悠久の魔導王 第五話 案内人
リスト王国の北側を流れる大河、ボルゾ川はそのままイゾルデル帝国との国境線となっている。川は大陸東端で海に注いでいるが、その河口に発展したのが港町カシルで、自治領として王国と帝国の二重支配を受ける都市国家でもある。
二重支配といっても、河口の南側に広がる南カシルが王国の支配下にあり、対岸の北カシルが帝国領となっているから、分散支配と言った方が正確かもしれない。
カシルは王国・帝国双方にとって唯一の海洋貿易の拠点であり、川を使った舟運交通の要所でもある。
小さな都市国家でありながら、貿易・運輸による莫大な財力を背景に自治権を獲得し、独自の地位を占めていることから〝自由都市カシル〟と呼ばれることもあった。
ユニたちがカシルを訪れるのは初めてではない。
かつて河口近くの川中の島(中之島)で起きた、帝国軍と獣人族の争いの調査を命じられた際、帝国領である島に潜入するため、アスカとともに準備で来たことがある。
そこで獣人と人間のハーフであるフェイと出会い、アスカが事件後フェイを引き取ったという経緯があった。
ユニは群れのオオカミたちを町の外に広がる森林に残し、仔狼に姿を変えたライガとともにカシルに入った。
もちろん通行証は黒蛇帝が手配してくれていたので、門衛に咎められることはない。
町に入ると前回泊まったのとは別の宿をとり、風呂をつかうなどして予定の時刻までを過ごした。
宿の主人には多めの金を握らせて、「ペットではない、大切な家族だ」と飼い犬を溺愛する愛犬家を装いライガの同室を認めさせた。
仔犬と言うには少し大きいが、宿の主人はライガをオオカミだとは思わなかったようだった。
『気に入らんな!』
温かなお湯で汗を流し、清潔な衣服に着替えて上機嫌なユニと対照的に、ライガの機嫌は悪かった。
「あら、どうしたの?」
『どうしただと? この俺が愛玩犬みたいな目で見られたんだぞ!
面白いわけがないだろう』
ユニはにやりと笑ってライガをひょいと抱き上げ、もふもふの毛並みを撫でまわした。
『あっ、バカ! やめろ!』
ライガは身をよじって抵抗するが、中型犬程度の大きさしかない今の彼には抵抗のしようがない。
「そんなことないわ、ライガは十分可愛いわよ」
意地悪くライガをなでなでしながら、ふいにユニは真顔になる。
「いいこと、あんたはこの姿でいる間、可愛いワンちゃんでいてくれなきゃ困るんだからね。
ちゃんとそれらしく振舞うのよ」
『それは分かっているがな……』
ライガは憮然としながらも、そう答えざるを得なかった。
* *
夕方近く、飲み屋が店を開け始めるころになって、ユニたちは下町のあまり清潔とは言えない繁華街に出かけた。
〝海馬の穴〟は以前にも利用した情報屋の親父がやっている店で、ウエマクからは今回もこの男を訪ねるように言われていたのだ。
頑丈だが殺風景な扉を開けると、薄暗い店内には相変わらず客の姿どころか、店の者の気配もない。
ユニはライガを連れて遠慮なくカウンターに進むとスツールに腰をかけた。
彼女はカウンターの上に転がっている大きなスプーンを手に取ると金属製の水差しを遠慮なく叩きつける。
ガンガンというやかましい音が鳴り響いてしばらくすると、奥の厨房から太った大男がのそのそと出てきた。
「るっせえなぁ~!
客のくせに人を呼びつけるたぁ、ふてぇ野郎だ。どこのどいつだ?」
寝ぐせのついた髪をばりばりと掻き、盛大なあくびをしながら主人が顔を覗かせる。
「あー、……あんだぁ? 召喚士の姉ちゃんか、久しぶりじゃねえか。
早かったな」
主人はカウンターの外に出て、ユニの隣りにどっかと腰を下ろす。
汚いエプロンのポケットから煙草を取り出すと、カウンターにマッチをこすりつけて火をつけ、深々と煙草を吸うと盛大に煙を吐き出す。
煙草を吸わないユニにとっては大迷惑だ。
顔の前で手をぱたぱたと振って、露骨に抗議の姿勢を見せると、主人はやっと気づいたように「がはは」と豪快に笑った。
「ああ、こりゃ失敬。悪かったな。
ところでなんだい、その犬っころは?
あのでけぇオオカミはどうしたんだい?」
ユニはまだ顔をしかめたまま答える。
「この商売は余計なことを詮索しないんじゃなかったの?」
主人はまた「がはは」と笑うと、大きな手でユニの背中をばんばんと叩いた。
「違えねえ!
だが、この商売と言やあ、今度のは感心しねえなぁ」
主人の目から笑いが消え、すっと細くなる。同時に声が低く小さくなった。
「おたくんとこの軍はお得意さんだ。払いもいい。
俺はうまくやっていきたいんだ、分かるだろ?
