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静まり返った周囲に響き渡る、コオロギの心地よい合唱を耳にしつつ、俺は夜道をシオリと連れ立って歩く。昼間の暑さが嘘のように、夜の空気は肌寒さを感じさせるほどだった。
「……やっぱ、お前はその恰好なんだな」
シオリは相変わらず、ネットで買ったという巫女装束を身にまとっていた。
「カズ兄ぃ、ウチのこれが見たかったんやろ?」
そう言ってシオリは、ニヘラ、と笑う。
「ま、まあな。うん。かわいくて、いいんじゃね?」
俺はシオリから顔を背けながら言う。
「そう言ってくれると思った。ありがと、カズ兄ぃ」
言いながら、シオリは俺の右の二の腕を両手で掴んで引き寄せた。
こ、こいつ……だんだん行動が大胆になってきやがった……
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西宮神社は八幡神社よりもシオリの家に近かった。道路を隔てた向こうはもう港だ。と言っても夜の海は真っ暗な空と完全に同化していて、ただ時折聞こえるかすかな波音だけが、そこが海辺であることを物語っていた。
「これが神社? えらく小さいな」
俺は拍子抜けする。八幡神社と比べてもサイズ的には半分以下だろう。
「一応神社やよ。漁師さんのためのね」
そう言うシオリの顔が険しくなる。神社の扉から、光が漏れているのに気づいたからだ。
「やっぱ、あの時と同じやね、カズ兄ぃ……あっ」
シオリがそう言った瞬間。
彼女の身体が、ぼうっとした微かな白い光に包まれる。これも、あの時と同じだ。
「来たよ! カズ兄ぃ!」
シオリが俺の左手を自分の右手で握る。そして……目の前に、文字が見えた。ゴシック体の日本語で。
"私を呼び出したのは、お前たちか"
そう。
この「謎の存在」は、文字ベースのコミュニケーションしかできない。こちらの意思を伝えるのも文字だ。前回の接近遭遇では、こちらがスマホを使って文字を書くことで、会話が成立した。このメカニズムもよくわからないのだが……一応俺なりに考えた仮説はこうだ。
俺たちの視界に文字を送れるってことは、おそらく「謎の存在」にも何かしら俺たちの脳に直接アクセスする手段があるのだろう。そして、俺が書いた文字も、俺の視覚を通じて「謎の存在」も読んでいるに違いない。しかし、だったらわざわざ俺に文章を書かせずに、俺の思考を直接読んでもいいだろう、と思うのだが……
考えてみると、脳内の思考というものは、実は音声ベースで行われていたりする。だから、先天的に耳が完全に聞こえない人は、先天的に目が完全に見えない人よりも抽象的思考が難しくなるので訓練が必要になる……という話を聞いたことがある。確かに俺も脳内で文章を考えているとき、文字ではなくて心の声がしゃべっている。
なので、文章を脳内で文字として思い浮かべる、というのは、意外に難しいことなのだ。だけど「謎の存在」は文字しか理解できない。そうなると、やはりスマホで文章を打って、それを見るのが一番手っ取り早いだろう。
とは言え、シオリの手を握ったままではスマホに入力は難しい。そう言ったら、前回はいきなりシオリに抱きつかれて泡を食ったが、今回はそれはさすがに避けたい。
「カズ兄ぃ、ウチまたあの時みたいに抱きつこうか?」
シオリがニヤリとしながら言う。
「いや、それには及ばん。左腕を腕まくりするから、二の腕でも掴んでくれ」
「えー、そんなのつまんなーい」
シオリのほっぺたが膨れ、突き出された唇が鋭角を描く。
「つまるもつまらんもねえよ。ほら、早くしろ」
「わかったよ」
俺が肩の近くまで腕まくりして露出させた左の二の腕を、シオリは両手で掴んで引き寄せる。
「!」
しまった。どうやら俺は自爆しちまったらしい。
シオリがそうすると……必然的に、俺のヒジが彼女の豊かな胸の谷間に埋もれることになるのだ……
「……」
俺が思わずシオリを振り返ると、彼女の口角が微妙に上がっていた。
ちくしょう……こいつ、確信犯(誤用)的にやってやがる……
……って、そんなことはどうでもいい。左ヒジに感じる柔らかな感触を無理やり意識から追い払い、俺は指先でスマホの表面を撫でて文章を入力する。
『そうだ。俺たちのこと、覚えているか?』
相手は自称「神」だが、俺は最初からタメ
"覚えている。藤田和彦と吉田詩織だな"
反応はすぐに帰ってきた。ちゃんと覚えててくれたようだ。
『お前に聞きたいことがある。夏にお前は爆弾をここに転送しようとしたが、俺たちの頼みでそれはなしになった。だが、お前はその後、その爆弾をどこに送ったのだ?』
"お前たちの時代から数えれば、130年ほど過去の石崎村だ"
……!
