第4話 砂漠の王の従者見習い 4
「俺、パン屋、辞めようかと思って。
ネスさんに無理言って働かせてもらったのに、ごめん」
パン屋の店員募集は女の子だった。
それを彼がネスに頼み込んで、一緒に頭を下げて働かせてもらっていたんだ。
「親方もお嬢さんも俺によくしてくれてるし、店に不満があるわけじゃないよ」
彼はずっと俯いている。
声にも元気がないし、何がそんなに悲しいのかな。
「……娘さんの結婚、か」
ネスの声に彼の肩がピクッと揺れた。
僕の友達は十七歳、すでに成人している。
確かパン屋の娘さんはもっと年上だったはず。
まあ、女性の年齢は言っちゃいけないことだってネスに教わってるから考えない。
「あの娘さんに縁談がきてるのは聞いた」
隣のウザス領のパン屋の三男だそうだ。
一人娘だからお婿さんに入ることになるんだよね。
縁談が決まる前に、相性を見るという建前でその男性がパン屋に修行に来る事になっていた。
「俺、もうあの店にいられない」
元浮浪児の彼は自分の居場所が無くなるって言い出した。
泣いているのかな。
「……好きなのか?」
ネスは揺れる肩を見ながら小さな声で訊いた。
答えはなかったけど、それが答えなんだろうな。
僕はネスと顔を見合わせてため息を吐く。
いきなり彼がカバっと顔を上げて僕の手を握った。
「だから、俺を砂漠の町に連れてってくれ!」
「は?」
僕とネスは同時に声をあげた。
「俺、砂漠の国でパン屋をやるよ!」
今度はネスの腕を掴んで頼み始める。
彼はあの店のパンが大好きだった。
あの店で修行をして、一人前のパン職人になりたいと言っていた。
修行は終わったの?。
絶対まだだよね。
ネスが難しい顔をしている。
「分かった。 考えとくよ」
すぐに返事は出来ないとネスは答えた。
彼はまた肩を落として俯いてしまう。
「な、なるべく早く行きたいので、お願いします」
かすれたような声でそう言って頭を下げ、彼は斡旋所を出て行った。
入れ替わりにトニーのお父さんが側に来て椅子に座った。
「ウザスのパン屋の三男。
見かけは
ネスはおじさんの言葉に頷いた。
「だろうね」
僕は驚いたけどネスは知ってたのか。
それほど今、あのパン屋はこの町以外でも有名になっている。
大きな隣町の、有名なパン屋がその秘密を欲しがるほどに。
「あ、いけない。 ミラン様と約束があったんだ」
衝撃的な話にボケっとしてたら時間が経ってしまった。
僕がガタンと音を立てて椅子から立ち上がると、ネスも「一緒に行くよ」と立ち上がる。
「ミランってことは、酒場か」
「うん」
トニーのお父さんが「また来いよ」と僕の頭を撫でた。
二人で外に出ると、夜になっても外灯で町が明るい。
以前とは違う町みたいだ。
「ネスはどう思う?」
僕は隣りを歩くネスを見上げる。
「ああ、パン屋の娘ねえ」
ネスがこの町に来て、最初に僕たちのために交渉してくれたのがあのパン屋だった。
その頃、僕たちのわずかな収入では小さなパンしか買えなかった。
それでもパン屋のおじさんは僕たちに売ってくれてたけど、途中で隣町から小麦が手に入らなくなってパンが焼けなくなったんだ。
その時、パン屋の父娘を助けたのがネスだった。
そして僕たちもパンをお腹いっぱい食べられるようになった。
「俺には女性の気持ちなんて分からないよ」
ネスはそう言って笑った。
僕は首を傾げる。
「だけど、こういうことは本人たちの気持ちが一番大事だからなあ」
ネスはそう言うけど、女性を好きになったら仕事よりも大切になるの?。
「僕はまだ子供だから分かんない……」
ネスは酒場の扉に手をかけながら、
「年齢で決まるもんじゃないけどな」
と、小さくボソッと呟いた。
酒場には結構客がいた。
ミラン様はまだのようだったので、ネスが奥の席を取り、
「ミランが来たら教えてくれ」
