第3話 闇の中学時代2

 あんなふうに無視したので当然といえば当然だが映画の約束は反故にされた。

 朝起きて約束の10時に一応お出かけのスタイルで待機状態でいた。

 鏡に映る髪型も笑顔も、服だってお気に入りのもので完璧だと確認している。

 いつもの調子でテル君が迎えに来てくれる事を期待して何度も外を覗いた。

 迎えにきたらツンデレな感じで「映画が見たいだけだから」とか言って一緒に出かけよう。

 そしてテル君の好きなドーナツを奢ってあげるとか考えていた……が、テル君が来る事はなかった。

 私は夏休みの大事な一日を虚しく家でダラダラと過ごすハメになった。

 気持ちはモヤモヤしたままで「テルニイ来ないね」と言った弟に八つ当たりみたいな命令(アイスを買いに行かせた)をして後悔したり、飼い猫のりん太に唐草の風呂敷で泥棒みたいなほっかむりをさせて笑い転げてみたがモヤモヤは晴れることはなかった。

 すでに諦めてポテチとチョコクッキーを食べながら怒っていた。

 この感情をどう処理するか?考えて窓辺に立ちお向かいに見える黒井家の様子を伺った。

 異変に気がつく……平日夕方のローカル番組が始まると同時に何だか外が騒がしくなったのだ。

 通りで騒いでいる女性の声は聞き覚えがある。

 携帯電を出話しているようだ。

 内容に耳を傾けてテル君のお母さんだと確信して外に出た。

 なにか問題が起きたのだろうか?興奮気味な声に戸惑いながら通りに出た。

 私が外に出るのを見つけたテル君の妹の久子があわてた感じで駆け寄ってきた。

「お兄ちゃんが海で……溺れて……」

 私は信じがたい事実を受け止められずに何度か聞きなおした。

 ようやく理解できたとき体が震えだし声は上手く出なくなった。

 吐きそうなほど体がおかしな反応を示したので必死に手で口元を押さえ込んだ。

「そそ、それ、で、テル君は……」

 今日は私との予定をなかったことにして友達と海に行った……そこで溺れた?詳細は不明なまま久子が泣き出してしまい私が慰める。

 おばさんが出かけた後は次の日も、その次の日もテル君の家は静かなままで、人の気配が消えたみたいだ。

 私の見る夢世界を再現しているみたいとぼんやり思いながら気持ちは落ち着かななくて、眠れないまま3日目に突入した。

 現実と夢の堺が分からなくなりそうで怖くなる。

 はっきりとはしないが、たぶんいつもの夢に落ちたときに異変を感じて目が覚めた。

 いつもの風景に何か生き物が存在している気配がした。

 それは黒く形がないまま漂っているモノで私に話しかけようとしているかに思えたのだ。

 私はどうすればいいか分からずに途方にくれているのだ。

 そんな3日目の午後に目覚めたときだ。

 目覚めるたび何度も窓から確認していた。

 やっとテル君の家の前でタクシーが止まっておばさんが降りたのを見つける。

「おばさん……」

 駆け寄っておばさんを見ると憔悴しきった様子に次の言葉が出てこなかった。

 察するしかないがテル君が大変な事になっているのは間違いなかった。

 おばさんは私を見ると「今はごめんね」と言ってふらふらと家に入ってしまった。

 久子は大丈夫か?あの日から見かけていないので親戚の家にでも行っているのだろうか。

 クラスの出来事で何だか遠い部外者になってしまった私はやりきれない気持ちのまま夏休みが過ぎるのをただ見送った。

 後で聞いた話だがテル君はあの教室で一緒にいた連中と海に行ったらしい。

(傷心のテル君を励ます会)などと変な理由で誘ったのだ。

 確かにあの時私は嫌いと言ったけど、長年一緒に過ごして私のこと分かるだろうと言いたい、なのにあんなチャラチャラした連中と一緒に出かけるとはどうしてなのか疑問が残る。

