泣く日


 ~ 七月九日(木) 泣く日 ~


 ※暗送秋波あんそうしゅうは

  こっそり色目



 テスト中に。

 あるまじき事態。


 そういや、中間の時も。

 ひでえことになったよな。


 廊下で立ったまんま試験受けるとか。

 考えられん。


 でも。

 まさかそれを上回ることになろうとは。


「こら! またか貴様!」


 テスト中に。

 監督してた先生からの再三の注意。


「で、でも……。ぐすっ」


 でもじゃねえよ。

 想像を絶する事態だっての。


 この、試験中に。

 ぽろぽろ泣き出す女。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 さすがの俺も。

 どうすりゃいいのかまるで分からん。



 一時間目は。

 英文に出てくる女の子が可愛そう。


 二時限目は。

 毒殺されそうになるゾウが可愛そう。


 だが。


「舞浜! 今度は泣きようがないだろう! どうして美術で泣く!」



 ほんと。

 それな。



 とは言え理由についちゃ。

 当事者たる俺は、分かっちゃいるんだが。


「理由を言え。さもなくば廊下に出ていろ」

「ぐすっ……。ほ、保坂君が、私に勉強を教えてくれたのですが……」

「そうだな。聞いている」

「でも、まるで点が取れそうにないから……」


 やれやれ、試験中だってのに。

 なにが始まったんだっての。


 このクラスだけ。

 美術の点が下がっちまう。


 それでいいのか担任として?


 学生にとって最も大切な事。

 そりゃもちろん勉強なわけだ。


 そして、成果を発表する貴重な機会。

 それがテストなわけじゃねえか。


 何人たりとも邪魔しちゃなんねえ。

 ましてや教師が邪魔するなんて言語道断。


 だってのに、てめえは。

 一番重要な事後回しにして。


 どうする気なんだ?


「まるで役立てられんから泣く、か。分からんでもないが、保坂に対して泣くということは間違いだ」


 ほう?

 俺に対して泣くのは間違い?


 学生の本分を軽んじてまで語るお前の御高説。

 聞いてやろうじゃねえの。


「人は誰かの力なくして生きられない。名も知らぬ誰かもそこには含まれるわけだが、感謝すべき相手が無限にいる事は想像がつくはずだ」


 先生の話は、有無を言わさず誰もの耳目を集めて。

 走るべき筆をその場にとどまらせる。


「そんな皆様に恥ずかしく無いよう、日々を一生懸命生きるべきが貴様たちの本分。スポーツ然り、趣味然り。だが、最も力を入れねばいけないものは言わずもがな学業だ」


 その学業を邪魔してどうする気だお前は。


「さればこそ、舞浜。真摯に学業へ取り組んでこなかった貴様が泣くべきは、保坂に対してのみならず。思いつく限り、身の回り全ての方へ対する涙でなければならん」


 ……やれやれ。


 テスト中って時間は。

 不思議と五感が増すもんだ。


 隣のクラスだけじゃねえ。

 多分、いくつか先のクラスでも。

 上も、下でも。


 うるせえなあって思ってるヤツが幾人もいる事だろう。


 でも、その騒ぎの中心。

 このクラスの連中だけは。


 誰もがこの言葉に思い入る。


 人として大切な気持ち。

 学生が、勉強するうえで一番に心に抱くべき気持ち。



 感謝。



 なるほどな。

 言いてえことはよく分かる。


 良い話じゃねえの、先生。



 …………でもな?



「ばかじゃねえの?」

「……なんだと保坂」

「お前は二つ間違ってる」


 思わず否定しちまったが。

 クラスの連中が、驚きと共に俺のアンチテーゼを待ち構える。


 わりいなみんな。

 お前らの大切な時間。

 もうちょっとだけ貸してもらうぜ。


「……発言を許そう。何が違う」

「まず、良い話なのは分かるが、そんなのテスト中に言う話じゃねえ」

「…………確かに。お前の言うとおりだ」

「そんでもひとつ。こいつが泣いてた理由、最後まで聞いてみろ」

「ん?」


 俺が、返した親指でさすこいつ。

 未だにぐすぐす鼻鳴らしてる舞浜。


 全員の目が移った、騒ぎの元凶に。

 ちゃんと最後まで話させてりゃこんなことにならなかったんだ。


「……どういうことだ? 舞浜、お前は保坂から勉強を教わったんだな?」

「はい」

「それが役立てられなかった、と」

「はい」

「……間違っていないではないか」


 ムッとしながら俺のことにらむんじゃねえよ。

 この話には、続きって言うか。



 オチがある。



「こいつが泣いた理由がちげえ」

「……どういうことだ」

「ぐすっ……。保坂君が、私に勉強を教えてくれたのですが……」

「さっき聞いた」

「でも、まるで点が取れそうにないから……」

「それも聞いた」

「問5の答え。教わってねえから今教えろって言い出したんだ」

「そ、それを無視するんです、保坂君……」



「「「わはははははははははははは!!!」」」



 ほらみろ。

 お前の高説。


 茶番になった。


「こら! 静かにしないか!」


 先生の一喝に。

 一瞬で鳴りを潜めやしたものの。


 堪える笑い声に震える肩。

 テストどころじゃなくなった。


「……試験を続けろ。あと、舞浜は試験の後職員室に来い!」

「で、でも、放課後は保坂君に……」

「試験勉強の時間は考慮する」

「ピザ屋さんにつれて行ってもらう約束が……」

「絶対に寄り道は許さん!」


 ああもう。

 絶対にみんな。

 テストどころじゃなくなった。


 そんな中。

 しょげる舞浜は。


 俺に逆恨みの視線向けて。

 また泣きそうになってやがるんだが。



 ……でもな。



 これでも俺は。


 ヒントくれてやってるんだ。


 色目じゃねえから。

 暗送秋波あんそうしゅうはって訳じゃねえけど。


 ぐすぐす泣くお前見て。

 何人か、ニヤニヤ笑ってんだろ?


 気づけっての。



 お前が教えろってしつこく聞いてきた問題。

 問5の答え。


 パブロ・ピカソが。

 ドラ・マールをモデルにした絵の題名。


 そいつの答えは。



 『泣く女』


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る