第一章 悠久の魔導王

悠久の魔導王 第一話 黒曜宮

 イゾルデル帝国の首都、ガルムブルグは冬期間、雪と氷に閉ざされ白一色に塗りつぶされる。

 帝都の中央にそびえる黒曜宮は、その中にあって異様に目立つ存在だった。くろかげ石が多用されているという点では、リスト王国の〝北の護り〟黒城と似通っているが、その規模は段違いである。

 四つの尖塔に囲まれたひときわ巨大な中央塔の外壁には初代皇帝と龍の戦いを描いた巨大な浮彫レリーフが黒曜石で飾られており、陽光を反射してキラキラと輝いている。〝黒曜宮〟という呼び名の由来だと、誰もが納得するようなきらびやかな装飾である。


 黒曜宮の内部は、熱い蒸気を通した金属の管がはりめぐらされているので十分に暖かい――はずなのだが、黒く冷たい石の壁からじんわりと冷気が染み出ているようで、どうにも寒々とした印象がぬぐえない。


「少しは花でも飾ればよいものを……」


 彼女は広い回廊を急ぎながら、柄にもなくそんなことを思った。

 黒曜宮は、絵画や陶器、花といった装飾物が極端に少ない。それは現皇帝の意向で仕方のないことだが、ただでさえ陰気な黒い宮殿がよけいに殺風景に感じられるのは事実だった。


 石の廊下には深紅の絨毯が敷かれているので、それを踏みしめる軍用ブーツはほとんど音をたてない。あまり大きな軍靴ではない。彼女は女性としてもやや小柄な方だった。

 軍人らしく背筋はピンと伸び、着慣れた仕立てのよい軍服はよく引き締まった身体をぴったりと覆っている。

 あまり胸のふくらみは大きくないが、丸い尻はそれなりのボリュームがあって女性らしさを主張していた。


 何より目立つのは、頭の後ろで無造作に束ねられた長い赤毛だった。きちんと櫛が通っているのだが、くせっ毛なのだろう毛先が好き勝手な方向に跳ねている。

 すれ違う者はその赤毛を認めると、軽く会釈したまま目を合わせないようにして距離を取ろうとする。

 〝触らぬ神に祟りなし〟である。


 彼女こそは帝国軍にその人ありと恐れられる〝爆炎の魔女〟ミア・マグス魔導大佐だった。

 帝国人にとっては英雄であり、たのもしい味方であるはずだが、こうして彼女が避けられるのは、マグス大佐がひどい〝癇癪持ち〟で有名だったからだ。

 さらに言えば、軍の古株には彼女が〝新兵喰い〟を好むサディストであることもよく知られていた。


 マグス大佐は案内もなく(彼女が断った)、ずんずんと広い回廊を進んでいく。

 やがて突き当りに二人の衛兵が護る、大きな扉が現れた。


「ミア・マグス大佐だ」

 彼女が低く小さな声で名乗ると、衛兵は無言のまま頷いて取っ手に手をかけた。重厚なマホガニー製の扉は油が差されているかのように音もなく開く。


 一歩、部屋の中に歩を進めた彼女の足が止まり、目つきの悪い瞳が見開かれた。

 広い会議室の長テーブルには、いずれも将官級のお歴々が席についていた。そして正面一番奥の席には、皇帝ヨルド一世までが待ち構えていたのだ。


 マグス大佐はその場で直立不動となり、教本に載せたくなるような見事な敬礼を行った。いつの間にか背後の扉は閉まっている。


「ミア・マグス大佐、お呼びにより参りました!

 皇帝陛下をお待たせした非礼、何卒お赦しください!」


 彼女はそう叫ぶと敬礼の姿勢のまま微動だにしない。

 皇帝のすぐ右隣りに座っていたきれいな白髪の男が皇帝にちらりと視線を走らせ、小さく頷くとマグス大佐に声をかけた。


「別に君が遅刻したわけではない。気にしなくてよろしい。

 席に掛けたまえ」

「はっ! 恐れ入ります」


 マグス大佐は敬礼を解いて末席の空いている椅子に腰を下ろしたが、居並ぶ将官たちが左右に分かれて座るなか、彼女の席は離れているとはいえ正面の皇帝と向かい合う位置にあった。


