精霊魔法

 王宮を出た私は、王都にあるアリュシオン家の屋敷に戻った。

 当主であり父でもあるガルド・アリュシオンは話を聞くと殿下の行いに大層憤慨して、今にも王宮に乗り込みそうな勢いだったが、家臣たちがなだめすかして何とか事なきを得た。もしこのまま父上が乗り込めば、下手をすれば流血沙汰になりかねない。いくら殿下に非があるとはいえ、さすがにそれはまずい。


 とはいえ、このようなことになってしまった以上私が王都に残り続けるのは良くない。ほとぼりが冷めるまで領地に帰ってはどうかと言われたので、ありがたくその提案に乗ることにした。


 もはや殿下やアイリスとは顔も合わせたくないし、口さがない者たちにあれこれ尋ねられるのも面倒くさい。どうせ根も葉もないことである以上、陛下の病が癒えれば全て問題は解決するだろう。すっかり殿下に愛想を尽かした父は、その時こそ陛下に事情を説明して私とアリュシオン家が受けた不名誉を返上するのでしばらくの辛抱だと言ってくれた。


 それに同意した私は目立たないようにするため、平民風の恰好をして父が用意した馬車に乗り込む。王都の門を出るときは賑わう街の人々と、そびえたつ白い王宮を見て少しだけ寂しくなる。


 と同時に私は人生で初めて感じる感覚に包まれた。これまではアリュシオン公爵令嬢として、物心ついた時には次期国王の婚約者として振る舞うことを余儀なくされてきた。それは殿下への態度だけでなく、日常の一挙手一投足全てにおいてである。使用人や兵士とすれ違えば笑顔で手を振り、他家の者と会えば道を譲ってお辞儀する。


 これまでは当然と思っていたことではあったが、もうそれをしなくて済むのだと思うと急に解放感が込み上げてくる。もっとも、一週間ほどは馬車で揺られるだけだけど。


 が、そこで奇妙なことが起こった。

 馬車が王都の門をくぐった直である。後ろから何かがついてくる気配を感じるのである。気になった私は馬車の窓から身を乗り出して後ろを振り返る。


 するとそこにいたのは、王都で何度か会話をした、火の精霊イフリート、風の精霊シルフ、地の精霊ノーム、水の精霊ウンディーネの四体の精霊だった。

 いずれも人間の女性のような姿をしていたが、それぞれが司る地水火風のオーラに包まれてふわふわと漂っていた。イフリートとウンディーネだけは、周辺に火と水が少ないためか姿が小さくなっている。


 確かに私がいなくなっては王宮に彼ら(多分性別はないだろうが)の話し相手の姿はいなくなる。それが寂しくなって追ってきたのだろうか。

 幸い御者も執事も私が乗っている個室の前におり馬車がたてる、ごとんごとんという音にかき消されて会話は聞こえなさそうだ。そこで私は道中の暇つぶしもかねて彼らと会話してみることにする。


(旅に出られるのですか)


 最初に声をかけてきたのはシルフだった。もっとも声をかけるといっても、精霊たちは思念のようなもので私に話しかけているため、周囲には聞こえないようだけど。そのせいで私が受け答えすると空中に向かって話しているように見えてしまう。

 精霊四人の中でも少しずつ容姿には違いがあり、特にシルフは理知的な瞳とすらりとした長身が特徴的だった。周囲には常に風を纏っており、肌には布のような服しか纏っていない。

 とはいえ、精霊に人間同士のいざこざをいちいち話しても仕方がない。


「うん、ちょっと領地まで旅行する」

(そうですか。でしたら我らもお供いたします)

「ありがとう、ちょうど道中退屈だから困っていたところだったから」


 私たちが小声で雑談していた時だった。



「きゃあああ!」



 突然、遠くから甲高い女性の悲鳴が聞こえる。思わず馬車の窓を開けて外を覗き見ると、そこには空を飛ぶワイバーンと、それに狙われて腰を抜かしている旅人の姿があった。


 ワイバーンは言わずと知れた竜種であり、全長数メートルのトカゲに翼を生やしたような魔物である。獰猛な瞳に口からのぞく牙、手には鋭い鉤爪があり、太い尻尾はどんな堅固な建物も一撃で薙ぎ払う。

