しねえわけねえだろ
不明瞭
しねえわけねえだろ
高二の春、たしか木曜日の三限目、体育の時間に殴り合いの喧嘩をしたことがある。殴り合いと言っても俺が相手を投げただけで怪我人は俺のみだけど。
冬の終わりに車道を歩く子供を庇って右足を骨折。春の頭にはだいたい治っていたがあくまでだいたいであり、歩けば普通に痛い。医者に松葉杖をぶん取られ末代まで祟ってやるからなと内心で呪いつつも歩いてみれば多少痛むが問題なく歩けることに生命の神秘を覚え呪いを即撤回した十六の春。
せっかくほぼ治っているというのにバスケなんかしてまた折れたらどうすんだつって自主的見学しようと決めた準備時間、得点板を引きながら定位置に置いてサボリに徹する気の俺に投げられたのは「おまえ、今日も見学なの?」の愛想もクソもない声だった。
ダメかよ。なんで? 足折れたから。
実際前回、前々回は医者に止められたから積極的に見学をしていたワケで。それを知らん人間、いや訂正しよう一方的に名前と顔だけ知っている人間になんでここまで絡まれにゃいかんのじゃと思いつつも短く返答していればふーんと、死ぬほどつまらなそうにその場を離れる
「お世話さんが欲しいんだ。うけんね」
半分に分けられた体育館。向こう側では女子がバレーの準備をしてて。男子はだらだらボールを出してて。廣瀬秋人の背中が少しずつ小さくなっていってて。
カチンと来たことしか覚えてない。わずかに残った足の痛みとかもう全然頭になくて、
「廣瀬」
振り返ったあずき色したジャージの胸ぐらと右肩を掴み足を払って床に押し倒す寸前でしっかり両手が床に向かっていることを確認しつつ背中を叩きつけないように数センチ浮かせて止めた。衝撃に目を瞑っていた廣瀬はそうっと開いて、目が合った瞬間に手を離せば鈍い音と共に「イテ」なんて間抜けな声が聞こえた。
「おまえ、性格悪いな」
上体を起こそうをしている腹に跨り、重いとか言う声は無視してそのオキレーなツラをわざわざ覗き込んでまで、俺は笑ってやったのだ。
「次くだらねえこと言ったらマジで投げんぞ」
立ち上がった頃には体育教師が慌てて駆けてきていて、俺は保健室に行く旨を伝えそのまま先日奪われた松葉杖を授かりに病院へ向かった。
以上が廣瀬秋人との出会いである。
まさかこれで懐かれるなんて誰が思うよ、というね。マジで勘弁してくれって半年くらい思ってた。思った以上の甘えたで、しかもめっちゃベタベタしてくるこいつに慣れるのに半年かかったもん。
話したことはなくても顔や名前はすでに割れている、ましてや悪質なファンクラブすらあるこの男、事実身長もあって顔がとにかく良いのだが、付き合う女全員ろくでもねえ。
刃物を持ち出すことはもう可愛げのついでみたいなレベルの遭遇率。基本メンヘラかストーカーに変質するがこれが恐ろしいことに悪質ファンクラブによりメンヘラストーカーはだいたい数日の後に駆逐されているのである。こっわ。何が怖いってそれを認知しているのに特に意に介していない廣瀬秋人のとんでもねえメンタルだよ。こっわ。
こんなのに付きまとわれればそりゃあもう目立つ目立つ。挙げ句の果てには「一緒に帰りたいから待っててくんない?」なんて自分のツラの使い方をよくわかっているお願いの仕方に女子の悲鳴が上がる始末だ。
一番最悪だったのは秋人が部活頑張ってる放課後の教室でフッた元カノ複数人とフラれた元カノ複数人とメンヘラになりかけてる今カノと俺で行われた秋人の愚痴大会だ。いやほんとに地獄だった。なんだったのあれ。
まぁそんな出会い方と過程を乗り越え……乗り越え? バカやって遊んでくだらねえことで息できねえくらいまで笑い合ったもはや悪友と呼ぶべき関係性になったワケだが。
ハタチ越えてもフリーターやってる俺とは違って秋人はスポーツ系の整体師になりたいとか言って勉強していた。
一人暮らしを始めても互いの家を行き来して、合鍵は持たずでもしょっちゅう家に行って、でもルームシェアじゃなくて、そういうむず痒さみたいなのが出てきたのが本当に最近でぶっちゃけ困惑している俺である。
資格取って本格的に整体師として働き始めた秋人に鍋食いたいって送ったら白菜買ってきて、カギ開いてるからって返ってきた後のノブを握る一瞬だとか、そろそろ帰るわーって立った後の気を付けろよの一言だとか、そういう、微妙な空気に惑わされているワケであるが!
