第2話 闇の中学時代1
ざわつく教室が先生の登場で静かになった。
「またか……大神サラ!黒板消しなさい!」
「私が書いたものではありません、書いた人間に言ってください」
先生からのご指名だが私は表情を変えずにフラットな声色で拒否をすると広げてあった教科書に視線を落した。
黒板には私の机と同じように稚拙な髑髏マークと一緒に(人殺しのサラ)とか(ビッチ女のサラ)とか(死ね、学校くんな)とかイロイロ書いてある、書いてはあるがヒネリがイマイチでとっくに飽きていた。
製作者の知性とセンスのなさにうんざりしていると一斉に消しゴムや紙くずが飛んできて私を直撃した。
髪の毛に着弾した小さな消しゴムのかけらを視線を動かさずに右手でさっと払うと投げた連中がイラついているのが伝わってくるので楽しいとさえ思えるようになった。
先生は苦い顔をしてほかの生徒をたしなめると、「もういいから」と言って自分で黒板を消し始め、私になされた行為は見えないことにして仕掛けた生徒への叱責はない。
ひどい暴力を受けたこともある。
ロッカー室や女子トイレで後ろから突き飛ばされ床に這い蹲るとモップを押し付けられ何度も蹴られたりした。
それでも負けはしない、どんなに苛められても泣きはしないし学校には来る。
私がここにいることでテル君は存在している。
あいつらの記憶をリセットさせるなんてできないように私が目の前にいれば許されることは無いと確信してここにいるのだ。
それがテル君を貶めた奴に対する戒めで、私はそのグループを睨むと昔親友だと思っていた女が視線をそらした。
黒井照之、私的な呼び方はテル君で近所に住む男の子だ。
子供の頃からいつも一緒と言う幼馴染フラグが立っている中学でも中のいい友達の一人だった。
友達だが若い男女にはよほどのハンデ(並外れた醜さや極端な変態趣味)が無い限り必ず恋愛感情が芽生えるものだとうすうす気づいていて、私たちもご多分に漏れずにしっかりとレールの上を走っていたように思う。
テル君の優しさや見た目も私は好きだがそれだけではない。
母が父と離婚して、まあ、この田舎町では離婚なんて恰好の噂話ネタだし、よそ者なうえ高学歴の研究者である母と父は、やっかみの対象でもあり不幸を聞きつければ鬼の首でもとったような浮かれ具合で盛り上がったに違いない。
隣町の郊外に広大な敷地を有した研究施設がありそこの研究者で同じ学校の同級生の親や町内会にはその施設で働く人は少数で、勤めていても警備や施設整備などで研究者はいなかった。
地域のほとんどが農家か公務員、商店など田舎特有の形態で成り立っているのだから仕方ないとは思う。
それでも大人の会話は尾ひれをつけて子供たちの間まで進入して泳ぎ回る。
当然私は冷やかしや嘲笑を受けて幼い心は傷ついていた。
ある日上級生数人が私を囲んで噂の情報開示を始めたのだ。
「母ちゃんが言ってたよ」とか「みんなが知っている」など話題を楽しげに私に振って笑っているのが悔しかった。
父が浮気性で手がつけられないとか、研究のしすぎで頭がおかしくなった母から父が逃げ出したのだとか大人の完全コピーを披露して根拠のない中傷が日差しの強い公園で続けられた。
私は俯いたまま悔しくて目の前が滲んでしまい、日差しで真っ黒な影が恐ろしい悪魔みたいに動き回る最悪の時間が続いた。
声を上げて泣き喚くのを心待ちにしている上級生はたぶん悪魔のツカイで恐ろしい顔をしているのだと感じていた。
「僕も知ってるよ!」
不意に上級生の話をさえぎるように聞き覚えのある声がした。
上級生たちはその声の主を確認しようと一度口を閉じそちらを見た。
私もつられてそちらを見るとテル君がこちらに歩いてくるのが見えた。
「僕も知っているよ」
「なんだ、新町の黒井君だよね」
知り合いなのか上級生女子が親しげに笑顔で話しかけている。
私は仲良しのテル君もそっち側の人間だった事にがっかりしてその姿を見つめた。
「うん、知ってる。佐代子さんのおかあさんが山寺の住職と国道のフローラから出てきたって」
佐代子と呼ばれた上級生女子の顔色が変わる。
国道のフローラといえばこの町のそういうホテルで子供たちの冷やかしにも使われるローカルな言葉になった有名店だ。
「それから小川さんだっけ?お父さん喫茶楽園のウエイトレスと車でちゅーしてるとこ駐在さんに注意されたとか、チューで駐で注ってすごいよねウケる」
テル君は私が見たことのないような下品な笑い方をした。
言われた上級生が泣き出して2人いた上級生男子がテル君をつき飛ばした。
「自分たちが言われると泣いて馬鹿みたいに怒るんだ。お姉さんたち全員気持ち悪い」
普段やさしくおとなしいテル君が怒りを露にした。
勢いよく起き上がったテル君はそのまま一人の上級生にタックルするみたいにつかみかかり思い切り殴り返した。
