14

 アルコールのせいもあったのだろうが、完全に目が冴えてしまい、結局俺はその後全く眠れずに朝を迎えた。


 頭の中をぐるぐる回っていたのは、シオリのことだった。三上先輩の結婚式よりも、シオリを傷つけてしまったことの方が、俺にはよっぽど苦痛だったようだ。俺はもう、それだけシオリが好きだったんだろう。今になって気づく己のにぶさに、俺は自分自身を呪った。


 あの時、何も考えず、シオリを抱きしめてしまえば良かったんだ。それなのに、なんでそれが出来なかったんだ……


 ほんと、三上先輩も罪なことをしてくれる……いや、何も先輩が悪かったわけじゃない。悪いのはこの俺だ。全ては先輩のことが完全に吹っ切れていなかった、俺のせいだ。


 トントン、と引き戸がノックされる。


「カズ兄ぃ、ごはんだよ」


 シオリの声だ。だけど、やはり元気がない。


「ああ、今行く」


 俺は起き上がる。


---


 食卓で、シオリは相変わらず俺の隣に座ったが、その目は真っ赤だった。泣き腫らした目、というのはまさにこういう状態なのだろう。胸が痛んだ。


 伯父さんも伯母さんも、俺たちの様子が尋常でないことに気づいていたようだが、あえてそれに触れないように振る舞ってくれた。


 そして朝食後、ヤスの部屋に戻った俺は、ただ天井を見上げてぼうっとすることしかできなかった。俺の頭の中を占有しているのは……やっぱり、シオリのことだ。彼女は朝食の間中、一度も俺と目を合わせなかった。それはそうだろうな。俺は彼女の気持ちを受け入れられなかったんだから。振られた、って思ってるんだろうな……


 ……。


 決めた。


 やっぱり、誠心誠意、彼女に謝ろう。そして、俺の気持ちを素直に話そう。


 俺は今日の夕方の便で東京に帰る。だけど、シオリとこんなすれ違いの関係になってしまったまま帰るのは、辛すぎる。

 もちろん、謝ってもそれで許してもらえるとは限らない。それでも……謝らずにはいられない。


 俺がシオリの部屋を訪ねようと、引き戸を開けた、その時。


「きゃっ!」


 小さな悲鳴。目の前に、シオリがいた。


「え、シオリ?」


「カズ兄ぃ……」


 俺の顔を見上げるシオリの表情は固かった。だけど彼女は無理矢理笑顔を作ってみせる。


「ちょっと遠いけど、珠洲までドライブに行かんけ? ほんでもう、そのまま空港から帰ったらいいわ」


「え……?」


---


 俺は荷物をまとめてシオリの軽トラに積み込み、伯父さんと伯母さんに見送られ、彼女の家を後にした。


 曇り空の下、軽トラは能越自動車道を北上し、のと里山海道に入って空港ICで珠洲道路に降りる。道中シオリの口数は少なかった。かなりの時間、沈黙が車内を支配していた。


「ごめんな、シオリ」


 俺はとうとう頭を下げた。


「え?」


 シオリがキョトンとした顔になる。


「俺、お前のこと……間違いなく好きなんだ。だけど……あの時、なぜか受け入れられなくて……自分でも良く分からないんだ。だから……ごめん」


「いいよ、カズ兄ぃ……ウチこそ、ごめん」


「……え?」


 思わず俺はシオリの顔をのぞき込む。彼女も俺をちらりと振り向いて微笑む。


「ウチ、友だちから聞いてん。男の人ってぇンね、失恋すると結構引きずるげんね。ほやさけぇ……カズ兄ぃがあの人のこと忘れられんのも、無理ない話やってんね。ウチはもう、元彼のことはスッパリ忘れたって気持ちでおってんさけぇ、分からんかってん。ほんとウチ、そういうことうといげん。だから……ごめん」


 そう言って、彼女も頭を下げてみせる。


「シオリ……」


 ちくしょう。涙が出てきちまった……めっちゃいい娘じゃねえか……こいつ、俺にはもったいないくらいの女かもしれない。


「ウチ、頑張って、あの人みたくなっさけぇ……それまで、待っとってね、カズ兄ぃ」


 シオリは花が咲いたようにニッコリと笑う。少し化粧したんだろうか。明らかに彼女の顔は朝よりも肌が白いし、唇も赤い。そう言えば……今日の彼女の服装も、色の濃いVネックのブラウスにベージュのロングスカートと、ちょっと大人っぽく見えるコーディネートだ。


 そうか。これは三上先輩への対抗心だ。彼女なりに少しでも先輩に近づこうとしている……のかもしれない。なんていじらしいんだ……


 だけど……


 やっぱり、それは何か違う気がする。


 そうだ。俺はようやく昨日シオリの言葉に覚えた違和感の正体に気づく。


「なあ、シオリ……お前はさ、昨日、自分はあの人の代わりになれないのか、って言ったよな」


「うん……」


「でも、それは無理だよ」


「え……」シオリが真顔になって俺を振り返る。


「お前はお前だ。あの人の代わりにはなれない。だけど俺はさ、そういう、あの人とは全然違うタイプのお前が……いや、お前だからこそ、好きなんだ。だから、お前もあの人の代わりになる、なんて考えなくていい。俺が求めているのはあの人の代わりじゃないんだ。あの人はもう、俺の一番の好みじゃない。今の俺の一番は……シオリ、お前だよ」


「カズ兄ぃ……」


 シオリの両眼が、じわりと潤んだようだった。


「ありがと……ウチも、そう言ってくれるカズ兄ぃのことが……一番大好きだよ……」


---


 一昨日行った桜峠の道の駅を過ぎてしばらく行くと、シオリはいきなり左折して細い道に軽トラを向かわせる。


「ちょっこし早いけどぉ、先にお昼にせんけ?」


 そう言ってシオリが車を停めたのは、古民家のような蕎麦屋だった。


「能登って、蕎麦も有名なのか?」


 長野の戸隠そばとかは有名だけど、能登の蕎麦ってあんまり聞いたことがないんだが……


「ここはお蕎麦もおいしいげんけど、能登丼どうかな、と思ってね」


「能登丼?」


「うん。能登の名産品をご飯に乗せた丼ぶりものやよ。色んなお店で色んな能登丼があるげん。やっぱ海産物の能登丼が多いげんけど、海の幸は昨日一昨日と食べまくったやろ? ほやさけ、今日は能登牛の丼ぶりはどうかな、と思ってさ」


 へぇ……能登牛っていうのはちょっと聞いたことある。その丼ものか……それは確かに食指が動くな……


「ちょっと高いけど、おいしいげんよ。ちっちゃなお蕎麦もついてくるしぃ。ほんとなら予約した方がいいげんけど、ワンチャンこの時間ならイケるんやないかなぁ……」


「高いって、どれくらい?」


「2,500円」


 う……ここんとこ、出費が大きかったからな……その値段はちょっときつい……


 俺の表情を読んだのか、シオリが安心させるように言う。


「大丈夫や! お金はウチが出すさかい。ちゃんとお父んからもらってきとるげん」


 マジか……また、伯父さんには世話になっちゃうなあ……


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