七味の日


 ~ 七月三日(金) 七味の日 ~


 ※跛立箕坐はりゅうきざ

  すげえ不作法。まあ、子供は真似したがる。



 いよいよ来週から期末開始。

 そんな学校からの帰り道。


「もうほんとさ。集中力ねえのかてめえは」

「お、怒らないで欲しい……、の」


 昨日、起死回生のアイデアを手に入れたと思ったんだが。

 今日はまるで効果無し。


「なんだっておかずで煽っても勉強しねえんだよ」

「だ、だって、違う方法も試さないと……」

「は?」

春姫はるきと、約束したから……」

「さっぱり分からん。二人して勉強しねえって約束したのか?」


 ふるふると、左右に首を振る。

 面倒なお嬢様。

 舞浜まいはま秋乃あきの


 連日、適当な言い訳して。

 まともに勉強しやしねえ。


 しかも。


 昨日、あっという間に覚えたところも。

 すっかり忘れちまってるとか。


 どうなってんだよお前の頭のSDカード。


「舞浜はもう、進級諦めろ。パラガスの後輩としての人生を歩むがいい」

「そ、それだけはイヤ……」

「じゃあ、ちゃんと勉強しろ」

「ご褒美が無いと、頑張れない……」


 ほらこれだ。

 なんで二言目にはご褒美ご褒美。


「何もやらん!」

「い、いらないの。どこかに連れてって欲しい……、かな?」

「どこにも連れて行かん!」

「今日だって、英単語三つ覚えた……」

「……覚えたから?」

「今日のご褒美に、おでかけ」


 飴色の髪を肩から滑らせて。

 俺の顔覗き込んだって。


 ダメなもんはダメ。


 ……可愛いけど。


 ダメ。


「おでかけ、しよ?」

「しねえ」

「おでかけ」

「しねえ」

「おでかけ」

「ぐう」


 ……俺の代わりに。

 腹が勝手に返事しやがった。


 こら。

 なんだそのニヤニヤ顔。


「じゃあ、お食事、行こ?」

「腹に話しかけんな。行かねえっての」

「お食事」

「行かねえ」

「お食事」

「行かねえ」

「お食事」

「ぐう」


 だからにやけんなっての。

 悠長にメシ食ってる場合じゃねえんだからな?


「このあいだの、あんみつ屋さんでもいい……、よ?」

「寄らねえ。って言うか、もう通り過ぎてるだろ」

「じゃあ、先週できたピザ屋さん……」

「だからそんな暇ねえって! 駅向こうの立ち食いそばで、一人で済ませてくっから。五分で戻るからちょっと待っててくれ」

「た、立ち食いそば!? 行ってみたいっ!」


 やべえ!

 やっちまった……。


 顔を覆って天を仰いだって。

 口から零した言葉は戻らねえ。


 舞浜にとっちゃ。

 立ち食いそばなんて。


 夢のアトラクションでしかねえよなそりゃそうだ。


 そんな俺のカバン引っ張って。

 目ぇキラキラさせて。


 駅の改札スルーして反対側へ抜けようとしてるけど。


「……わかった! 連れてってやるから引っ張んな! でもそん代わり、帰ってから猛勉強だからな!」

「が、頑張る……」

「ほんとだな!?」

「ほんと……、かな?」


 かな? じゃねえ。

 ぜってえやらねえつもりだろ。


 お前の『頑張る』。

 反故にしてウソになった場合でも。


 今まで散々ウソついて。

 伸ばし続けてきた鼻が。


 もはや一回分伸びたって誤差の範囲だから気にもしねえんだろ?


 なんだか長い木の棒が領空侵犯してるって。

 各国が日本にアンチスレ立てるぞきっと。



 ……そんなウソつきお嬢様。

 勇む大股が急停止。


 店先にたどり着いたところで。

 俺の背中に隠れて。

 店の中へぐいぐい押し込もうとしてやがる。


「いらっしゃいませ~」

「いや、すまん、まだだ。……舞浜、押すんじゃねえ。外で食券買ってから入るんだよ」


 ラーメン屋の時もそうだったけど。

 ビクビクするならなんで来たがるんだよお前。


 呆れる俺の背中を、今度は後ろへ引っ張って。

 券売機前に平行移動させた舞浜が。


 右肩に両手を置いて、顔を覗かせて。

 メニューをじっくり吟味する。


 暑苦しいわ。


「……書いてある意味、分かるか?」

「多分……。かきあげは、天ぷら。えびは、天ぷら。イカは、天ぷら」

「そうそう」

「タヌキは、天ぷら。キツネは、天ぷら」

「揚げちまったか」

「月見は、デザート……? あ、ううん? やっぱり天ぷら」

「今、お前の頭ん中で何揚げた?」

「…………う、うさぎ…………」


 やれやれ。

 珍しい肉のオンパレードだな。


「ほら、金入れたから。食いてえもん押せ」


 俺の肩に隠れたまま。

 舞浜が指を伸ばして。


 『かけ』と『もり』の間を行ったり来たり。


「いいよ、遠慮しねえで。高いもん食え」

「そ、そうじゃなくて、これは何を揚げたのかなって……」


 やれやれ。

 たかが立ち食いそばで。

 何分待たされることになるのやら。


 ……女子は、牛丼とかそばとか。

 そもそも飯屋に一人で入らねえ子がいるって聞くけど。


 舞浜見るまで。

 作り話だと思ってた。


 なんで怖いかなこんなの。

 お前、頭いいんだから。

 なんとなくわかるだろ、仕組みくらい。


 こういうのすべてに受け身だから。

 勉強嫌いな子になるのか?


