第5話 王子系男子

 午後はちょっとしたトラブルの対応に追われていたためか、余計なことを考えなくて済んだ。残業もほぼないようなもので終わりホッとする。

 落ち着いて思い返せば、忍の浅倉への反応は過剰なものだったと思う。だがそれでも熾火おきびのような怒りは収まらなかった。このままでは八つ当たりをしてしまいそうなので、落ち着くまで浅倉とは、しばらくは顔を合わせないほうがいいだろう。


 忍が帰宅すると、いぶきの友達が遊びに来ていた。

 いぶきが浅倉に何か吹き込んでいるんじゃないのか確かめたかったが、後にしたほうがよさそうだ。


「あ、忍さん、お邪魔してまーす」

「美奈子ちゃん、いらっしゃい」

 砂流すながれ美奈子は、いぶきの小学校からの友達だ。学区の関係で中学は別だったが高校でまた一緒になり、いぶきが唯一二人きりでも会う貴重な友人である。

 今日の食事当番はいぶきなのだが、二人で仕込みをしていたようだ。


 心晴の小さな仏壇にただいまを言い、部屋着に着替えてリビングに戻ると、美奈子が何か言いたそうにニコニコしている。

「どうしたの? 楽しそうね」

 冷やしてあったアイスティーを飲みながら声をかけると、美奈子は待ってましたとばかりに大きく笑った。

「忍さーん、聞いてー」

「ちょっと、ミナ」

 顔をしかめていぶきが止めるが、美奈子は

「いいじゃない」

 と言って話を続ける。いぶきは肩をすくめて、夕飯作りに戻った。今日のメニューはコンソメ醤油味のロールキャベツのようだ。


「あのね、今、私のイトコが帰ってきてるんですよ」

「ああ、東京の大学に行ってる?」

「そうそう、その子」


 美奈子のイトコは、いぶきのバイト先オーナーの息子だったはずだ。確かいぶきたちと同じ年だったはずだが、タイミングの関係か面識はないと聞いていた。

 それが初めて顔を合わせたらしい。

「不思議ですよねー。イブと瑛太、同じ中学だったのに、接点がなかったんですよ」

 ニヤニヤといぶきを見る美奈子にいぶきは、「そんな子いっぱいいるよ」と、素っ気ない。中学は五クラスあったので、一度も同じクラスや委員にならなければ知り合わなくても不思議はない。

 だが美奈子によれば、イトコである亀井瑛太は中学では割と有名だったというのだ。生徒会長も務めてたらしく、いぶきも「顔くらいは知ってる」らしい。だが美奈子が面白半分で会わせようとしても、同じ極の磁石が反発するかのように、必ずすれ違うと聞いて少し面白くなった。

「なぜそんなに会わせてみたかったの?」

 そう尋ねた忍に、美奈子はいたずらっぽい笑顔を向ける。


 今日美奈子はうちに来るため、いぶきのバイト先――というより、親戚宅としてKAMEYA、もとい亀井家の自宅のほうに遊びに行っていたらしい。亀井宅は店とつながっているのだ。美奈子の母と瑛太の父が姉弟らしい。


 瑛太の母が亡くなったことをきっかけに、五年生の時にこの町に越してきた亀井家だが、もともと親戚の交流は密だったようで、美奈子と瑛太は小さいころから兄弟のようだったという。

 瑛太が中学三年生の時に父親が再婚し、瑛太は大学進学のため今は母方の叔父のところに下宿しているそうだ。


「けっこう複雑なお宅なのね」

「そうでもないですよ。瑛太、新しいお母さんとも仲いいですし、生まれた弟のこともすっごく可愛がってますから」

 なぜか亀井家のことを詳しく話して聞かせた美奈子は、スマホをいじって忍に一枚の写真を見せてくる。

「で、これが瑛太なんですけどね」

「あら、かっこいいじゃない。モデルさんみたいね」

 それは普通のスナップでありながら、なんとも普通とは言い難い男の子が映っていた。その王子様風の甘い顔立ちに、これは子どものころからさぞやモテモテだったに違いないと感心する。


「そうなんですよ。昔からほっといても女の子が隣にいるようなやつなんです」

 実際タウン誌ではあるが、時々モデルのバイトもしているそうだ。高校までは彼が家の手伝いをしていると、一目見ようと女性客であふれていたという。

 全く知らなかった。


 イトコがとにかく目立つため、美奈子は普段、特に女子には彼と親戚だと知られないよう、最大限に気を付けていたという。

「なのに、いぶきとは会わせてみたかったの?」

 醤油を切らしたと、いぶきが近所のスーパーに走ったため、忍は率直に聞くことにした。

「へへ、そうなんです。だって、イブは男の子にすごくモテるでしょ。ぜーんぶ塩対応だし、誰とも付き合おうとしないけど。瑛太のほうは来るもの拒まずってほどじゃないけど、やっぱりモテモテで。そんな二人が顔を合わせたらどうなるのかなーって、ずっと興味があったんです!」

 今ちょうどフリーみたいだしと、美奈子がいたずらを企んだ子どものように笑うので、忍はようやく合点がいった。

 どうやら彼女は、モテるイトコの鼻をへし折りたかったらしい。


「もしそれで、いぶきのほうが彼に夢中になったらどうするつもりだったの?」

「それはそれでありだと思いません?」

 美奈子が急にきりっとした顔でそう言うので、まあ、それも人生経験としてありだと納得してしまった。

「美奈子ちゃんはイトコ君に恋したこととかなかったの?」

 美奈子の彼氏は高校の同級生で、いぶきとも友人の笹木良太だ。がっちりしたスポーツマンといった感じで、瑛太とはタイプが違う。だがなんとなく気になってそう聞いてみると、

