アキの話(前)
それは、ヒメリを含む女子五人が週末に都内某駅のバスターミナルに到着したときのことだった。初夏の連休。気温は上がってきて薄着の解放感に彼女たちの気持ちも高揚していた。
「よっし。今日こそヒメリの初彼を見つけるぞー!」
往来の中で、友人の一人が両腕を掲げて高らかに言い放った。
「そ、そういうこと大声で言わなくていいから。っていうか今日そんな目的で来たの!?」
ヒメリが押し止めると、友人は静かに言った。
「だって、こん中で彼氏いないの、ヒメリだけじゃん」
「……………………」
四人から憐みの視線を受けて、ヒメリは絶望的な眼差しで友人たちを見返す。
「そろそろ男のひとりくらいは捕まえとかなきゃ」
「結構ヒメリのことが気になってるやつは多いのになんでかねえ」
「たまに出てくる奇行がねえ。ならここはやっぱ地元から離れてよく知らない相手とよく知らないうちにちょめちょめしちゃおうってことで」
「好き放題言われてる~!」
口々に好き勝手なことを言う友人たちに半泣きになると、端の一人、アキが慌てて口を開いた。
「わ、わたしはヒメリちゃん、可愛いし焦らなくても彼氏くらいすぐできると思うな……」
「アキちゃん~」
アキに泣きつくと、他の三人は呆れ顔で続ける。
「それ彼氏持ちが言ったら逆に追い込んでるって。それでなあなあで今まで=年齢だったんでしょ」
「えっ……あたしはそんな、つもりじゃ……」
「ヒメリは少しくらい焦んないと冗談抜きで生涯処女もありえるからね。のほほんと生きすぎて」
「そーそー」
「わたしはみんなとよく友達やれてるなって不思議になってきました……」
あけすけな集中砲火に、ヒメリは反論する気も起きず諦観の溜息混じりにそんな冗談を零す。
「えっ」
「腐れ縁腐れ縁」
「言いたいこと言い合える内が華ってやつよ」
「まっ、とにかくまずはどっかでお茶でもしようよ。せっかく都心まで来たんだしさ」
「さんせー!」
笑って冗談を言い合いながら、ぞろぞろと歩き始める友人たちにヒメリも倣う。
姦しく喋りながら歩いていたとき、ふとヒメリが何かに気づいて後ろを振り返る。アキが一人立ち止まって考え込むように下を向いていた。
ヒメリは小走りで戻って声をかけた。
「大丈夫ですか? アキちゃん」
「う、うん。大丈夫だよ。ほら、いこ。みんなに追いつかなきゃ」
目指すのは土曜の朝番組でも紹介された有名なカフェだ。ヒメリとアキは二人並んで、先行する三人の背を追った。
女子が五人も連れ立って歩けばそれだけで目を惹くが、そこからさらに行き交う男性の視線を集めるのは、ヒメリの通う大学で入学から一年も経たず学校中の男子の人気を集めたモデルの友達だ。
自信に満ちた笑顔と話し声。ヒメリは、自分にはこんな笑い方はきっとできないな、と羨望を含みながら彼女たちの賑やかな声を聞いていた。
光を振りまくように華やかに笑い声を上げ注目を集めるものだから、これもまた予定調和だというように、男たち四人に道を阻まれるように声をかけられる。
髪もファッションもやたらとカラフルで目がチカチカしそうだとヒメリはこっそり思った。
「キミたち、どこ行くの?」
「んー、そこらへんをぶらぶら? カフェ行ったり、とか」
「へえ、じゃあ俺らと一緒にしない? この先に有名なカフェあんだけど、俺たちもそこいくつもりだったんだよね」
わざとらしいくらいに目的地をすり寄せてきて金髪の男は口角を上げて決め顔。それが不自然なほどによく似合っている。自分が良く見える角度を熟知しているのだろう。
「ちょい待って」
開催される臨時女子会議。スクラムのように顔を寄せ合って品定めの開始。
「どうよ?」
「結構イケてるわね」
「よっしゃいくか!」
「えぇ、本気? みんな彼氏いるんじゃなかったの……?」
「それはそれ。これはこれ」
「別に一緒にお茶したからって浮気になるわけじゃないっしょ。成り行きだし」
「そーそー。あの中にヒメリのいい人がいるかもよー」
「ヒ、ヒメリちゃんはああいうの苦手な方だと思うな……」
「何を腑抜けたことを言っておるのかね?」
「こーゆーのは慣れよ慣れ。場数を踏んで女は英雄とならん」
「およそ例という文字をば、向後は時という文字にかへて御心あるべし」
乗り気はしなかったが、友人たちが既に臨戦体勢に移行していたため、ヒメリも難色を示すことは止め、流されるままに喫茶店に足を運んだ。
案の定だった。
(な、何を話せばいいかわからない……!)
