第5話 春休み

 母の仕事のバタバタで、行ったり来たりの2週間を過ごしやっと引っ越しの日だ。

 引越し当日は朝から忙しく動き回った。

 時々向かいの窓から久子がチラ見して覗いている事に気が付いていたが特に気にもせずに作業に没頭した。

 ふとこの借家に何年住んだのか数えてみる。

 7年かとすぐに答えが出た。

 母が父と離婚したあとここに越してきた。

 この家に父との思い出はないが、一度だけ小学校の帰りに父が会いに来たことがある。

 家に入ろうとした私をストーカーばりに待っていたのか?その姿を見たとき子供ながらに複雑な想いを抱いたことを覚えている。

 二人で何を話したか忘れたが駄菓子屋でアイスを買ってもらい当たりが出たことだけなぜか強い印象として記憶にある。

 その日会った事は母には内緒にしなさいと言われて、内緒のまま埃だらけの記憶のとして思い出した。

 今となってはどうでもいい話だなと思いながら汗を拭いた。

 荷物を運び出しながら2階にある自分の部屋を見る。出窓からはお向かいのテル君の部屋が見えた。

 小学生の頃、星を見ようとしてカーテンを開けるとなぜかテル君もカーテンを開けて驚いた事が何度かあって、もしかしてあれはテル君の狙いだったのかもとか可笑しくなって今度聞いてみようと思う。

 荷物がはけて、思い出だけが残っているがらんとした部屋に別れを告げる。

 本物のテル君が目覚めた時に私がいないと驚くかな?などと思いへんな気持ちになった。

「もう出るよ!準備できた?」

 母が呼びに来た。

 引越しの大物荷物はすでにトラックと共に○×市に出発して私達は母の車で後を追う手はずになる。

 向こうの家で海江田さんが荷物を待っているので少し余裕がある。

「忘れ物無いね」

 母が言いアイドリング中の車を道路に出して最後にトイレを使っている佑太を待っていた。

 少し風が暖かくなってきたのを感じながらのんびりと空を見上げていた私は思いつきでこの家をデジカメで撮影してみる。

 家の前で家族で写真を撮ったことはあるが、家全体の写真はたぶん無いと思ったからだ。

 何枚か撮影してお母さんに見せると「お母さんも撮って」などと言って盛り上がった。

 中から佑太が呼んでいる。どうやらトイレットペーパーが無いらしい、母が笑いながらトランクから詰め合わせのトイレットペーパーを抱えて家の中に入っていった。

 私は一人で通りの様子や車越しの家を撮影していた。

「オマエ逃げんのかよ!」

 不意な怒鳴り声で振り向いた。

 そこには久子が怒りで逆上した顔をして睨んでいる。

 私が一人になるのを見計らったように声を掛けてきた久子はリアクションもしないで突っ立っている私へ早足で詰め寄ってきた。

 手に裁縫用の大きなハサミを握り締めているのを冷静に確認した。

 怒鳴り声を聞いて裸足のまま追いかけてきた久子の母が寸前のところで羽交い絞めにするように取り押さえた。

「放して!お母さんは悔しくないの?こいつのせいで兄ちゃん寝たきりなんだよ、なんの責任も取らないで逃げるなんて絶対に許さない!」

「もういいの、サラちゃんも責任感じてこの街を出るの、仕方ないじゃない」

 おばさん無表情のままで私が悪いみたいな言い方だ。

「何を勘違いしているの?」

 見苦しく暴れていた親子が私を見た。

 困惑した顔をするのは私もだし羽交い絞めの親子もそうだ。

「私、責任なんて感じていませんから、そもそもなんで責任を感じなければいけないのか、しかも久子ちゃんに怒鳴られ、おばさんまで私のせいですか?一体私が何をやったんです?変なうわさのせいで学校でも責任取れ見たいな流れで……うんざりなんですよね、フラれて勝手に海に行って溺れてしまう……バカみたい……あの日、私は家で待っていたの、映画に行く約束は破棄したわけじゃない」

