第22話 父の名

「ええ、有村祐一郎、有村室長がどうかしたの?」

 私の記憶が改変されていなければ有村祐一郎という名前は珍しい部類で私の父親と同姓同名なのだ。

 未来人からその名前を聞いて頭が混乱してきた。

「すいません、なんでもないです……有村さんは何処に行ったのでしょうね」

 適当にごまかした。

 今この女に父のことを今は言ってはいけない気がした。 

「有村室長は3台しかないタイムマシンの一台に乗って消えたの、一切の痕跡を残さずにね、ただどこかの時代で生きていると思うわ、時代を見限ったのね計算上はタイムマシンのエネルギーを使い果たしているし、すでに改変されているかもしれないわね」

 確立が上がったなと思い複雑だ。

 未来人の子供はどうなるだろう。

 サラなだけにあの映画を思い出して困惑する。世界はスカイネットに蹂躙されてはいないようだが……

「あの、よく分からないんですけど、タイムトラベルすると何が危険なのですか?」

 私はすでに話が分からないし興味は有村祐一郎に移っていた。

 それに私の空間崩壊が回避された以上、未来のごたごたと管理局とコウラの事など1ミリだって関係ない。

「時間の流れを変えてはいけないの、時間移動の理論が確立されて以降その流れに干渉する事は適切で無いと解釈されている。要するに神にゆだねられた部分に人間が手を出す事を禁止している。許されるのは過去の事象を目視、確認、観察するだけ、といってもこの技術にたどり着いたのは有村室長と兄だけなんだけど、有村室長はこの技術をブラックボックス化して消えてしまった。残るタイムマシンは二台、どちらも複製が出来ないし特殊なエネルギーを使用するので限られた仕様にしか耐えない、残る2台も兄さんと私達で使用中」

「コウラは時間に手出ししたんですか?」

 ユズキは困った顔をした。

「手を出したとすればあなたにそのチョーカーを渡した事かな、その事で歴史の改変が起きた。たぶん空間崩壊が起こらない未来はアウトサイドの研究が遅れるはずなんだけど、今のところ変わりないわ。それ以外はまだ何もやっていない」

「まだ?」聞き返した。

「兄は管理局を恨んでいる。管理局の監視チームで働いていた兄を管理局が裏切ったから……」

「コウラは被害者なんですか?何故、あなたが追われなければ」

「管理局が兄の妻を殺した。いえ兄を殺そうとして失敗したの、それで兄は復讐を考えてこの時代に留まって機会を狙っているのよ、私はそんな兄を説得に来た」

 死と言うワードに私が戸惑っているが、ユズキは淡々と話しだした。

「兄さんは地震の調査をするために幾つもの時代を飛び回っていた。過去に日本で起こった大規模な地震が次元にどのように作用するかを調べるか、もしくは次元からの影響で地震が起きているのか、そして9年前の東北沖地震で事故があった」

 私は当時小学生だった。マグニチュード7.8の地震の事は良く憶えているし200人を飲込んだ津波の衝撃は幼い私にとって海は怖いというイメージをその後数年の間悩ませた。

「特殊な次元震が原因の地震だった。プラント政府は最初からそのことを知っていて兄のチームを送り込んだ。兄とお姉さんはある特殊な装置で観測を行っていて、その装置に細工が施されていたのよ、次元震のエネルギーと特殊な波動で空間気泡を作り出し強制的に別世界に排出される……空間気泡というのはあなたのアウトサイドのような空間でとても不安定なもの、次元震なしではできない向こう側に行くゲート」

 ユズキは眉間にしわを寄せつらそうな顔をした。

 政府のやり方に嫌悪すら覚えている感じがした。

「向こう側?何ですかそれ?」

 ユズキはそのことの説明は理解できないでしょうと濁した。

「兄さんは何らかの理由でこちらに押し戻された。私は兄さんの改変前に凍結された個人記憶ログをたどって事実を知ったわ」

「なぜあなたは自分の身内が受けた酷い仕打ちを無視して管理局に従うんですか?お兄さん被害者じゃないですか」

「そうね、今のあなたたちからすれば酷い話よね、でもね、私たちの生きる時代は個人の感情なんて生存のためには必要ないモノの代表なのよ、個人より全体を優先する。新社会主義による社会の円滑な日常のために危険分子は早めに取り除くしか選択肢は無い、それが高等知生体のあるべき姿だと気づいて100年、今回の任務は私を試しているの、身内より全体を優先するか、それとも危険分子になって処分されるか」

