彼のように図太く生きたい


 ヒメリが決意を胸に風車小屋を飛び出した数分後のことだった。

 舐られるような視線を感じた。オーグアイの赤い視線だ。

 この辺りに廃屋はいくつかあれど他に人は住んでいないはず。不信に感じてヒメリは道に沿って走っていた足を止め周囲を見回した。


 クロノやスピカなら今さらヒメリをオーグアイで見る必要はない。ということは、またハルカようなウェスナアドミニスタの誰かがやってきたのだろうか。

 なら丁度良い。ここでそいつの首根っこを捕まえて、小賢しく浅ましい計画を立てたことをしこたま叱りつけて、アドミニスタの本拠地に乗り込んでやる。


「そんなにクロノさんが目障りなら堂々と実力で勝負したらどうですか! こそこそと裏で窺って、やり方が陰険過ぎです! わたしはそんなこと絶対させませんから!」


 そう叫び、視線の主を探してぐるりと首を回した直後、


「こんなところにいたのか。探したぜ」


 背後から声をかけられて、ヒメリはハッとして振り返る。

 並木の影からぬるりと滑るように出てきた痩身の男を視界に収めて、瞠目する。

 白髪。首に蝶のタトゥ。鋭利な刃先のように片方の口角を上げて笑っている。

 カリストがそこに立っていた。


「よお。久しぶりじゃねえか。見ない間に随分変わっちまったな。えらい剣幕だ。見違えたが、一体何事なのか、俺にも教えてくれないか」


「う……え……?」

「おいおい、俺を忘れたのか? お前の噂を聞いて会いに来てみりゃ、とんだご挨拶じゃねえの」


 忘れているわけじゃない。忘れるわけがない。


「ど、どうしてここに――」


 後ずさるヒメリに、カリストは悠々とした足取りで近付いてくる。


「あん? そりゃお前がいる場所ならどこへでも行ってやるよ」

「そ、そういうことじゃなくて……わたしがここにいると知っていたんですか?」


 カリストはあっさり否定した。


「いや? 随分探したぜえ。朝っぱらから、それこそウェスナ全てを歩き回るくらいにな。なのにどこにもいやしねえ。そんで、そういや街の端にこんなとこもあったなって来てみりゃどんぴしゃだった」


 さすがに呆れて口ごもる。

 ウェスナ全てと言葉にするのは簡単だが、ウェスナは東京ドーム何個分……という感覚はヒメリにはピンとこないが、少なくとも四個、五個では収まり切らない広さがあるはずだ。

 そこまで執念深いとは。広い街中と甘く見過ぎていたか。

 ヒメリは自身の失態を呪った。激情に駆られて風車小屋を飛び出さなければ、カリストに見つかることなくやり過ごせていた可能性は高いのに。


「なあ、覚えてるか? お前があの日俺の前から去っていったとき、俺の心は挫けかけたんだ……」


 にしても。


(なんでこの人さっきからこんなに馴れ馴れしいの!?)


 ヒメリがカリストと会ったのはウェスナで最初に勧誘された一回きり。それもせいぜい三十秒程度の出会い。

 まるで元カノにでも接するような口調で無遠慮に近付いてくるカリストに、足を引き摺るようにして後ろに下がり続けていたが、やがて壁らしき障害物に突き当たる。


「わ、わたしに何か用ですか……?」

「とぼけるなよ。わかってるだろ」


 言うと、カリストはくるりと背を向けた。


「……?」


 怪訝に見ていると、カリストは細長い両腕を拡げ、胸を天に逸らせて青空に宣言するように高らかにハスキーな声を響き渡らせる。


「この新世界は自由だ! くっそつまらねえ現実が切り離された新天地! どう生きるかも己の意志次第! 必要なのはただ一つ。己の願いをどこまでも渇望する貪欲だ。だから、もう一度言うぜ?」


 そしてまた片足を軸にして勢いよく振り返り、


「へぶっ!」


 急に迫ってきたカリストの右手に顔面を覆われて、身体がビクッと跳ねた。


「にゃ、にゃんで顔掴むんでふか……?」


 カリストの手の裏でふごふご呻くヒメリ。たいして力は込められてないから苦しくはないが、勢いで壁に後ろ頭がぶつかってゴンと音が鳴った。痛い。


「っかしいな。ちげえんだよ。おまえ、場所が悪い。もうちょっとこう、そう。その辺り。ああ待て。俺が手をつく場所がねえ。もうちょい左」


 手が離れてから言われるままにわずかに移動する。直後、自分の顔の横をカリストの腕が同じように勢いよく過ぎ去る。


「おまえ、俺のとこに来いよ」


 とキメ顔を傾けて見下ろしてくるカリスト。

 どうやらやりたかったことは壁ドンだったようだ。目測を誤ってヒメリにアイアンクローをかましたことも厭わず、声を低くさせ囁くように声を潤ませる。失敗の恥とかはないらしい。


「俺は強いぜ? 昔はコンクエストリーグで最高五位まで上り詰めたこともある。仲間のスペックとしちゃあ、文句なしのはずだ」

「…………っ」


 唾を飲み込んだのは、逃げられないと悟ったからだ。彼は壁ドンをしながら、もう片方の腕を自分の腰に伸ばしている。そこにあるのはインベントリポーチだ。今は武器類こそ装備していないが、すぐに取り出せるよう警戒を怠っていない。


「俺たちはこれからヨルゲンデート亜大陸へ向かう。お前も一緒に来い。そこで好きなだけ観測者Xとしての力を振るえ。そこで世界は俺たちのものになる」

「わ、わたしは――っ」


 自分が観測者Xだなんてそれは勘違いだ。と釈明するよりも前に、


「なあ? 観測者X。俺と共にまた世界を変えようじゃあねえか」

壁についていた手をヒメリの顎にかけ、力尽くで上に向けさせる。

「う…………」


 格好つけたがりの勘違い男。ではあるが、容姿は正直、かっこ悪いわけではない。目つきは鋭く、態度は理由もなく自信に溢れている。ワイルドで細身。ロックバンドにでもいそうな出で立ち。顎は細く、両目は切れ長。

 ヒメリの好みとは方向性が異なるが、好きな人は黄色い声をあげそうな相貌。

 そんな人物に迫られたら、胸がざわつく女性は多いだろう。それでなくても多少は顔を赤らめてしまうような顔の近さ。

 でも――


(この人、靴下大好きなんだよなあ)


とヒメリが一瞬で冷めていたそのときだった。


「――やめろ。めり子から離れるんだ」




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