 言っているうちに涙が出てきた。

「何言って……お前がクラスの人の前で盛大に振ったからおにいちゃん落ち込んでは海に行った!お前のせいだ!」

 母親は私の言葉で力が抜けたのか、久子はその手をたやすく振り解きハサミを突き立てるように私に突進してきた。

 私は動かないでハサミを受ける。鈍く腹部に刺さった。

「大勢の前で告白ってありえないでしょバカじゃん、あんたが恨むのは原因を作った梓と若山チカだよ、うまく乗せられて勘違いで人を恨んで刺すとかひくっつ~の」

 私は久子の肩を押さえつけるように掴み耳元でささやいた。

 久子の母親が悲鳴を上げて、家から出てきた佑太は「お姉ちゃん死なないで」と叫ぶ、冷静な母が携帯で救急車を呼んでいる。

「お前が悪いんだ……おまえが……」

 ハサミを握ったまま久子がブツブツと呟いてフラフラと後ずさる。

 かわいそうなほど人を刺してしまった衝撃で憔悴しきっているのを見てテル君に対して申し訳なくなる。

 そんな久子を視認したまま右手の指で刺された所をさわると熱のある液体が指先に触れた。

 ゆっくりと視線を傷口に向けるとお気に入りのピンクのパーカーがハサミの刺さった所から黒く染まっていくのを確認した。

 滲みは2箇所で久子はハサミを開いて突き刺したのだ。そりゃ刺さるわけだ。私はナイフのように鋭利ではないハサミは刺さることなど無いだろうとたかをくくっていたので少しショックを受けていることに気がついた。

 血が足りないのか、それともただのショック症状か分からないけど急に呼吸が苦しくなりその場に倒れこむと意識が無くなった。


「妹がごめん!」

 砂浜に正座して頭を下げたテル君の膝元に波が打ち寄せびしょ濡れだ。

 そんな事やめてと言って腕を掴んで引っ張りあげると無理に立たせた。

 非力な私は立たせるだけで息が上がってしまった。

「ほんと、土下座とか勘弁して、私はワザと刺されたの、そうしないと久子ちゃんが気づかないと思ったから、自分のした事をよく考えれば何が正しいのか理解できるはずだよ」

「僕が優柔不断だからこんなことになったんだ。悪いと思ってる。海水浴も断れば良かった。サラとの約束を破るなんてどうかしてたよ、冷静に考えれば若山さんが溺れたフリをしていたのも気づけたはずだし……半端な気持ちで人を助けようとするからこんな事に……」

 テル君が私の知らない情景を話しているのをぼんやりと聞いていた。

「なんで海水浴のことテル君が知ってるの?私は知らないよ」

 テル君が困った顔をして私を見たのでなにか変な事でも言ったのだろうかと不安になった。

「ごめんね、そんな話は今さらだよね、それより傷は痛まない?」

 夢の中でも私のお腹にはハサミで付いた傷があった。

 さすがに出血はしていない、黒い跡の様な傷口は別の空間への入り口みたいにそこだけ異質な素材感がある。

 そのまま傷に飲み込まれると全てが終わるような気がして怖くなった。

「私、死んじゃうかな?」

 小さな傷に圧倒され弱気な発言をした私をテル君が複雑な顔で見つめた。

「久子ちゃんはテル君のこと大好きなんだね、まさか得物持って来るとは思わなかったな」

 私もどんな顔をして良いのか分からなくなった。

「やっぱりわざとでも良くないよ、人を傷つけるのはダメだ」

 自分が現場に行けないことを償うようにテル君が私の肩におでこをつけて謝る。

 謝らないでと言っても聞いてくれそうに無い。

 私はテル君の頭を撫でるしかなかった。

「私もごめん、何か逆にテル君を傷つけたみたいで、逃げればよかったね、やはりワザと刺されるなんてダメだよね、きっと久子ちゃんも傷ついてるよ、私のせいだ。私のエゴで本当のことを示したかっただけなのかもしれない」

