第3話 ぜってぇ殺す!
ボボボボボボ……
五月蠅い。
私はバッと飛び起きた。
寝ていた。寝てしまっていた。秋人に憎まれ口を叩きながら、懐かしさと心地よさと、こたつの暖かさでうたた寝をしてしまっていた。
秋人の姿はない。テーブルの上に『迎えに来るまで待ってろよ』と走り書きされたメモだけが残されていた。秋人から貰ったメリケンサックを重しにして。
私はメモを握り締め、メリケンサックをサイドボードの引き出しに放り込む。
「アイツ、やりやがったな」
慌ててダイニングテーブルの上のスマホに指を走らせる。
ワンコール、ツーコール……秋人が出る訳がない。
「チッ、私から逃げ切れると思うなよ?」
* * *
しんしんと雪の降り続けるクリスマスイブ――いや、もうクリスマスの未明。
玄関から飛び出した深い雪の中で、私は怒りに震えていた。周りの雪を溶かすほど熱く、激しく、ジャージの上に羽織った半纏に舞い落ちた雪が一瞬で蒸発するくらい。
ぼんやりと辺りを照らすオレンジ色の裸電球の下、二の腕を激しく上下にこする。
吐き出した真っ白な息は、一瞬で凍りついてオレンジ色の灯りにキラキラと舞い散る。目の前にチラチラと揺れる黒髪が、濡れて光って見える。
寒ぃんだよ、どんだけ待たせるんだ。秋人が逃げちまうじゃねぇか。
暗がりに舞う大きな綿雪が、眩しすぎるほどのヘッドライトでフワリと浮かび上がったようにも見えた。腹の底に響く重低音。塀に丸々と積もった雪が音の振動で崩れ落ちる。
「美冬さん、すいません遅くなって。すぐ追いかけますんで、乗ってください」
車の中は暖かい。
深いバケットシートが私の体を包み込む。足を伸ばして腕を組む。
フロントガラスに落ちる雪の花弁が水滴へと姿を変える。キレイだと思う前に無情にそれを掻き落とすワイパー。
「誰が車を出したかわかってんのか?」
「は、はい、すいません。
外光とインパネの灯りに浮かぶ春奈の顔が、暗い中でも引きつっているのがわかる。
別にそれくらいで後輩の男を殺したりしねぇから心配すんな。
クリスマスの夜中にパツキンの可愛い後輩とランデブーって、どこまでも男運がねぇな私は。
走り出してすぐ、渋滞にはまる。緩く曲がった県道に連なるテールランプが、道路の雪を赤く染めてイルミネーションにも見える。
まさにホワイトクリスマス。まったく夜中なのにご苦労なこった。
「ダメです、美冬さん。この先で車が横転しているそうです!」
マジか? くだらねぇ事願うんじゃなかった。
どうする? このままだと永遠に追いつけない。
「あっ、美冬さん! 今、反対車線に夏弥の
チッ、そうきたか。秋人のやりそうな事だ。
「春奈、代われ! 峠を越えるぞ!」
「こんな日にマジッすか!?」
インパネのライトのせいか、春奈の顔が真っ青に見えた。
* * *
この雪だ。いくら幹線道路が事故渋滞しているからと言って、峠を越えるような馬鹿はまずいない。
私は暗がりに浮かぶ黄色い点滅信号を左に折れる。ここから先は戦場だ。
「春奈、シートベルト締めとけよ」
「はいっっっっ!」
車体が右に振っては右に、左に振っては左に、カウンターを当てて車体を立て直す。
大粒の雪にヘッドライトが乱反射して視界は最悪。リトラクタブルのライトに吹きつけた雪が、溶けてフロントガラスに飛び散る。外灯のひとつもない峠のワインディングで、視界に映るのはヘッドライトが照らし出す僅かなスペースのみ。いくら走り慣れていても、一瞬の隙が命取りになる。
「美冬さん、なんでランエボ出さなかったんですか? 雪道なら四駆の方が有利じゃ……」
「しょうがねぇだろ、
私の働く車屋で。親の遺産には手をつけず、必死こいて貯めた三百万。
秋人に会わなくなった二年間。それでも置いて行かれたくなくて死に物狂いで貯めたんだ。それなのに秋人は
「そんなに好きだったら、別れなきゃよかったのに」
「あ? 誰があんなヤツの事を好きだって……いた! テールが見えた!」
スピードが乗った車体に鞭打つようにアクセルを踏み込む。リアが大きく右に流れる。私はハンドルを右へ切り車体の真正面をカーブの内側に向けた。
「怖っ、怖っ、怖っ、怖っ!」
「舌噛むなよ!」
これだけの雪が積もっていれば
カーブ毎に赤いテールランプが近づいてくる。捕まえた! 真後ろにつけた!
私はシフトダウンからヒールアンドトゥで回転を合わせ、徹して冷静にアクセルを踏み込む。目と鼻の先まで近づいて、コーナーに突っ込む勢いでハンドルを切る。
「美冬さん、ヤメてぇ! 私の
「安心しろ、これだけ雪が積もってれば、カーブに突っ込んでも大したダメージはねぇ」
「や、ダメージあるじゃないっすか!」
ピーチクパーチク五月蠅い女だ。秋人に車を出したオマエの男を恨むんだな。
唐突に、春奈のスマホが鳴る。
悲鳴を上げながら、ハンドフリーで着信をつなぐ春奈。
『ご機嫌だな、美冬! いい腕してんじゃねえか』
「テメェ、っざけんなよ。ぶっ殺す! ぜってぇ殺す!」
『春奈、美冬さん止めてくれぇ! 秋人さん本気出すって……』
「あ? 今まで本気じゃなかったって言いてぇのか? 夏弥、テメェも殺してやろうか?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……わたし、死にたくない」
私の隣で手を組んで、呪文のようにごめんなさいを連呼する春奈。
夏弥といい春奈といい、まったく情けねぇ後輩どもだ。腹ぁ、括れや!
馬鹿が、アンダーステアでラインを膨らませやがった。
今がチャンス!
「死ねぇ~~~~!!!」
「ダメぇ~~~~!!!」
春奈が私の腕を取る。クソッ、ハンドルを切りすぎた。このままじゃあ……
フロントガラスの向こうで、大粒の雪が真横に流れる。口から胃が飛び出すような浮遊感と、
しんしんと降り続ける雪の中、
『あばよ、美冬! 次はやらせてくれよ』
「死ねっ! ぜってぇやらせねぇ! 調子くれてんじゃねぇぞ? 大丈夫かとかねぇのか、このクソ秋人!」
* * *
結局、佐久平駅に着いたのは、まだ日が昇る前の、東京行きの始発が発車する寸前だった。土手に突っ込んだ
後でヤキ入れてやる。
助手席で愛車の負傷にさめざめと泣く春奈を置いて、
出発のベルが鳴り響く。人もまばらな雪に濡れた明け方のホームに。
私の目の前で、新幹線は十五分遅れで走り出した。私は寝間着のジャージのまま、濡れたホームに崩れ落ち、足元のコンクリートに拳を落とす。
何度も何度も拳を落とす。
血が滲むほどギリリと唇を噛み締める。
目の前に流れていく、白い車体と小さな小窓が滲んで見える。
「クソッ、死ね! 死んじまえ! 私のカスタム費用、三百万返せぇぇ~~!!」
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