第8話 高校生活の始まり3

 原因はタケルにある。

 やはり平穏とは行かない高校生活がもうすぐ夏休みを迎える。

 7月のある日、今日は一段と湿度が高く、容赦なく体育館の不快指数を押し上げていた。壁掛けの室温計はすでに38度を超えていて汗が止まらない、私はいつも通りのアップメニューを終えて苦手なドリブルとシュートの練習をしようかとのんきに思っていた。

 弱小なチームで本気度はあまり無い、もちろんインターハイは地区予選の一回戦で負けたので今日も先輩方は遊び程度の紅白戦をしている。

「大神、アップ終わったらコートに入れ!」

 先輩の指令に思わず「私がですか?」と確認してしまった。

「そう、お前だよ、大丈夫だろ」

 言われるがままセンターガードのポジションに入る。この紅白戦は1年対2年の対戦で一年のエースはもちろんユウで中学からの経験者だ。

 このチームの中では3年含め一番上手い、そこに私のような素人を投入して戦力の低下をはかった2年はギラギラしたハンターの様に私を狙っている。

 確かに私は大きな穴でしかない。

 たぶん素人のハルと私を比べた結果、私のほうが下手と言う結論に基づいたからだろう。

「あまり気負わずに楽しくやろうよ」

 ユウに笑顔で言われて逆に申し訳なくなった。

 ホイッスルと同時に始まった。

 試合に何とか付いていこうと必死で走った……が、お約束のようにコケたり、2年にパスを出したり……散々だ。

 それでも「ドンマイ」と言ってユウが私の背中を叩く。

 気持ちだけは数メートル先にいるのにさっきから足が付いていかない、なんとか3ポイントラインにたどり着いた時ユウがゴール下から折り返すようなパスを私に出した。

 私は夢中でそれを受け取ると出来るだけ高く飛んでシュートを放つ。

 ボールはリングに吸い込まれ人生初得点を揚げた。

「ナイスシュー」とユウが叫んだ。

 風景がスローモーションで落下していく、ボールが床についても私は落下し続け目線が床と同じ位置にくると同時に衝撃が走り痛みに変わる。

 悲鳴と同時に先輩やユウとハルも駆け寄ってくるのがわかったが次第に視界から光が消えて声だけが響いていた。

 遠くでユウが私を呼ぶのに返事ができないでいると声も聞こえなくなった。


 浜辺で目を覚まして横にテル君が座っていることに気がついた。

 テル君は静かに海を見つめていて私が起きるのを待っていたのかもしれない。

「おはよう、今日も暑いね」

 伸びをした私を困った顔で見つめるテル君の腰の辺りに腕を回して抱きついた。

 テル君は私の髪を優しく撫でてくれるがいつもと違う入り方に戸惑っているのだろうか。

「ねえ、ファミレスに行こうよ、アイスクリームが食べたい気分なの、コンビニのでもいいよ」

 私は変な状況をごまかすように起き上がり食べたくも無いアイスの話題を振った。

 テル君は力なく笑い俯くとしばらく目を閉じてから話し始めた。

「サラ……もう2年になるよね、僕は凄く楽しかったし満足してるよ……でもそろそろ潮時かな」

 テル君は何かを決意したように私を見ると頬を撫でた。

「ごめん、何を言っているのかわからない」

 嫌なモノが溢れ出す様に胸の中で氾濫し始めた。

「僕達のこの世界が大きくなりすぎたんだ。たぶんこのままだとサラのほうが参ってしまうよ、僕がサラに甘えすぎたとおもう。だから僕は消えたほうがいい」

 本気の瞳で私を見つめるテル君は嘘など言わない、私自身に負担がかかっているのは気がついていた。

 このおかしな夢の仕様や構造について正直何もわからないのが現状で、自分の体の未来予想は想像の外側だ。

 たぶん特殊な能力とでも言えば理屈が合うのだろうが気にしてもどうにもなら無いので放置していたのだ。

 きっと超常現象の類で今の科学では解明できない事象なのだろう。

 私はこの夢が始まった時から覚悟はしている。

