第2話 唐草の湯

「ただいまー」


 ラーメンでお腹が満たされた後の授業は眠気との戦いだった。そして放課後になると部活に行く者、学校に残る者、バイトに行く者と様々だ。そんな俺は一目散に帰宅して自宅兼バイト先に顔を出す。


「おかえり総司そうじ。友達はできたと?」

「友達……うん、まぁ……多分」


 俺の祖母、唐草からくさ藤江ふじえさん。

 自分の祖母に"さん"なんて可笑しいかもしれないけど、その佇まいは有名旅館で仲居をしていただけありとても凛としている。


「藤江さん、荷物置いたら戻ってくるね」

「そげん急がんでもよかよ? それよか友達と遊んで来たらどげんね?」


「いや大丈夫。俺、この銭湯好きだから」

「……総司そうじ


 言葉には恥ずかしくて出さないけど、俺は藤江さんに感謝している。アイツから俺を引き取ってくれた優しい人。本当にこの人がアイツのお母さんだとは信じられない。


 荷物を部屋に置き更衣室へと向かう。そして作務衣さむえに着替えて箒を持って正面に回る。見上げる視線の先には『唐草からくさの湯』の文字。


 ここは俺の曽祖父の代から続く街の銭湯。家のお風呂が普及してあまり馴染みがないかもしれないが、こういった昔ながらの造りが人気なのだ。

 ……と言っても藤江さんの話では、常連客しか来ないらしい。それでも毎日開店時間になるとゾロゾロと暖簾のれんを潜る人がいるのは嬉しい事。


「……とんこつラーメン美味かったな」


 昼休みに食べたラーメンの味が胃の中を満たし満足感を与えていた。おやつを食べる気はおきず、食べた分のエネルギーを消費しようと掃除を続ける。



「藤江さん終わったよ」

「ありがとね。それじゃあ桶や水栓のチェックお願いしてよか?」

「わかった!」


 言われた通り浴室へ行き男女ともにチェックを済ませる。それが終わると脱衣所内を軽く掃除していたらいい時間になってくる。


「総司ー、暖簾のれん掛けてー」

「はーい!」


 入口横にある暖簾を持って外に出る。そして常連客の紳士淑女の皆様に挨拶をして開店を告げる。


「そうじ君、よく働くねぇ」

「ふぉっふぉっふぉ……この銭湯も安泰じゃのぉ」


 そう言ってくれる暖かな人達。俺は少し気恥ずかしくなって遠慮がちに下を向く。


「ご婦人、段差に気を付けてくださいね」

「あらまぁご婦人だなんて、ありがとねぇ」


 杖をついたお婆さんを案内して俺は元の仕事に戻る。戻ると言っても番台に行き藤江さんの隣に座るだけ。


 男性客からのお金の受け渡しと、アメニティ類の要望があれば引き出しから渡す。牛乳類が冷やされている冷蔵庫の在庫が切れそうなら補充する。といっても、そこまで減るわけではないので視界の端に留めておく。


「少しは慣れたね?」

「うん。なんか活気があっていいね」

「あっははははっ! 昔に比べれば月とスッポンの差たい」

「そうなの?」

「あぁ、昔は浴室内で身動きとれんかったとよ」


 俺を楽しませるジョークなので流石に言い過ぎと思うが、もしかしたら本当かもしれない。


「学校はどげんね?」

「え、あ……まぁ、いつも通りかな」

「ん……」


 シワが刻まれた柔和な顔をこちらに向ける。その瞳が少し細められたかと思うと短く返事をして前を向く。藤江さんにかかれば隠し事なんて出来ないのではと思えてしまう程だ。



「ありがとうございました!」


 ピーク時間を過ぎれば後はパラパラと客が来るくらい。その時間を使って藤江さんは夜ご飯を作ってくれる。俺がいない時はどうしていたのか? と聞いた時は苦笑いを浮かべていたので、もしかしたら営業終了して掃除を終わらせてから食べていたのかも。


 もっと体を大事にして欲しい。


 番台に1人残される事になったけど、特にこれといって問題は起きなかった……この時までは。



 プシャァァァ



「きゃぁぁぁぁぁ」


 女湯の方から噴水のような音と女性の悲鳴が聞こえる。この時俺は咄嗟に駆けつけなければと思ったのが間違いだった。


「なにが起きた?」


 番台に"御用の方はボタンを押して下さい"の札を雑に置き、飛び出した俺は何も考える事無く女湯に入ってしまう。脱衣所に人が居ないので浴室の中だろうと思い、言葉と同時に扉を開けると……


