第4話 受け入れられない
「うーん。いぶきの花嫁姿が見たい……。すごく見たい」
なぜだろう、どうしてだろう?
いぶきの誕生日が過ぎ八月になったのだが、忍は最近、無性にいぶきの花嫁姿が見たいのだ。
着飾るという意味では、成人式では振袖を着てくれる。忍が着られなかった振袖だ。
去年ためしに、母と二人がかりでいぶきにその振袖を着せてみた。
髪もきちんと結った。
「さすがうちの娘は可愛いわ」
「本当にねぇ。忍には着てもらえなかったけど、ようやく振袖も出番が来て喜んでるわ。よかったわ、あんたとそれほど身長に差がなくて」
「だよね」
うんうんと頷き満足に浸るほど、振り袖姿のいぶきは可愛かった。もちろん写真も撮りまくったが、写真館の写真は二十歳になってからだといぶきに止められ断念した。誕生日が来たら来たで、「着物着るなら涼しくなってからがいい」と言われ、結局まだ撮れないでいる。
――いずれ消えてしまうものでも、私の脳裏にはしっかり焼き付けるのに。
年を経るごとに綺麗になっていくいぶき。自分の娘ながら、忍と元夫、そして両方の祖父母のいいとこどりをした文句なしの美少女だ。
親ばかだって? いいじゃない、事実親ばかだもの。
だからあの子のウェディングドレス姿だって見たい。きっと光り輝くような花嫁になるはずだ。髪はもちろん自分が結う。
そんな思いが日に日に強烈になってくるのだ。せめて彼氏でもいてくれたらと思うが「そんな暇ない」と一蹴されるか、忍が先だろうと言われるのが目に見えている。
「おっ、いぶきちゃんの成人式用ですか?」
遅めの昼休憩でスマホの写真を見つつコーヒーを飲んでいたところ、後ろから声が降ってきて忍は背中がビクリとした。
「びっくりした。浅倉さん、こんにちは」
外から戻ったばかりらしい浅倉にぺこりと頭を下げ、再びスマホに目を戻す。話を続けるつもりはないという意思表示のつもりだったが、なぜか浅倉は自身もコーヒーを手に忍の隣に陣取ってしまった。
ここは会社の入っているビルの二階にある、自販機とベンチやテーブルがある共有の休憩所だ。お弁当や出前をここで食べる人も多い。
それほど広くないとはいえ、わざわざ隣に来られるのも居心地が悪く、忍はさりげなく浅倉から距離をとる。
若々しくて爽やかな男性である浅倉は、ぱっと見三十代前半くらいにしか見えない。
独身であることは間違いないようで、忍の会社の女子社員にも人気がある。身長はそれほど高いとは言えないかもしれないが、マイナスイオンか何か発してるのではと思ってしまうほど、側にいると落ち着くし、癒される雰囲気の男性なのだ。きっといい夫、いいお父さんになるだろう。
楽しそうにいぶきの写真をのぞき込む浅倉に無意識に見えない壁を作り、忍はにっこり笑った。
「そうなんです。振袖の試着させたときの写真なんです、かわいいでしょ。先月二十歳になったんですよ」
忍は親ばかを全開にしてかくさない。
今はすでに成人した子どもがいるただのおばさんだけど、万が一浅倉にこの記憶が残るならば、来年には怖い会話になっているはずだ。そう考えると忍は少しおかしくなる。
「そうらしいですね。この前KAMEYAに行ったとき、いぶきちゃんから聞きましたよ」
KAMEYAはいぶきのバイト先だ。コインランドリーが併設されたレストランで、いつも賑わっている人気店である。浅倉に「あの子はお母さんに似て、いつ見ても美人ですね」とお世辞を言われたので、いつもの調子で「あげませんよ」と答えた。
――いぶきの花嫁姿は見たいけど。
いぶきが浅倉の話をよくするようになったのは、一年程前からだ。
最初は忍を
「絶対ない、ありえない」
と言われてしまった。しかもこれでもかというほどの冷たい、絶対零度の視線付きだ。あれではいぶきではなく吹雪である。
まあ、父親がいないので、なんとなく父性でも感じていると言ったところだろうとは実母談。
