悠久の魔導王 第七話 龍の灰

 男たちが闇の中に消えていくと、その場の緊張が一気にゆるんだ。

 ユニは深く安堵の息を吐き出したが、狐につままれたような気分だった。

「なんなのよ、今の……。催眠術?」

「まさかとは思いますが……いや、間違いないか。

 あれは魔法ですね?」


 ユニの言葉が終わらないうちに、彼女を押しのけるようにマリウスが一歩前に出た。

 頼りない月明りでも、彼にいつも張り付いている笑みが消えているのが分かる。


 女は小首を傾げて周囲を見回した。はらりと黒い髪がこぼれ、香水とは異なる爽やかな芳香が鼻をくすぐった。

「心配なのは分かるが……当分あいつらが私たちのことを思い出すことはないぞ?」


「いや、そういうことじゃなくて!」

「何よマリウス、あんただって魔導士なんだから、別にこの人が魔法を使ったっていいじゃない。

 ひょっとして嫉妬してるの?」

「話をややこしくしないでください!

 今のが魔法だったら、大変なことなんですよ」

「何が? 魔法なんだから何でもありでしょ?」


 マリウスは必死で何かに耐えている顔だ。

「あのですね、今のがもし精神操作魔法だとしたら、帝国高魔研の魔導士が腰を抜かして座り小便を漏らすくらいの一大事なんです。

 精神系魔法っていうのは存在が推測されているだけで、歴史上誰一人として成功させた者がいないんですよ!」

「へえ~、そうなんだ。……すごいね」

「あのですねぇ……!」


「蛇の手の者よ……」

 すっかり会話から置き去りにされた女が遠慮がちに口を挟んできた。

「仲が良いのはよろしいことだが、ここでする話でもあるまい。

 誰かの宿にでも移らないか?」


「あ……」

 ユニとマリウスは互いの顔を見て思わず顔を赤らめた。

 そこへちょうどよくライガが戻ってくる。小さな姿のままで、元に戻る暇もなかったようだ。


『何なんだあいつら、ふらふらしながら戻っていったぞ?』

「待ち伏せとかの気配は?」

 気を取り直したユニの問いに、ライガは首を振った。


 ユニは女の方を振り返る。

「あなたの言うとおりね。

 私の宿に案内するわ。それから話しましょう」


      *       *


 ユニの部屋は二階の角で、隣りはマリウスの部屋だ。もちろん彼が事前に予約しておいた配置である。

 女とマリウスは部屋に備え付けの丸テーブルに向かい合って座り、ユニはベッドに腰をおろした(椅子が二脚しかないためだ)。


 女は室内に入ってもフードを被ったままだったが、露わにしていた素足はもう薄手のローブに隠れている。どうも腿の辺りまでローブをたくし上げて、何かで留めていたようだった。

 顔の下半分を覆っていたヴェールも取り去っていたので、化粧っけのない白い顔、高い鼻、形のよい唇をした美しい顔がよく見える。

 一見すると瑞々みずみずしい若い娘そのものだが、その表情には年齢と経験を重ねたような妙な落ち着きがあった。


「では、蛇の手の者……」

「待って」

 ユニが口を開きかけた女を制する。


「その〝蛇の手〟はやめて。

 まずは自己紹介からにしましょう。

 私はユニ・ドルイディア。王国の二級召喚士よ。

 それでこの子が幻獣のライガね。あと町の外にも群れのオオカミが七頭待機しているわ」


 ユニの足元に寝そべっていたライガが首をあげると、「ふん」と鼻を鳴らした。

 次の瞬間、中型犬ほどの大きさだったライガの身体がいきなり膨張した。

 そこには尻尾を含めると三メートルを超す化け物じみた大きさのオオカミの姿があった。

 ユニに〝この子〟と言われたことに腹を立てたらしい。


「ちょっとライガ、勝手に戻らないでよ! 部屋が狭くなるじゃない」

「へぇ~さすがはウエマク様の魔法具ですね。呪文なしにいきなり発動させられるんですか?

 羨ましいなぁ……」

 ユニとマリウスが驚かないのは、普段のライガを見慣れているせいだが、女の方も全く動揺しなかった。

 それどころか、女は椅子から立ち上がると、ライガに向かい膝を折って優雅なお辞儀をしてみせた。


「よきお姿ですね、ライガ殿。

 私は西の森が黒森の巫女、$♪×¥○&%#という者。以後お見知りおきを」

 ライガもお辞儀のつもりだろう、上げていた首をひょいと下げた。

 尻尾をばっさばっさと振っているところを見ると、彼女に礼を尽くされたのが嬉しいらしい。


『さすがはエルフの姫君だ、礼儀というものを知っておられるな。

 ユニ、お前も少しは見習ったらどうだ』

 女はライガの声が聞こえるらしく、微笑みを浮かべて控えめに頷いた。


 ライガの声が聞こえないマリウスは、「次は自分」とばかりに自己紹介を続ける。

「僕はマリウス・ジーン。

 元帝国軍の魔導中尉をしていました。今は王国の食客みたいなもんです。

 帝国で生まれ育ちましたから、今回は僕が案内役を務めます。

 それで大変失礼なんですが、先ほどのあなたのお名前がよく聞き取れませんでした。

 もう一度お願いできますか?」


「……ちょっと待って!」

 ユニが手の平を前に突き出して大声を出したので、マリウスは不思議そうな顔をしている。

「どうしたんです?」

 マリウスの問いを無視して、ユニは寝そべっているライガの方を見下ろした。


「ライガ、あんた今なんて言ったの?

