第1-5話 事件発生
ネイラが転校してきてから一ヶ月ほど経ったころ、音乃とネイラは馬鹿話で盛り上がる程度の仲になっていた。
下校時間になると、若干日の傾きが感じられた。
ネイラは学生寮に住んでいた。寮は学校から見ると山一つ越えた先にあり、音乃の家はさらにその先にある。山といっても比較的小ぶりで、山頂付近は急峻だが、迂回する道路があるので音乃は自転車で通っている。、山頂付近は急峻だが、迂回する道路があるので音乃は自転車で通っている。アップダウンが多い道なのだが、音乃の自転車にパワーアシストはない。日頃の運動不足を鑑みてのことだった。
二人は一緒に下校することが多かった。音乃は自転車を突きながら、ネイラはその傍らを歩いていた。
ネイラの身体は白いプレートでできた鎧のような外骨格風だ。普通の服だとすぐに擦れて痛んでしまうので、普段は何も着ていない。しかし登校時にはスクールタイを首に巻いている。一応学生っぽい装いということだろう。
遠巻きに見るとスタイルが良く、夕日に映える。書きかけの水彩画のように、ネイラのいるところだけ白く抜いているように見える。とても美しいと思う。足元から視線を上げていくと、どうしても頭のところで引っかかる。
美しい容姿に、生々しい脳みそはいかにも不似合いだ。
「ねぇ、それいらないんじゃない?」
音乃はネイラの脳みそを指さして言った。
「なんて酷いことを言うの。これは一番大事なものなのよ」
「見かけが何とかならないの?隠すとか」
「ムーンピープルの間では、イルミネーションをつけてライトアップするのが流行ってるらしいわよ」
口を出すつもりはないが、住む場所や人種が変わると理解不能の文化が発展するようだ。
「もしかして、しわの数とか大きさを自慢しあったりしてるの?」
「まさか!?」
ネイラは声を出して笑った。
部活は二人とマシンワーカー部に入った。海中や、宇宙空間で利用される有人の大型ロボットの操縦や法的な利用の基礎を、学ぶのだ工業高校ならば必修科目だが、天海島でも港湾作業などで需要が高く。ライセンスはすぐに取れるので、人気のアルバイトである。。部活はグラウンド利用の関係で、長期休暇が実技で普段は退屈な座学であるということで、平素はあまり活発とは言えなかった僕の考えたスーパーロボットを落書きしている者もいる。
やはり実機を動かすのが楽しいが、免許なしでも個人の敷地なら動かせる。が、さすがに実機を個人で持っている家庭は少なかった。
「でね、私は文明がもっと発展していてもいいと思うわけよ。記録映像や動画を見ると100年前と大差ないわ。いったい何やってたんだって思う」
音乃の声は幾分か怒気をはらんでいる。もちろんその怒りを向けるところはない。
「そんなことないやろ。観光旅行に宇宙に行ける時代やで。大したもんや」
ネイラはのんびりした口調で音乃をかわず。
ノウちゃんはニコニコ目で二人の話を聞いていた。もちろんノウちゃんはしゃべらないのであるが、ネイラの透明なヘルメットはディスプレイになっており、文字や図形を表示できる。この機能はノウちゃんに解放されている。たまに突っ込みを入れてくるのだ。本来は、音声や電波が使えない場合、あるいは緊急時のコミュニケーションツールとして使うらしい。
ノウちゃんはネイラから独立したAIなので、姿を現したり消したりは彼の意思によるものだという。また、ネイラとは声を出さずに内的な会話を行うことができる。しかし、ネイラいわく、テストの回答などの相談には乗ってくれないそうだ。その他、身体に搭載された特殊機能やパワーも、ノウちゃんの許可なしではアンロックされない。要するに、ノウちゃんはネイラのお目付け役として常駐しているのだ。
授業中は隠れているノウちゃんだが、帰宅時には姿を現す。なかなかTPOをわきまえたAIである。
「ノンはどんな世界になってると思たん?」
「だから、反物質エネルギーが実用化されていて、恒星間宇宙船が就役してて、宇宙人と接触してて、ポータルで異次元と行ききできるの」
「つまり、現状が不満なだけやね」
音乃は、「しまった」と思った。音乃は空想癖があるわけではない。振り返ると、現在の世界に不満もないし、自分の夢は今の世界で満たされると思っている。それでも過去のクリエイターたちが思い描いた世界に追いついていないのが口惜しいのだった。
というわけで口に出すと、ありきたりのSFに登場するガジェットしか出てこない。
「もう環境負荷なしで無限に天然ガスが手に入るんやから、地球上に巨大エネルギープラントなんかいらんやろ。反物質なんて実験室だけのもんや。核融合炉さえも月で1号機が稼働したのが去年やで。でも、超光速航行の理論が発見されたとか、雑誌で読んだなあ。あたしらが生きてるうちに実現したらええな。