「どうしました? 大丈夫ですか!」



 プシャァァァ



「もぅ……どげんなっとーと? 冷たかー」


「……だい……じょ……ぶ……です……か?」


 俺の瞳に映ったのは、水栓から噴水のように飛び出す水と、それを必死で止めようとする女の子の図。


「早よなんとかしてー」

「…………」


 必死で水を止めようとする女の子。


 過去の光景がフラッシュバックする。水滴に映るその姿は、つい数時間前に見たラーメンを湯切りする彼女とそっくりだったのだ。


 いや、正確には彼女そのものだった。


「ちょっと! そげんとこにおらんで早よどーにかしてってば!」

「あ、は……いや……でも」


 そんな事を言われても近付けない。だって彼女は……産まれたままの姿なのだから。


「せ、せめてタオルで隠してくださーい」


 ドギマギしてつい変な口調で叫んでUターン。俺は用具庫から工具類と番台から大きなバスタオルを持って駆け寄る。


「こ、これ……巻いて」


 なるべく見ないようにして彼女に近付く。しかし彼女はバスタオルを受け取ろうとしない。


「そんなんいいけん、どーにかして!」

「いや、でも……」


 次の一言で彼女がバスタオルを受け取らない理由を察してしまう。


やけん見られてもよかもん」


 その言葉に違和感を感じて俺は顔を上げてしまう。


「いや、俺は……」

「おれ?」


 パニックになっていた事と、女湯にまさか男が入る事を予想していなかった彼女が一瞬素に戻る。そして目を思いっきり細めて顔を近付ける。


「……アンタどこかで見た顔やね」

「俺だよ、俺!」


「俺俺詐欺?」

「いやそうじゃなくて、一緒にラーメン食ったじゃん! ってか声で気付けよ」


 俺も大概パニックになっている。会った初日の彼女に対して"声で気付け"はないだろう。


「ラーメン……えっと……あ〜! カラカラ?」

「唐草な! ってかこれで前隠してくれ……頼む」


 今も尚、凄まじい水が噴水のように出ている。しかし彼女は俺を認識するも全く動じる事なく。


「…………とりあえず、直してくれん?」


「お前……マジか」


 産まれたままの姿で必死に手で抑える彼女。学校での印象と違うのは、きっとメガネを掛けてないから、髪が水に濡れてしっとりしてるから、それから服越しでは分からなかったけれど、細い体型なのにとても扇情的な美しい体をしていたから(一部分を除く)


「アンタ今失礼な事考えたやろ?」

「滅相もないっ!」

「滅するのは後にしちゃるけん、手ば動かさんね! 冷たかっちゃん」


 今の今まで必死に水を止めてくれていたので、彼女の体は冷えているだろう。いくら春とはいえ、冷水に晒されれば風邪をひいてしまう。なので急いで元栓をマイナスドライバーで閉める。


 キュッキュッキュ……


「「止まった……」」


 なんとか噴水を止める事に成功した。お客様が彼女以外居なかったのは不幸中の幸いだろう。チラリと横を見れば彼女は俯いている。


 そうだよなぁ……俺に裸を見られたんだ。落ち込むのも無理はない。


 俺はどこかいたたまれなくなり、その場を逃げるように去ろうとすると……


「くっ……」

「?」


「くっくくくく……あははははは……ぎゃははははははははははは! あーっはははは」

「!?」


 俯く顔が天を向き、豪快に笑い出す彼女。


「あ、あの……」


 俺は咄嗟に彼女の方を振り向いて声を掛けていた。


「ははははは……ゲホッ……ガハッ……あっはははははっ」


 咳き込みながらも笑いが止まらない。一体どうしたと言うのだろう。

 俺は訳がわからず彼女を見つめる事しかできない。


 しばらくずっと見ていると笑いが収まっていく。そして座り込んだ彼女がチラリと俺の方を見て柔らかい声で話す。


「そこにおる? カラカラ」


 俺と彼女との距離は少し離れている。俺を見つける時も目を細めていたので、きっと視力があんまりよく無いのだろう。


「……うん。居るよ」


 俺の声を聞いた彼女はどこか諦めたような、そしてイタズラを思いついたような無邪気な声で告げるのだ。


「コーヒー牛乳で許しちゃる」

「……えっ?」


 コーヒー牛乳で……何を許すの? 俺の思考を読んだように彼女から答えが返ってくる。


「美少女の全裸を見た事たい!」

「…………」


 自分で美少女って言ってるのであまり気にしていないのかもしれない。ツッコミたかっが、今回は全面的に俺に非があるのでそのまま言葉をぐっと飲み込む。


「わかった」

「んっ……契約成立」


 湯船で温まってから出てくると言う彼女の言葉を聞いて俺は隣の更衣室で服を着替える。当然彼女の全裸を見てしまったので、その後は悶々としながら仕事をする羽目になった。




 ただひとつ気になったのは……彼女の左腕に包帯が巻かれていた事。





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