上級生は驚いて足を滑らせ、仰向けに倒れると後頭部を地面に打ちつけ泣き出した。
もう一人の男子があわてて引き剥がすようにテル君をつかみ投げようとするが逆に殴られ鼻血を出した。
小学生の喧嘩は泣いて鼻血を出せば決着が付く……と思われたが鼻血を出した上級生がテル君を思い切り殴りテル君も鼻血を出した。
公園はちょっとした流血騒動に発展して近所の大人が介入することで決着となった。
大人たちの介入で上級生たちは言い訳するが、それがかえって裏目にでた。
下級生2人をいじめていたが反撃されたという結末で上級生はあえなく学校に連行され担任に大目玉を食らうこととなったと後で聞いた。
「ゴメンね、守ってやれなくて」
鼻にちり紙をつめて頬を腫らしひざは擦り剥け埃だらけのテル君は少し震えていた。
必死で私を守ろうとしてくれたのだ。
弱い私は俯くしかできなかったが同時に私の味方がそばにいるようで頼もしくもあった。
殴り合いを見た後で不謹慎だがテル君の手を握り少し胸がギュウーとして甘いもので満たされ、彼がいるだけで私の未来は素敵な予感であふれ出した。
それまで異性と言う括りを意識していなかった私が始めて異性を目で追うようになることを自然なことと感じてしまう。
あれから数年たち今でもやさしいテル君に、もう告白の果実は何時爆発してもOKな状態まで熟れきっていたに違いない……
だが人生は穴だらけ、曲がりくねって誰かがポイント切り替えのレバーを引いたとたんすべては変わるものだ。
若い少年少女の気持ちはちょっとした手違いで思いもよらぬ方向へと脱線してしまう。
立ちはだかる壁は高く強固、それを打ち砕いて2人は結ばれるのは恋愛小説においてなら王道パターンだろう……
中二の夏休み後半に、私とテル君は親にもらった映画のチケットで出かける約束をしていた。
誘ったのは私だ。
母が会社からでもらってきたモノを流用したのだ。弟と行きなさいと言って渡されたのになぜか弟はテルニイと行ってきなよと微笑んだ。
私は特に気にもせずに「そっか、じゃあそうするね」と告げたが内心うれしくて仕方なかった。手柄でも立てたような気持ちになった。
この夏、何よりテル君が見たがっていたSFシリーズの超大作、喜ぶ顔が目に浮かぶのでにやけてしまうのを必死で押さえ込んだ。
私にはイマイチ理解できない映画だけどテル君と映画館で映画を見るというデートの基本みたいな行為を思うと何だかわからないが楽しい気持ちであふれてきた。
「このシリーズは今回の新作で3作目、まだ続くと思うんだこれからもサラと一緒に見たいね」
「じゃあ4作目のときテル君に彼女がいても私と見に行くこと、約束ね」
誘ったときに交わした言葉でハッとしてお互い苦笑いした。
まだ男女と言う認識と言うよりいつも一緒の……なんと表現したものか、言葉で表現できないでいる関係の苦笑いだ。
しかし親の用意したチケットでデートとはどうかと思うが、その時の私たちはいつもと同じに友達として……という体のお出かけなのではっきりとは意識はしていなかったと思う。
いつか自然にそうなるのだろうと心のどこかで思い込んでいた。
それは微妙な慢心を醸し出して注意力を散漫にしてしまう。
自分勝手な道筋を揺らぐことがないモノと勘違いさせると、私の幸せオーラを快く思わない者が罰のようにポイントの切り替えレバーに手をかけた事にも気づかない、踏み出せるはずのきっかけは私たちを無視するように唐突に起き進路変更を迫るのだ。
夏休み中盤の登校日、滲み出る汗と久しぶりの早起きのせいで不快な登校を強いられているところだが、この苦行が終われば晴れて後半戦、しかも明日はテル君とお出かけで、それを思うと不快な気持ちは和らいでいく、当時の私は意味もなくはしゃいでいる自分を自制するのに苦労していたような気がする。
だがそんな気持ちをぶち壊すように親友の梓が朝礼前の教室でウッカリ口をすべらせたのだ。
暑苦しい教室で私とテル君の(お出かけ)を(デート)と言う言葉に変換してクラス中に盛大にアナウンスした。
梓は「ごめ~ん、お口がスベッタ」とか言って可愛くも無いテヘペロのポーズで笑ってごまかしたが時すでに遅し……
中学二年はお子様思考の抜けきれない人の集まりと言う事がよく分かる盛り上がりに私はなすすべなくお手上げ状態で、賑やかし達のヒヤカシに晒された。
教室がおいしいスキャンダルの投入で真っ赤に燃え上がった。
テル君も赤くなって否定しているが私たちが何か言えば言うほど盛り上がるのがクソガキの習性だと分かっている。
このくだらないお祭り騒ぎを何とかしたいと思っていた時テル君が立ち上がった。
「うるさい!お前らには関係ないだろ」と聞いたことのない大きな声で怒鳴った。
普段大人しいテル君が怒りを露わにした事でクラスは少し反省したように静かになった。
私はホッとしてあの時と同じ勇気あるテル君を見た。
えっ?
