第70話 吊るされた少女
翌日。
僕らは両親からのお土産の食料や衣服、庭でとれた果物や野菜を担いで、帰りの自転車に乗った。
結局来た時と同じかそれ以上の荷物になってしまったが、ありがたいことだ。
また近々遊びにおいでとかわるがわる抱きしめられたニコラスも、柔かい笑顔で自転車の荷台に収まっている。
ささやかな僕らの休日も終わり。自転車のペダルは重いが心軽やかに、街の中心部に向けて駆け抜けていった。
秋の風は甘く、ちょっぴり冷たい匂いが漂い、僕らの髪や体を通り抜けていく。
東では我がドイツの精鋭が赤軍と戦っているらしいが、戦線はまだずっと遠く、砲声も爆音も聞こえてこない。
ラジオで総統(この呼び方にも慣れてしまった)が、決定的な超兵器を開発し、すぐに前線に配備される。ボルシェビキたちは一撃で粉砕され抑圧されているスラブの同胞たちも解放されるだろう。
そう繰り返し勇ましく呼びかけている。
そのためにも団結を。節約と訓練を。
だが当面、近づく冬にむけてどう食料や衣類、燃料を確保するか。
ナチが守っているように見られているが、ホテルも大変なのだ。
そんなことを考えながら軽快にペダルをこいでいると、大通りの一角で人だかりが出来ている。
このご時世の街角で見る集団は、たいていろくなものではない。
僕らは自転車を降り、手で押しながら群衆の後ろを通り抜けようとしたが、何しろ道幅いっぱいに人垣が出来ていてびくとも動かない。
仕方なく裏道に引っ込もうとすると、ニコラスが小さな驚きの声を上げた。
振り返ると、道を塞いだトラックの荷台に数人の男女が立たされている。
道にしつらえた絞首台に輪にした綱が下げられ、それぞれ首が通され、顎の下から耳のすぐ後ろで固定されていた。
軍服でも警察の制服でもなく、普通の恰好をした一般市民が、仮面のような無表情で、黙々と作業を進めている
まるで食肉業者が半割にした牛や猪の身をフックで下げるように。
人々のささやきから、彼らはユダヤ人の逃亡を助けたグループの構成員だと知れた。
まだとても若い少女、金髪を無造作に束ねた中年の女性と、痩せこけて鋭い目をして群衆を睨みつける男性たちは、いずれも首から『裏切者の豚』『殺人者』『破壊者』『最低の獣』などと描かれた札を下げられ、手を縛られている。
僕らは彼らを見たことがある。鮮やかなワンピースを着た少女は街の映画館のもぎり、束ね髪の女性は食堂のおかみさん。鋭い目をした男の一人は市場で果物を売っている露店の店主だ。
全員の首に縄がかけられ固定されると、トラックは猛然と走り出した。
急に足元が無くなった彼らの体はガクンと落ち、首がぐんと長く伸びた。
体を何度か大きくよじらせ、きりきりまいするように回転したかと思うと、すぐに動かなくなった。
ナチのシンパたちはそのままその場を離れ、あとには大通りの真ん中に吊るされている幾人もの死体が遺された。
街にはこうした公開処刑場が何カ所もある。
歓声も罵声もなく、人々は静かに見守っている。
僕らはたまらず裏道に急ぎ、その場を離れた。
「ゲアハルトさん」
早くこの場を離れようと懸命に自転車のペダルをこぐ僕の背後で、ニコラスが声を上げた。
「なんだ?」
僕は振り返らずに答えた。
「楽しかったね」
「え?」
「邪魔じゃなかったら、また行きたい」
僕の実家のことだ。
動揺したおかげですっかり忘れていた。
僕らは楽しい帰宅をしていたのだ。
「ああそうだね。次のお休みの時にでも」
「約束だよ。僕がその時まで生きていたら」
馬鹿な事を言うな。
僕はそう言おうとしたが言葉が出てこなかった。
代わりにペダルを思いきり踏み、ぶつかる寸前ギリギリですれ違った市民に怒鳴られた。
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