 数が少ないので滅多に現れることはないが、ワイバーンが空を飛んでいるのを邪魔することは出来ないので国内にもたまに現れることがある。現れても大体は人間などには目もくれずに飛び去っていくのだが、今回ばかりは運が悪かったらしい。


 通常、ワイバーンを討伐する際には腕が立つ魔術師を騎士数人で護衛して挑むか、もしくは軍勢を連れていってひたすら矢を射かけて物量で倒すしかないと言われているほどの強敵で襲われればまず普通の人では勝ち目がない。


 とはいえワイバーンが今まさに旅人に狙いを定めて急降下していくのが見える。このままでは旅人は食べられてしまう。

 本来なら衛兵でも騎士でもない私が関わるべき問題ではない。しかし精霊たちは大量の魔力を持っていると聞く。これまで魔法などほとんど使ったことのない私だったが、彼らの力を借りればいけるかもしれない。


「力を貸して」


 私は思わず傍らのシルフに頼む。するとシルフはうん、と一つ頷いた。

 そしてシルフは私の肩に手をおく。その手を通じて、シルフから風の魔力が私に流れ込んでくる。体の中に温かい感覚が流れ込んできて、私はかつてないほど魔力が高まっていくのを感じた。

 私はワイバーンに向かって手をかざし、呪文を唱える。


「ウィンド・スピア!」


 すると私の手から噴き出した暴風が槍のような形を形成し、一直線にワイバーンに向かって飛んでいく。本来はただの初級魔法のはずなのにその速度は目にも留まらぬ速さで、旅人に鉤爪が届く直前で風の槍はワイバーンの腕を打ち抜いた。



クワアアアアアアアアアアアアアア!



 腕を打ち抜かれたワイバーンはすさまじい絶叫を上げる。

 まさかほぼ初めての魔法でワイバーンの腕を撃ち抜くなんて、と驚く間もなく今度は腰がすくんで動けなくなっている旅人を無視してこちらへ向かって飛んでくる。


「お嬢様!?」


 執事がこちらを見て驚きの声を上げているが、今はそれどころではない。私は馬車を飛び降りて外に出る。

 すると地上に降り立ったせいか、少しだけノームの力が強くなる。ノームは慈母のような穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめている。


「力を貸して」


 私はノームに向けて左手を差し出すと、ノームはそっと私の手を取る。その瞬間、今度は地属性の魔力が私に流れ込んでくる。これならいける気がする。

 再び私はワイバーンに右手をかざす。


「グロー・プラント!」


 すると、目の前の草原に生えていた植物がみるみるうちに成長し、こちらに向かって風を切って飛んでくるワイバーンの身体に迫っていく。突如として伸びてきた草に体中を絡めとられたワイバーンはなおも植物を引きちぎってこちらに飛んで来ようとしてくるが、少しの間動きを止める。

 よし、それなら今のうちに。私は再びシルフの力を分けてもらう。


「ウィンド・スピア!」


 今度は風の槍をワイバーンの心臓目掛けて放つ。ワイバーンは必死に身をよじって避けようとするが、植物に身を拘束されたワイバーンは動けない。

 そして、ワイバーンの胸元を風の槍が容赦なく貫く。


グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!


 耳をつんざくような断末魔の悲鳴を上げたワイバーンはその場にどさりと崩れ落ちた。


 え、あのワイバーンを私一人で(精霊の力は借りたけど)倒してしまったの? 思わず私は呆然としてしまう。戦っている最中は必死だったため驚く余裕すらなかったが、改めて目の前に横たわっているワイバーンの死体を見て私は自分でしたことながら絶句してしまうのであった。

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