おかしな空気が私の視界に何らかのメッセージを送っている。
怒りと違う表情でテル君がさっきよりも赤くなって私を見たので一瞬固まって見つめあう感じになってしまった。
そんな真剣な眼差しが今は痛いよ、痛すぎるよとか叫びだしそうになるのをこらえて息を呑んだ。
「俺はサラが好きだ!付き合ってくれ!」
普段一人称が(僕)なのに(俺)と変わったテル君の公開告白でクラス中に歓声のウェーブが起きて収拾が付かない事態になった。
昔テレビで流行った屋上から告白するシーンが点滅して私の思考回路がオーバーヒートしてしまったように考えがまとまらない、いわゆるパニック状態だ。
どうしたらいいと自分自身に問いかけてみたがこの騒ぎを収集するための計算に夢中で答えなどでなかった。
「テル君なんかダイッキライ!」
パニック状態の私は心にも無い事を叫んで……いや、絶叫して教室を飛び出した。
友達関係もこれから期待していた恋愛と言うモノも全てをぶち壊す嘘で私はテル君を傷つけてしまった……と、思う。
私がもう少し冷静で勇気のある人間ならどう対処したのだろうと走りながら涙が溢れた。
それでも昔から私の事を理解していると思っていたテル君があんな事言うとは……私がサプライズとか嫌いなことを知っていたはず。
一緒に見た動画でサプライズのフラッシュモブにドン引きしていたことを忘れたらしい。
走り疲れて誰もいない外階段で時間をつぶしていた。
教室ではホームルームと夏休み後半の注意事項などもろもろの話がされているに違いない、私はずる休みになってしまうのかな?どうでもいい事を今の事態を避ける様に思考した。
一時間ほど無意味な再考を繰り返していると帰宅する生徒と部活動の生徒が移動する気配に気づき私も教室に戻ることにして立ち上がった。
歩き出すとすれ違う人がみんな私の事を噂しているような錯覚に辟易して俯いてしまいやっと教室にたどり着いた。
教室には数人の生徒が残っていたのが気まずくて入り口で一度固まった。
集団の中にはテル君の姿もあった。
テル君と目が会った。
すぐに視線をそらし、教室の隅っこを移動しながら自分の席に向かうと消沈したテル君が寄ってきた。
私は戸惑いながら帰宅の準備を進め視線を泳がせた。
どうしようと焦る気持ちで何をどう片付けているのか分からなくなって机に放置されているプリントを鷲掴みでカバンに詰める。
「あっ、あの……さっきはごめん、つい勢いで……バカだよね、オレ」
テル君の謝罪の言葉に答える事も出来ないまま無視するように荷物を持って教室を出た。
私が去った教室から、周りにいた女子の声がわざとかと思うほど廊下に響いてきた。
「ひっど~い!なにあれ?なんか感じ悪いんですけど!黒井君謝ってるのに」
あの中に梓もいたような気がしてかなりムカついた私は怒りに満ちた般若の顔でもしていたかもしれない、すれ違った1年が怯えた表情をして通り過ぎる。
梓から謝罪のメールも無い、ほかの友達からも何のリアクションも無い、ただ暑いだけでイライラが湧き上がる。
いつもの通学路がこんなにも癇に障るなんて初めてだ。
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