 この機能が停止してしまい私が死んだり昏睡状態になり目覚める事がなくなっても出来るだけ多くの時間をテル君と過ごそうと決めているからだ。

「消えるなんてダメだよ、そんな事言わないで、私はテル君とこうしていることで救われる。この時間が大好きで手放すことはできないよ」

 両手で顔を覆うように俯いた。

 テル君の決意に満ちた表情を見るのが辛かったからだ。

「でもね、このまま続ければ2人とも消える可能性があるよ、たぶんだけど今日倒れたのも限界が近いんじゃないかな」

「違う!今日はたまたま……暑かったし、今年はね、凄い猛暑なんだよ、7月なのにいつも以上に暑いんだ、だから……」

 テル君は瞳を閉じて首を振った。

「ここは僕の世界じゃないから自分で消えることが出来ないんだ。だからサラがスイッチを切ってくれないか、すべて元に戻る」

 私はその場に泣き崩れた。太陽で炙られた真っ白な砂が私の膝を焼いたが気にせずに泣いた。

「ごめん泣かせるつもりで言ったわけじゃないんだ。僕なんかのためにサラが犠牲になるのは耐えられない、今すぐじゃなくていい、とにかく考えてくれないか」

 テル君が膝をついて私の肩に腕を回し抱え込むようにハグをしてくれる。

 私は依存しているのかもしれない、この世界はあまりにも居心地がいい、私が作り出したのだから当たり前に体が馴染んでしまって強い絆で結ばれているのだ。だからたとえテル君が私の作り出した虚像だとしても消し去るなんて出来るはずは無い。

 いまだに目覚める事はなく眠り続ける本物のテル君に対して申し訳ない気持ちもある。

家族にだってそうだ。

 私だけが現実から逃避して心の癒しを手に入れている。

 だから将来この罪に対するバツが下される事があっても文句など無い、私は泣くのをやめテル君を抱きしめる。

 放さないの決意の表現だ。

 いつか本物のテル君が目覚めた時、この世界のことを教えてあげると心から思った。


 最初に認識したのは吊るされた点滴の容器だった。

 蛍光灯の光が透明な容器に反射して大きな水滴が落ちそうだなとかぼんやりとしながら覚醒したのだ。

 左腕に違和感があり頭を動かしながら腕を上げると点滴のチューブとつながれていた。

「サラ?気がついたのか?わかる?」

 私ははっきりとしない意識を戻すために何度か瞼を閉じたり開いたりを繰り返す。覗き込んできたタケルが私のおでこに手を当てる。

「なに?」

 無意識にひと睨みするとタケルはマズイと思ったのか手を放した。

「ん?お前泣いてんの?」

 哀れみを含んだタケルの表情に苛立ちながら自由な左手で顔を擦る。

 確かに泣いていた痕跡が瞼にあった。

 寝ているうちに涙腺が崩壊したらしい、夢の中の感情が抑えきれずに現実の体で反応するなんて……これだから悲しみの感情は嫌だ。

 寝ている体は内面からの反応に無防備なのだ。

 反射が休眠しているから普通の状態では表に出ることは無いが、強い感情、今みたいに悲しみとか、強い怒りなど負の感情ほど現実に顔を出してしまう、一人で寝ている場合は何とかなるが病院とか、それに修学旅行のように集団で寝る時など注意が必要だ。

 場合によっては心療内科を勧められるレベルでおかしな行動をとることがあるだろう。

 タケルが泣いている事をスルーしてくれナースコールを押すとすぐに看護師が来た。

「大神さん、気分はどうですか?気持ち悪いとか無い?」

 看護師の質問に「そこの男子が若干キモイです」と答えるとタケルが「それはねえだろ」と言って笑う。

「あら、そんな事言わないであげて、お兄さん凄く心配していたんだから」

「心配してた?……」

 タケルは恥ずかしそうに横を向いた。照れているのだろうか?

「ね、妹想いの優しいお兄さんね」

 看護師の言葉で赤くなったタケルが「そんな事ねえよ」と呟くが声が小さすぎて看護師には聞こえなかった。

 それにしても私はすでに妹と言う設定になってしまったのか?

