クロノの後悔
「あー、なんでいきなりこんな雑用押しつけられなきゃいけねーんだ」
「そういつまでもぼやくな。街の人たちのために働くのはアドミニスタの仕事のうちだろう?」
苦笑しながらスピカが言うと、クロノはつまらなそうに口角を下げる。
「俺、アドミニスタじゃないんだけどな」
ぼそりと言うと、スピカが彼の顔を下から覗き込むように見上げてきて、からかうようににまにま笑う。
「知っているぞ? ギルド長を通じてアドミニスタ入団の打診がかかっているんだろう?」
その期待に満ちた顔から逃げるように、クロノは早足で歩みを進める。
「…………俺、受ける気ないし」
スピカが小走りで追ってくる。心底不思議そうに首を傾げて。
「なぜだ? アドミニスタメンバーになればみんなの役に立てるし、中には昔のソウタを知っている人たちもたくさんいるんじゃないのか?」
昔の自分を知っている人間たちの群れの中に戻るというのは、良いことばかりではないんだけどな。つい口にしてしまいそうになるのをぐっと堪えた。
クロノは答えず、明後日を向いて誤魔化すように言う。
「俺には向いてねーよ。今回はクツシタが相手だから協力してるだけだ」
そんなことはないと思うんだがな、と呟いてスピカは残念そうに眉を下げる。
「なら今回の件が済んだ後はどうしていくつもりなんだ? ソウタだっていつまでもソロで生きる気はないんだろう?」
「そりゃ、な。そうだな……ほんとに観測者Xなんてのがいるのかわかんねーけど、誰かがそいつを見つけてくれるまで、自分に合いそうなリーグを探してぶらぶらするのもいいかもな」
「ヒメリと一緒にか?」
「なんでそこでめり子が出てくるんだ?」
「別に」
ぷい、と顔を背けるスピカ。クロノは短く溜息をついて、再度歩き出す。
「ともかくアドミニスタだけはねえよ。こういう非合理的な雑用押しつけられるしな」
ウェスナアドミニスタから至急という要件で命じられたのは、ある稀少アイテムの収集だ。
集めてくるのは〈魔結晶化した怪鳥の卵〉。古参のプレイヤー界隈では取得が面倒くさいことこの上ないと評判の薬品素材アイテムだ。
手に入れるには、まずエルゲスト森林に棲む怪鳥グランライラックバードを相手にする必要がある。
ダチョウのような容姿で紫の羽毛が華麗な巨鳥で、とにかく逃げ回る。
群れを作らない単独行動の鳥で、視界の悪い濃い木々でまず見つけることに苦労する上、卵を持っているかは倒してみないとわからない。
卵が獲れたら次はイェーテボリ鍾乳洞、ダンジョンの奥地にいる岩石タイプのモンスターが落とす藍水晶が必要になるが、これがまたドロップ率が著しく低い。このフェーズだけで運が悪いと丸々一日消費するプレイヤーもいたほどだ。
そして最後にクバス湿原にある小さな泉に卵と藍水晶を沈めると、藍水晶が泉の中に溶け、魔力素を含んだ泉の水が卵全体に染みこんでいく。
色が薄紫からロビンズエッグブルーに染まった頃合いに引っ張り出すと、バレーボール大の卵は向こう側が透けるほどの結晶となり、依頼されたアイテムの完成だ。
いわゆる〈おつかい〉系のクエストで、大厄震以前はその面倒くささからプレイヤーに絶不評クエストトップ10にランクインしていた。
〈魔結晶化した怪鳥の卵〉は砕いたその欠片が回復アイテムの素材になるため需要はあるものの、その取得の面倒臭さや、今では代替品があることからわざわざ取りに行くプレイヤーは滅多にいない。
「ったく。たまたま俺が藍水晶持っててよかったよ。今から全部取りに行くとか、今日中に帰れたかわかったもんじゃない」
そのおかげで達成時間を大幅に短縮することができたのだ。
二人がウェスナ中央区、アドミニスタ拠点に隣接している食堂のテーブルにマップを拡げて作戦行動の動きを再確認している最中に、クエストを頼んできたのはウェスナアドミニスタで参謀と呼ばれていた痩身の男だった。
なんで俺たちに? なんでこのタイミングで? なんでその面倒臭いアイテムを?
