殺されて埋められるのかしらね。

 彼があと十歳若かったら、男娼として売れたかもしれないけど……残念だわ」

 アッシュもマリウスの悲惨な運命を聞いて目を丸くし、衝撃を受けたような表情を浮かべた。

「それは……! 気の毒としか言いようがないな!」


 彼女たちの三文芝居を見ていたガトーの顔から、すっと笑みが消えた。

「……ほう。ずいぶんと察しがいいじゃないか。

 いつから気づいてた?」


 ユニは侮蔑の表情を浮かべ、冷たい声で答えた。

「最初から。

 あたしも辺境暮らしが長いのよ。

 あんたらみたいなのは散々見てきたわ」


「まあ、彼らの半分は脱走兵でしょうね。

 あとは逃散した開拓民の成れの果てが混ざっているのか……。

 どっちにしても、帝国の法律じゃ捕まれば死刑です」

 マリウスが補足する。


「一つ聞きたいんだけど。

 プサンって村からクマ退治を請け負ったって本当なの?」

 ユニが訊ねるとガトーの顔に笑いが戻ってきたが、そこからはイライラした感情がすくい取れた。


「ああ、本当さ。

 もっとも、あんな人喰いグマの相手をする気なんざ始めからなかったがな」

「やっぱりね……」

 ユニがまた溜め息をついた。

「大方、警備兵として村に入り込んでおいて、強盗に早変わりする気だったんでしょうけど……。

 この辺の村じゃ、根こそぎ奪っても大した稼ぎにならないんじゃないの?」


 ガトーは声をあげて笑った。今度は心から愉快そうな笑い声だった。

「バカか、お前?

 さっき自分で正解を言ってただろうがよ。

 いいか? 村に入り込んだのは売れそうな娘の目星をつけるために決まってるだろ!

 頃合いを見てかっさらったら、カシルの女衒ぜげんに売り飛ばすんだよ。

 もちろん、お前が言ったとおり、飽きるまで楽しんでからだがな」


 言い放ったガトーの目がすっと細くなった。

「そろそろお喋りは仕舞だ。……やれ」

 その合図と同時に三人の部下が腰だめにしていた弩を構えて引き金を引く。

 短く太い矢が唸りをあげてマリウスの身体に向けて発射された。

 しかし、矢は三本とも彼の身体の一メートルほど手前で弾かれ、ぱらぱらと地面に落ちた。


 それを見たもう一人の部下が慌てて自分の弩を撃ったが、結果は同じだった。

「対物防御……魔法だと?

 バカな! そんなの士官クラスの魔導士じゃないと使えないはず……!」

 叫び声をあげたガトーの顔からは血の気が失せていた。


「へえ、そこまで知ってるってことは、やっぱり元軍人ですか……。

 で、どうします、ユニさん?

 こいつら捕まえて役所に突き出してもいいですが、こっちのことを喋られても面倒ですよ。

 逃亡兵でもそうですけど、誘拐や人身売買でも結局吊るされますからね。

 僕としては、ここで片付けることをお勧めしますけど」


 パニックに陥った男たちの周囲には、いつの間にか巨大なオオカミが取り囲んで牙を剥き、逃げ道を塞いでいる。

 ユニは溜め息をついた。

「そう……なんだけど。

 やっぱりこの子オオカミたちに人間を殺させたくはないわ……」


「カシルでは殺させるつもりだっただろう?

 ユニ、それは偽善だぞ」

 アッシュが静かな声で言った。


 ユニは俯いたまま「分かってる」と小さな声で答えた。

 アッシュは小さく溜め息を吐いて、ユニから視線を外した。

 そして男たちに向き直ると、エルフ語で抑揚をつけた言葉を紡ぎ出した。

 ユニたちに言葉の意味は分からなかったが、それは美しい歌のように聞こえた。


 彼女の〝歌〟は数秒で終わったが、その途端、男たちの周囲に風が巻き起こり、それはどんどん速く、激しくなり、周囲の土や埃を巻き上げて、完全に中の者たちの姿を隠してしまった。

 数分間その状態は続いた後、風は徐々に弱まっていき、やがて消え去った。


 そこには六人の男が倒れていた。

 目、耳、鼻、口から血を流し、口からはどす黒く膨れ上がった舌がでろりとはみ出している。

 窒息したのだろうか、とにかく彼らが死んでいることは明らかだった。


 アッシュはユニの方を見ることなく、独り言のようにつぶやいた。

「エルフは争いを好まないが、敵と見定めた者の命を奪うのに躊躇をしない」


 そして、エルフの姫は自分の荷物を手にすると、マリウスに声を掛けた。

「夜明けまでまだかなりの時間があるが、歩いた方が気が紛れるだろう。

 ……行こうか」


 アッシュが街道に向けて歩き出し、マリウスもそれに続いた。

 ユニも黙ったまま、その後をついていった。

 ライガは何か言いたげにユニの顔を見上げたが、諦めたように首を振ってユニの前を歩き出した。

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