封印の儀
その後私たちはマナライト王国でもとりわけ人があまり棲んでいない、東方の山々へ向かって進んだ。だんだんと周囲が平地から荒れ地、そして緩やかな勾配へと変わっていく。その中を訓練された騎士団が馬を走らせ、それに合わせてケイロンが疾走する。
周辺の風景があっという間に流れていく様は圧巻だったが、私は振り落とされないよう殿下の腰にしがみつくのが精いっぱいであまり景色を楽しむことは出来なかった。殿下にあまり強くしがみつくのは申し訳ない、という遠慮があったのは本当に最初の一瞬だけだったと思う。すぐに全力でしがみつくようになってしまった。
男性は皆簡単そうに馬を乗りこなしているが、まさかこんなに大変だったとは。私は密かに馬に乗れる男性への評価を改める。
昼頃、目的地に近づいたため私たちは一度休憩を挟むことになった。
しかしケイロンはぴんぴんしており、まるで「馬に合わせなければもっと速く走れる」とでも言いたげであった。
「疲れた……」
一方、ただ後ろでしがみついていただけなのに私は疲れ果てていた。それを見た殿下は苦笑する。
「最初は誰でもそんなものだ」
「男性は皆、よく乗れるようになりますね……」
あと私は狼のもふもふな背中に跨っていたから良かったけど、馬に跨っていたらお尻も痛くなりそう。
「力を入れるところと抜くところのコツを掴めれば大分楽になる」
言われてみれば、私は恐怖のあまり全身にガチガチに力が入っていたのかもしれない。道理で腕や足以外も疲れていると思った。
(わしの背中で休むが良い)
そんな私を見かねたのか、不意にケイロンがささやく。
「ありがとう」
疲れ切っていた私はその大きくてふかふかな背中に横たわる。実家のベッドですらここまでのふかふか感はなかったと思う。まるで体がどこまでも沈んでいくようだ。しばらくあおむけになったりうつ伏せになったりしてもふもふを堪能する。
だが、すぐに時間は過ぎていき無情にも殿下は宣告する。
「さて、そろそろ出発しよう」
私は思わず不満そうな表情をしてしまったのだろう、殿下は苦笑する。
とはいえ寝心地が良かったので短時間でも疲れはほぼ回復していた。
「あまり遅くなると日没までに帰れなくなってしまう」
「……分かりました」
さすがにそれは嫌だ。名残惜しかったが、私はケイロンの毛並みから体を起こして再び背中に跨る。
再び行軍が始まったが、体の力の入れ方というものを意識すると先ほどまでに比べるとあまり疲れずに乗ることが出来、殿下も「うまくなったな」と声をかけてくれた。
少しして、私たちは山間にある大きな洞窟の前に到着した。馬に跨ったままの騎士たちが入っていけるほどの高さで、横も数人が並んで歩くことが出来るほどだ。
暗いじめじめした空間で、歩いていくにつれて外からの光がなくなっていく。するとケイロンが体から白い輝きを発した。おかげで私たちの周りだけは明るくなり、ごつごつした岩場の足元もよく見えるようになる。何度かつまずいてしまったが、そのたびに殿下が体を支えてくれて赤面してしまった。
さらに進んでいくと、邪竜が封印されている場所に近づいてきたからか、嫌な気配が濃くなってくる。精霊たちもその気配を感じるのか、顔をしかめている。
さらに洞窟の奥からは蝙蝠や小鬼のような魔物が出てきたが、私たちの前に現れるなり騎士たちの剣が一閃して死体になる。さすがに殿下の護衛を任されるだけあって騎士団はかなり強かった。
「そろそろだな」
嫌な気配も一段と強くなったところで殿下は馬を止める。
行く手は少し開けた空間になっており、下は巨大な穴のようになっていた。だがその下からは嫌な気配が溢れてくる。さらに封印が解けかかってくるせいか、時折何かがうごめくような音も聞こえてくる。
よく見ると、穴の四隅には石像のようなものが置かれている。どれも欠けたり汚れたりしているが、ノーム・ウンディーネ・イフリート・シルフをかたどったものに見えなくもない。かすかにではあるが、石像からは魔力を感じる。