さすがに訝しんで疑問をぶつけまくったが、男はとにかく至急だと言い張って譲らなかった。
それでも引き受けたのは、クロノが自分のホームとして設置しているラトオリの個人宅の倉庫に藍水晶が眠っていたことを思い出したからだ。
となればあと必要なのは怪鳥の卵だけ。
すぐにポートゲートで付近の街に移動し怪鳥のいる森林に向かった。その区域のモンスターは最高40になる。格下とはいえ油断をすればクロノたちでも冷や汗くらいは掻く程度に強い。
さすがにそんなところにヒメリを連れていくわけにはいかなかったし、そもそも彼女にはまだ行けない。
まああの風車小屋で大人しく待っているだろうと二人で赴いて、スピカと離れて連絡を取りながら、グランライラックバードを追い込み挟み撃ちで倒し、卵の有無を確かめるを繰り返す。二十五匹目でようやく丁度良い卵を見つけることができた。
泉で〈魔結晶化した怪鳥の卵〉を作るために二つのアイテムを放り込んだ後、出来上がるまでの間、周囲に潜むコボルド族の戦利品で懐を潤しながら待つこと約二時間。
戻ってくるためにまたラトオリにポートゲートで飛んで、ウェスナまで徒歩。街に入る前に潜伏スキルで身を隠してと最初から最後まで面倒臭い手順を踏んで帰ってきた。
言われた通りの物をパッと行ってサッと取ってダッと持っていったのに、参謀の男は唖然として「……は、早いな」と一言だけ残して礼も言わずどこかに行ってしまった。
クロノは強く訝しんだが、追及はしなかった。今はその納品を済ませて風車小屋までの帰途についているところだ。
「それには同意だ。どうしてウェスナアドミニスタは急にこんなクエストをわたしたちに任せたんだろう。至急の要件とは聞いたが、詳細は話してくれなかったし」
アドミニスタリーグの仕事は所轄の街の治安維持であり収集作業というのはその職務の範囲外だ。本来、そういった街の外部での仕事はギルドリーグを通して一般プレイヤーに依頼されることが常。
だが、医療物資の運搬や食糧不足に陥った街への援助など、管轄地の外に出ることは時折ある。アドミニスタが強豪で構成されているという理由から、通常クエストに人材を一部投入されることは珍しくはない。
比較的低レベルのプレイヤーが多い街という特徴があるウェスナ。カリスト確保作戦の大方の内容は既にアリスに伝え、あとは彼らが最終決定を下すのを待っていたクロノたちにお鉢が回ってくることも不自然ではないが。
そういった組織的な合理性が働かないのも、元ゲームプレイヤーだけで構築された素人同然の治安維持機構の脆弱性だろう。
縦と横の連携も未だ醸成されていない。中には元本職の人間もいるとは聞いたことはあったが、稀少なことには変わりない。
「さぁな。おおかたよそ者にあれこれ指図してほしくなくて厄介払いしたかったんだろ。アイテム持ってったらなんか慌ててたし」
「そんな憶測を立てるものじゃないぞ……と言いたいところだが、それはわたしも危惧していることだ。秩序を守るために街一つごとにアドミニスタが置かれたのはいいが、今度はリーグ同士の縄張り意識が強くなってきている、と団長も同じ事を言っていた」
顎に手を当てて考え込むスピカ。
アリスが今回二街間捜査を提言したのは、そういった問題の種を解消したいという腹もあったのかもしれない。とはいえ、クロノが考えても詮無いことだ。
「団長か。元気なのか? あの人は」
「ああ。息災だ。団長もソウタがここにいると知ったら喜ぶ」
スピカの満面の笑みに、クロノは気後れしたように一度唇を固く噛み締めて顎に梅干し皺を刻んだ。
「あー、それなんだけどさ。団長には俺のこと黙っておいててくれないか」
「どうしてだ? 団長はソウタがいなくなったことを怒ってなんかいないぞ。むしろ、ずっと残念がっていた」