 あたしにはこのひとが〝エルフ〟だって聞こえたんだけど!」

 ライガは顔もあげずにゆっくりと尻尾を左右に揺らしている。

『そんなこと、本人に聞けばいいだろう』


「ユニさん、それ本当ですか!」

 マリウスもさすがに驚いた顔をしている。

「ええ、さっき確かにこの人がエルフだって言ったのよ。ライガは『本人に聞いてみろ』って言ってるわ」

 ユニはマリウスに手早く説明する。

 二人は同時に振り返って女の顔を見つめたが、どう言ったらいいのか言葉が上手く出てこない。


「ライガ殿の言うとおりだ」

 そのやりとりを聞いていた女は、するりとフードを頭の後ろに押しやった。

 そして、はらりと流れた真っ直ぐな黒髪を片手でかき上げた。

 白く細い指の下から先が長く尖った耳が現れ、邪魔な髪の毛がいなくなったことを喜ぶように、ぱたぱたと二、三度動いてみせた。

 ユニとマリウスは目を丸くして、その様子をまじまじと見つめている。


      *       *


 この世界にもエルフ族は存在している。

 ただしその数はごく少数で、しかも彼らは人間族との接触を頑なに拒んでいたため、龍と同様に半ば伝説上の生き物と化していた。

 エルフは深い森の中で暮らし、弓矢を得意とするが肉食は好まず、魔法をよく使うとされていた。

 また、人間とは比べ物にならないほど長命だがあまり繁殖力は強くないとか、ドワーフと仲が悪いとか、いろいろに言われているが、そもそも人間と交わることが極めて稀なので、どこまで本当なのか分からない。


 彼らはもともと幻獣界の住人なのだが、偶然の事故か何かでこの世界に現れた者たちの子孫らしく、元の世界へ戻ることを渇望している。

 そして数百年の時を経て、ある条件を満たした者は故郷へと帰還する……らしい。


 とにかく、ユニやマリウスたちこの世界の人間にとって、エルフは妖精のように誰でも知っているが、実際には見たことがない――そんな存在だった。


      *       *


「……驚いた。本物のエルフに会えるなんて、夢みたいだわ。

 それであなたのお名前、もう一度教えてくださらない? 私も聞き取れなかったの」


 エルフは少し困った顔をした。

「無理だな。ライガ殿は別なようだが、人間には聞き取れないし発音もできないだろう。

 $♪×¥○&%#……というのが私の名だ。

 無理やり中原語(この大陸の共通言語)に訳せば〝龍の灰〟となるんだが、聞いてないか?」

「なるほど、それで〝ドラゴンズ・アッシュ〟か。……じゃあ、アッシュでいいわね?」


 エルフは眉根を寄せた。

「アッシュ? 何だそれは」

「いや、だから〝ドラゴンズ・アッシュ〟じゃ長すぎて呼びづらいでしょ? アッシュでいいじゃない」

「それは……私の名は確かに意味の上では〝龍の灰〟なんだが、エルフの言葉では一つの単語なんだ。

 それを途中で切られると意味を成さないではないか」

「よく分かんないわね。その名前の半分が〝灰〟って意味じゃないの?」

「まったく違うぞ! 灰は〝◎△?〟だから〝$♪×¥○&%#〟とは何も関係がないんだ」


「まぁまぁ……二人ともその辺にしましょうよ」

 堪らずマリウスが仲裁に入った。

「とりあえず僕ら人間が発音できる呼び名が必要なんです。あだ名でも偽名でもいいですから、アッシュということで納得してください。

 そうでないと肝心の話が進みません」


 エルフの女は渋々と頷いた。

 マリウスはほっとしたように先ほどの疑問を繰り返した。

「それで、あれは本当に精神系の魔法なのですか?」

「そのとおりだが、君に教えるのは無理だな。

 人間にエルフ語の呪文は発音できないだろう」

「う……あなたは相手の思考まで読めるのですか?」

「いや、君の顔に書いてあるだけだ。

 そこまで物欲しそうな表情をしていれば、馬鹿でも分かるぞ」


「はい、交替!」

 今度はユニが割って入る。

「マリウス、あんたこそ話を進める気があるの?

 さてと、ねえアッシュ。あなたの目的は何?

 エルフが帝国に行って何をしようとしているの?