 先ほどの白髪の男――アイズマン上級大将が再び口を開いた。

「君の報告は読んだ。われわれが御前で検討していたのはその評価だ。そして大隧道の復旧方針、リスト王国への当面の対応策だな。

 君を呼んだのは皇帝陛下のご下問に答えてもらうためだ。

 あとは、まぁついでだから君の処遇についても決めておいた」


 アイズマンは言い終わるとまた皇帝に視線を送った。

 皇帝は手元に置かれた分厚い報告書の束をぱらぱらとめくると、視線を真っ直ぐにマグス大佐へと向けた。


「ミア・マグス大佐」


 反射的に彼女は掛けたばかりの椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢を取る。

 皇帝はそれをおしとどめるように軽く手を挙げた。


「座ったままでよい」

 大佐は少し逡巡しながら再び腰を下ろした。


「まずは今回の作戦、ご苦労だった。

 私としては准将への昇進に十分値する働きだと思っているのだが、何せ大隧道の被害が甚大でな。

 そうそう、人も死に過ぎた。

 気の毒だが昇進はしばらく我慢してもらうしかあるまい。

 具体的な処遇については後で聞くがよい」


 皇帝が話している間、右側の席についている黒い口髭を蓄えた中年の男が物凄い表情で彼女を睨みつけてきた。

 確かボンズ少将といって、今回の作戦で兵員や物資の移送を担当していたはずだ。

 自分が動かした兵が大隧道で大量に圧死したのだ、恨む気持ちも分からないでもない。


      *       *


 帝国がリスト王国北西部に住むノルド人を〝自国民〟として保護するという名目で侵攻し、王国と局地戦を展開してから一か月が経過していた。

 マグス大佐は進駐軍の指揮官として戦った。

 緒戦で王国第一軍の派遣部隊を爆裂魔法で葬ったものの、主力の第三軍との戦いは押され気味で、大佐は戦線を再構築して増援を待とうとした。

 しかし王国四神獣の一柱、黒蛇ウエマクが起こした地震によって数万の増援が待機していた山中の大隧道が崩落して多大な被害を蒙ったことを知り、帝国領内へ撤退したのである。

 王国はこれを〝黒龍野会戦〟と呼び、帝国内では〝ノルド進駐作戦〟と称していた。

 帝国首脳部はマグス大佐を帝都に召喚したが、東部辺境地域と本国との連絡路である大隧道が不通となったため、帰還にこれだけの時間がかかったのだ。


      *       *


「ところで一つ、そなたに直接聞きたいことがあってな」

 皇帝の言葉に、マグス大佐の意識は再び正面に集中した。


「そなたの報告では、国家召喚士の幻獣が相手であっても、魔法の運用次第で対処可能とある。

 ただ、四神獣の能力が我々が得ている情報のとおりだと仮定しても、彼らを止めるすべは現状見つからない――そうだな?」

「はっ!」


「ふむ、よい返事だ。

 だが、神獣に対するこの報告はえらく歯切れが悪いではないか。

 〝爆炎の魔女〟らしくないぞ。

 神獣についてそなたはどう思った? 正直に申してみよ」


 皇帝はそこまで言うと、ふと気づいたように後ろを振り返った。

「ああ、ここから先余がよいと言うまで速記を止めよ」


 皇帝の後方の薄暗い一画で羊皮紙にペンを走らせていた速記係の手がぴたりと止まる。


 マグス大佐は頭を下げたまま、居並ぶ将官たちに視線を走らせた。

 そして少し逡巡したのち、思い切ったように言葉を発した。


「……裏付けがありません。小官の勘のようなものですが……」

「構わん。だからこそ直接ただすのだ」

「はっ。

 これまで観測された赤龍、蒼龍、白虎の能力には何らかの制限がかかっているように思われます」


 皇帝は「ふん」と鼻を鳴らした。

「赤龍、蒼龍の飛行能力に著しい制限が課せられていることはよく知られておるわ。

 類推するに白虎にも同様な能力制限があると考えるのが妥当だろうな。

 ……それで?」


 マグス大佐の額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 彼女は恐る恐る自らの推測を述べた。

 皇帝の顔に小さな驚きの表情が浮かぶ。


「ほう、してその根拠は?

 裏付けはないと言ったが、そう思うに至った理由はあるのだろう」


「はい。黒蛇ウエマクと実際に対峙した時、得体のしれない気味の悪さを感じたのです」


 そこまで言って何かが吹っ切れたように、彼女は一気に言葉を続けた。

 これまで感じていた疑問――なぜリスト王国は異様に召喚術が発達しているのか。

 王国に突如現れた四神獣とはそもそも何者で、なぜ能力に制限が加えられているのか。

 そして王国に生じる〝歪み〟によって出現するオークの謎。

 それらに関する彼女なりの推論を滔々と語り続けたのだ。それは何の根拠もないが、すべてのつじつまが合う仮説だった。


 マグス大佐が吐瀉物のようにぶちまけた演説を皇帝は黙って聞いていた。

 そしてすべてを語り尽くし半ば放心している彼女からは、これ以上何も引き出せないと見てとった。

 皇帝はテーブルの上に肘をつくと拳の上に顎を乗せ、にやりと笑い静かに尋ねた。


「ミアよ。それをどこから聞いた?」


「は?」

 マグス大佐はきょとんとした間抜け顔で思わずそう言ってしまった(皇帝から〝ミア〟と名を呼ばれたことも衝撃だった)。


「は、あっ、いや、しっ失礼いたしました!