 久子がいない空間での不毛な会話になっているのはみんな傷ついているからだ。

「でもゴメン、全部僕が悪いのにサラのせいにされちゃって、僕はもう目が覚めないと思うけど、サラのおかげでここに存在できるのは嬉しいから、サラは自分を大切にしてほしい」

 夢の中の偽者のテル君は本物みたいに優しくて嬉しくなる。

 私の中でテル君の逆転が起き始めて、ホンモノがどちらか、曖昧になる。


 短い春休み後半は病院で過ごす事になった。

ハサミの傷は力の無い久子のお蔭というか幸いにもたいしたことは無いらしい、内臓は無事で腹筋に2つの傷が付いただけで済んだ。

ただし傷は一生モノで消えることは無いと説明された。

ビキニを着ると分るけど、それほど気にはならにと思うからおもいきりセクシーなモノを着て下さい、僕もみたいな~……担当の医者が場を和ませるために笑ったが私は表情を変えずに着る予定がありませんと呟いた。

 看護師がいやな顔をして「先生、セクハラ、訴えますよ」と言って担当医はメガネを直して咳でごまかした。

 久子のお母さんが病院を訪ねて来たのは翌日で私はすでに元気だった。

 私を見たおばさんが急に土下座して謝罪したので驚いてベッドから降りてやめさせようとしたら傷口がひどく痛んだ。

 母があわてて私をベッドに戻して「じっとしていろ」と命令された。

 おばさんは申し訳なさそうに立ち上がりポツリポツリと話し始めた。

「サラちゃんは全然悪くないのは分っていたの、でもどうしても納得できなくて……久子はまじめで突っ走る所があるしサラちゃんのせいじゃないと言っても聞かないから、接触は避けたほうがいいと思ったの、ごめんねおばちゃん弱いから……」

 私は自分のした事でこうなっている事も理解しているとおばさんに伝えた。

 傷の事は警察には届けないという事で話しは付いた。

 自分で怪我をしたことになる。

 医者にはいろいろ突っ込まれたが母はそっちにも顔が利くらしい、しつこい医者に最後は院長が出てきて話が付いた。

 私だけが情けないがそれでいい。

 久子に恨みは無い。

 ただ久子が精神的に参ってしまい入院する事になったと謝罪に来たおばさんが話していた。

 テル君の家族が崩壊していくようで私は腹が立った。

 原因を作った連中はのうのうと高校生活に突入すると思うと悔しさがこみ上げた。

 いつか……と心のどこかで声がしたような気がして胸の前で拳を握り締めた。


 病院は4日で退院してそのまま新居に帰ることになる。

 海江田さんには何も伝えていない、(ちょっとしたケガ)で入院した事になっていて、母が上手く説明していると思うが、そういう所は意外と適当な母に何度か煮え湯を飲まされた記憶があるので不安だ。

 研究者で女子力が低い人なのでどうやって海江田さんを振り向かせたのかいまだに謎だ。

 私のことをオモシロドジッ子ネタとして話してなければいいが、あのタケルというのに突っ込まれるような理由だけは勘弁して欲しいと思いながら新しい家での生活が始まる。

 こんなんではあるが私もとうとう女子高生と言うブランドを手にする時が来た事に何故か違和感を感じている。

 テル君が一緒なら申し分ないが私の世界の半分がテル君のモノなのでそのせいかもしれない。

 新しい制服は刺される前に採寸しておいたのでちゃんと届いた。

 私はしばらく安静と言う事で入学前の説明会等はお母さんとタケルが一緒に行った。

 驚いた事にタケルと私は同級生で、しかも同じY高新入生だ。

 王道少女マンガ設定に辟易して嫌な予感しかしない、先が思いやられるなと思いながら入学準備に入った。

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