第5話 戦士の休息



 北欧の牧歌的な世界にわたしは戻った。今度は淀みなく呪文を唱えることが出来たのだ。

 世界にたどり着いた瞬間からギブソンが傍で鼻を鳴らしている。このギブソンもまた、わたしが現実世界を漂っている間に別の冒険者のお共をしているのだ、と考えると、少しもの悲しい思いに駆られた。

 ナターシャが駆け寄ってくる。「この間は散々でしたね?」と言われた。

 一体何のことだろうか?

 ナターシャが話し始める。「あの女の人は竜の光で消え去ってしまったわ。街の男たちも何人かやられたみたい。あなたって本当に役立たずね!」

 ギブソンはわたしの傍で微動だにしていなかった。

 ちょっと待て、とわたしは思った。

 傍のギブソンをじっと見やる。

「ギブソンは?」とわたしは聞いた。

 ナターシャが答える。「ギブソンはあなたのせいで消え去ってしまったんじゃない!」

 そうなのか? 旅の記録は残り続け、失敗したらやり直すんじゃないのか?

「クエストを発表するわ」とナターシャが背中から看板を取り出した。

 

 『竜の子供を対峙しろ!』とポップな字体で書かれている。

 

「あなたが来ない間、世界は大変なことになっているわ」とナターシャが言った。

 微笑む表情とは裏腹に、彼女の内実は猛り狂っているように思えた。というか、ちょっと投げやりだ。他の冒険者たちはどうやってクエストを攻略しているのだろうか。

「新しい武器が入ったわ」とナターシャ。「あなたには必要の無いものかもしれないけど、見てって。どうせ武器を持ったって、役立たずな行動をするだけだもんね!」

 ナターシャは微笑み続ける。

 

 わたしは28ペニーを持っていたので、最初に持っていた武器を売って、投げ鎌をひとつ買った。持ち手と鎌の部分が鎖で繋がれている遠距離用の武器だ。ナターシャの言葉が重くのし掛かっていた。今更やる気を出したところで、世界は変わってしまったのだ。

 だとしたら、武器など買わずに北欧の牧歌的な雰囲気を満喫するのに時間を費やした方がいいような気がする。羊たちを追いかけ、竜の子供が襲いかかってきたら大人しくやられてしまうのだ。わたしだけは何度もやり直しが効くし、世界がはちゃめちゃな様子に成り変わったとしても、素知らぬ顔で羊を追い掛け続けるのだ。そのうち世界の魔王が攻め入って来たとしても、わたしの武器は未だ投げ鎌一つで、やられてはやり直し、その度に羊を追い掛ける為だけに押し入れの中に入って呪文を唱え続ける。

 わたしはナターシャに聞いた。

「ギブソンはもう戻ってこないの?」

「あんたのせいでね」とナターシャは笑顔だ。

「この狼は?」とわたしは足元の動物を見下ろした。

「その子はギブソンの子供よ。かわいそうに、自分の親があんたのせいで死んだとも知れずに、躾けられている通りにあんたに付いて回っているの」

「名前はあるのかな?」

「そんなの勝手につければ?」

 わたしは足元の狼にギブソンという名前を付けた。

 

 その日から、わたしは押し入れの中に入り、呪文を唱えて異世界に転生して、時間の限りをレベル上げに費やした。今の段階では竜の子供にさえ勝てない。投げ鎌の使い方も段々分かるようになってきた。投げる時、わたしが腰が引けてしまい、敵に当たる前に地面に落ちるか、当たったとしてもかすり傷しか負わせることが出来ていなかった。この世界のことをよく知る必要がある。わたしは憎しみを持って敵と対峙しなければいけなかった。ギブソンの仇だ。実際にはわたしの不甲斐なさが原因だったが、わたしはその怒りや憎しみを自己嫌悪ではなく、敵にぶつけることにした。殺すつもりで投げ鎌を敵にぶつければ、敵は致命傷を追って阿鼻叫喚とのたうち回ることになる。オークやゴブリンは醜い姿をしていたから、殺すことに何の抵抗もなくなった。

 新しい猟狼、ギブソンのレベルも着実に上がっていた。装備も万端だ。

 少し強くなりすぎた程だった。

 ナターシャの山小屋へ行き、彼女にヤギミルクを出すようにわたしは頼んだ。

「やっと行くの?」とナターシャ。

 彼女は羊の世話をしたり小麦を収穫したりしながら、わたしが傷だらけでレベル上げに精を出す様をずっと見てきた。新しい武器を買うときは常に笑顔で対応し、内実ではわたしのことを腰抜けだと蔑んでいたのだ。

「ヤギミルク」とわたしは言った。

「やっと行くのね?」

「ヤギミルク」

 ギブソンはすっかりわたしの忠狼になっていた。

 ナターシャに向けて牙を剥き出す。

「ヤギミルクね?」とナターシャ。「クエストは受けるの?」

「ヤギミルク」

「あんたがその辺でオークやゴブリンなんかと遊んでいる間、竜の子供は被害を拡大させて、街の人間のありとあらゆる存在を消し去っているわ。知ってた? この村には結界が張ってあるの。何でか分かる?」

「ヤギミルク」

「あんたみたいな冒険者が心と体を休める為に、賢者たちが身をやつして呪文を唱え続けているのよ? この村にいない間、冒険者たちは傷だらけで戦っているから、それは賢者たちにとってもやりがいのある仕事なの」

「ヤギミルク」

「それなのにあんたは小金を集める為にオークやゴブリンの腹を裂いて! 遊んでいるだけじゃないの!」

「ヤギミルク」

 ナターシャがわたしの前に桶を置いた。中のミルクがわたしとギブソンにちょっと掛かる。その時、痺れを切らしたギブソンがナターシャに襲い掛かろうと飛び出した。

「ギブソン!」とわたしが呼び止める。

 ギブソンはテーブルの上に乗ってナターシャに牙を向けた。

 わたしは落ち着いていた。「ギブソン、降りろ」とわたし。

 ギブソンはレベルが上がるに連れて、人間の言葉を話すようになっていた。

 彼がわたしにいう。「この女の腸を引き摺り出してやる!」

「ギブソン」とわたし。

 ギブソンは床に降りた。不貞腐れて、椅子の下で丸まった。

 わたしは床の上に桶を置き、ギブソンに飲ませた。自分でもちょっと飲み、その後で立ち上がった。投げ鎌はもう使わない。わたしは大剣を振り回せる筋力を手に入れていた。

 ナターシャに頼み、旅の記録を付けてもらった。

 わたしが誰なのか、ナターシャにはもう分かった事だろう。

「明日行くよ」とナターシャに言った。

「今日じゃ無いの? 先延ばしにするの?」

 わたしは消えた。押し入れの中に戻った。戦士には休息が必要なのだ。

 

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え、おれの押入れって異世界なんですか? ようすけ @taiyou0209

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