土用の丑の日


 ~ 七月二十一日(火) 土用の丑の日 ~


 ※釈根灌枝しゃくこんかんし

  末端にばっかり目が行って、根幹をおろそかにする。




 最後の追試。

 無事、ボーダー突破。


 どころか。


 満点叩き出して。

 カンニングかと疑われた。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 今日は偶然。

 保坂家の祭りの日と重なったから。


 お疲れ様会と称して。

 姉妹揃ってお招きだ。


「良かったのか? ご両親呼ばなくて」


 いつものお人形みてえなドレスでかしこまる春姫ちゃん。

 ダイニングに座る彼女に、キッチンから話しかけると。


「……問題皆無。お母様は、よっぽどの事がない限り外に出ないからな」


 一般的には妙な返事が返って来たんだが。


 あのお袋さんだもんな。

 さもありなん。


「いつも凜々花ちゃんと遊んでくれてありがとうね、春姫ちゃん」

「……礼など不要。私の方こそ、お礼を言わねばならんほど楽しませてもらっている」

「さ、さようでございますか……」


 相も変らぬ春姫ちゃん節に。

 親父はいつも以上に卑屈になってやがるが。


 今日ばかりは。

 お前に突っ込んでる余裕はない。


「おにい! こっちはできたぜこんちくしょう! そっちの首尾はどんなあんばいでい!」

「おうさこっちも準備万端! しかしお前、これだけはいつも上手いな」

「あったり前開きのチャイナ服よ! チャイナチャイナ、足上げちゃいな!」

「スリット前に入れて足上げたらパンツ丸見えじゃねえか。……よし、そんじゃ今切ったそいつを鍋に入れちゃいな!」

「がってん承知のスケッチマイケッチ!」

「まいけっちってなんだ!?」

「きゃははははははは! 知らん!」


 砂糖、酒、みりん、醤油。

 同量入れて煮詰めた汁に。


 凜々花が大量に切り落とした。

 尻尾部分を加えて煮込む。


「おいしくな~れ。おいしくな~れ」

「おいしくな~れ。おいしくな~れ」


 そして、大事な大事な呪文を唱えつつ。

 鍋の中で、タレにうま味が染み出すのをじっくりと待つ俺たちだった。



「ご、ごめんね、舞浜さん。もうちょっとかかると思うんだけど……」

「い、いえ……」

「……時間は問題ないが、それにしても騒がしいな。いつもこうなのか、あの二人は?」

「他の料理じゃこんなことは無いんだけどね? うな重については異常な程の執着と言うか、執念と言うか……」

「……既に調理済みの品に見えるが、あそこに手を加えるのか? 尾の部分を切り落としてどうするのだ」

「僕にはよくわかりません……」

「……タレは添付されているだろうに。それでは納得がいかないと?」

「僕にはよくわかりません……」


 ダイニングから漏れ聞こえてくる会話は。

 呪文のせいで、その端々しか耳に届かねえが。


 今聞こえたその単語。

 添付のタレ?


 おいおい、お前ら。

 ウナギを分かっちゃいねえな。


 ……こないだ、静岡でウナギ食ったとき。

 お前ら姉妹も気付いたはずだ。



 うな重とは。

 その本質とはなにか。



 外で食う、高級なうなぎ。

 家で食う、あっためるタイプのうなぎ。


 前者と後者。

 その違いを、プロに語らせたらいろいろあるのかもしれねえ。


 国産、海外産。

 蒸し、焼き。

 タレ付けの回数。

 背開き、腹開き。


 でも、俺たち庶民にとって。

 そんなものは、二の次なんだ。



「…………よし! 凜々花、味見!」

「ふーふー済み?」

「済み! くいっと行け!」

「くいっとな! …………ふむふむ。これは……」

「これは?」

「もちっと、こう……、とろっと感足んねえ?」

「よっし! もうちっと煮詰めるぞ!」



 うな重とは。

 その本質とはなにか。



 おそらく、日本人なら。

 始めてうな重食ったとき。

 誰だって思ったはずなのに。


 高級な食いもんだってことで。

 釈根灌枝しゃくこんかんし


 うわべに騙されて。

 大切なことを忘れちまうんだ。



 うな重とは。

 その本質とはなにか。



 だから、俺は。

 凜々花は。


 大切なことを忘れちまったみんなに。

 真実を思い出させるために。

 こうして立ち上がった。

 憂国の騎士。


 さあ、全ての国民よ!

