第3話 異世界って怖い

いく日かは押入れの中に入らず、わたしは現実世界を彷徨っていた。というか、漂っていた。木も緑も花も蝶も全て灰色だった。何かが変わっていた。違っていた。まさかあんなことになるなんて、思いも寄らないことだった。


  わたしはふざけていたのだ。


 それに、異世界へと入る呪文も忘れてしまっていた。


 適当に喋るだけで良かったのだが、そのハーモニーが自分の中で完全に失われていた。

   

    自分の部屋に帰り、くだらない日々に身をやつす生活が続いた。

 

 そんなある日、友人の紀本という男がわたしに一本のゲームソフトを貸してくれた。巨大企業である任天堂社が過去に発売していた大作だ。存在自体は知っていたが、実際に手をつけるのは初めてだった。

      わたしはゲームが苦手なのだ。


   紀本がわたしにいう。「お前って最近元気ないじゃないか!」

   わたしは彼に異世界での出来事を話し始めた。

  「もちろん、夢の中での出来事だけど……」とわたし。



 わたしが不甲斐なかったから、竜の子供を追い返すという単純なクエストでギブソンと女を消し去られた事を話し始めた。

  それは本当に消し去られていた。わたしは見たのだ。


   竜の閃光が目前で炸裂する時、両手を前に突き出した女の指先が黒く灰と化していく様を……


「それにギブソンという狼も最後の瞬間におれを蔑んでいたんだ。その目は確かにおれを蔑んで黒く濁って……あんなに仲良くなっていたのに……」


「まあ、ひさひと」と紀本がわたしの肩を叩く。「お前は疲れているんだよ。ゲームでもやって現実世界と自分とを切り離さなければ、たまには体に毒だぜ?」


「そう思う?」


「ああ……」と紀本が笑った。「それにそのギブソンというのは本当の狼なの?」


「そうだよ」とわたしは答えた。


「狼が人に慣れるはずはないんだけどな……」

       わたしは話し始めた。ギブソンの物語だ。

 

 

  部屋に戻り、わたしは紀本から借りたゲームソフトを取り出した。任天堂社が過去に発売していたブラウン管と繋ぐタイプのゲーム機が必要だった。わたしはそれを持っていなかったので、紀本が夜に機械を持ってきて接続を手伝ってくれる……

 


   その前に、わたしは思った。押入れの中に入って、呪文を唱え始めた。

   紀本に全てを話して楽になったのだ。

 

   失われた何かを取り戻したような感覚があった。しどろもどろではあったが、わたしは唱え始めた。異世界の扉をこじ開ける人に聞かせられない恥ずかしい言葉の数々だ。

 

 突然の銃撃戦だった。わたしは何か薄い膜越しに世界を見ていた。

           肩が揺すられる。

「おい! しっかりしろ、反乱軍リーダー! ええっと名前は……」


「ひさひとです」とわたしは答えた。


「よし、ひさひと! お前は反乱軍のリーダーだ。今、お前の隊は共和国軍の急襲を受けて壊滅寸前だ。共和国軍の武器の要は……」と男が背後を振り返った。

 

    巨大な戦艦が宙に浮いている。宙というか、そこは宇宙だった。


 薄い膜越しに見ていた世界の正体はヘルメットだった。

 膜越しに見る世界でデジタル標記が明滅している。


「あれを破壊するんですか?」とわたしは聞いた。

「あの戦艦は巨大な磁力をバネとして浮かんでいる。分かるか? 高電射砲でその土台の磁場を破壊するんだ。お前に三人の精鋭を付けてやる。バーシャとオルゴン、それにナタリオンだ!」


     三人の男たちがわたしの前に集まった。ヘルメットの膜越しに見える彼らの顔は真剣そのものだ。一方のわたしは少し間の抜けた顔をしていた。しっかりしなければいけない。異世界だからとって、ふざけた立ち回りをしたら同じ悲劇が繰り返されることになるのだ。


   わたしは立ち上がった。装甲アーマーは重かった。

 バーシャは黒人兵士だ。ヘルメットの中の顔がちょっと動いている。この戦乱の最中にあって、彼はガムを噛んでいた。オルゴンも申し分ない戦士の顔だ。ナタリオンも勇敢そうに見えた。それに比べて、わたしはなぜ「ひさひと」などと本当の名前を告げてしまったのだろうか? 

 

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