第20話 フレームから溢れる想い

 

 さっきまでの妙にいたたまれない気持ちを吹き飛ばすぐらい、目の前の光景に圧倒される。



「ソウジすごい! サメ! サメがおるよ!」

「サメがデカイな!」

「デカイ!」


 入り口付近に展示されていたのはサメの標本。説明書きを読んでみるとメガマウスというサメらしい。館内の至る所にこのサメをモデルにしたイメージキャラクターが可愛らしく出迎える。


「ふふふ、変な顔」

「くくく、はがねだって」


 メガマウスの真似をして大きく口をパクパクするものだからお互い笑ってしまう。


「今度はあっち行ってみよ!」

「うん。あっちは何があるんだろ?」

「サメがうじゃうじゃおるらしいよ」

「サメの楽園か〜」


 貰ったパンフレットを見ながら彼女に手を引かれてゆく。館内は家族連れやカップルが多くいて子ども達は目をキラキラさせて水槽を見つめる。そんな俺達も周りから見たら同じ目をしているのだろう。


 灰色の世界が……カラフルに見える。


 前を行くふわりとした髪に触れてみたいのをグッと我慢して足を動かす。


「ソウジ見えてきた!」


 振り向いた彼女の顔は、あの頃の無邪気なまま。


 あの頃……あの頃ってなんだろう?


「痛っ」


 頭の片隅にズキリとした痛みが一瞬走ったけど、次の瞬間にはがねの顔で塗りつぶされる。


「どげんした? 頭痛いん?」


 真顔で迫る彼女の声に顔が熱くなるが、心配させたくなかったので首を横に振る。


「だ、大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけだから」

「寝不足? ふふふ……実はウチも楽しみで眠れんやった」


 怪しい含み笑いで紡がれた言葉に妄想が加速する。


 はがねはベッド派だろうか、布団派だろうか。

 寝る時はぬいぐるみを抱くのかな。

 眼鏡を取った彼女の瞳は大きく見える。

 マンガとか読むのかな。

 ラーメン雑誌とか読んでそう。

 深夜にメッセージ送ったら迷惑だろうか。

 部屋着はどんなの着てるのかな。


「ソウジ……目がヤラシイ」

「いや……これはっ!」


 仰るとおりでグゥの音も出ない。妄想が抜けきらない俺は彼女の服がピンクの部屋着に見えたくらいだ。


「ウチの裸想像したやろ?」

「裸じゃなくて部屋着だっての! ……あっ」

「にししっ。ソウジってわかりやすかね〜」


 最近のはがねには言い負かされてばかりだ。前までは俺の方が勝っていた……勝って……勝って。

 思えば初めて会った時から押されてたかも。


「ほらほら、妄想は寝る時にしてサメ見るよ!」

「わ、わかったから引っ張るな」


 グイッと手を引かれて水槽の前へ連行されていく。




「スゲ〜! これ全部サメかな?」

「ん〜っと……国内最大規模のサメ数だって」

「サメ数って言い方、面白いな」


 目の前の巨大な水槽には見た事ないサメがいっぱい泳いでいる。入り口のメガマウスの迫力が凄かったから少し小さいと思ってしまうけど立派なサメだ。


「他の魚と一緒にして食べられんのやろか?」

「う、うーん……確かにな」


 はがねの疑問は俺も思ってしまう。ゆっくり眺めていると不意に声を掛けられた。


「あの、すみません! 写真をお願いしてもいいですか?」


「「え?」」


 振り向くとそこには小さい子どもを抱くお父さんと、小学生くらいの女の子と手を繋ぐお母さんがいた。


「「はい! いいですよ!」」


 さっきと同じようにはがねと声が重なる。そんなちょっとした事で俺のとんこつメーターは一杯になってしまう。彼女はなんでもないように答えるけど……その頬も紅しょうがのようだった。



「はい、チーズ!」

 パシャリ


「もういっちょ!」

 パシャリ


「ラーメンは?」

「「ドとんこつ!」」

 パシャリ


「替え玉は?」

「「バリカタで!」」

 パシャリ


 アレ? なんか俺の知ってる写真撮影と違う。福岡県民はこんな感じで撮るのだろうか(違います)