 今こそ目覚めの時!


 刮目せよ!

 我らの調理!


 傾注せよ!

 我らの言葉!


「…………よし! 凜々花、味見!」

「ふーふー後?」

「後! くいっと行け!」

「くいっとな! …………ふむふむ。これは……」

「これは?」


 うな重とは。


「うんまいっ!!!」

「ようし! 飯をよそれ! いざ食わん! 真のうな重!」

「……でも、おにい。ウナギ、まだあっためてなくね?」


 その本質とは。


「んなもなどうだっていいんだよ!」

「まあ、そだよね。凜々花、これいらねえし」



 ……タレごはん。



 超うめえ。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



 姉妹の瞳が羨ましそうに見つめる。

 キッチンへ通じる小窓の木枠。


 クリーム色の額縁の中で笑う。

 仲良し兄妹の油彩画は。


 ようやく、お互いに気を置かずに。

 姉妹としての関係を始めたばかりの二人には。


 遥か遠くの世界に感じられた。



 ……愛ゆえに。

 自分を殺して暮らしてきた二人。


 急に近づくには。

 準備体操が足りないようで。


 麦茶のコップの縁に。

 滑り落ちずに張り付いた。

 逆さに映ったお互いの顔へ話しかける程度に。


 未だ。

 冷たい距離がそこには残っていた。



 ……でも。



 六月の終わり。

 言いたいことを我慢してきた妹から。

 不器用な姉に託された。


 一つのお願い。


 そんな行為が。

 二人の距離を確実に近づけて。


 ……そして、聡い妹は。

 友達の兄の顔色が悪いことから。

 一つの答えを導き出して。


 姉の取った行動へ。

 素直に感謝しきれずにいた。


「えっと……、ね? 二番目に良かった方法は、模試を作ること」

「……模試?」

「うん。模試を作って、それぞれの設問について例題を作ってもらうのが、一番わかりやすかった」

「……なるほど、設問通りの例題というのはいいアイデア。さすが立哉さん。私も真似させてもらおう」

「え? 例題、春姫も作るのに?」

「……私のは例題ではなく、単元のあらすじ」


 他人への指導など初めてのことで。

 単元の全体像を伝えることしかできず。

 毎日悩んでいた妹の姿。


 優しい姉は、手を貸したいと伝え。

 妹は、それならばと。


 『良い指導法を教えて欲しい』


 そう頼んだのだ。


 ……だが。


「……勉強の教え方を検証するために、自ら被験体になるとは。随分無茶をさせたようだ」

「わ、私よりもね? 保坂君の方が大変だった……、かも」

「……そのようだな。まったく、何をしたらあそこまでやつれるのだ」


 さすがに、自分で検証するなどやりすぎだし。

 しかも他人を巻き込んでいいという道理などない。


「……十分お礼をするように。私も、礼を準備しておかねば」

「えっと……、ね? クラスの人から教わったお礼、明日するつもり」

「……そう。…………それより、お姉様。教えて欲しい」

「なあに?」


 賑やかなキッチンから。

 仲良し兄妹が。

 今にも出てきそう。


 その前に。

 聞かねばならないことが一つある。


「……二番目に良かった方法が模試を作ることだったな」

「うん」

「では、一番効果的な指導方法は?」


 完成を喜ぶ大声が響き渡る保坂家のキッチンから顔を出す。

 恭しくお重を運ぶ妹と。

 チンしたウナギの大皿をぞんざいに持つ兄とを見つめながら。


 不器用で、応用力の無い姉は。

 愛する妹の質問に。


 幸せそうな笑顔で。

 こう答えたのだった。



「ピザ」


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