「私、いつからあんたの妹になったの?誕生日私のほうが早いんだけど」

「それは、同じ学年でしっかりしているのが俺のほうだからに決まってるだろ」

 得意げに腕を組んだタケルを小突いてやりたいが点滴で自由を阻害されているので叶わない。

「は~?しっかりってあんた料理が得意なだけで、ほかはいま一つじゃん、成績は私のほうが上でしょ!……イタッ」

 急にこめかみに針が刺さるような痛みが走る。

「大丈夫?どんな感じに痛む?」

 看護師が冷静に対応する横で固まるタケルが見えた。

 あまり心配掛けたくないなと思いながら呼吸を整える。

「大丈夫です。そんなにひどくないから」

 痛みは数秒で消えてしまった。

 痛みの感じを説明して後で先生に来てもらうことにした。

「お母さんは今先生とお話してるけど、もうすぐ来るから」

 脈を計った後、点滴の確認と調整をして看護師は戻っていった。

「私、どうしてここに?」

「何も覚えていねえのか、まあ仕方ない……お前試合中に倒れたんだ。救急車がきて結構騒ぎになったんだぜ、俺は身内だからお前の荷物もって救急車に乗ったんだ。そして今に至だ。飯田に教えられた時は驚いたけど大したことなくてよかったよ、ほんと、日ごろからあんまり飯食わないだろ、だから倒れるんじゃね」

 説教じみてきたタケルはほっておいて枕元に置かれていた携帯を手に取る。

 ラインが何通か来ている。

 部活の先輩やユウとハルからだ。

 私は説教しているタケルを無視して返事を送った。

「わかったか?明日家に帰ったら俺がスタミナの付く飯を作るから残さず食うんだぞ」

「ごめん、何言ってるか聞いてなかった」

 タケルがこける様な仕草をして私が笑っていると母が病室に入ってきた。

「今日は様子見て入院して明日もう一度検査しましょうって先生が言ってたわ、なにか睡眠検査もすることにしたから、たぶん熱中症だと思うんだけど念のためね」

 睡眠検査ってなに?と思いながら困った事態になら無い事を祈る。

 一人になった病室でテル君のことを思った。

 眠ればすぐに会える。でも今は少し気まずいなと思いながらも、何かいい方法は無いだろうかと考えたが答えを見つけられるほど私に知識は無い。


 午後からMRIとか脳波とか検査してトドメが睡眠ポリグラフ検査とか言うやつだ。

 先生が言うには倒れたのは熱中症だけじゃないらしい、話している内にどうやら睡眠障害を疑っているらしいのだ。

 先生の読みは当たっているだろうと思う。

「よく眠れてないんじゃないですか?倒れた原因は熱中症ですが、元の原因は脳にあると思います。脳がストレスで疲弊して疲れやすい体になっていますよ、原因はわからないが脳が異常に覚醒しているようです。寝ていることには違いないのですが……」

 先生が夢は見ますかと質問してどんな夢を見るのか聞いてきた。

 内容と言うより色とか輪郭とか感覚的なことだ。

 あたしは曖昧な答えを言ってごまかした。

 こんな事で私の能力を測れるはずは無いと思ったからだ。

 結局よく分からないまま金銭的負担を強いてしまっただけで何の収穫も無い。

「とにかくよく眠って、きちんと食事を取ること、ストレスもためないでね」

 誰にでも言えるような社交辞令をのべた医者は、私の顔を見る事無く検査は終了した。

「あんた眠れてないの?いつも寝てるのに変なの、食欲が無いのは気づいてたけど、なんならウチの研究施設で検査してみようか?」

 母は嬉しそうに言ったが丁寧にお断りした。

 確か最先端の脳と睡眠の研究をしているらしいので勘弁願いたい。

 たぶん病院での検査も母の差し金だろう。

 あの医者が母の顔色を伺っているのは気づいていた。

 それにしてもしっかりと夕食を食べるのは嫌だなと思う。

 あちらの世界でテル君と食事をするので満腹になりたくない。しかも万が一食事と言う行為が現実に反映されれば私は食事を一日4食食べる事になる。

 考えただけで恐ろしい結果がそこにはある。

 子供の頃の夢の事もあるし食べすぎは良くない。

 夜はテル君との食事を優先したい、いくらバーチャルな食事でも美味しく食べたいのが人情だ。

 満腹では会話すら弾まないしテル君一人で食べさせるわけには行かないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る