と、店の従業員に慣れた様子で
僕はお母さんのこともあってあんまりサーヴの町には来ていなかったけど、ネスは転移魔法で頻繁に行き来してる。
大人だし、付き合いっていうのもあるのは分かってるよ。
お腹は空いていなかったのでネスが適当に軽いものを注文した。
「お、サイモン、ってネスもいたのか」
片手を上げながらミラン様がやって来た。
まいいか、と僕の前に座ったミラン様は、目の前の料理を勝手に摘まむ。
「酒、持ってるんだろ、出せ」
口元をニヤリと歪めてミラン様がネスに酒を
「はあ、仕方ないな」
ネスがこっそり魔法鞄から出した高そうな酒瓶をミラン様がさっと奪い、うれしそうに自分のカップに注ぎ出す。
「えっと、ミラン様、何の御用でしょうか?」
美味しそうに酒を味わっているミラン様がなかなか話し出さなくて、こっらから訊くことになった。
「あー、そうだった。
まあ、ネスにも関係ないわけじゃないからいいか」
そう言いながらミラン様はネスの顔をチラッと見て、コホンと咳を一つした。
「実はな。 ミーアが砂漠の国に住みたいって言い出してな。
しかも一人で行くって言ってきかないんだ」
僕にミーアに諦めるよう説得してくれという話だった。
ネスは黙って隣でお酒を飲んでいる。
僕は知ってるよ、ネスは魔力が高いから酒には酔わないんだって。
ミラン様はもう目元が赤いけどね。
「まあ、もうすぐ赤ちゃんが産まれるんだからサーシャさんは行けないでしょうし」
ネスの言葉にミラン様が頷く。
「俺も行けないがな」
ミラン様は地主だし行けるはずないでしょ。
僕がネスを見ると苦笑いしてた。
「分かりました。 明日にでもミーアと話してみます」
僕はそう言って席を立った。
もう時間が遅くて、寝る時間もとっくに過ぎてる。
ネスと違って僕はまだ子供だから、こんな店に長くいちゃいけないと思う。
「なんだー、ゆっくりしていけよー」
なんてことを言う酔っ払いのことは放っておいて、僕はネスに目配せして一人で店を出た。
家に戻るとすぐにアラシが寄って来たので一緒に部屋に入る。
お母さんが何か言いたそうにしてたけど、もう眠いからいいや。
着替えて寝台に寝ころぶと天井を見上げて考える。
皆、砂漠の国を何だと思ってるんだろう。
この町にいたくないからって、あそこは逃げ場所じゃない。
僕は疲れてたせいか、あんまり考えられなくて、いつの間にか眠ってしまった。
翌日、僕は朝食もそこそこに家を出る。
お父さんが地主屋敷で働いているから僕も一緒に行きたいと言ってあった。
「あんまりお母さんを泣かせるな」
お父さんはそんなこと言うけど、別に困らせようとは思ってないよ。
「僕は普通にしてるだけだから」
ぷいっと横を向いてしまったけど、相手は親だからいいよね。
砂漠の国にいるときはあんまり子供っぽいことはしていない。
だって僕はネスの従者になりたいんだ。
王様であるネスの身の回りの世話や雑用をするのが仕事なんだって。
一人前にはまだまだ遠いけど、ネスやリーア様やティア様の一番近くで働ける仕事なんだ。
だからしっかりしなきゃっていつも思ってる。
町を離れた時に自立したと思ってたけど、お父さんやお母さんの側にいるとどうしても子供扱いされるし、自分も子供に戻ってしまう。
僕としてはそれが嫌なだけで、お母さんのことも本気で嫌ってるわけじゃない。
「たまにはちゃんと話をしたほうがいいぞ」
お父さんが僕の背中をバンッって叩く。
「わ、分かってるよ」
正直、男同士のお父さんとはちょっと違う、お母さんに対する態度って難しい。
僕が女の子だったら少し違ったのかな。
……女の子だったら、この町に置き去りにされることもなかったのかな。
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