「…………なんつーか、きっかけっつーか。もっとこう、そういうのが欲しいっつうか」
「わたしが機会をつくって取り持ってもいいんだぞ?」
むしろ最初からそうするつもりだったのだが、と言いたげなスピカに、クロノは首を振る。
スピカと再会したのは偶然で和解できたのも成り行きだ。彼女の優しさに甘えまくった結果できたことにすぎない。
スピカに自分がここにいるとバレてしまった以上、いつかはかつての仲間たちに会いに行かなければいけなくなる日が来るだろうことはわかっている。
スピカに頼めば確かに容易に再会は果たせるだろうし、彼女が庇ってくれるなら団長を含む昔の馴染みたちがむやみに感情をぶつけてくることもないだろう。
でも、できることならまず自分の中で整理をつけて、自らの意志で会いに行きたい。お膳立てされたいわけじゃないのだ。
それをまだ逃げている言い訳や弱さとみるか、踏み出すための鋭気を養っているとみるか。
それは人によって違うのだろうが。
「いや結局、俺の勇気が出ないのがダメなんだ。みんなの声も聞かずにいなくなった俺が、再会するのも自分の意志だけで決めようなんて虫がよすぎるって、わかってんだけどさ。団長に会う前にけじめをつけとかないといけないこともあるんだ。詳しくは言えねえけど、それが終わるまでブランキストのみんなに会うわけにはいかないんだ」
「ふむ……」
スピカは納得したように頷いているが、その実眉間を寄せて視線を落としている。
言葉では理解しても、やはりクロノに団長と早く再会してほしいという願いが気持ちの上で勝っているのだろう。
「まあ、いいさ。それならわたしはソウタの準備ができるまでいつまででも待っててやる」
「わりぃ」
「でも、わたしは会いに来てもいいだろう?」
「え、まぁ、そりゃ。うん」
「ふふふふっ」
「なんだよ」
「なんでもない。ソウタがわたしに教えてくれないことがあるなら、わたしも教えてあげない。そうじゃないと不公平だろう?」
「なんだそれ」
「そうだ。今日の夕食はさっき捕れたグランライラックバードの肉を使ってシチューにしよう」
やたらと機嫌がいいスピカが、後ろ手に手を組み足を弾ませて、思いついたように言う。
「ヒメリも昨日、久しぶりに普通のお肉が食べたいとフォークを片手に泣いていた。ここ数日はみんな魚か爬虫類ばっかりだったし、一人でウェスナにいた間はパサパサのパンばかりだったらしいからな。ご馳走を振る舞ってやろう」
「そうだな。めり子も風車小屋の中で退屈してるだろうし、それ聞いたら喜ぶだろ」
明日の作戦に向けて、今日はゆっくり過ごして一息つこう。今後のことを考えるのはその後でも遅くない。余計な茶々は入ったが、後はアリスたちの到着を待つだけだ。
「まずは成功させよう。一緒にな。そうすればきっと、ソウタも一歩前に進めるようになるはずさ」
スピカの言うとおりだ。眩しい言葉だと思った。
大厄震以後、みなが前に進むしかなくなったのだから。
「こういう再出発もたまにはいいだろう?」
「――ああ。そうだな」
冗談めかしてスピカは言うけれど。頷いて、薄く笑う。
その眩しさは、逆に自分の暗さを炙り出してしまうものではあるけれど。
確かに悪くない。向き合おうと思える。今は、まだ。
ずっと名前を変えて生きてきたクロノの、これが本当の再出発。スピカたちとなら。
大丈夫だ。自信はある。絶対に成功する。
あと五十メートルも歩けば風車小屋に着く。そんな頃だった。
「おい、あれ」
クロノは異変を感じて立ち止まる。指さした先の光景を見て、スピカも息を呑んだ。
そこには、後ずさるように壁に背を預けるヒメリと――
片腕を壁につけヒメリを逃げられないように阻む白髪の男――カリストの姿があった。
「嘘だろ――」
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