忍自身は「いぶきが大人になるまで結婚なんてとんでもない。恋人? いりません」と公言し続けていた。
会社でも見合いを勧められたことは一度や二度ではないが、全部断っている。物好きな男性から言い寄られたこともないわけではない(というか、以前はどこから湧いてくるんだという状態だったが、アラフォーになるころにはピタリと収まってホッとしていた)。
今の忍はシングルマザーでも、いぶきが旅立てばただのバツイチ女なのだ。しかも妄想で子育てしたつもりになっている痛い人である。まかり間違ってそんな女を嫁にするとか、相手が気の毒すぎるだろう。
成人式まで、あと五ヵ月ちょっと。
いぶきの夢は日に日にはっきりしているようで、旅立ちの日も成人の日の午後だと分かった。あの何かはしっかり約束を守ってくれるようだ。
その後のことは考えない。考える気にもなれない――。
そんな忍に、浅倉は突然今まで見せたこともないような目を見せた。
いつもなら忍の軽口に笑って終わるところを、数秒黙っている。何かまずいことを言っただろうかと忍が首をかしげていると、
「それはもちろん。俺がほしいのは、お母さんのほうですからね?」
とつぜん笑顔でそう告げられた。
「はっ?」
忍はギョッとして、あわてて周りを見回す。幸い今は誰もいなかったことに、ほっと胸をなでおろした。
「変なこと言わないでください」
驚きすぎて心臓がバクバクする。
突然何が起こったのかわからなかった。今まで忍に対し、そんな素振りなど一度も見せたことがないではないか。
――冗談? そうか、冗談か! エイプリルフールじゃなかったけど、何か新しい流行りもの?
「変なことでも冗談でもないですよ」
思考がぐるぐるしている忍に、浅倉は少し微笑んだ。その声が少し硬い。
「待ってたんですよ」
射抜くような視線に、思わず身がすくむ。
「待ってた、ですか?」
「はい。いぶきちゃん、大人になりましたからね。だからそろそろ、本気を出そうと思って」
「えっ?」
いつもなら笑うとなくなるその目が今は怖いくらいの真剣さを帯び、忍は慌てて周囲を見回す。助けを求めようにも、フロアに人影は見えない。
「あっ! もしかして、お酒飲んでます?」
まだ昼間だが、酔って変なことを言い始めたのだろうか。あまり一緒にお酒を飲んだことはないが、これはとても素面とは思えない。だったら浅倉が恥ずかしくならずに済むよう、聞かなかったことにしてすべて忘れてしまおう。
癒し系男子の真剣な顔は、雰囲気がまるで別人で怖すぎる!
きっと素に戻ったら、彼は恥ずかしさでのたうち回るに違いない。
そうだ、きっとそうだ。聞かなかったことにしよう。
さりげなく忍が立ち上がろうとすると、浅倉から手を掴まれた。
「残念ですが、俺は素面ですよ」
じっと見つめられ、忍の脳裏にさっきの言葉が甦る。
――この人、いぶきが二十歳になるのを待ってたって?
その言葉がしっかり認識出来た瞬間、忍は怒りで血が沸騰するかと思った。
「離してください!」
こぶしを握り、浅倉の腕から自分の腕を引きぬく。
目の前が真っ赤になっていた。怒りで体中が熱い。
何を言ってるのだこの男は!
いぶきが大人になったら、あの子は消えてしまうのに!
「よくも……そんなことが……」
忍の食いしばった口から、唸り声のような声が漏れる。
彼はいぶきが消えることなんて知らない。わかってる。わかってるけど許せない、許せない、許せない!
あの子は消えるのに! そのことを待ってたなんて言葉は、絶対に受け入れられない!
思わずあふれてきた涙をグイっとぬぐい、「失礼します」と低い声で告げ踵を返す。
浅倉が何か言った気がするがまるで聞こえなかった。
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