ぢゅーーーーっとストローの刺さったアイスカフェオレを呑み続けるヒメリ。
他の四人はそれなりに話に乗って上手く会話が成り立っているようだが、互いの人数が一人分ズレていることもあり、ヒメリは輪の中に入り込めずにいた。
ヒメリは別に男性が苦手なわけではない。ただ、今現在同席している男性たちは、なぜか噛み合う話ができないような気がしてしょうがなかった。だから生返事を繰り返すだけで会話が成り立たない。
幸い男たちの人気はモデルの子に集中しているので、さほど会話は要求されなかったが。
喋らないことを誤魔化すためにストローを咥えたままぐるぐる考えていたら、男の一人が席を移動してきてヒメリに話しかけてきた。
「ねえ君は、えっとヒメリちゃんだっけ?」
「は、はあ……」
「服とか興味あんの? これ二十万したんだけどさ、どうよ? 贔屓してるブランドがあんだよね」
「ひゃあ、すごーい」
「その店の店長が俺のセンスを頼りにしててさ。よくアドバイス求められるんだけど、ハズいよな。俺が選んだのが広告にでっかく使われるとかさ」
「ふぅん」
「ていうのも、ここだけの話なんだけどさ、俺、実は有名人と繋がりあるんだよね。知ってる?芸人のA。あとあいつ。サッカー選手のBとか」
「へーっ」
「そういうやつらが集まる場所の常連なんだよ、俺ら。だからマブダチっての? そういうのがテレビに出るやつばっかになっちゃってさ」
「ほほぉ」
正直興味が湧かない話に、雑な『はひふへほ構文』でやり過ごしていたそのやり取りを、アキがじっと見ていた。
「…………」
「アキちゃーん、何か気になんの?」
隣の男が興味深げに話しかける。君がそれに興味があるなら、俺がそれを話の種にしてやるから心をこっちに向けて物欲しそうにしろよ、と付き従わせるように。
「い、いや、なんでもないよ……。ねえ、その話ってさ」
「お、結構食いつくじゃん。じゃあさ――」
「はあ!? ふっざけんな! そんなとこ誰がついていくか!」
友人の一人が突然怒りだして大声を上げた。
カフェでの話も尽き、次はどこに行こうかと駅沿いの大通りでご機嫌で肩を並べていた最中だった。
どうやら男の一人が先走り、次に誘った目的地が集団であれこれする場所だと明かしてしまったようだ。
他の三人からも舌打ちされ焦って取り持とうとするが、すでに泥沼で、友人が男の手を地面に叩きつけるように払うと、男たちが誘導しようとした方向の真逆へ怒り心頭といった様子でどすどすと歩を進める。
男たちもこの様子では呼び止めても無駄な労力だと思ったらしい。あっけなく、この突発的な合コンは幕を閉じたのだった。
逃げる獲物を名残惜しむ男たちの纏わり付くような視線が完全に切れ、それでもなお安全だと息をつけるほどの距離を取ってから、友人が不満げに叫ぶ。
「ーったく。下心モロだしすぎだっての!」
「ほんとだよねー」
「どうする? なんかシラけちゃったし、このまま買い物行って上げ直す?」
振り返って何か案がないかと全員を見渡し、そして気づいた。
「待って。アキがいない」
「ほんとだ。カフェ出るときまではいたのに」
「迷ったのかな。でもたいして歩いてもいないのにどこではぐれたんだろ」
「電話も出ないよ」
コールし続けても反応がない様子に、一人が深刻そうな顔で呟いた。
「まさか、さっきのやつらについていったんじゃ……なんか自慢話にすごい食いついてたし」
「信じたの!? あんなやつらの話!」