ちょうど明治時代だ。やはり……俺たちのせいで、過去に石崎で火事が起こった、ってことなのか……
『お前はそうすることで、石崎村に大きな被害が出ることを知っていたのか?』
"そうだとして、何が問題なのだ? 時代の違うお前たちには関係のない話ではないか"
「関係ないはずねえだろう!」
俺は思わず怒鳴ってしまった。「神」のくせに、なんて非情なんだ……
いや、でも、こいつは人間とは完全に異質な存在だ。おそらく人間の気持ちもわからないのだろう。「神」というのはそういうものなのかもしれん。
気を取り直して、俺はスマホに入力する。
『関係がないわけではない。俺たちは、俺たちが原因で過去の人々が火事で亡くなったりすれば、罪悪感を覚えずにはいられない』
少し時間が経ってから、返答が来た。
"人間はそのような社会性が進化の過程で培われたのだな。しかし、過去に起こったことは今更変えようがない。変えようとすれば、世界の分岐を生むことになる"
『それでも構わない。もう一度、どこか他の場所や時間に送ることはできないのか?』
"それは無理だ。私の本体があるハノイ市ザーラム県バッチャンと君らの時代、そして130年前の時代の石崎がつながったのは、単なる偶然なのだ。それは私の制御の範囲を超えている。私はただ、バッチャンの本体上空、そして石崎の八幡神社の半径300m以内の範囲にワームホールを作る、ということしかできない。だから、爆弾を送るとしたら、お前たちの時代か130年前の石崎のどちらかしか選べないのだ"
ちょっと納得がいかない。なんでベトナムでは本体の上空にしかワームホールを作れないんだ? そっちで他の場所にワームホールを作って回避すれば、わざわざ石崎まで持ってこなくてもいいだろうに。
俺がスマホでそう質問すると、応答はこうだった。
"石崎には既に拠点二カ所をつなぐショートカットが存在する。私はそれを利用して、八幡神社から300m以内の範囲なら任意の場所にワームホールを作成できる。バッチャンにはそのようなショートカットは存在しない"
拠点二カ所をつなぐショートカット……?
俺はすぐに気づく。それって八幡神社と西宮神社のことだ。合祀されたことでこの二つがつながったんだ。そうか。やっぱりショートカットだったのか……
そうなるとやはり今か過去の石崎に爆弾を送るしかないことになる。しかし、今の時代の石崎は、おそらく過去に比べたら人口はさらに密集しているはず。そこに爆弾が落ちたら、被害は過去よりも大きなものになるのは間違いない。やはり過去に爆弾を送るしかないのか……ったく、「神」のくせに、つくづく中途半端な能力しかねえヤツだな……
しゃあない。
やはり、前々から俺が考えていたことを実行するしかない。
『だとすれば、せめて過去の石崎の人たちだけでも、助けることはできないか? 場合によっては、俺たちが過去に出向いて救助活動を行ってもいい』
「……カズ兄ぃ! マジで言うとんがけ?」シオリが驚いたような声を上げる。俺とヤツとの会話は、全て彼女にも「見えて」いるのだ。
「ああ。マジだ」
そう言って、俺がちらりとシオリを振り返った時、全く予期しなかった返答の文字が目の前に現れる。
"その言葉を待っていた"
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