「ありがとうございました!」

「いえいえ! いい仕事しました!」


 写真家はがねちゃんは貸してもらったカメラを返しながら満足そうな顔。子ども達に手を振り離れようとするとお母さんが待ったを掛ける。


「あの、良かったらおふたりもどうですか?」


「「…………」」


 その言葉に顔を見合わせる俺達。

 つい先日連絡先の交換をして、いきなりツーショットなんて早くないか? ツーショットなんてデート5回目ぐらいでするものなんじゃ……


 変な方向に焦っていると彼女は俺の腕に抱きつきながら今日一番の声を出す。



「是非! 是非お願いします!」



 心做こころなしか彼女の手が震えている気がした。

 その震えを感じて、はがねも緊張してるんだなと実感すると俺が情けなく思えてくる。だからグッと気合いを入れて言葉にする。


「俺からもお願いします!」


 お母さんに俺のスマホを渡してサメの水槽の前へ歩く。ひとりで待っていた彼女はスカートの裾を掴んで何かに耐えているようだ。その姿を見て咄嗟に手を伸ばす。


「大丈夫だから、俺はどこにも行かない」


「ソ……ウジ?」


 自分でも何でこう言ったのか理由は分からないけど、今言わなくちゃいけない気がした。彼女の頬に優しく触れると柔らかいほっぺたが暖かい。


「震えとるよ?」


 触れる俺の手も震えている。


「当たり前だ」

「ふふふ……変なソウジ」


 俺も彼女の事は言えないくらい緊張している。それがおかしくてクスクスと笑い合う。


「じゃ、そろそろ」

「はい」


 みんなを待たせても悪いので彼女の隣へ陣取る。どういったポーズが正解かわからないけど、俺が選んだ格好は……




「いきますよー! はい、チーズ」




「きゃっ」



 震える彼女の肩を抱き寄せ密着してツーショット。見ている方が恥ずかしくなる光景にお父さんも呆然としている。


 お母さんの裾を持つ女の子は片手で目を押さえていた。その隙間からクリクリした瞳が覗いていたのは内緒。


「あの……もう一枚いいですか? さっきのは、急やったけん」


 はがねはちょっと頬を膨らませていたけど気にしない。いつも俺の事をからかってくる仕返しだ。お母さんは我が子を見るような目で何枚も撮ってくれた。




「「ありがとうございました」」



 御礼を言って家族と別れる。女の子はこっちを向いていつまでも手を振っていたのが可愛らしかった。



「もうっ! いきなりやったけんビックリしたやんか!」

「どうどう……」



 案の定はがねからは非難の嵐。だけどいつもより迫力が無くどことなく声は嬉しそう。


「まぁまぁ、それより写真見よーぜ」

「もぅ……わかったばい」


 しばらく愚痴を言い続けて疲れた彼女は近くのベンチに腰掛ける。俺は自販機でジュースを2本買って彼女の元へ。


「どっちがいい?」

「桃!」

「そうだろうと思った」

「ふんっ!」


 ご機嫌ナナメな彼女に桃ジュースを渡して腰掛ける。俺はラムネジュースのプルタブをカコっと開けると飲み始めた。


「ふぅ……」

「甘うま!」


 落ち着いた所で俺のスマホを取り出して写真フォルダをタップする。


「どげん? 可愛く撮れとるやろか?」

「見てみろ、アホ面だ」

「むきぃぃぃ」


 1枚目の彼女は突然の事で大きく口を開けていた。俺は何故かドヤ顔なので彼女の事は言えない。


「次は……おぉこれはサメとコラボレーションだな」

「ホントやね。こっち見て笑いよるよ」

「空気が読めるサメだな」

「ふふふっ」


 2枚目3枚目とスクロールしていくとお互いの距離感も近くなる。そして最後の1枚が映し出されると……


「……これいいね。自然な感じが良くない?

 いつもどおりのウチらっていうか」


 お互いの顔を見つめ合って微笑んでる写真。カメラ目線ではないけれど、日常の一コマを切り取った素晴らしい構図だと思う。


「ねぇ、写真ウチにも送ってよ。それでこの写真をふたりの待ち受けにしよ? ねっ?」

「………………」





 彼女がなんて言っているのか聞こえない。だってその写真を見た時から俺は……






「……ソウジ? なんで泣いとると?」



「…………え?」






 ひとしずくのあふれる想いが頬を伝って落ちてゆく。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る