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「!」


 扉の向こうには、明治時代の石崎の町並みが広がっていた。藁葺き屋根の木造家屋が並んでいる。密集度は今とそれほど変わらない。しかし……その風景は、まるで夕方のように暗かった。昼の一時過ぎのはずなのに。そしてそれは、太陽の位置からも明らかだった。ほぼ真上にある、太陽……だが、これもどうにも暗い。そのせいか、視界はモノクロームのように色が見えない。


 そして俺は、落ちてきているはずの爆弾を空に探す。


 ……あれだ! 真上の空に小さな黒い点があった。俺は自分の視力2.0の両眼に感謝する。


 やはり今俺たちがいるこの場所が爆心地のようだ。そしてあれが高度 50 mに達した瞬間、おそらく爆発する。それまでの時間はたったの2分半。余裕はほとんどないと言っていい。


 俺は一歩踏み出して扉の中に入る。しかし……


 なんだ……これ……


 空気が……まるで水のように重い……全く進めない……


 進んだら進んだで、今度はなかなか止まらない。地面がまるで氷上のようにつるつる滑る。バランスを崩して思わず転びそうになるが、体が倒れようとしてもなかなか倒れない。


 そうか……分かった。


 これ、俺たちの周囲の時間経過が1/100の速さになっているからだ。


 視界が暗いのは、時間が遅くなったことで、太陽光の8割を占める可視光線の波長が伸びて赤外線になってしまい、俺たちからは見えなくなってしまったからなんだ。赤方偏移レッドシフト、ってヤツだ。そして、今見えているのは太陽光に含まれるわずか数パーセントの、本来なら紫外線領域の波長の光が、可視光の領域にまで波長が伸びたものなんだ……


 そして、空気が重いのは……これも当然だ。俺たちは通常の100倍の速度で移動しようとしている。時速4kmで歩こうとすれば時速400kmになってしまう。空気抵抗は速度に比例するから、100倍になった空気抵抗が俺たちの移動を阻むことになる。そして、一旦動き出してしまえば、その慣性も凄まじい。だから地面がまるで氷のようにつるつるに感じられるんだ。


 なんてこった。


 俺の考えは甘かった。これじゃ満足に移動なんか出来やしない。周囲の時間経過が1/100の速さになる、ってことは、実際にはこういうことなんだ……昔のアニメで加速装置の付いたサイボーグが活躍してたけど、これはやはりサイボーグくらいの存在じゃないとできないことなんだな……


「カズ兄ぃ!」


 しおりが俺の背中に抱きつく。その瞬間、俺の目の前に文字が浮かんだ。


 "ワームホールを使って移動せよ。移動したい方向に向き、手のひらを前方に垂直に立ててレーザーをポイントすれば、私がその位置とその方向の3m先にワームホールを作り、二つを接続する。そこをくぐれば一瞬で3m水平に移動できる"


 ……!


 ありがたい! その手があった!


 これは極めて短距離のワープ航法と言ってもいい。これなら俺たち自身はほとんど移動しなくても、一気に3m移動できる。いや、上手くいけば、移動しなくてもワームホール越しに人が見つかれば、そのままポイントすればいい。


「シオリ、爆心地は間違いなくここだ」俺は真上の爆弾を指さしながら言う。「ここから半径50mの範囲の家は……20軒くらいか。お前は右側10軒をやれ。俺は左をやる」


「うん!」


 シオリはうなずくと、早速レーザーポインターを左の手の平に向ける。いきなり彼女の目の前にワームホールが出現した。シオリがその中に入るとそれはすぐに消える。そして彼女はまた3mほど先に現れた。本当に瞬間移動しているように見える。


 シオリ、なかなかやるじゃないか。俺も負けてはいられない。


---


 この短距離ワープ作戦はなかなかうまく行った。戸を開ける必要もなく家に入れるし、入らなくてもワームホールを覗いて人が見つかれば一瞬で処置できる。俺は次々に発見した人をポイントしてワームホールを作っていった。


 石崎は基本的に昔から漁師町だ。そして今の時間、男たちはみな漁船で漁に出ていた。町に残っているのはほとんどが女子供か老人だった。トイレの最中の人がいたらどうしようかと思ったが、幸いにして一人もいなかった。


 そして、俺の受け持ちの10軒は終了。ちょうど二分の時間が経った。そろそろ脱出しなくては。


 と、いきなり目の前にシオリが出現した。ナイスタイミング!


「終わったか?」


 俺がそう聞くと、シオリはうなずいた。


「よし、逃げるぞ!」


「了解!」


 俺はレーザーポインターを真下に向ける。俺たちの元々の時間に帰るために。


 瞬時にワームホールが生成され、俺たちは宙に浮いたような、無重力状態になる。


 しかし……


 なかなか進まない。それは当然だ。確かに加速はしているようだが、なんたって落下速度も1/100なのだ。うう……気持ち悪い……胃が裏返りそうだ……


 ようやく頭の辺りまでワームホールに沈んだ、その時。


 すさまじい大音響と共に、俺たちの体は吹っ飛ばされた。


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