「ないですね。気持ちの中では完全に、離れて暮らす双子みたいな感じですから」

 と、美奈子はニッと笑う。近すぎて異性に見えたことなど一度もないのだと。

「で、今日、やっぱりーってことが起こったんですよ」


 亀井宅の第二リビングで、美奈子がよちよち歩きの小さなイトコと遊んでいたところ、仕事上がりのいぶきが上がってきたという。亀井家の第二リビングは従業員の休憩所でもあるらしく、そこで待ち合わせをしていたそうだ。

「そこにちょうど瑛太が帰ってきて」

 美奈子はふふっと思い出し笑い。

「あいつ、イブに目が釘付けになってたんです。あれは完全に落ちましたね、間違いなく! 絶対そうなるって思ってたんですよ~」

「まあ」

 あんな王子様風イケメンに一目ぼれされるとは! 我が娘、やるわね。

「で、いぶきはどうだったの?」

 ワクワクしながら身を乗り出すと、美奈子はガクッと肩を落とした。

「普通でした」

「普通?」

「はい。会釈して私に帰ろうって言うから、慌てて引き止めましたよ」



 美奈子としては、ほんのりと頬を染めた瑛太の顔がおかしくておかしくてたまらなかったのだが、いぶきの反応は思ったものではなくてがっかりした。

 子どものころから、なぜかこの二人を引き合わせたいと思っていた。パズルのピースのように、いぶきと瑛太は絶対ピッタリ合うと確信していたのだ。

 なのにどうしても会わせることが出来なくて、やっとのことで引き合わせることができたのに……。



「いぶきは顔色も変わらなかった、と?」

「です。私としては、こう、映画みたいに世界がキラキラーってなる瞬間を見られるものだと信じてたんですけどね。勘違いだったのかなぁ」

「ふーん」

 本気でガッカリしている美奈子に、忍としてはなんと声をかけてよいものやら分からない。うちの娘が淡白でごめんと言うわけにもいかないだろう。


 いぶきが美奈子にどこまで打ち明けているかは分からない。だがこの子は忍の目から見ても特別なのだ。理解しているわけではなくても分かってくれるような、不思議な安心感を与える子。側にいると「大丈夫」と笑ってくれるような女の子。

 彼女がいぶきに勧めるものは必ずというほど娘に合っていると、昔いぶきが話してくれたことがある。苦手かな、怖いかな。そんなものをあっさり吹き飛ばしてくれる存在なのだ。


 なので彼女がイトコを娘に合うと言うなら、実際そうなのだろう。長い年月かけてやっと邂逅かいこうしたのなら、何か意味があるのかもしれない。それは母親としての単純な希望かもしれないが、やはりちょっともったいないような気がした。

「いぶきの好みや理想の男の子って、どんな感じなのかしらね」

 少なくとも芸能人などに興味を持ったことはないように思う。

「自分に恋心を抱いてない限り、イブは誰にでも優しいですからねぇ。相手のいいところを見つけるのも上手ですし」

「それは美奈子ちゃんの影響だと思うわよ」

「ええ、そんなことないですよぉ」

 本気で照れる美奈子が微笑ましいが、それは忍の本心だ。



 そこにいぶきが帰ってきた。

「お客さん拾ってきたよ」

「おじゃまします」

 いぶきのあとから、恐る恐るといった風情で現れたのは美奈子の彼氏だ。

「部活休止になったってぶらついてたから、ご飯に誘った。どうせミナが帰るときお迎えに来る予定だったし、ちょうどいいと思って」

「良太はお酒飲んじゃダメだよ?」

「もちろん。あ、忍さん、突然図々しくお邪魔してすみません」

「とんでもない。ゆっくりしていって」

 良太はちょっと申し訳なさそうにしているものの、がたいのいい男の子が家に一人いるだけで、急に部屋が狭くなったような感じがし、なんだか愉快になる。

 美奈子にくぎを刺されたところを見ると、車で送る予定らしい。見てて微笑ましいカップルだ。


 そこにチャットアプリの着信音が鳴った。美奈子のスマホのようだ。

 それを確認した彼女が急に笑い転げ始めた。「なに、どうした?」と覗き込んだ良太が戸惑った顔をすると、「さっき、遭遇したの」と美奈子がウインクする。それだけで通じたのか、良太は「ああ」と言ってニヤリと笑った。

 送信者は亀井瑛太で、どうやらいぶきの恋人の有無と、好みのタイプを聞かれたらしい。

「こ、これは新鮮だわ。こんなこと初めて聞かれたよ」

 よっぽどツボにはまったらしく美奈子は笑い転げるが、いぶきは肩をすくめただけだった。

「余計なこと言わないでいいからね」

「いやいや、大切なイトコですからねぇ。嘘は言いませんよ。えっと、恋人はいないよ。好みのタイプは……イブ、好みのタイプは?」

 その言葉に、忍も良太もいぶきに注目する。どう答えるのか興味津々だ。


 いぶきは逡巡しゅんじゅんした後、いたずらをした子猫のような目をした。

「じゃあね、忍さん」

 娘よ、それは母の名ですよ。たしかに男でも通じる、ユニセックスな名前ですけどね。

「りょうかーい。一番大好きな人だもんね、正しいわ。じゃあ、し・の・ぶ・さん、と。送信」


 本当に送ったらしい美奈子に、なぜかいたずらをしたような気持ちでみんなで大笑いをしてしまう。

 ――うん、青少年よ、悩むがいい。うちの娘は安くないのですよ。


 おかげで忍のモヤモヤとくすぶっていた怒りは、笑いと共に綺麗に消えていた。


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加純さまより、この返事を読んだ瑛太のイラストを頂きました(*´艸`*)

https://27296.mitemin.net/i482102/

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