「月では燃料のトリチウムが仰山取れるさかいな。核融合が最適や」
「そうなん?地球は天然ガスで、宇宙は核融合か。なんとまくはまりそうね。海底はどうすんのよ人類の生活圏は広がってるのよ。人間は減ってるのにねぇ」音乃は、両親言葉を思い出した。宇宙も月もいいが、食料も確保できる人類の生存圏は結局地球上にしかなく。それは、海しかないというのが音乃の両親の主張である。
「本気で人間がいなくなったらエロ雑誌でもばらまけばええんや。男子が喜ぶで」
「月と火星のその次は木星の開発やな。木星の大気からもトリチウムは取れるから、外宇宙開発に木星開発は必須やで」
「音乃もムーンピープルになったらええねん。一緒に月の大学に行こう。卒業したら木星行きの宇宙船に乗れるんやで。あと、機械の身体はジェンダーがらみのフィジカルな差が一切なくなるんやで。だから言うて、ごっついおっさん型のボディに入る気はなかったけどな」
その割にネイラは、わざわざ女の子の顔を作ったり、女子力向上に力を入れているようだ。
「この身体はマーキュリー301といって、ムーンピープルの中では一番小型のボディで、パワーはサイズなりやけど、環境に対する耐性は他と変わらん。絶対零度に近い環境でも動けんねんで。あと1200度でも平気や。
スタイルもいいし、かわいいやろ」
ジェンダーフリーの話はどこに行った。
幹細胞技術の発達により、病気の治療は幹細胞を利用したクローン臓器の交換が主流になっていた。ある意味医学は退化したともいわれている。その代わり、人体を切ったり繋いだりする技術は飛躍的に進歩して比較的安全に行われるようになっていた。
音乃は少し考えて答えた。
「私、軍に入ることを考えているの。宇宙軍でパイロットになれば、宇宙船の乗務員になる確率は高くなるわ
いまだに宇宙船の乗務員は従軍経験者が優遇されている。
「宇宙軍士官学校?いい考えだと思うわ。学費の心配がいらないし、進学もしやすい。でも、戦争が起こりそうって話も聞くから今から軍人になるのは危ないかもね」
「乗るのが宇宙戦艦でも私は一向にかまわないわ」
もちろん親は大反対である。音乃には、ジャンルはともかく学者になってほしいと願っている
「今の科学のロードマップだと、私たちが死ぬまでに恒星間宇宙船が就役しそうよ。
それはたぶん軍に配属されると思う。
だから、今から軍に入って恒星間旅行を目指してもいいかな」
ネイラの返事は少し不機嫌そうだった。
「恒星間旅行はさすがに私たちの世代では無理じゃない?」
音乃の人生設計が初めてネイラのそれを追い越す可能性が出てきたのだ。ネイラはそれが不満なのだろう。
「全ては希望通り進学してからよ。その先のことは今考えてもしょうがないわ」
「それに、あたしが地球に戻って人間に戻るころにはあんたは30代を回ってるわ。私はその頃に、ティーンエイジャーの身体に戻るのよ」
「やっぱり、サイボーグって寿命が長いの?
永遠に生きるとか?」
「まだサイボーグ技術が確立して数十年だから、長生きするかどうかはわからないわね。幹細胞治療で脳の損傷も修復できるようになったから、物理的に破壊されない限り老化による寿命は心配ないと言われてるけどね」
二人がブラブラと歩いていると、先日音乃が打ち上げ見物をした斜面に来た。
斜面に降りなくても町は一望できた。
「あんたの生身の身体って、どこに保管しているの?」
「あの打ち上げ場への連絡橋の手前に、白いタワービルがあるやろ。あれがクライオニクス・ステーションや。ムーンピープルになった人の生の身体が冷凍保存されてるんや」
「冷凍保存って、凍らせてるの?」
「そういうことやなコチコチや」
ネイラが指さしたビルの中ほどがチカッと光った。
「クライオニクス・ステーションって、今光ったやつ?」
ドーンという爆発音が届いた。
「あの爆発したビルかな?」
二人は顔を見合わせた
「そう、今崩れてるやつよ……大変や!」
ネイラは叫ぶと、ガードレールを飛び越えてセンターに向かって、まっすぐ斜面を駆け下りていった。
ネイラが崖でジャンプすると、ふくらはぎが開いてスラスターが飛び出し噴射で軟着陸した。
サイボーグっぽいところを初めて見た。
「ちょっと待ちなさいよ!!」
音乃はネイラを追いかけて斜面を下った。崖はボルタリングで鍛えた腕力で、岩場を降りた。下るスピードはネイラに劣らない。ネイラの脚は思ったほど早くなかった。追いつける。音乃は全力でネイラを追いかけた。ネイラが大通りの信号を無視して道路に飛び出すと、大型トラックが突っ込んできてネイラを跳ね飛ばした。ネイラはかっきり10m程飛行し、頭から歩道に激突した。
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