 これはその、小官の妄想に過ぎません。すべて自分の考えで、どこからも、誰からも何も聞いておりません!」


「……で、あるか」

 皇帝は満面の笑みを湛えて独りちた。

 そしていきなり横を向いてアイズマン上級大将に話しかけた。


「なあ、アイズマン。

 やはりあの女、准将に引き上げては駄目か?」

「なりません」

 白髪の男の答えはにべもない。


「……で、あるか」

 皇帝は今度は溜め息まじりに再びつぶやき、席を立った。


「余の用事は済んだ。あとはけいらに任せる。

 ああ、今のマグス大佐の話は本人が言うとおり妄想に過ぎん。したがって他言無用だ。よいな」


 将官たちはその返事の代わりに一斉に立ち上がり、敬礼の姿勢で皇帝を見送った。

 皇帝ヨルド一世は後宮へと続く背後の扉に向かう途中、「速記を再開してよいぞ」と声をかけることを忘れなかった。


      *       *


 皇帝が退出すると、将官たちは「やれやれ」といった表情と仕草でてんでに腰を下ろした。懐から煙草を取り出す者や給仕にコーヒーを淹れるよう申し付ける者もいた。

 まだざわめきが残る中、マグス大佐のすぐ左前の席についていたクルスト中将が立ち上がった。

 黙って上席のアイズマンに視線で了解を取り、立ったままのマグス大佐に話しかける。

 クルスト中将は精鋭と謳われる第一魔導師団の指揮官で、彼自身優れた魔導士であった。ついでに言えばマグス大佐の直接の上官でもある。


「マグス大佐、陛下のお言葉でも分かっただろうが、陛下は今回の作戦の成果を高く評価しておられる」

「成果? 成果だと!

 二千の兵士と数十人の魔導士を失い、挙句の果てに大隧道を潰して数万の軍勢を壊滅させたのが成果だと言うのかっ!」


 クルスト中将の言葉を遮って、激高したボンズ少将が立ち上がってわめき散らした。皇帝の前で抑えに抑えていた鬱憤が爆発したようだった。

 慌てて両隣の将官が肩を抑え、無理やり着席させる。

 クルスト中将はうんざりした顔で溜め息をついた。


「ボンズ少将、その話はすでに結論が出ているはずだ。いいかげんにしたまえ」


 そして再びマグス大佐の方に向き直る。

「陛下は貴官の昇進を望まれているが、少将の言うとおりわが軍が受けた被害は甚大だ。

 大隧道について貴官に直接の責任がないことは分かっているし、作戦に当たって国家魔導士とその幻獣の戦力評価、そして黒蛇ウエマクの能力調査のためには犠牲を厭うなと命令したのが我々だということも忘れていない。

 表面上の敗戦を陛下は気にしてはいないが、軍部としてはそうはいかないのだ。国民の手前とても昇進など認められん。分かるな?

 貴様はしばらく前線を離れて骨休みしてこい。

 心配するな、どうせ半年もしないうちに現場が音を上げて、爆炎の魔女の前線復帰を要請してくるだろう」


 マグス大佐は上司の言葉を消化しきれずにいた。――この私が前線を離れるだと?

 多分自分はひどく情けない表情をしているのだろう、そう自覚しながら尋ねずにはいられなかった。


「では、自分はどこに配属されるのでしょうか?

 まさか事務職ではありますまい」


 何人かの将官が思わず噴き出した。爆炎の魔女が書類と格闘する姿を想像したのだろう、悪い冗談にも程がある。

「貴官は近衛教導団付となる。

 全軍から集めた将来有望な若者たち――もちろん魔導士もおる。

 その教官をやってもらおうというわけだ」


 そして中将は一言付け加えることを忘れなかった。

「ひよっこだが新兵ではない、優秀な士官候補生たちだ。

 くれぐれも喰い散らかさないようにな!

 その代わり、見込みがありそうな奴は補充の部下として貴様にくれてやる。

 どうだ、悪い話ではあるまい」


 上司は意地の悪い笑顔とともに告げた。

「用件は済んだ。退出してよろしい」


      *       *


 背後で音もなく分厚い扉が閉じた。

 マグス大佐は怒りに顔を赤くして、会議室を後にした。


「後方で教官だと?」

 赤毛が静電気でも帯びたようにぶわっと広がり、パチパチと青白い火花を放っている。髪の毛が焦げる嫌な臭いを残して、大佐はずんずんと大股に歩を進める。

 黒曜宮の武官や文官たちは、遠目にも分かる彼女の憤怒を嗅ぎつけると慌てて手近な部屋に避難して、息をひそめて彼女をやり過ごした。


 おかげで誰からも声を掛けられず、思考を邪魔されることもなかった。

 怒りの表情を作りながらも、マグス大佐の頭脳は冷静に皇帝の態度を分析していた。

『陛下は知っておられたのだ。

 ということは、私の推論は外れていないということか。

 ならば、いずれリスト王国とは本格的にやりあうことになるはず……』


 マグス大佐は総務の事務室の扉を開けると、手近にいた事務官を捉まえて怒鳴った。

「近衛教導団に行く。馬車を手配しろ!」


 言いつけるなり椅子を引き、どっかと腰を下ろす。

 そして椅子を奪われおろおろしている事務官を上目遣いで睨むと、再び怒鳴った。

「とっとと行かんか!

 それと、誰かコーヒーを持ってこい。うんと熱い奴だ」


 この数時間後、マグス大佐の小柄な体は帝都郊外にある近衛教導団の詰所に現れることになる。

 のちに〝災厄の日〟と近衛教導団で呼ばれることになる一日が始まったのである。

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