とんこつ彼氏とポンコツ彼女

トン之助

第1話 とんこつ女






 学校の廊下で、とんこつラーメンの匂いがした。








 何を言っているか分からないと思うけど聞いて欲しい。場所は学校で普段なら勉学に励んだり部活動で賑わっている場所だ。とんこつラーメンぐらい学食にあると言う人もいるだろう。それはごもっともだ。


 しかし、俺が今嗅いでいる匂いはラーメン屋の店の隣を通る時に排気口から漂ってくるレベルの臭気。すなわち獣の臭い。


 それが学校のとある一室から流れてくるのだから声にも出したくなる。昼休みに寝坊して購買のパン争奪戦に負けた俺は自然とその匂いの元へ吸い寄せられる。


「……いい香りだ」


 ほとんどの人はとんこつラーメンの臭いを獣臭いと言うかもしれない。ただ福岡県民にとってその臭いは故郷の香り。細麺ストレートは流れるロングの髪の毛の様だ。血液はとんこつスープで出来ていると言っても過言ではない……ごめんなさい過言かもしれない。


 俺は自然と自分の欲求に従って教室の扉に手をかけ……開け放っていた。



 ズゾゾゾゾゾゾゾゾ……ゾゾゾゾッ



 開け放たれた扉の向こうから勢いよく麺を啜る音が聞こえる。こちらに流れる風は上昇気流のようにこってりとした脂の湿度を孕んでいた。


「ごくっ……んん〜うまかぁー!」


 ぷはっと勢いよく器から顔を放す女がそこには居た。その女は開け放たれた扉を見て目を細める。


「ん? アンタ誰ね? そこでなんしようと?」


「えっ、いや……俺は」


 扉の前に立ち尽くす俺に気付いた女が話しかけてきた。咄嗟の事だったので俺は反応に困る。しかし、俺はこの女が誰か知っている。


 転校してきてまだ2週間だが、その噂は女子達のヒソヒソ話で耳にしていた。


『とんこつ女』この女に近付かない方がいいと。


 扉を開けてしまった事に後悔してそのまま帰ろうとした矢先、俺の腹がグゥと腹ぺこを訴える。


「あっ……」


 その音はこの女にも聞こえていたらしく、ニヤリとした顔で俺に手招きをしながら口を開く。


「……アンタもとんこつラーメンが好きなんやろ? どげんね? 1杯」


 備え付けのガスコンロに大きな寸胴が置いてある。そこを指差しながらラーメン茶碗をクルクル回す女。


「えーっと……」


 断ろうとしてもお腹が言う事を聞かない。気付けば俺はとんこつの霧の中に吸い寄せられるように後ろ手で教室の扉を閉めていた。


「麺の硬さはどげんする?」


 目の前の女は俺が来た事が嬉しかったのかニコニコしながら聞いてくる。その顔は俺が聞いていた噂とは全くの別人に見えた。


「じゃ、じゃあ普通……」

「バリカタやね、わかった!」


「え? いや普通が……」

「バリカタって店によって茹で時間違うんよね。ウチの店は20秒にしとーとやけど、ウチ個人としては23秒くらいが丁度よか」


「だから普通……」

「最初、よーわからんでオトンに教わったんやけど釜がバリ熱くてくさ! 眼鏡が曇って全然分からんかったんよね。やけん、曇らん眼鏡にしたとって! どげん似合わん?」


 ピンク縁のメガネをクイッと持ち上げる女。


「俺は普通が……」

「今の会話で丁度23秒やけんね。凄かろー? 見とってよ、ウチの華麗な湯切り見せちゃるけん! あっ、そこにおったらバリ熱かけん離れとった方がよかよ」


「…………」


 マシンガントークを初めて聞いた気がする。よくもまぁ噛まずにペラペラ喋れるものだ。そして女は俺の話を一切聞かずに湯切りを始める。


「ほぉぉぉー……アチョーほぁちゃー! ほぉうわっちゃー! バリ熱っ」


 世紀末が出てきそうな奇声を上げながらビシバシ湯切りをし出す女に俺はドン引きしてしまう。


 だっていきなり高校の制服を着たショートカットの女の子がテレビで見るような湯切りを披露するのだから。そして少し離れた位置から見ていた俺はその光景に見蕩れてしまう。


 蕩れる……草かんむりに湯。


 窓から入る太陽の光、風は春の訪れと、これから来る暑い季節を彷彿とさせる。キラリと舞い上がるお湯に反射した女の事を、俺は素直に美しいと思った。



「はい、おまちどう! 替え玉もあるけんいっぱい食べりー」


 差し出される器を受け取り俺はあっけに取られる。目の前の女ら晴れやかな笑顔。漂ってくる湯気を嗅ぐと、お腹が再度腹ぺこを訴える。俺は女の事を考える前に箸を手に取っていた。



 ズゾゾゾゾゾゾゾゾッ……


「!!」


「へっへーん! うまかやろ?」


「……う、うまい」


 お世辞抜きで美味しいと感じてしまう。こってりしたスープにチャーシューの脂がよく染みる。最初は忌避していた麺の硬さは全く気にならず……というかめちゃくちゃ好みだ。麺とメンマとナルトは店から持ってきたらしいがスープとチャーシューは手作り。


 お腹が空いていた事もあり一気に食べてしまった。もちろん替え玉をして。




「ご、ご馳走様でした」

「はい、お粗末様!」


 俺の対面に座り最初から最後まで笑っていた女。俺が食べ終わるのを見届けると同時に口を開く女。


「そう言えば自己紹介しとらんかったね。ウチは細川ほそかわはがね。クラスは2ー5」


 ケロッとした顔で今更な事を教えてくれる。俺は彼女の事を知っている。さっきまで心の中で"この女"扱いしていた事が悔やまれるような屈託ない笑顔を向けて。


 だから俺もなるべく笑顔で答えようとする。


「俺は唐草からくさ総司そうじ。クラスは2-4だ」

「カラカラ掃除?」


「か・ら・く・さ・そ・う・じ! なんだよその雑巾みたいな言い方」


 天然なのかなんなのか……1つ言えるのは彼女は人の話を全く聞かないヤツという事だ。


「からかく? あーあアレやろ! 東京から来たニューフェイス」

「ニューフェイスって……」

「ねぇ、東京ってどげんとこ? やっぱり最先端なファッションがあるんやろ? それにお台場にあるロボあるやん! ウチあれに乗りたかっちゃん」

「待てって……」


 捲し立てる彼女は鼻息荒く俺に詰め寄る。机を挟んで前のめりになるから、制服の隙間から彼女の胸元が……いや、そこまで見えないか。


「あっ! ここじゃ話しにくかやろ? そっち行くけん!」


 俺が目を逸らしていると何を勘違いしたのかこっちに来ようとする。そして勢いよく席を跳ね飛ばして回り込もうとするのだが……


 ツルんっ


「へぶしっ……」



「…………あっ」


 床の水気に滑って盛大に転ぶ彼女。


「痛かぁ〜」


 女の子座りで鼻を押さえる彼女を見て、俺はヤレヤレとため息を吐き手を伸ばす。


「……ありがとカラカラ」

「唐草だっての」


 皆が噂するとんこつ女というネーミングより、俺にはこっちの方がしっくりくる。




 ポンコツ女。




 俺と彼女の出逢いは、こってりとした……とんこつラーメンの味がした。










 〜ちょこっと博多弁講座〜


 博多弁のイントネーションは独特で、語尾を上げる癖があります。標準語で聞き慣れてる方にとっては、常に疑問形に聞こえるかもしれませんね。


 それでは、次回もバリカタ!



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