悠久の魔導王 第二話 タブ大森林
王国東部のほとんどを占める広大な原生林は〝タブ大森林〟と呼ばれている。
森は樹齢千年を超える針葉樹の巨木からなり、かつてこの世界が寒冷期にあった頃に形成されたと言われている。
五十メートル以上の高木が上部で繁らせている常緑の葉で陽光を遮っているため、森林の内部は薄暗く、ひんやりとした湿った空気が漂っている。
そのため地面に生えるのはコケ類やシダ類といった隠花植物が主で、あとは背の低い灌木が上空からわずかに洩れてくる光を奪い合っているに過ぎない。
おかげで森に生きる動物たちにとって、そこは決して豊かな土地とは言えなかった。
だが、オオカミが走り回るには絶好の環境であり、タブ大森林は彼らのホームグラウンドであった。
タブ大森林の呆れるほど太い巨木の間を縫って、巨大なオオカミが疾走していた。
その背には小柄な若い女性がしがみつき、ぴったりと身体を伏せている。
二級召喚士ユニと、その召喚獣であるライガであった。
彼らの周囲には、ライガが幻獣界から呼び寄せた群れの七頭のオオカミが付かず離れずの距離で駆けている。
オオカミたちは余裕をもった速度で走っているのだが、この世界のオオカミの一・五~二倍の体格を誇る幻獣たちは、馬を全速で走らせるほどのスピードで森を駆け抜けていた。
『ユニ!』
ライガの意識がユニの頭の中で響いた。
針金のように太く硬い体毛に両手を突っ込み、柔らかな下毛をしっかりと握って獣と一体になっていたユニがわずかに顔を上げた。
「なに? どうかしたの」
彼女はオオカミの呼びかけに対して一応そう訊ねたが、ライガの意識が自然に流れてくるため、もう彼の言いたいことは理解していた。
「そう、水の匂いがするのね。
いいわ、ちょっと早いけどそう急ぐわけじゃないし、水場の近くで今日の野営地を探しましょう」
ライガの方もユニが話し始めた瞬間に彼女の決断を理解していた。
それでも巨大なオオカミはユニが喋り終わるの待ってから、周囲の仲間たちにユニの言葉を伝える。
『俺は紳士だからな、行儀がいいんだ』とはライガの言である。
召喚の儀式で初めて幻獣を召喚する際、召喚士と召喚獣の間には意識の同化が起きる。そして契約を交わした後は、互いに言葉を介在させることなく意識の伝達が可能となる。およそ互いの姿が目視できる範囲であれば、距離が離れていても自在に会話できるのだ。
* *
ものの数分も走らないうちに彼らは小さな沼地を見つけた。流れ込む小川は見当たらず、湧水が水源のようで水は透明に澄んでいる。
沼地の上空に懐かしい青空がわずかに覗き、周辺には青々とした草が繁っている。野営にはもってこいの場所であった。
こうした場所は森の生物たちにとっても貴重な水飲み場であり、獲物が集まってくる絶好の狩場となる。
同時にそうした獲物を狙ってはぐれオークが出現しやすいということも意味していた。
ヨミ(ライガの妻)は群れを周囲を索敵して安全を確認する班(男衆)と獲物を狩ってくる班(女衆)に分けると、自らも女衆のリーダーとしてあっという間に姿を消した。
いつものことだがライガがただ一頭、ユニの護衛として残ることになる。
とはいえ、差し迫った危険があるわけではなし、ライガはたっぷりと水を飲んだあと、柔らかい青草の上にごろりと横たわってくつろいでいる。
ユニは腰に差したナガサ(山刀)で地面に浅い穴を掘り、即席の
それらは野営のルーティーンワークであり、ごく自然な行動ではあったが、妙に心が落ち着き和むものであった。
「いーわねー!」
両手を突き上げ、うんと伸びをして、ユニは長々とした溜め息をついた。
「何がだ?」
のんびりとしたライガの意識が流れてくる。
「なんかさー、こういうの久しぶりじゃない?
ここんとこ戦争やったり、化け物と戦ったり、とにかくもう面倒に巻き込まれてばっかりだったでしょ」
それもみんな軍の参謀副総長アリストアのせいだと思うと、緩んでいた表情が一瞬でふくれっ面に変わる。
『お前、何か忘れてないか?
俺たちはこれまで以上の無茶をやりにいくんだぞ?』
そう言いながらもライガの意識からは危機感どころか眠気さえ感じる。
「まー、そうだけどさぁ。
今回はあの慇懃無礼なアリストア先輩じゃなくって、ウエマク様が噛んでるわけじゃない?」
『何か違うのか?』
「うん、なんかさ黒龍野会戦もそうだったし、吸血鬼の事件の時だって、ウエマク様って結末まで全部見通していたような感じしない?」
『手の平で踊らされているような……か?』
「そう、それ!
だから今回のことだって、ウエマク様と黒蛇帝が手配してくれるんだから、割とどうにかなるんじゃないかって気がするのよ……おっ!」
『どうした?』
「〝ミズの実〟見っけ!」
ミズは辺境の方言名で、学術的にはウワバミソウと言う。水場の近くに群生し、茎も食用になるが実と呼ばれる〝ムカゴ〟は粘り気があってユニの好物だ。
ユニはナガサでミズを一抱えも刈り取り、ライガの側に戻ってきた。
横たわるライガの隣りに座ると、オオカミを背もたれ代わりにしてミズの筋を引き始める。
『しかし、いいのか?』
ユニが落ち着いたのを見てライガは再び語りかけた。
「いいって何が?」
『お前、軍っていうか、アリストアどころか、アスカにも何も言わずに来ちまったんだろ?』
「まーね。でも、ウエマク様が軍に知らせるな、これは自分個人の依頼だって言うんだもの。仕方ないわよ」
『だが、黒蛇帝も協力しているわけだろう。それって軍を裏切るってことじゃないのか?』
「んー、厳密にはそうなんだろうけど……。
ヴァルター様はウエマク様の召喚主だから、軍の立場より召喚の絆の方が大事なんじゃないかしら。
それって何となく分かる気がするわ」
ライガは「フン」と鼻を鳴らして前足の上に乗せていた頭を横に向けた。
ユニの答えが嬉しかったのを、覚られたくなかったのだろう。
「でも、確かにアスカやフェイが心配するだろうなぁ……」
『アスカは赤城市から動けないんだろう』
「それがね、蒼龍帝の命令で近々蒼城市に移送されるみたいよ。
フェイやエマさんが看病した方がいいだろうってことらしいわ。
赤城の軍医さんが絶対安静なのにってカンカンに怒ったそうだけど、蒼龍帝が〝あれは動かしたくらいで死ぬタマではない〟って強引に押し切ったんだって」
『まぁ、確かにあの嬢ちゃんが側にいた方が、アスカにとっちゃいいかもな。
それに俺たちのことは、やっぱり伝えないで正解だろう』
「あら、どうして?」
ライガは片目を薄く開けてユニの方を見ながらぼそりと呟いた。
『何せ、たった一人で帝国に潜入しようっていうんだ。それを知ったら余計心配するだろうさ』
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