伯爵の陰謀
マルスリウスを摂政に任命してからのクリストフはますます王宮に籠りきりの時間が増えた。外に出れば次々と厄介な事件を持ち込む者たちがやってくるし、皆内心では自分のことを馬鹿にしている。
それなら外のことは摂政に一任して、自分はアイリスと愛を語らっている方がよほど有意義だった。
「アイリス、今日も君は美しいね」
「殿下も今日は一段と凛々しいお姿でございます。しかし外が騒がしいですね」
言われてみれば今日は何か騒がしい。マルスリウスは全て任せて欲しいなどと言っていた割にきちんと仕事をしていないのではないか。
「分かった、静かにさせる故少し待っていてくれ」
クリストフは室内に設置された魔法の呼び鈴を押す。これは対になる呼器をマルスリウスが持っており、クリストフがボタンを押すと彼はどんな仕事中でもすぐに駆け付けた。元々マルスリウスが持ってきたものだが、外に出たくないクリストフは愛用していた。
「お待たせいたしました殿下、本日は何用でございましょう」
数分後、マルスリウスは満面の笑みを顔に貼り付けて二人の前に伺候する。クリストフはそんなマルスリウスの忠義を高く買っていた。
「最近の調子はどうだ」
「軍隊を増やし、民衆の動揺は鎮めております。また、殿下を誹謗中傷する者たちは皆領地へ追い返しました。おかげで今では王宮は皆忠臣になっております」
「おお、やるではないか」
クリストフは感心した。有能な者に政治を任せるのもまた王家の者として重要なことである、と彼はマルスリウスを摂政に任命した自身をも正当化する。
「しかしその割には外が騒がしいようであるが」
「申し訳ございません、このところ地震や火事が多いもので気の弱い者が右往左往しているのでございますが、すぐに静かにさせます」
ちなみにこの建物は王族の安全を守るため魔法による防御が整っており、滅多なことがなければ災害が起こってもクリストフは知ることがなかった。
「そうか、そんな大変な中よくやってくれているな」
「いえ、殿下のためならこれぐらい当然でございます」
そう言ってマルスリウスはうやうやしく頭を下げて部屋を出る。
そしてクリストフは再びアイリスとむつみ合い始めたのだった。
その数日後、アイリスが体調を崩した。クリストフはすぐに医者を呼ばせたものの、しばしの間安静にさせろと言われたので彼は珍しく一人きりになった。
一人になると狭い自室に籠っているのはかなり退屈だ。頼めば使用人が必要なものは何でも持ってきてくれる上に、マルスリウスが面倒ごとは全て片付けてくれるため、彼はもう一週間ほども自室に籠っていた。
「でもせめて父上のお見舞いぐらいは行くか」
国王は厳格な人物で王としても有能だったが、一人息子であるクリストフにだけは甘かった。クリストフが欲しいものは何でもくれたし、国政に関わらないことであれば大体の願いを叶えてくれた。唯一聞いてくれなかったのが婚約相手のことだった。この件に関しては公爵家との関係を持ち出して首を振ってくれなかったのでクリストフは腹を立てていたが、それ以外については良い父親だと思っていた。
そのためクリストフは珍しく自室を出て父親の病室がある離宮へと向かった。
が、一歩部屋を出て彼は何かがおかしいことに気づいた。
廊下のあちこちには物々しく武装した兵士が立っており、これまで歯牙にもかけなかった下級貴族たちがふんぞり返って歩き、これまで公爵にしか許されなかったような勲章を身に着けている。
逆にこれまで力を持っていた貴族たちは全く姿を見かけなかった。下級貴族たちはクリストフの姿を見ると慌ててかしこまって頭を下げる。まるでいばっていた子供がガキ大将が現れてへこへこするかのようであった。
不審に思ったクリストフはその辺の下級貴族を見つけて声をかける。
「おい、ここ最近で何があった? なぜそんなものをつけている」
「こ、これは摂政閣下に許されたものでございます」
「そうか」
多少疑問に思ったものの、クリストフはそれを聞くと納得した。マルスリウスが許したのならこいつには何か功績でもあったのだろう。
そして当初の目的通り国王の病室へ向かう。すると離宮の門には武装した兵士たちがずらりと立っていた。いくら世間が騒がしいとはいえいささか過剰では、とクリストフが思うほどの厳重さであった。
「僕だ、中へ入れろ」
が、クリストフの命令にも兵士たちは動かない。
すると兵士長らしき男が困った顔で答える。
「すみません、伯爵様から陛下は危篤のため誰であれ入れるなと言われているので」
「何だと!? ふざけるな、僕は第一王子であるぞ!? お前たちには常識というものがないのか!?」
クリストフは激昂した。どう考えてもそれは言葉の綾ではないか。
しかし兵士は困った顔をするばかりでその場をどかない。
「命令に逆らうと、死を賜ることもあるので何卒ご容赦を……」
「おのれ貴様……伯爵を呼んでクビにしてくれる」
そう言ってクリストフは再びマルスリウスを呼びつけようとした。
が、そこへよろよろと歩いてきたのはアイリスだった。顔色は真っ青で足元は震えており、侍女に支えられてようやく立っているという有様だった。どう考えても病気が治ったようには見えない。しかし彼女は蒼白な表情でクリストフの方へ歩いていく。
「アイリス!? なぜこんなところに? 自室に戻るのだ!」
思わずクリストフは声を上げる。
するとアイリスは青い顔で目を潤ませながら上目遣いで言った。
「殿下、私一人で寝ていたら急に不安になってしまいまして……お側にいてもらえないでしょうか?」
それを聞いてクリストフはしまった、と思う。医者には安静にさせろと言われたが、だからと言って病気で気持ちが弱っているところを一人きりにするというのは何と愚かなのだろう。
自分は王子である前に男だ。だとしたら愛を誓った相手の側にいてやるべきではないか、とクリストフは反省する。この時早くも彼の脳裏からはアイリス以外のことは全て消えていた。
「すまなかったアイリス! さ、早く寝室に戻ろう! 今度こそそなたが寝ている間もずっと側についていよう」
「ありがとうございます、殿下」
それを聞いたアイリスはほっとしたように言い、クリストフの肩を借りて病室へと戻っていく。
そして連れ立って病室に戻っていく二人を遠目に見ながらマルスリウスはため息をついた。
(危ない危ない、もし殿下が陛下に会えばわしが陛下に嘘を伝えていることがばれてしまう)
この時マルスリウスは、現在王国はアルュシオン公爵が摂政として問題なく治めていると国王に伝えさせていた。国王は公爵や王子が会いに来ないことに多少不信感を抱いてはいるものの、体調が悪いため深くは追及しなかった。
そのため自身の息がかかった者以外を国王と会わせる訳にはいかず、王の病室を封鎖していたのである。
(しかも殿下がいない間にわしが好き勝手していることに気づきかけていた。急いでアイリスに殿下を迎えに行かせて今回は誤魔化せたが、今後はアイリスを片時も殿下の傍から離してはならぬな)
マルスリウスは与えられた摂政の権限を使って王宮の兵士を私物化し、騎士団長らが文句を言えば容赦なく辺境へ左遷させてきた。その兵士の力を使ってアルュシオン公爵らこれまで力を持っていた貴族が文句を言いに来たときに強引に追い返してきたのだ。
(せっかく手に入れたこの権力、絶対に手放してやるものか)
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