 私たちは何も知らされてないのよ。

 それに、どうしてウエマク様はあなたの行動を知っている――っていうか、あなたもウエマク様のことを知ってるみたいだけど、どういうことなのかしら?」


 マリウスも本来の目的を思い出したのか、うんうん頷いている。

 アッシュの顔には困惑の表情が浮かんでいる。


「君たちが手伝ってくれることには感謝しているし、説明が必要だというのは当然だと思う。

 だが、エルフの掟で人間には明かせないことがあるのは理解してほしい。

 それと、あの蛇――君たちはウエマクと呼んでいるのだな?――との約定があってね。ウエマクとのことは、ほとんど教えられないのだ。

 詳しくやると一晩はかかるだろうから、できるだけ簡潔に説明したいのだが、それでよいだろうか?」


 ユニとマリウスは顔を見合わせ、互いに頷いた。

「それでいいわ。できる範囲で説明してちょうだい。分かんないことはその都度聞けばいいし。

 ウエマク様のことは、多分教えてもらえないだろうと思っていたから気にしないで」

 アッシュは少し安堵したように話し始めた。


      *       *


 エルフには人間と同じようにいくつかの国があって、私たちは〝西の森〟のエルフだ(西の森がどこにあるのかは教えられない)。

 私は西の森でも〝黒森〟に住む部族の者だ。

 エルフは部族単位で森に住んでいて、国はいくつかの部族の連合体だ。まあ、国と言っても全部で百人程度のものだがな。

 国を名乗るからには、各部族の族長とは別に国を治める王がいる。

 われわれの中には時々先祖返りのように強い魔力を持って生まれてくる者がいて、王になるのはそうした特殊なエルフ(われわれは〝導く者〟と呼んでいる)なのだ。


 王の役目は他のエルフの国との交渉事や外敵の排除なのだが、そうした事態はめったに起きないから閑職だと言っていい。

 だが王にはエルフに伝わる秘儀を受け継ぎ、次の王にそれを伝えるという重要な役割がある。

 王の交替は千年に一度あるかないかだが、国の中に新たな〝導く者〟が生まれ、その者が成人した日に引き継ぎが行われる。

 新しい王の候補は成人するまで〝巫女みこ〟と呼ばれるのだが、私はその巫女なのだ。

 先ほどライガ殿は私を〝姫君〟と呼んでくれたが、そうしたことを知っておられるようだ。後でライガ殿から詳しい話を教えてもらうがよいだろう。


 さて、私は近々三百歳の成人を迎える。普通なら現王から秘儀を受け継ぎ、新たな西の森の王となることだろう。

 ところが今から三十年ほど前、現王は突然西の森から姿を消してしまったのだ。

 この二十年というもの、部族の者たちは八方手を尽くして捜索したが、王がどこへ行ったのかを掴むことはできなかった。

 ――ある事情で(秘密だ)王が死んでいないことは分かっていたのだがな。


 とにかく、私という後継者がいるとはいえ、秘儀を伝える者がいないのでは王となっても意味を成さないのだ。

 私は私で自分にしかできない方法――有体に言えば魔法だな――で王の行方を捜していたのだが、十年ほど前にやっとその手掛かりを掴むことに成功した。

 その手掛かりというのが、われわれが〝智慧を呑む蛇〟と呼ぶ者の存在だった。

 そう、君たちがウエマクと呼んでいる黒蛇のことだ。


 この辺は詳しく話せないのだが、私はある方法でウエマクと直接話をすることができた。

 そして数年にわたる交渉の末、ウエマクはわれわれに協力することを承諾してくれた。

 腹立たしい話だが、交渉が成立するとあの蛇はわずか数か月で王の所在を突き止めてしまったのだ。


 驚いたことに王はイゾルデル帝国の首都、ガルムブルグにいた。なぜそんな遠国に王がいるのかまでは、さすがのウエマクにも分からなかったがな。

 われわれエルフは生まれながらに魔力を持ち、自在に魔法を操れる。人間の魔導士など、エルフにとっては赤子同然だ。

 そのエルフ族でも特別強力な魔力を持つ王が、人間に拉致されるなどおよそ考えられない。

 したがって、王が帝国に滞在しているのは王自身の意志で、そこには何らかの理由があるのだろうとわれわれは考えていた。


 ともあれ王が帝都にいることが判明して以来、われわれは慎重に王の置かれた状況を調査してきた。

 ……まあ、その辺はウエマクに頼らざるを得ないのが実情だったがな。

 それで分かったのは、王がある塔に幽閉(あるいは軟禁と言ったらいいだろうか)されているらしい……ということだった。

 そして、帝国はこの三十年にわたり王から魔法の知識を得て、急速に魔法研究を進展させている疑いがあることも分かった。

 人間に分を超えた知識を与えるのはエルフの掟に背くことだ。

 王は巧妙に騙されて帝国に赴き、そこで拘束されて何らかの脅迫、あるいは拷問によって無理やり協力させられている――それが現時点でのわれわれの推測だ。


 私は次期王となる巫女として、王の奪還を目指して……いや、正直に言おう。

 王を救い、連れ帰ることができればそれに越したことはないが、例えそれが叶わず、最悪王が死ぬこととなっても、一族に伝わる秘儀だけは受け継いで帰還する――それが私の目的だ。

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