 ユズキという女は感情を殺した顔で話している。

 時代は完全に管理されこの女も全てがモニターされているのだろうと悟った。やはり父のことを話さずによかったと思う。

「私は、アウトサイドが大切だしやめるつもりも無いからあなたの言う事は聞けない、アミュレットのお陰で安全みたいだし、だいたいこの時代に関係ない、コウラはすでに出て行ったし戻ることも無いと思うよ」

 私はアミュレットを取り上げられるのを警戒しながらアウトサイド閉鎖の忠告を断った。

「私は何も見て無いから、忠告だけしておくわ、このまま続ければ何かの拍子に空間崩壊を起こす……でも強制停止はしない、これ以上あなたに関わってもろくな事がなさそうだし、それからあなたがぶちのめした田崎は死ぬ事はない、精神的にやられているけどそれでだめになるようならこの仕事はしてない、だけど人を傷つけたことは覚えていなさい」

 ユズキは哀れんだように私を見た。

 この女は敵意で動いているのではないと思った。

 少なくとも管理局が神などとは思っていないのだろう。

「悪いけど、歯を食いしばってくれる」

 私の問いかけによく分からずに不安な顔をしたユズキの頬を思い切りグーで殴った。我ながら腰の入ったいいパンチだと思うほどタイミングもばっちりだ。

「何するの!」

 尻餅をついたユズキが困惑と怒りが混ざった顔で私を睨んだ。

 この女の言動から察するに管理局に対して本当の意味での忠誠心など無い、そう思い込んで賭けに出る。

 私は自分の鞄からペンケースを取り出した。そこから護身用にと思い持ち歩いていたカッターを取り出すとユズキがギョッとして息を呑むのがわかった。

「別に切りつけたりしないわ」と言ってオルファの黄色いカッターの刃をカチカチとのばした。

「これ持って」ユズキにカッターを上向きで握らせ飛び出した刃先を左手で強く握った。

「ねえ、今すぐ殺したいほど憎んでいいわよおばさん」そう言ってもう一度頬を平手打ちした。

 ユズキが怒りに満ちた顔で睨みとっさにカッターを動かした。

 親指の付け根が2センチぐらい割れて血が流れた。

「そうそう、私ね海沿いのファミレスで居眠りするのがすきなの、国道沿いで一軒しかないからすぐ分かると思うけど、17番テーブル窓際のいい席よ、深夜に行ってみて、そして薬でも飲んで居眠りすればいいことがあるかも」

 痛みを堪え私はそう告げるとハンカチで傷口を強く縛った。

「結構出血するね」そう言うと困惑するユズキを残して喫茶店に戻った。

 こんな事で絆が結べるとは思えないが、自然にダイブさせることが出来れば管理局にモニターされずにリンクできるかもしれないと思った。

 上手く伝わればいいけどと思いながら痛みに耐えた。


「ちょっとしたトラブルだよ。あのオバサン勘違いしていたみたいなの、ほら、ここであっていたおじさんいるじゃん、タケルが勘違いした。その人の妹なの、だから気にしないで」

 左手のハンカチに血が滲んでいて問いただされたが、自分で転んだと嘘をついた。

 何となく苦しい言い訳に心が痛んだが全てはテル君との世界を守るため必要な事、今の時点で出来る事はすべてやる。

 私は平気で皆を騙す。

 後はユズキという管理局の女が私の言ったことを理解するだけだ。

 女の所属する組織に感づかれないように話をしたいと思ったからだ。

 管理局にモニターされたままでは聞きたいことも聞けないだろう。

 本当はコウラとも話が出来れば本質に近づけると思うが、コウラには重要なお願いをしているのでまたの機会にしようと思う。一応ラインはしておく?と思いながら私は一人先に帰る。

 親指の付け根はたぶん縫わないとまずいなと思って病院を目指したからだ。

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