第2-2話 容疑者浮上

季節は夏になった。天海島は、コンクリートや人工物の割合が多いので、真夏の照り返しは激しい。真夏には、都会並みに街を歩くのが苦痛だ。


音乃刑事が現場に踏み込むと酸鼻な光景が広がっていた。

部屋の真ん中には、被害者が横たわっている。血の気が失せた真っ白な顔面に、力を無くした目が半開きで虚空を見つめている。口が何かを言いたげに、ポカンと開いている。

割れた頭蓋から、白子の様な脳髄が覗いている。引き裂かれた腹部から臓物がこぼれていた。

音乃はハンカチで口鼻を抑え、吐き気をこらえた。ゆっくりと遺体の周りをまわり、周囲を観察する。

突然、被害者の目がカッと見開き、音乃をにらみつけた。目線が合って、音乃は驚いたがバカみたいに開いた被害者の口から、地獄の底から湧き上がるようなしわがれた声が響いた

「あつィ……」


ネイラが上体を起こすと、音乃は傍らにしゃがみこんだ。

「気持ち悪いから、自慢の還元器とやらはしまってちょうだい。お腹の蓋は閉めておいて」

「暑いやん。オーバーヒートしてしまうわ」

「あんた、1200度まで耐えられるって言ってたじゃん」

「ごめん、それ嘘や」

「ボディのメーカーに怒られるわよ」

後で聞くと、人間に戻った時に、温度の感覚が狂っていると困るので、気温やその他の感覚による快と不愉快は人間のスケールに合うように、ノウちゃんが設定しているらしい。

物理的なダメージは、スペック表のとおり1200度くらいまでは大丈夫なようだ。ライターで焙っても平気ということか。

音乃は、ネイラの部屋を見まわした。例の事件から間もなく1か月になるが、ネイラは学校に来ていない。ショックが大きいのは解るが、このままで良いはずがない。音乃は毎日ネイラの部屋を訪ねているが、大分元気になってきている。そろそろ頃合いだろう。

「明日は学校に来なさいよ。高校を卒業しないと進学できないから、月の大学にも入れないわよ」

「せやな……機械の身体になった意味もなくなってしまうわ。取り返しがつかんようになるわ」

「ほら、ベッド……クレイドル?で寝なさいよ。床でゴロゴロなんてだらしないわよ。手を貸してあげるから」

音乃はネイラの肩と腰の下に手を突っ込んで、バイクを起こすようにネイラをクレイドルのそばまで転がした。そして腕を取って引き上げた。ネイラは力なく立ち上がると、クレイドルに収まった。

「少し寝るわ。キッチンのバスケットにバナナがあるから持って行っていいよ」

「マジ?ありがとう」

音乃はバスケットを手に取って礼を言った。

「じゃあ帰るけど、明日は学校に来なさいよ?」

「気が向いたら行くわ」

「来にくかったら、迎えに来ようか」

「いらん。これ以上世話をかけたくない」

「じゃあね……」

音乃は寮を出た。日は傾きかけたが、日差しは強い。音乃はネットでバナナを凍らせて食べると、素晴らしいスィーツになることを知った。バスケットを大切そうに抱えて、家に戻った。


翌朝、音乃が学校の窓から外を眺めていると、ネイラがぎこちない動きでヨロヨロと校門をくぐるのが見えた。音乃が待ち構えていると、ネイラが教室に入ってきた。

「おはよう!」

音乃は明らかに様子がおかしいネイラに声をかけた。ネイラは首が座らない様子で、その動きはまさにパペットのようだった。突然ネイラの首がぐるりと回転し、音乃の方に向いた。うつろな目があらぬ方向を向いている。

ネイラは、途切れ途切れの声で、ようやく

「オ・ハ・ヨ・ウ」

と挨拶を返した。

ネイラは、自分の席に崩れるように座った。

音乃はネイラの肩に手をかけ、前後にゆすった。すると、ネイラの両目が音乃の顔に焦点を合わせた。

ネイラは両手を高く上げ、伸びをして見せた。

「ノンおはよう」

それはもう終わった。さては、この子寝てたな。例のサイボーグの役得とやらか。

ネイラの頭に、困り眉のノウちゃんの目が浮かんだ。どうやら、ネイラの身体をノウちゃんだけで動かすのは大変な演算負荷がかかるようだ。もともと、人間の脳みそは、人体を動かすための制御装置なので、ノウちゃんは生脳と同じ程度の機能が要求されるわけだ。

一見すると、ネイラは立ち直っているように見えた。休み時間のクラスメートとの会話も特に変わった風には見えない。

ただ、昼休みには、机の上に腕を組んで顔をうずめていた。しばらくすると、ネイラの背中の肩甲骨のあたりが開いてバーニアのノズルが突き出してきた。やがて、ドンッと一噴射。