それがよぉ、何で今回はいつもの奴じゃねえ、別ルートで話が持ち込まれるんだ?」
ユニは肩をすくめた。
「それこそ〝余計な詮索〟よ。
軍の内部だっていろいろあるってことくらい、そっちだって知ってるでしょ」
親父はまだ不満そうに鼻を鳴らす。
「……ふん。
まぁいい。だが、余計なトラブルはごめんだぜ?」
主人はやおら立ち上がると、カウンターの中に戻った。
「あっちの奥にお客さんがお待ちかねだ。
今回あんたを手引きする案内人だ。
段取りはその男に全部話してあるから、詳しいことはそいつから聞くこった」
主人が顎で示した先は、店の奥まったところで、そこに扉が見える。
その中は個室になっていて、主人の裏の商売に関わる密談に使われる所だった。
大男はカウンターに肘をつくと、汚い髭面をぐいと近づけ、にやりと笑って囁いた。
「知らねえ仲じゃねえからな、忠告しとくぞ。
あの男、へらへらした兄ちゃんだが、信用すると寝首をかかれるぞ。
この商売を長くやってるとな、あの手の喰えねえ奴ってのは臭いで分かるんだ」
ユニも小声で囁き返す。
「その男って、あなたの仲間じゃないの?」
「いいや、知らねえ奴だ。
どうも帝国人らしいがな。あんたの雇い主のご指名ってわけだ」
「ありがと、十分気をつけるわ」
ユニの反応に満足したのか、主人は身を起こすと再び遠慮のない胴間声に戻る。
「飲み物はビールでいいな。何か食うかい?」
ユニはスツールから滑り降りると、にこりと笑った。
「この店、汚いけど味がいいのは知ってるわ。
お任せで見つくろってちょうだい」
話は終わりとばかりに、ユニはライガとともに奥へ向かおうとしたが、思いがけずに主人に呼び止められた。
いい歳をした大男が言葉を出しかねてもじもじしている。笑える光景だった。
「ああ、……その、なんだ。
フェイの奴はどうしてる?」
少しからかってやろうか、一瞬そう考えたユニだったが、思い直してとびきりの笑顔で答える。
「ええ、元気。元気すぎるくらいだわ。
会ったらきっと驚くわよ。とびきりの美人になってるから!」
* *
ユニは店の奥の扉をノックして、そっと中に入った。
外からは粗末な扉に見えるが、開けてみるとかなりの厚みがあり、ずっしりと重い。
おそらく防音のためなのだろう。
部屋には窓がなく、ランプの明かりだけなので薄暗く、目が慣れるまで少し時間がかかった。
それでもテーブルに若い男が座っているということは見てとれた。
「ごめんなさい、お待たせしたかしら」
そう詫びながら、ユニは向かいの椅子に腰をおろした。
ライガは男に対して全く警戒の色を見せず、大人しく足元に伏せて寝そべった。
少しすると目が慣れ、相手の男の表情が次第にはっきりとなってきた。
背の高さは平均的だが引き締まった体つきで、生まれつきなのだろう、栗色の髪がくるくるとカールしている。
整った顔には消えることのない笑顔が浮かび、目が自然と細くなっている。
人懐っこいとも見えるし、少し相手を馬鹿にしているようにも思える。
店の主人の忠告で、ユニは男に対し最大限に警戒のアンテナを張っていた。
それがガラガラと音を立てて崩れていくのを、はっきりと感じた。
ユニの肩ががくりと落ち、そのまま頭をテーブルに打ちつける。
「ごん」という鈍い音が響き、彼女は突っ伏したままくぐもった声で叫んだ。
「マリウス~、なんであんたがここにいるのよぉ!」
* *
「ごっごっごっごっごっ……」
ユニの白い喉が上下して、運ばれてきたばかりのビールが流し込まれていく。
陶製の大きなマグの半分以上を一息で飲み干すと、「だんっ!」と音を立ててテーブルに叩きつける。
マリウスはにこにことしながらその様子を見守っていた。
「いやぁ~、相変わらず見事な飲みっぷりですね」
「〝いやぁ〟じゃないわよ!