 推測だが盛り上がることに長けているあの連中に上手く乗せられたに違いない。

 私の中に小さな怒りが湧き上がるが公開告白でふってしまった事実を悔やんでいる自分には文句を言う資格は無いのかもしれない。


 日焼けする事無く過ぎる夏休みはあっという間に消費されてしまった。

 友達にラインを送っても返事はなくみんなショックを受けているのかもしれない。

 酷い夏休みになった。

 何もする気になれないがテル君の見舞いには2度行って顔だけ見て帰ってきた。

 見舞いの品はテル君の好きなミステリー系の文庫本をもって行った。

 枕元に置いて早く起きてねと呟くと少し笑ったような気がした。

 おばさんは疲れて表情がない、久子には一度会ったが何も言わないでテル君の傍にいるだけだった。

 

 休み明けの教室に入ると変な空気になっている事はすぐに分かった。

 教室の扉を開けると会話が止まり冷たい視線が私に集中して追いかけるみたいに付いてくる。

 嫌な気分だ。

 テル君がこん睡状態で入院しているし、多感な思春期と言われる中2の子供達は気持ちが不安定になるだろう。私だけじゃないのは分かるが……

「おはよう……」

 親友の梓に声を掛けるとそれにかぶせるように海に行ったグループの若山チカが「ねえねえ、今日は一緒に帰るでしょ」と梓に話しかけた。

 梓はそっちの女と会話して私を無視しているのが分かった。

 困惑して「ねえ、何無視してるのよ!」梓の肩に手を掛けたら勢いよく振り払われた。

「あんたのせいで照之くんが酷い目にあったんだ。私にさわるな」

「えっ?なんで?」

 私が疑問に思うと同時にひそひそと声が聞こえ始める。

 クラス中が私のことを敵視して怒りとも取れる小さな不満を滲ませていた。

 梓の横で若山チカが薄く笑った。

「ぜんぶあんたのせいだよ、照之くんが落ち込んでいて間違えて遊泳禁止の所に行ったんだ!お前が悪い!」

 クラスの意見が一致しているようで私の意見など通らないだろう。

 もしかしたら梓と若山チカの根回しがなされていたのかもしれない、私は海に行ったやつらにスケープゴートにされたのだろうか?

 頭がくらくらして2人を見返すと若山チカのグループの男子に突き飛ばされた。「この人殺し!」若山チカが容赦ない勢いで罵倒して梓もそれに乗っかった。

 何度か蹴られ防御しようとしてまた蹴られた。驚いて痛みを感じないが悔しくて涙が溢れてきた。

 グループ以外は傍観して嫌なものでも見るような視線だけを私に残す。

 私はイジメのターゲットになった。


 思い切り心が折れた私は悔しくてどうにかなりそうだった。

 その日一日何をどう過ごしたか分からない、クラスは様子見と完全無視の人たちで私はイジメの見本みたいに正しく孤立した。

 2人並ぶ席も心なしか隣の男子が隙間を空けているようで右腕が緊張して帰る頃にはしびれていた。

 情け無いが自分がこんなに弱い人間だとは思いもよらなかった。

 イジメなどやり返せばいいなどテレビで見る自殺のニュースを見るたびに思っていたのにいざ自分にお鉢が回ってきたらこのザマだ。

 一人部屋で声を殺して泣く日が来るなんて……ベッドに転がり明日からの生活を思うと明日が来なければいいとか考えた。蹴られた体は夜になって痛み出しさらに心を沈める。

 梓は見事に手のひらを返して親友どころか友達でもなくなった。

 簡単に裏切るような人間だったのだ。

 多分言いくるめられたのではない、私が触った時のキレようはそういう人間なのだと気づかせてくれる態度だ。

 私はあれこれと考え現実の意識が遠のいていく。

 夢の中で自分の世界に逃げ込むのも悪くないと思い始め、意識の逆転が起きる。


 夢で目覚めたのは家のベッドじゃない、いつも現実から目覚めるとそこは自分の部屋で旅行中でも部屋で目覚めるのが普通なのだ。

 最近はパンを食べずにお茶を飲むのが夢でのルーチンとなっていた。

 お茶を飲みながら今日は何をしようとか考える。

 変な夢だが今では楽しい私のもう一つの日常だ。

 だが今回は場面が変わったように浜辺に打ち上げられた漂流者のように目が覚めた。

 ざらざらとした砂が熱くて夏の浜辺、もしくは南の島に漂着した?いや違う、ついに私は異世界にたどり着いたのだろうか?などと思いながら確認作業に入る。

 蟹が目の前を歩いて海に消えて行った。

 蟹?

