第11話 忘却の彼方・鋼【細川鋼】

 彼との出逢いは暑い夏の日の海だった。


 夏休みに入りテンションマックスのウチは数日後に迫った父親の誕生日に向けて海岸に来ていた。


「きれいな貝をプレゼントしよ!」


 おっとりした母親と暑苦しい父親の間で育ったウチは活発な子供だった。ルンルンランランと足場が悪い岩場の方へ行くのも躊躇ためらわない。


 親には「友達と遊んでくるけん」と嘘を言って出てきた。本来なら小学生のウチが一人で海に来るのなんて絶対に許してくれない。


「パパのためやもんね。がんばらな」


 ウチの店はラーメン屋。


 屋台で食べたラーメンに感動したウチが"毎日ラーメンを食べたい"とお願いしたら、両親はいつの間にかラーメン屋を始めていた。


 ウチの事を大切にしてくれる優しい両親。


 本当の理由は少し違っていて、父親の親友が福岡を離れるので店を譲り受けたんだとか。元々靴職人だった父親は、当時勤めていた会社の経営が良くない事もありタイミングが良かったらしい。


「楽しみやね〜。よろこんでくれるっちゃろか」


 辺りが暗くなる事も構わず貝探しに夢中になる。そして気付いた時には遅かった……



「えっ……めっちゃくらい」



 真っ暗な視界には遠くの船の明かりしか見えない。波の音がまるでウチを飲み込もうとしているように襲ってくる。


 いくら強がってもウチは女の子。


 暗い世界と誰も助けに来ない状況にパニックを起こしてしまった。


「た、たすけてー!! だれかー! ウチはここにおるよっ!!」


 なりふり構わず大声で叫ぶ。だけど返ってくるのは無慈悲な波の音だけ。


 べっとりと嫌な汗で濡れた髪が顔に張り付く。買って貰ったワンピースの裾をギュッと掴み、元来た道へ戻ろうとするけど場所が分からない。


「……えっぐ……だれか……たすけて〜」


 岩がゴロゴロした場所を懸命に戻ろうと必死に歩く。どこに向かえば正解なのか……今進んでいる方向は合っているのか……寂しさと恐怖が黒い波になって押し寄せる。




 カツンッ




「あっ……」




 不意に訪れた浮遊感。

 子どもながらにこの時悟った……死ぬのだと。





 懸命に手を伸ばすが空を切るだけ……ウチは諦めたように力を抜き黒い渦の中に吸い込まれていく…………はずだった。



 パシンッ



「あきらめるなっ!」



 誰かの大声とウチの手を掴む温もり。



「えっ……」



 目を開けてその方向を見るけど暗くてよく見えない。


「もう片方の手でおれの手をつかめ!」


「でも……ウチ、手が……」


 左腕にズキリとした痛みが走る。転んだ拍子に岩でぶつけたのだろう。


「くっ……わかった。少しつよめに引っ張るからガマンしてくれ」

「……うん」


 わらにもすがる思いで声の主の手を握り返す。


 彼が言ったように強引に引っ張ってくれた。その際、ウチが着ていたワンピースの裾がボロボロになってしまう。



「はぁ……はぁ……」


「……ふぅ。大丈夫? うでが痛むんだよね?」


 懐中電灯でウチの事を照らしながら傷の有無を確認してくれる優しい声。


「いたいけど……大丈夫。ウチは強いから」


 名前のように強くなりたい。両親が付けてくれた名前に恥じないように……


「女の子が無理しちゃダメ……あっ……やっぱり血がでてる」


 少し開けた林の所まで手を引いてくれた彼はポケットから水とピンク色のハンカチを取り出す。

 水で腕の傷の汚れを落としてピンク色のハンカチをウチの左腕に巻いてくれた。


「……これでよしっと。他は大丈夫?」

「……う……うぅ……」


 連れてこられるまで我慢していたけど、もう限界だった。寂しさと恐怖が入り交じった感情と、助かって良かったという安心感がウチの涙のダムを押し上げる。



「うわぁぁぁぁぁん! こわかったよ〜」



 目の前にいる彼に抱きつきながらわんわん泣いた。その時のウチの顔はお世辞にも可愛いものじゃないけれど、彼はウチが落ち着くまで優しく……ずっと髪を撫でてくれた。



 ………………

 ………………



「……落ち着いた?」

「……うぐっ……うん。ごべんなざい」


 涙と鼻水で彼の服を汚してしまった。そんな事気にしてないような声で話しかけてくれる。


「お家の人は?」

「……ひとりで来たから」

「そっか……歩ける?」


 彼に言われて足を動かそうとしたけど、疲れと恐怖で思うように動かなかった。


「じゃあ、背中に乗って?」

「えっ?」


 くるっと背を向けてしゃがんでいる彼を見つめてしまう。


「ケガしてるんでしょ?」

「……でも」


 潮風と砂で汚れた体。その状態で乗ってしまったら彼まで汚れてしまう。ウチの心を読み取ったように言葉を紡ぐ。


「大丈夫だから……おれは掃除が得意だからね」

「そうじ?」


 ウチの疑問に笑いながら答える。


「おれの名前は唐草総司からくさそうじ……名前にそうじって入ってるから、学校じゃよくからかわれる」


「からからそうじ?」

「あははは……少し違うけどね」


 そうじ……ソウジ。ウチと一緒だ。


「キミの名前は?」


 ウチを見る優しい瞳。そのガラス玉に吸い込まれるようにウチも名前を告げる。


「ウチは細川鋼ほそかわはがね。クラスのみんなは女の子らしくない名前って言うんやけど……ウチは大好きやもんっ!」


 ボロボロになったスカートの裾を持ってまた泣きそうになる。昔から言われ続けた事を思い出し、やるせない気持ちが込み上げる。


「はがねちゃんか……いい名前だね」

「え?」


 心の中の雫が弾けた気がした。


「かっこよくて、強そうで……こんな場所にひとりで来る勇気を持ってる。はがねちゃんの心は鋼で出来てるんだね……なんちゃって」


「…………っ」


 ダジャレを言ったのが恥ずかしかったのか真っ赤な顔をする彼。


「それでも女の子なんだから、無理しちゃダメだよ?」

「……うん」


 あぁ……いいなぁ。いいなぁ。


「さ、乗って……はがねちゃん」

「う、うん……からからくん」

「あっはは……ソウジでいいよ」



 同じくらいの年の男の子。

 だけどウチにとっては命の恩人で……

 認めてくれた人で……

 ヒーローで……

 ウチの大好きな……





「ありがと……ソウジくん」





 この夏の出逢いがウチと彼の運命を大きく分ける。


 騒がしくも楽しかったひと夏の思い出。

 何度でも繰り返したいあの輝かしい日々。




 それと同時に……何度もやり直したいと願った……あの瞬間。



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