「じゃあ、さっき言ってたとこに行ったってこと? 探さなきゃ」
「でもどこなのかわかんないよ」
「あんなんどう聞いてもヤリモクじゃん。確か西口の方だって――」
「アキ、どうして……」
それぞれの表情が焦燥と恐慌に彩られる中で、一人が少しばかりの余憤を混ぜた。
「あの子、たまにこっちが思ってもみないことするんだもん。空気が読めないっていうか。この前だって――」
聞き終える前に、ヒメリはダッと駆けだしていた。
「ちょっ、ヒメリ!?」
制止を振り切り、ヒメリは行き交う人々を押しのけて爆走する。
ヒメリが走り出した理由は、直感に近い。
もちろん友人たちの心配は杞憂である可能性もある。本当はただはぐれただけで、電話が通じないのも、鞄の底にあるスマホに気づいていないだけかもしれない。
でも、胸がざわざわする。
予兆は感じ取っていた。アキは不安を覚えているとき、笑っていても右手を顎に当てる癖がある。ヒメリは今日、何度かその姿を見ていた。
今日に限らず、ヒメリは何度かアキが思い詰めたような表情をしているのを見たことがあった。何か悩みを抱えているのかとさりげなく聞いてみても、彼女は一度も話してくれたことはない。
いずれ自然に打ち明けてくれるのを期待して、ヒメリは無理に聞き出すことはしなかった。
入学時に知り合ってから、何度かあったことだ。こんなとき、アキは一人で行動する。さきほど友人の一人が話そうとした過去の件もそのひとつだった。
アキは、友人のためによかれと思って度々無茶をする。だけど、その行動は必ずしも本人が望んでいる方向と同じ向きを向いているとは限らない。
彼女はきっと気づきすぎる子なのだ。
だからこっちが気にも留めていないようなことをいっぱい背負い込む。そして他のみんなが気にも留めていないということ自体、彼女はわかっているから、一人で解決しようとする。
ヒメリはアキの負担を減らしたいと思った。アキだけがそんなに追い詰められるほど背負い込む必要はないんだと、言ってあげたかった。
アキは一人で抜け出して自分のためだけに楽しむような人間じゃない。今このときも、きっと誰かのために何かをしようとしているんだとヒメリは確信していた。
ヒメリたちがいたのは男たちが向かったと思われる西口の真反対、東口だ。
駅を回り込めば余計な時間がかかる。ヒメリは迷いなく地下に続く駅の入り口に駆け込んだ。行き交う人々が怪訝な目で見てくる。構うものか。
ワンピーススカートなのもお構いなく走った。足に纏わり付く。走りづらい。靴も走るのにむいてない。少しだけ止まってパンプスを脱いで片手にそれぞれ持つ。また走る。
「お客様! 危険ですので走らないでください!」
商業ビルに繋がる地下の長い通路を人の隙間を縫うように走っていたら、通りがかった駅の職員に見つかって怒鳴られる。
「ごめんなさい! あとで謝りに来ますから!」
叫び返して、速度は落とさない。裸足で触れた冷たかった構内の床も、摩擦でだんだん熱さを伝えてくるようになった。
ぶら下がるいくつもの案内板を見上げて歯噛みする。西口と一言で言っても、後ろに数字が付くほどに数が多い。彼らがどこに向かったかなど、ヒメリには知りようがない。
そこを選んだのはほぼ直感だ。迷ってる暇はないと思った。地上に出る階段を一段飛ばしで駆け上がる。光は見えた。
「アキちゃん!」
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