 私は驚いて立ち上がった。

 周りを見るとぼんやりではあるが鳥も飛んでいる。よく晴れた青空が広がって弓状にのびる海岸線の端は防波堤になっている。

 風景が既存の記憶と合致した。

 異世界でも南国でもない小学生の頃家族で海水浴に来た海岸だ。

 確かテル君の家族も一緒だった記憶が蘇ると同時にテル君が溺れた海岸であることに気がついた。

 快晴の空で気分が落ち込んでいく、植物以外の動く生物がいること自体異常をきたしている証拠で、リアルでひどいショックを受けたことに脳内が反応してストレスに耐えられずに何らかの改変が起きたに違いない。

 私はとぼとぼと砂浜を歩いて堤防に近づいた。

 近づくにつれ人影が見える。

 見覚えのあるシャツを着て堤防の縁に腰掛けている。

 さっきまで沈んでいた気持ちがそのシャツを確認したとたん湧き上がるように浮上ししていく。

 ぼんやりと海を見つめるテル君の横に私も腰を下ろした。

「ねえ、なにしてるの?」

 わりと気軽に声を掛けた。

 思考のどこかでこれは夢なのだと言い聞かせる自分が空気を呼んでごまかすように気軽に振舞う事を強制している。

 当り前だが全てが私の作り出した虚像なのだ。

 夢はテル君の昏睡と精神的孤立によってショックを受けた脳がエラーを起し基本場面が切り替わってしまったのかもしれない。

 しかも自動で動くテル君まで創作して動いている。

「ごめん」

 力なく笑ったテル君が小さな声で言った。

 何故謝るのか私はすぐに理解できなかったが次の言葉で察しが付いた。

「僕はサラが好きなんだ」

 テル君の「好きだ」は夢の中にいるのに思考がリアルの続きなのだと理解させるには十分な威力だ。

 それに気づくと今までも美しく表現されていた世界が更に輪郭をはっきりとさせ現実に近づいた。

 今までの夢がブラウン管のテレビ位に思えるほど私の夢はクリアになった。

 世界はテル君の登場によって今生まれたのだ。

 濃くなった空の青と反射のまぶしい海、日差しが大気を暑くして波の音が私達を包み固定されていく、これからここが私の中心になるのだと言う思いが全身にしみてくるのが分かる。