後ろの子の弁当を吹き飛ばして、顔面にクラッシュさせた。

音乃は思った。多分ネイラのため息は、背中のバーニアにマッピングされているのだ。

やはり、本調子ではないのだろう。

幸い特別な事件は弁当を吹っ飛ばした一件のみで、なんとかかんとか授業が終わり音乃はネイラに声をかけて一緒に帰ることにした。


「どうしよう?あたしの身体どこに行ったんやろう?でも解るねん。まだ無事でどこかにあるんや。感じるねん」

身体と脳みそならば、そんな不思議な能力が発現してもおかしくない。双子よりも関係は深い。

「場所までは解らないの?」

「そんなに遠いところじゃないと予感がするんや。地球の裏とかじゃないで」

「天海島のどこかってこと?一緒に探してあげるから、もうちょっと絞れないかな?」

「ありがとう。でも、どうやって保存されてるか解らんから急がなあかんな」

解凍には特殊なプロセスが必要で時間がかかる。下手に溶かすと細胞が破壊されて蘇生が不可能になる。正常に解凍できても、脳がなければ死体と変わらない。そして身体が解凍されれば、すぐに脳を移植しなければ、身体はすぐに死に始める。身体だけでは呼吸もできないし、心臓も動かないのだ。つまり生きた身体にはならない。設備の整った施設で、手順を踏まなければ、冷凍保存された身体を人間に戻すことはできない。

音乃はネイラと寮のロビーで別れて家に戻った。なんにせよ。ネイラが登校を再開してよかった。もし出席日数が足りずに卒業できなければ、宇宙船搭乗員どころか進学もおぼつかなくなる。音乃はネイラの成功を心から願っていた。

おそらく彼女は自分よりも遠いところまで行くだろう。自分には、身体を捨ててまで夢を追いかける勇気がない。ならばせめて、遠い先の物語を聞く権利を持ちたかった。

そのために、音乃はネイラにできる限りの協力をするつもりだった。


翌日は土曜日で休みだった。音乃が寝ぼけたまま自動的に朝食を終えたころ、スマッホの呼び出し音が鳴り響いた。ネイラである。

情報の取捨は重要である。端末の性能やインフラは高性能化したが一般の通話は、相変わらず音声のみが主流であった。

動画や映像は通話中には送られてこない。

「はい?」

「わかったで、犯人が分かったんや!」

「ちょ、ちょっと待ってよ。すぐにそっちに行くから」

音乃は部屋着からタンクトップに着替えると、日よけの薄いコートを羽織って学生寮に走った。

ネイラは、寮の門の前に立っていた。音乃の姿を認めると駆け寄って、音乃の両肩を掴んだ。

「あいつが犯人に違いないんや!」

「順番に話してよ。あいつって、どこのどいつよ?」

「あたし、中国で暮らしてた時、同級生に告られたことがあるんや!」

「……それがどうしたの?」

「そいつがどこからか情報を得て、あたしの身体を盗んだんや」

「落ち着きなさいよ。同級生ってことは、私たちと同い齢なんでしょ?その子が、ビルを一つ倒壊させるようなテロを起こして、中学生の頃好きだった相手の身体を持ち去ったと?ちょっとあり得ないんじゃない?」

「いや、他に考えられん。あいつは尋常じゃなかった」

「まあ、あんたに告るなんて、確かに普通じゃないと思うけど」

「言い方!それに生身のあたしは、若いころのSpacie並みの美少女だったんよ」

ネイラは、音乃が一押しの歌姫を比較に挙げた。

「ネイはまず、自分を知るところから始めるべきじゃない?」

ノウちゃんが頭の上に浮かび、ウンウンと頷いて見せた。ノウちゃんがネイラの記憶にもアクセスできるか知らないが、どう考えてもネイラの推理は的外れだろう。

「とにかく犯人はわかった。後は追い込むだけ!」

音乃はネイラに気圧された。ネイラはどうも、完全にその考えに捕らわれてしまったようで、理屈で説得するのは難しそうだった。

ネイラは警察に通報すると言い張ったが、音乃は、それだけは止めろと説得し、とりあえず自分たちでできるところまでやろうということで落ち着いた。

「わかったわよ。その子の写真とかあるの?」

「集合写真ががあるんや。トリミングして見せたるわ」

ノウちゃんの目玉が消えて、ネイラの頭蓋シェルに写真が映し出された。

ネイラの頭蓋シェルは、モニターの役目を兼ねている。しかし、写真を見るためには、ネイラの脳みそを覗きこまなければならない。

はっきり言って気持ち悪い。こんな変な機能を考えたやつは誰か?

写真には、気の弱そうな東洋人の少年が写っていた。音乃はその顔に見覚えがあった。

「レイ=ハオっちゅー、エロガキやとうとう一線を越えよったんや」

「レイ君じゃない?」

「なんや、ノン?こいつ知ってんの?」

「親しくないけど、何度か遊んだことがあるよ」

「お母さんの同僚の息子さんだよ。海洋学者だから、今は、海底都市に住んでるはず」

「ほら見てみ。できすぎやろ。間違いなくこいつが犯人や。あたしの身体をちょっとでも傷つけてたら八つ裂きや!」

サイボーグのネイラが本気を出せば、物理的にそれは可能かもしれない。



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