「よし、これより私が封印強化の儀式を執り行う。皆の者は周辺への警戒を頼む」
「はいっ」
騎士たちは私たちを円形に取り囲むように陣を敷く。そして守護獣から聖なる光が発され、私たちを包みこむ。
(これでよほどのことが起こらない限り安全なはずだ)
「ありがとう」
これで私たちの周辺はかなり安全になったはずだ。私たちが狼から降りると、殿下が説明を始める。
「邪竜の封印はこの穴の四隅にある石像から発される魔力により維持されている。だから今から私は順番に魔力を込めていく。そなたには私に魔力を分けてもらいたい」
「それはどうやればいいのですか?」
「私の手を握って欲しい」
そう言って殿下は左手を差し出す。
「分かりました」
私は殿下の右手をそっと握る。その手は思ったよりも固くてごつごつとしていた。
すると私の心と殿下の心が繋がるような奇妙な感覚に包まれる。それは単なる比喩ではなく、実際に私の魔力が殿下に向かって流れていくのを感じる。そして代わりに、殿下の思考の一部がこちらに流れてくる。
(ああ、シルア殿の手は何と柔らかいのだろう。しかし彼女の手を握るのは緊張してしまうな)
え、殿下? てっきりこれから行う封印強化の儀式のことを考えているのだろうと思った私は予想外の殿下の思考に不意打ちを受ける。
きっと今頃自分の顔は真っ赤になっているのだろうと思ったが、幸か不幸か殿下が頑なに私の方を向いてくれなかったのでばれることはなかった。
「こほん、では儀式を始めよう」
「は、はい」
殿下は正面に向かって右手をかざす。
「まずは地属性の魔力が欲しい」
「分かりました」
殿下の声に応じて私はノームを呼ぶと、左手からノームの魔力をもらい、右手から殿下へと魔力を流す。すると殿下の手から発された魔力が次々とノームの石像へと流れていく。
一度にそそぎこむ魔力が多すぎれば魔法は決壊するし、少なすぎれば魔法が終わってしまう。しかし殿下と心を一部共有している私は何も言われずとも適切な量を送ることが出来た。
儀式が進んでいくと、薄汚れてぼろぼろになっていた石像はみるみるうちに新品のようになっていき、やがて光り輝いた。
「よし、次だ」
そしてこれと同じ要領でウンディーネ、イフリート、シルフと順番に魔力を送っていく。
途中、邪竜のなけなしの抵抗なのか穴の中から蝙蝠が何匹か飛んできたが、騎士たちが全て斬り捨てた。一匹だけ、騎士たちの間をすり抜けるように私を狙って飛んできた蝙蝠もいたが、ケイロンが目にも留まらぬ動きで叩き落した。
儀式が終わるころには四体の石像が光り輝き、周辺に漏れていた良くない気配はすっかり消滅しており、むしろ呼吸をするだけでいい気持ちになる清涼な空間に変わっていた。
「ふう……終わったようだな」
さすがの殿下も少し疲れたようだった。私も、儀式中は緊張で疲れを感じなかったが、終わった瞬間にどっと疲れが押し寄せる。人目がなければ間違いなくその場に座り込んでしまっていただろう。
「成功したようで良かったです」
「おお、さすが殿下!」「シルア殿もありがとうございます!」
周りにいた騎士たちも儀式の成功を見て歓声を上げたり、私たちに頭を下げたりしている。相変わらず私は精霊たちの魔力を流しただけなので自分で何かをしたという実感はなく、感謝されると恐縮してしまう。
「いえいえ、皆様が守ってくれたおかげです」
(うむ、さすがは守り手の末裔と精霊の姫。お二人がいれば我が国は安泰だな)
ケイロンも表情を綻ばせる。私は騎士たちと殿下が話していて見られていない時を狙ってこっそり彼の背中に顔をうずめた。
この時、私は疲れていてケイロンや殿下が私を見つめる視線が変わっていることに気づかなかった。
「シルア殿、疲れているところ申し訳ないが、明日の夕刻、重要な話がある。よろしいか?」
「分かりました」
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