「テル君、ありがとう、たぶん私も好きだよ、でもまだ付き合うとかよく分からなくて」

「大丈夫、僕もよく分からないから」

 そういって笑ったテル君の肩におでこを寄せてテル君の匂いをかいだ。

 とても懐かしいにおいがする。

 いつも隣にいて気づいていなかっただけでこの匂いは私の一部になっていたのだ。

 その日から変わる事無く私は夢の中で目覚めるように生きた。

 夢の中と現実が逆転した生活、そこが生きていると感じられる唯一の場所みたいで夢中になる。

 学校での事は話さないがテル君は時々「辛くないか?」と聞くことがあるので笑顔を絶やさないように心がけた。


 十月のはじめに三度目のお見舞いへ行った。

 久子は小学校を休みがちでテル君のところに来ていると噂で聞いたので元気付けようとも思っていた。

 学校では完全に苛められる対象として定着してしまったがどうでもいいし、私の中で学校と言うもの自体卒業できればいいと思う程度の場所となっていた。

 すでに出席日数の計算を終えオリジナルの休日スケジュールは出来上がっていたのだ。

 体育祭や遠足などの行事、泊まりの校外研修や修学旅行は出ないと決めた。

 行く必要が無いものに費やす時間など私にはなかった。

「お久し振りです」

 病室に入るとテル君が寝ていることが不思議で仕方なかった。

 いつも話しているのに現実では何時目覚めるともわからない、一生このままかもしれないと聞いてもぴんと来ないのは夢があるからだろう。

 いつものようにおばさんに挨拶して一冊の文庫本を置いた。

「よく顔出せるよね」

 久子がテル君の顔をなでながら私を睨んだ。

 私は良く聞き取れず聞き返した。久子は小5で私のことをお姉ちゃんと言って慕ってくれていると思ったからだ。

「よく顔を出せるねっていってんだよ、このバカ女」

 久子が完全にキレて病室で暴れだしたのをおばさんが必死でとめた。

「ぜんぶ聞いたんだ。お前が兄ちゃんの告白を断ったから兄ちゃんが海に行ったって!梓ちゃんが言ってた、お前のせいで兄ちゃんが溺れた、お兄ちゃんに謝れ、今すぐにお兄ちゃんを起せ、このブス!絶対に許さない」

 おばさんの制止を振り切り、枕元に置いてある文庫本を手に取ると何もいえないで突っ立てる私めがけて投げつけた。

 見事に額に命中して私はショックでその場にうずくまった。

 抑えた右の額から暖かな感触が伝わる手のひらを見ると見事に鮮血に染まっていて更にショックを受けた。本の背が当たったのだろうか?と冷静に分析しているのは冷静さを失っているからだ。

 今は物事を上手く処理できそうも無い。

 騒ぎを聞いて看護師さんが私を部屋から連れ出してくれた。

 私はそのまま処置室に連れて行かれ額に絆創膏を張ってもらった。

 出血もたいしたことはなかった。

 血は出たが縫合が必要なほどでは無いらしい、背が当たったというよりも紙が掠る様に通過したので血が出たと説明される。

 私は梓のお陰で久子にまで嫌われたのだ。

 あいつらはとことん私の居場所を無くすのが目的なのだろう。

 しばらくしておばさんが様子を見に来てくれた。

 謝罪でもしてくるのだろうかと思う私は人間の感情をまったく理解していなかったのだ。

 おばさんは私の顔に冷めた視線を浴びせると「もうここには来ないでくださいと」と丁寧に言い放ち深々と頭を下げた。

 それはもう関わるなと言う無言の圧力の付いたお辞儀だと理解させる冷たいものだった。

 また私の居場所がなくなった。

 小さな町では噂はすぐに広がる。

 すべては私のせいで親しかったご近所さんも挨拶してくれなくなった。

 私を見たおばさん集団はひそひそと小声で話し、じろじろ私を舐めるように観察している。

 学校の先生まで私を煙たがったし、担任は私をスケープゴートにしてクラスをまとめている。

 私は病院から帰ると自室で狂ったように笑い転げこのくだらない街の現状をなかったことにして生きる事にした。

 ただ……

 私はオリジナルの休日を返上して学校へ通った。

 イジメグループと化した梓と若山チカに屈しないために目を放さない。

 無言のままあの連中に視線を送り続けるのだ。

 苛められようともとことん無視して学校に通うと決めた。

 暴力にでも陰口でも耐えられるのはテル君がいるからで、そのテル君のためにも学校へ行くのだ。

 学校に私が存在する事で奴らの罪を忘れさせないためだ。

 人間は本当の事を忘れはしない、私を傷つけるつもりであいつらは知らずに自分を傷つける。

 トドメのタイミングはそのうち来る。

 別に来なくてもあいつらはきっと自滅する。

 私の事など別にどうでもいい、かわいそうなのが弟の佑太だ。

 小学4年の佑太は久子の一つ下になる。

 学校で嫌がらせを受けていると佑太の友達に言われたのだ。

 佑太は何も言わないで普通にしているが、時々泥だらけで帰ることがあった。

 久子がここまで執念深いとは思わなかった。

 あの子は何とかしないといけないだろう。

 佑太は今日も元気に学校に行った。

 私は行事があるとつい休んでしまう。

 普段の授業は気にしないが行事の時は精神的に辛さが倍増するからだ。

 それは良くないので休んで夢の世界に入り浸る。

 学校と食事が終わるとすぐに眠る生活が続いて、何となく受験生になった私はすっかり成績が下がり最初の進路指導で先生が投げやりに底辺高を進めているのを欠伸交じりに聞いていた。

 高校に進学するつもりも無いが進路指導だからしょうがなく付き合う感じだ。

 

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