これはどういうこと? 説明しなさいよね!」
ユニは半眼になって、栗色の髪の青年を睨みつけた。
* *
マリウスはにこやかな表情のまま、これまでのことを話し始めた。
彼はユニが赤城市を去った後も、アリストアとともに魔人ナイラ事件の調査や後始末に追われていた。
ユニの出立から十日ほど経ったころ、マリウスはアリストアの執務室(リディアから仮に与えられた部屋)に呼び出された。
「何かご用ですか?」
「ああ、来たか。
まあ、かけたまえ」
アリストアは書類の束から目を離さないまま椅子をすすめた。
マリウスが応接用の上等な椅子を執務机の側に運び、ふかふかのクッションに遠慮なく身を沈めると、やっとアリストアは書類から顔を上げた。
「すまんが黒城市に行ってくれないか」
まるで近所にお遣いに行けというような口ぶりだった。
「ずいぶん急なお話ですが……またユニさんがらみですか?」
「……多分な」
「……多分?」
アリストアは少し困ったように溜め息をついた。
「実は黒蛇帝から君をしばらく貸せという要請があった。
帝国に関することだから、内容は聞くなという条件付きだ。
参謀本部としては、今回の件で黒蛇帝に大きな借りを作っている。
……つまり断れんのだ」
マリウスは少し考え込んだ。
黒城市は帝国軍と直接対峙する北の護りである。
当然、対帝国の諜報活動も黒蛇帝の指揮のもとで行われている。
元帝国軍人だったマリウスを使いたいというのは自然な話だ。
情報戦であれば、例え同じ軍内部であっても内容を秘匿するのは当然である。
「でも、実際はユニさんに関係することだ……閣下はそう見当をつけておられるわけですね」
マリウスの直截な問いに、アリストアは天を仰いだ。
「黒蛇帝が何を企んでいるかは分からんよ。
だが、黒城市に報告に行くと言ってここを出た後、ユニがどこでどうしているのか、全く情報が入ってこないのだ。
十中八九、あの娘が関わっているだろうな。
あれは何と言うか、やっかいな事件に巻き込まれる特異体質なのかもしれん。
付き合わされる君も気の毒だが、一人にするのはどうも危なっかしい。
守ってやってくれ」
マリウスは笑って頷くしかなかった。
その二日後、アリストアが手配したロック鳥でマリウスは黒城市に飛んだ。
黒蛇帝ヴァルターから言い渡された命令は、ユニが受けた説明同様、極めて大雑把なものだったが、多少ニュアンスが異なっていた。
帝国に渡ってある人物と会い、その行動を手助けすること。
帝国人であるマリウスは地理に明るい先導役として、その人物とユニを目的地まで案内すること。
ただし、その人物の目的よりもユニの安全を優先し、必ず彼女を帰還させること。
ただそれだけで、やはり〝ある人物〟が何者で、その目的や目的地についての情報はなしだった。
すでにユニはカシルに向けて旅立ち、タブ大森林を進んでいるので、マリウスは船でボルゾ川を下って先にカシル入りを果たし、情報屋と打ち合わせて潜入の準備を整えるよう命じられた。
「まぁ、そういうわけです」
マリウスの簡潔な説明は分かりやすかったが、目新しい情報はないということだ。
ユニはとりあえずそれで納得するしかなかった。
「それにしても助かったわ。
帝国に行くのはいいけど、実際どうしたらいいのか見当もつかなかったんだもの」
「………ひょっとしてユニさん、その〝ある人物〟を助ける仕事って、自分一人でやるつもりだったんですか?」
「だってウエマク様は、一緒に誰かが行ってくれるなんて言われなかったもん」
マリウスは呆れて思わず口走った。
「……あなたバカですか?」
「なっ……!
だって、だって! あのウエマク様がお膳立てしてくれるっていうのよ!
……どうにかなると思うじゃない」
言い訳しながらも、ユニの頬が風船のように膨れていることでマリウスは自分の失言に気づく。
彼は溜め息をつきながら詫びた。
「すみません、言い過ぎでした。
でも、考えてもみてくださいよ。
そのある人物ってのが何をするつもりか知りませんが、普通に考えて帝国の地理や事情に詳しい人間がいなければ、成功なんかするわけないでしょう?
それを帝国人の協力者の存在を確認しないで引き受けるなんて、正気の沙汰じゃありませんよ」
マリウスの理屈はもっともだ。
おそらくウエマクは最初からマリウスを同行させるつもりだったのだろう。
それをユニに告げなかったのは、マリウスがアリストアの私的な〝手駒〟だったからだ。
あれこれ詮索されずにマリウスを引き抜けるかどうか、さすがのウエマクも自信がなかったのだろう。
もしマリウスを参加させられないのであれば、多分次善の策を用意していたに違いない。
そういう意味では、気心の知れたマリウスが同行することは、ユニにとっても幸いだった。
『これでアスカがいてくれたら、どんなに心強かったろう』
詮無いことだが、そう思わずにはいられない。
だが、彼女は蒼城市で療養中の身だ。
『この際、贅沢は言えないわ。
マリウスでもいないよりはマシよね?
少なくても地図代わりにはなるものね』
非常に失礼だが、ユニはそんなことを思っていた。
マリウスが知ったら何と思うだろうか。
「ところでユニさん」
「ん、何?」
「その〝わんこ〟は何ですか?」
「何って……ライガよ」
「へ?」
ユニはウエマクから借りた魔法具のことを説明したが、マリウスはろくに聞いていないようだった。
その顔には、仔狼と化したライガを抱き上げて、思う存分モフりたいという欲望がありありと表れている。
ユニは溜め息をついた。
「一応忠告しておくけど、ライガは小さくなってから一時間以上経てば、いつでも自分の意志で元に戻れるからね。
遊びたい気持ちは分かるけど、あんた絶対後で齧られるわよ!」
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