 そんな、有るはずもねえ因果関係について考えてたら。

 肩口から、小さな声が上がる。


「た、食べたいの、見つけた……」

「ああ、そうか」

「安いのに、不思議」

「何が不思議か分からんが。気に入ったんならそれ食えばいい」


 小さな頷きと共に。

 肩にかけた手が、きゅっと握られる。


 伝わるどきどき感。

 立ち食いそばデビューとなるそのボタンを。


 舞浜は。


 今、しっかりと押し込んだ。




 大盛り券

 ¥100




「うはははははははははははは!!!」

「な、なにか、変? 一番安いのに、大盛りって不思議……」


 やれやれ、晩飯食えなくなるっての。

 仕方がないから天そば二つ買って。

 俺が大盛りを引き受けることにした。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



 あっという間に出て来たかき揚げそば。


 舞浜に任せると。

 丼ひっくり返しそうだから。


 両手で持って。

 テーブルまで運んでやろうとしたのに。


「あぶなっ!? シャツ引っ張んなよなにすんだ!」

「た、立って食べてみたい……、かも」


 ああ、なるほど。

 立ち食いそばへの憧れは。

 つまり跛立箕坐はりゅうきざへの憧れ。

 俺も小学生のころ思ったわ。


 カウンター、高すぎるのに無理して食べて。

 背伸びして、器に口からお迎えして。

 そのせいで大惨事になったんだ。


「……あっちは常連用。素人があそこで食べると、そばが入った丼を頭からかぶせられる」

「き、厳しい……、ね」


 気持ちは分かるが。

 お前に立ち食いなんてさせるわけにゃいかねえ。


 大人しくテーブルに座らせて。

 割り箸取って、いただきます。


 大盛って言っても、所詮そば。

 なんて思ってたけど侮れねえな。


 かき揚げ持ち上げてみたら。

 そばが水面ぎりぎりまでみっちり詰まってる。


 さすが、戦う男の野戦食。

 晩飯は諦めよう。


 ネギぶっこんで、七味かけて。

 ぞぞっと食い始める俺の姿を。


 舞浜が。

 呆然と見てるんだけど。


「ああ、すまん」


 速すぎて真似できなかったんだな。

 今度はゆっくり。

 もう一回。


 かき揚げを、丼の向こうの方に寄せて。

 ……そうそう。


 ネギ入れて。

 ふむふむ。

 ばっさー。

 ……まあ、いいけど。


 七味振って。

 ふむふむ。

 ばっさー。


「…………既視感」


 ラーメン屋で、コショウばっさーした時は。

 わざとの可能性もあるなって思ってたけど。


 天然だったのね。


 仕方がないからレンゲ貰ってきて。

 薬味を大規模にお引越し。


「こういうのはちょっとずつ、加減見て増やしてくんだよ」

「お、奥が深い……」

「深くねえ。水たまりレベルだっての」


 やれやれ。

 文句ばっか言わされてヘロヘロだ。


 でも。


 そばをちゅるちゅるすすって。

 目え丸くさせて喜ぶ舞浜の姿見てたら。

 すっかり癒されるから不思議。


 ああ、なるほど。

 これは凜々花の相手してやってる時と同じ気分。


 ってことは、友達付き合いって。

 兄妹と過ごすようなもんなのかな。


 そう考えれば。

 もろもろ、腑に落ちることがある。


 凜々花も、勉強しろっていくら言っても聞かねえし。


 ……でもあいつ。

 春姫ちゃんが教えると。

 素直に勉強するんだよな。


 よし。

 近いうち、春姫ちゃんに勉強教えるコツを聞こう……、ん?


「からいっ!!!」


 ああ、そうな。

 俺、最初に七味振って。

 舞浜に見せるために、七味振って。

 さらにお前が考え無しに振った七味引き受けて。


 なんだこのエスニック料理。

 しかも大盛りとか。

 食いきれるかな?


「……七味、おいしい」

「ん?」

「もうちょっとかける……」


 だったらさ。

 俺が引き受けた意味。


 納得のいかねえ顔でにらむ俺にも気付かぬこいつは。


 嬉しそうに。

 楽しそうに。


「さ、最高のご褒美……、ね?」


 そばをちゅるりとすすると。



 さらに七味を追加した。



 ……その夜は。

 腹いっぱいになった俺が。


 舞浜に勉強教えながら。

 気づけば。

 テーブルの上で寝ちまっていた。

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