俺はどうするべきなのだろうと思わなくもない。
言っちゃなんだが、秋人をマイナス十としたら俺はマイナス二くらいの恋愛経験だ。カッターで追い回されるのは経験のうちに入らんと思う。
利害の一致、という言葉をご存知だろうか。別に彼氏が欲しいワケじゃない。むしろそういう煩わしいのいらない。
でもちょっと人肌恋しい、とか、ちょうどいい温もりが欲しい、だとか、一人で居たくない、はたまた、寂しい悲しい人恋しい。
なーんて女の子が俺のラインには何人かいて、俺もたぶん何人かの内で、金銭は発生しないしお付き合いもない、ただのお互いにとっての都合のいい存在っていう関係が高校の頃から入れ替わり立ち代わり。
メンヘラストーカー釣りの名手廣瀬秋人選手からは「サイテーじゃん」のお言葉を賜っておりますけど大概おまえもだからなというお気持ち。デートすらしてくんない! ってキレてたよあの傷んだ茶髪ロングの子。
まぁそんなこんなで俺には恋愛経験が乏しいワケでありまして、交際経験が一切ないってワケでもないんだけど大概ろくなことにならない。人を見る目がないから。
バイトで和食も洋食もあらかた作ってるし作るの嫌いじゃないから、って理由で今日も飯を作りにきて、すっかり居慣れた暖かい部屋を出る覚悟を決める。
「んじゃそろそろ帰るわ」
「明日何バイト?」
「和食バイト。明日久々に晴れるからめっちゃ混み予測で死しか見えない」
「頑張れーってかまって。駅まで送る」
いそいそとスマホとサイフを持って皿を洗い終わった男がコートを取りにリビングを出て行った。
これだよ。これだよ俺がどうしていいかわからなくなる行動! 前まで送ってなかったじゃん! なんなの!
顔が渋くなるのを堪え、ダッフルコートの襟に口元を埋めながらもうオンボロのスニーカーを履いて玄関の外で待っていれば慌てた様子で出てきた秋人がホッと息をついていた。
「先行ったかと思った」
「シツレーな」
「たまにほんとに先行ったりするじゃんおまえ」
「秋人たまにめんどいんだもん」
「ヤダ」
「でたあっくん」
「やめろそれ」
ダウンジャケットで手ぶらの男は今日も見た目だけは良い。高校ん時より伸びたゆるふわな黒髪も高校ん時より筋肉ついた体も、努力の結果だ。髪は違うけど。
逆に俺は程々の長さをバッサリ切ってしまったので頭が寒すぎて今冬生き残れるかわかりません。
「つかなんで急に送るの」
「コンビニ行きたい」
「彼氏力高〜とか言おうと思った俺の気持ちを返せよ」
アパートの階段を降りて路地を抜けた先にある小さな公園。昼間は子供たちがたむろして楽しそうだけどもう深夜だからさすがに人っこ一人見当たらない。
「ま、おまえ女見る目ないから、」
公園を抜けて行こうと足を踏み入れて数歩、後ろから続くはずの靴音がせず振り返れば秋人がぼんやり立ち竦んでいた。
「どした?」
戻って覗き込んだ顔は幼さが抜けた端正な男の顔で。秋人の温かい指がそっと頬を撫でていく。
「なに、」
それくらいのスキンシップはいつものことだからと、警戒のない俺にふっと吐息を漏らした秋人の持つ空気がわずかに変化し、脳内に警報が鳴る。
下がりかけたスニーカーと同時にダウンのポケットに両手を突っ込んだ秋人が俺の肩に額を乗せ、俺はなんとかその場に佇むがマズイことには変わりがない。
マズイ。何がマズイって? バカヤロウ全部だ。
伊達に長い間一緒にいたわけじゃない。上げたエピソードは女がらみばっかりだけど、バドの試合の応援にだって行ったし怪我したこいつを慰めたこともある。リハビリに付き合って一緒に走ったりストレッチしたり、買い食いして学校帰りにカラオケ行って教師の癖のモノマネで転げ回った。ゲーセンでたいして可愛くもないキーホルダーを揃いで取ったこともある。プリクラだって撮った。ひとくち〜と口開けて待ってるこいつにメロンパンそっと差し出したらほとんど食われてめちゃめちゃな喧嘩だってした。高校生活二年間ほとんどにこいつがいた。
ああクソ、ハメられた。
「あき、と」
「なぁ」
もぞりと、真横で動く真っ黒な瞳。低く囁いてる鼓膜がむず痒くて背が震えた。意図が読めた。なのに寄り掛かってくるこいつを、俺は突き飛ばせないでいる。マジでクソ。
「おまえ、なんにも思わなかった?」
マージでクソ。今すぐ女に刺されたほうがいいこいつマジで。
「俺んち来て、今まで俺といて、一瞬でも俺のこと意識しなかった?」
もたれかかる肩を適正距離まで突き放そうと腕を動かした俺より一手先、コートに収まっていたはずの秋人の両手が腰に回る。
「なぁ。陸」
体が強張って、声が掠れる。冬の寒さがどっか行った。なんでだよクソ、タイミング最悪。今すぐ大雨降ってくれ。そしたら逃げられるから。
「投げられたくなきゃ今すぐ、離れろ」
「バカだなほんと」
とうとう普通に抱きしめやがったクソ男の頭の位置がいつも通りに戻る。頭にのしかかる秋人の頭の重みと髪に内心舌打ちが漏れた。
「秋人、頼むから」
「ヤダよ」
まぁ結局砂場に向けて今度こそしっかりぶん投げて普通に帰ったんですけど。
秋人はちゃんと宙を舞って砂場に刺さったので良しとしよう。
しねえわけねえだろ 不明瞭 @fumeiryo
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