第21話 鋼の心で受け止めて
「落ち着いた?」
「ごめん……ありがとう」
隣から優しい声が聞こえる。
みっともない姿を見せたにも関わらず俺の背中を涙が流れ切るまで撫でてくれた。
「なんか飲む?」
「いや、俺が……」
そこまで言葉が出るがそれを制してゆっくりと首を振る彼女。
「じゃあ……ホットココアで」
「うん!」
少し弾んだ声で自販機に行くとガコガコと頼んだ物を買ってゆっくりと戻ってくる。
渡されたココアが暖かい。きっとこれは彼女の温もりそのものだ。本当は今日のデートの最後に言うつもりだったけど、言うなら今しかないと告げられた気がした。
「はがね……少し場所を変えないか?」
「うん。よかよ」
受け取った飲み物はそのままに腰を浮かそうとする俺。視界の端に彼女の柔らかな手が差し伸べられた。
「ありがとう」
「うん」
何度目かも分からないありがとう。
何度口にしてもいいありがとう。
………………
屋外へ通じる森のエリアを抜けて海が見渡せる場所へ出る。昨日徹夜で調べたので問題なく到着できた。
「……あのな、はがね」
「うん」
道中も静かなまま手を引いてくれた彼女。迷いなく進んでいたので、もしかしたらこの場所を知っていたのかもしれない。
「話したい事があるんだ」
「……わかった。じゃあ座ろっか」
「あぁ」
波の音が近くに感じられるベンチに腰掛ける。横並びの状態だけど、彼女は決して手を離しはしない。
「はがね……手」
「ずっと握っとくよ。離さんけん」
「うん……助かる」
彼女の好意に甘えるようにして俺は覚悟を決める。
「今から言う事……驚かないで聞いて欲しい」
手を握る力が強くなり心臓の鼓動も早くなる。ザァーザァーという規則正しい波の音でなんとか正気を保てるはず。
「俺さ……人の名前覚えるのが苦手なんだ」
「人の名前?」
「うん。正確には人の名前というか……出来事というか……その……記憶なんだけど」
「………………」
無言の彼女は何を考えているのだろう。だけど言ってしまった以上続けるしかない。
「これを見て欲しいんだ」
「これは?」
彼女の前にスマホを見せる。そこにははがねの名前の他に、
「前田……おにぎりくれる。片原……腹痛持ち。後神……髪が綺麗」
メモを読み上げていくはがねの声音は無機質そのもの。
「これは最近のやつだ。そして……これ。俺が福岡に来る前のメモ帳なんだけど」
「…………」
無言の彼女は俺の瞳をじっと見つめて言葉にならない表情をしている。まるで最後の審判を待つ人のように。
「この名前の子……思い出せないんだよ」
言ってしまった真実の言葉。それは何を意味しているのかわからない彼女ではない。
「でも……ソウジ。ウチと調理室で会った時、引越し先を色々教えてくれたやん!」
「それは……その」
もちろんアレは嘘ではない。嘘ではないけど真実でもない。
「そういう風に答えるって決めてたんだ」
当たり障りのない会話。もしかしたら昔からそうやって乗り切っていたのかもしれない。
「
「そんな……」
悲しませただろうか。そりゃそうだよな。あんなにラーメン食べさせてもらったのに、俺はその事を……彼女自身も忘れてしまうのだから。
だけど絶望ばかりではない。
「忘れるって言ったけど、断片的には覚えてるんだ」
「そう……なん?」
「うん。なんとなくだけど……印象的な事とか衝撃的な事とか……かな」
具体的な事はわからないけど時々ある。
「懐かしいなって思ったり、正夢を見たって感覚に近いのかな」
「……そっか」
恐る恐る語った内容だけど彼女は少し間を置いただけでそれ以上追求してこない。その事実が気遣いなのか驚きなのかわからないけど、俺は一番言いたかった事を口にする。
「……だから……あのな、はがね」
「うん?」
「俺……さ……もしかしたら、今日の事も……は、はが……はがね……の……事も……あれ?」
おかしいな、口が上手く回らないや。
なんだか視界がぼやけるし。
握った手も小刻みに震えている。
手というより……体全体か。
「ソウジ……それ以上言わんでいい……言わんでいいけん」
「……俺は」
肩を抱き寄せられた時、初めて彼女の顔を見る事ができた。
慈しみ、愛し、敬い……同い年の女の子なのにその表情は母性そのものを体現している。
フレームの中に映る自分がまた泣いているのだと教えてくれた。
情けないなぁ。好きな女の子の前で何回泣けばいいんだよ。
しばらく彼女の肩を借りてすすり泣いていた。今度はちゃんと言葉にしよう。
グッと下唇を噛み締め彼女の肩口から顔を離して向き合う。止められた言葉をもう一度解き放つ為に。
「俺は、はがねを忘れたくないっ!」
ちゃんと言えたかな……届いたらいいな。
刹那の時間が永遠に感じる。
これじゃあまるで告白みたいじゃないか。本当ならもっとロマンチックな場所でしっかりと向き合いたかったのに。
目を瞑る俺の頬に陽だまりの手が触れる。触れた傍から熱を持ち、俺はゆっくりと瞳を開く。
目の前には眼鏡を取った彼女の素顔。やっぱり近くで見ると瞳が大きい。なぜ眼鏡を取っているのか疑問に思う前に彼女の微笑みが更に近づく。
「……えっ? ちょっ! はがね?」
「んっ」
桃の香りが全身を駆け抜ける
……甘い口づけ
「……これならウチの事忘れんやろ?」
彼女の心は名前そのもの。
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